1999年11月祭研究発表
はじめに
場所はフィリピン・セブ市。カメラを片手に、おみやげの入った大きなバッグをもう片方の手に持って街を闊歩する観光客。その話し声と笑い声が街をさわやかに通り抜ける。道の傍らには新聞を売る少年、道ばたに座り込んでチューインガムを売る少女。人々はふと目を止めてまたそらしたり、あるいはその少年少女からものを買ってみたり、あるいは全く気にもとめない風に、通り過ぎてゆく。
ところは変わり今度はタイ・バンコク。真新しい高層ビルが建ち並び、中心街にはしゃれたブティック、レストラン、デパートが軒を並べる。ビルに降り注ぐ朝の日の光がまぶしい。 スーツ姿のビジネスマンが今日も会社に向かう。少しの重い気持ちとため息を連れて。同じ時間、子どもたちも起き出す。今日も工場で焼き鳥の串をつくるのだ。つくった串は焼き鳥の加工会社に卸す。加工会社はビジネスマンの働く商社にそれを売る。みんな、今日も一日仕事だ。
働く子ども。タイで、フィリピンで、多くの「発展途上国」で、それはごくありふれた日常の光景だ。
子どもたちはいろいろなところで働きつつ日々の生活を営んでいる。
ストリートで、家の中で、プランテーションで、鉄格子のはめられた工場の中で、あるいは売春宿で。
ものをつくる、ものを売る、ものを拾う、ものをきれいにする、おとなを喜ばせる。
いろんな仕事がある。
働く子ども。その存在はたまに私たちの視界に入る。
「貧しいから仕方ないよ。子だくさんなのがいけないんだ。」「国全体が貧しいからなぁ、何とも言えないよなぁ。」
「子どものうちから働くなんて、かわいそう。何とかしてあげないと。」
「子どもには教育を受ける権利があるのに、働かなければならないなんておかしい。政府は子どもの権利条約を批准しているのになんとかすべきだ。 黙認しておくなんて、だから途上国政府は…」いろんな声が聞こえてきそうだ。
「仕方ない」と諦めてみたり、考えないようにしたり、途上国のせいにしたり、貧しさのせいにしたり、憤りを感じてみたり、同情を感じてみたり、いろいろする。
いろいろするけれども、その子どもたちのことを知ろうとする人は少ないのかもしれない。
働く子ども。日本では遠い昔に日常の風景ではなくなった存在。
しかし、世界には、今日、たったいま、働く子どもが確かに存在するのだ。無関係、無関心、諦めと、ちょっとだけさよならしてみませんか。
京大ユニセフクラブ 11月祭'99
研究発表子ども班 「働く子供」チーム
段原志保&角田望
もくじ
1 フィリピンのストリートチルドレン
ストリートチルドレンって?
ストリートチルドレンの直面する現実
疑似都市化はなぜ起こるのか2 タイの出稼ぎ児童労働
過酷な農村からの出稼ぎ児童労働
イサーン〜開発がもたらした貧困〜おわりに 感想
見つめるちから 段原志保
"コドモ"と"オトナ"のはざまで 角田望
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