京大ユニセフクラブ2002年度11月祭研究発表
「水家族」
3 「量」について
第1章 私たちが日々使っている水(文責:金)
私たちは蛇口をひねるとすぐに水が供給され、いくらでも水はそこから供給されるものだと知らぬうちに信じています。日本においても地域差はあるかもしれませんが、滋賀や京都、大阪といったところでは、琵琶湖という大きな水源を持ちえているので水が豊富にあるのが当たり前といった環境にいます。このような認識での水の使い方は「量」という点からみたとき問題はないのでしょうか。
・水の存在量と「使える」水の量
地球に存在する水の「量」は今も昔も同じであり、全体として水は減ったりも増えたりもしていません。ただしそれは一箇所にただとどまっているわけではなく、様々な姿・形となって移動しています。水はまた、人間によって使用され、汚染されています。それでもやはり存在する水の量は変わっていません。一方、「使える」水の量はどうでしょうか。ここでいう「使える」水とは私たちが普段使う水の水源である、河川や湖の水と考えます。これらの水は決していくらでもあるわけではなく、限られた水といえます。
・涸れた川
少し日本を離れて中国の河川をみてみます、四大文明の発祥で有名な「黄河」。この川は1972年に中国の歴史上初めて海に行き着く前に干しあがってしまいました。これは「断流」とよばれ、河川の水の「汲み上げすぎ」によって引き起こされたものです。旱魃などの影響もありますが、「人為的」な影響が大きいことは否定できないのではないでしょか。これは人間の需要が「使える」水の量を超えてしまったとうことの例です。このように広大な河川が干しあがるというのは人工の集中にともない増加した水の需要を満たそうとしたがために起こりました。
このように川の水が干しあがってしまう状況は実は日本にもあるようです。京都の堀川などが挙げられています。その原因となるのに「流域下水道」というものがあります。下水道にはいくつか種類があり、そのひとつです。ここでその「流域下水道」の指摘されている問題点をみてみましょう。特徴は取水し水が使われた地域とそれが処理され放流される地域が離れていることです。そのため取水した川の水が減少します。個人下水道といった下水道では処理された水は再び近くの川へと流されるので川の水量が減少するといったことはなく、流域下水道とは対照的です。
・放流水の増加
上でみた流域下水道はそのシステム上の問題点だけをみましたが、もちろんこのような下水道も私たちの使う水が流されるという点で、私たちの水の使い方にもかかわってきます。水を使うほど近くにある河川の水量が減っていくとしたら、使う「量」について考えてみる必要があります。
流域下水道に限らず、今度は一般的に私たちの使う水を「量」という点から眺めてみましょう。水をおしめもなく使うとします。使い流された水は、たとえそれが水道水そのままの水質の水であってもいったん流してしまうと、その水は下水道を通り処理場へ送られます。もちろん下水道には他の汚水も混じってきて一緒に同じ汚染濃度の状態になって川や海に放流されます。ということは、下水道が整備されているところでは水を使えばそえだけ「放流水」( 下水処理場から海や河川に流される水)は増加します。その放流水は処理されているとはいえ、その量が増加することにしたがい水環境への負荷も増大すると思われます。
・考慮すべきことは何か
雨が降ればその雨量のごく一部は河川に入ります。それによって「使える」水は増加します。それは自然の力によっています。またその力を借りないわけにはいきません。しかし現状はその自然の力を私たちは期待し過ぎています。しかし人間の需要に従って浄化能力、降雨量といったものがついてくるとは考えられません。