1◆識字の意味
広辞苑(第4版)で「識字」を引くと「文字の読み書きができること」とでています。しかし、識字の意味はそれだけなのでしょうか。1975年識字のための国際シンポジュウムで出されたペルセポリス宣言は、識字を「たんに読・書・算の技能習得にとどまらず、人間の解放とその全面発達に貢献するもの」と定義しています。このような考え方を唱えた教育学者にパウロ・フレイレという人がいます。
2◆パウロ・フレイレの考え方
1921年ブラジルに生まれる。民衆の自覚をうながす独特の理論を実践により識字運動の体系化と発展に貢献した、今世紀の重要な教育思想家。代表的著作に『被抑圧者の教育学』がある。 人間として生きるということは、他者や自然、文化、歴史といった世界と関係を取り結んで生きるということです。ゆえに、人間として発達するには、現実の世界に埋没するのではなくて、他者や世界と意識的に対話していくことが必要なのです。教育の本質はここにあり、それは現実の抑圧的状況から人間を解放することなのです。そのための手段としての識字という行為を通して、人は現実を認識し、世界を変えるために立ち上がるようになるのです。
3◆具体的な方法
それではフレイレのいう識字は実際にどのように実践されるのでしょうか。シャプラニール=市民による海外協力の会がバングラデシュで行っている識字活動を例に取ってみましょう(第2章参照)。先生役は現地のバングラデシュ人のなかから比較的教育を受けた人が選ばれ研修を受けます。先生はテキストの絵を見せ、それがどんな状態を示すものなのかを学習者に聞いていきます。(右図はかつて使われていたテキストの1部)ここで使われる絵は学習者の生活に密着した場面を映し出すものが選ばれます。その絵をもとに様々な対話が成されます(私たちの中にこの絵と同じような人はいないか、どうしてこのような状態になっているのか、どうしたら解決できるか…)。この対話の中ではある学習者が他の学習者の先生役になることが多くあります。例えば自分の田んぼが豊作だった人はそうでなかった人にどうすればいいかを教えます。その場合も一方的な教え方でなく、他の学習者も交えて話し合いをして解決法を考え出すというわけです。そして「ロブは稲を刈る」(ロブは典型的な男性の名前)といった生活と直結した言葉を文字として学んでいきます。文字を獲得すると同時に現実世界を読みとることを体験していくのです。識字教室には寄合的な要素があり、話し合いは深夜に及ぶこともあるそうです。
4◆識字の生む効果
識字教育を受けると何が変わるのでしょうか。計画的に家業を営めることによって、あるいは職業選択の幅が広がることによって収入も増えるでしょう。高利貸しにだまされることもなくなるでしょう。しかし、それだけではありません。ここで思い出してほしいのは、前に述べた「識字とは単なる文字の獲得にとどまらず、人間の開放と発達に貢献するもの」という定義です。
前述したように、識字教育は(私たちがThis is a pen.と繰り返したように)無意味な言葉を詰め込むものではありません。例文は生徒の身近な所から選ばれ、文字を知ると同時に身の回りのことについて生徒同士が考え討論する材料ともなります。農村であれば肥料や収穫について、女性が対象であれば家族の健康や避妊の知識について・・・。それまでは全てを宿命として受け入れていた人々が、自分の抱える問題に主体的に関わっていけるようになる、これが識字の大きな効果です。
特にこうした側面での効果は女性の場合に実証されています。女性の識字率の高い国・地域程、乳幼児死亡率が低くなっているのです。人口爆発の要因として指摘されるように、途上国の女性はあまりにも若くからあまりにも多くの子供を出産する傾向があります。そして子供が病気になっても手をこまねいて死を待つばかりです。ところが、識字教育を通して避妊の効果を知り、簡単に下痢をとめる経口補水塩(水に砂糖と塩を溶いたもの)の作り方を知れば少数の子供を大切に育てられるようになります。
識字は主体的に知識を獲得し利用する手段であると同時に、それ自体が大きな喜びでもあります。文字の読み書きができないことで差別を受けたり、抑圧されてきた人々のエンパワーメント(社会的、精神的に力をつけること)や尊厳の回復に識字は大きな力を持ちます。自分の名前が書ける、身の回りの模様にしか見えなかったものが意味を表わしている、そうしたことが自信となることも、自分が外国語を習った時等を思い出せばよくわかるのではないでしょうか。
5◆識字教育が必要とされる背景
◇非識字者は世界に4人に1人
世界で日常的な読み書きのできない成人(15才以上)は9億4800万人に上るといわれます。これは世界の成人人口の4分の1にあたります。これは日本に住む私たちには実感できない数字です。日本の識字率は実際ほぼ100%。では、いったいこれだけの非識字者はどこにいるのでしょうか。
資料1を見てください。全体の半分以上はインド、中国を抱えるアジアに集中しています。また識字率で比べるとアフリカはそれ以下となっています。非識字者の90%以上がいわゆる発展途上国と呼ばれる国々にいるのです。そして更に詳しく非識字者の構成を調べると、男性よりも女性、都市より農村、国の多数派よりも少数民族に多いことがわかっています(資料2参照)。社会の中で弱い立場にある人にほど非識字者が多いのです。これはなぜでしょう。
◇ 学校へ行けない
まず第一に、これらの人々の中には初等教育を受けられない人がたくさんいることが挙げられます。学費を払う余裕がない、または学校に行く時間があったら子供にも働いて稼いでもらいたい、といった理由で、小学校に行かないあるいは入学しても途中でやめてしまうという子供がたくさんいるのです。女性であれば、「女に教育はいらない」「女性教師がいないから不安」などの理由も加わって、教育を受けるチャンスは更に減ります。教育をうけていない親は教育の必要性を感じずに、子供を学校へやりたがらないという傾向もあります。 また学校教育自体にも問題はあります。学校自体の数が少なくて、特に農村や山間の所では何時間も歩いて行かねばならなかったり、教師や教材が不足していて十分に指導してもらえなかったり。こうした教育制度の下では、ついていけない子供は留年を繰り返し、退学することになります。多くの途上国では、教育予算は初等教育より高等教育に重点的に充てられます。大学まで行けるのは国民のほんの一握りのエリートです。国のリーダーとしての人材養成に力が注がれているようですが、これでは富める者が富み、貧しい人は貧しいままという階級の固定化につながってしまいます。c
◇非識字の悪循環
貧しいから教育が受けられない。では逆になぜ教育がないと(文字を読み書きできないと)貧しさから脱せないか。
社会が文字を前提に成り立っている以上、文字を読み書きできなければ職業の幅が狭まってしまいます。物価を比較して計画的に家計をやりくりしたり、家業を営んだりすることもできません。高利貸しに騙されたり、薬や物の使い方もわかりません。こうして教育を受けられない者は、社会的にも経済的にも抑圧された存在であり続けるのです。