自国民であれ外国人であれ、日々の生活を安心して送っていく上で医療保険や住宅その他の社会保障の問題はきわめて大切だ。しかし、従来、こうした社会保障の権利は、その対象が原則として自国民に限定される傾向があった。日本でも長い間、社会保障・社会福祉政策は、原則として日本国民だけをその対象としてきた。
しかも日本政府は、戦後、国内の外国人の大多数を占めていた旧植民地出身者にも何ら特別な配慮を行わなかった。これは、例えばイギリスが、インドなどの旧植民地国が独立した後も、その国民を「英連邦市民」として国政選挙権を含む完全な権利を保障していたのとは対照的だ。
その後、日本は「先進国」として内外人平等を定めた国際条約を受け入れざるをえなくなり、そのために国内法の整備に着手することになった。1979年に国際人権規約に加入するに当たり、まず公共住宅を永住者に開放した。続いて、1982年に難民条約を批准し、国民年金法や児童扶養手当法などの国籍条項を撤廃した。児童扶養手当とは、何らかの理由により父がいない母子家庭などに一定の手当を支給するものだ。国民健康保険についても、1986年に国籍条項が完全にはずされた(表3参照)。もちろん、これらの法律の適用には、外国人登録が必要だったり、短期滞在者はダメだったりと、様々な条件がつく。また、国民年金法などは、経過措置が不十分で、国籍条項がなくなってもその成果を享受できない者が多数出るなどの問題があった。また、未だに、国籍条項つきの社会保障に関する権利も存在する。それは、舌をかみそうな名前の戦傷戦没者遺族等援護法と恩給法それから生活保護法だ。この中でも、前の2つに国籍条項が採用されていることには、怒りを感じる人も多いだろう。植民地の人たちをむりやり兵隊にした上に、保障はしないというのだ。
これら3立法を含め外国人に対する社会保障の適用は、十分とは言い難い。しかし、大きな流れとしては、社会保障は国籍を問わず日本に居住する者一般に適用されるようになってきたと言える。特に、定住者や永住者などは、社会保障の面では、やっと欧米諸国なみの市民としての権利を日本でも享受できるようになってきた。
ところで、1946年にGHQから提出された憲法改正草案(いわゆるマッカーサー草案)においては、法の平等規定は「すべて国民は、法の下に平等であって…」(現憲法14条)ではなく、「凡ての自然人(All natural person)は…」であった。日本側は、GHQに代案を何度か提示する中で、英語と日本語のズレを巧みに利用しながら、いつのまにかその内外人平等規定を消してしまった。そして、その後も一貫して、憲法の中の「国民」を日本国籍保持者と見なし、旧植民地出身者をふくむ外国人の権利を厳しく制限してきた。しかし今日、国際条約という(またしても)外圧によって、憲法の当初の理念は日本によみがえりつつある言える。