黒田 敏史(くろだとしふみ)
これはなかなか難しい質問だ。3号ボックスに出入りする人々は一般の人よりもNGOに親しい位置にあるはずだけど、それでもNGOとは何かと言われると困ってしまう。大きいものから小さいもの、地域での活動を主にしているものから多国籍にわたって活動しているもの、等々いろいろなNGOがあるからね。組織の活動内容も多様にわたってるから、全てのNGOをひとまとめに説明するのは難しいよ。だから一括りに言うことはその活動内容を反映する事のない、曖昧で抽象的なものになってしまう。たとえば「地球規模の問題に対処しようとする市民の運動」とか、「国家、企業に対抗する市民の活動団体」だとかね。ぼくには「NGOとは何か」と言う質問には答えることはできないから、この質問はもっと頭のいい人たちに任せて、とりあえず読書会の内容に移ろう。
この読書会は某Tさんがこの本を見つけてきて「みんなで読んでみない?」と提案した事がきっかけ。目次にはなかなか刺激的な言葉が並んでる。『ファシズムでも人は救える』とか、『教育は「水物」だ』とかね。著者は大学院で都市計画を勉強していて、その興味がかなり屈折した形で発展して途上国の開発問題へと向かったらしい。そしてプロをプロとして雇うシステムを持っていない日本のNGOを見限ってPlan Internationalという世界最大規模の開発援助団体に入社。屈折してたどり着いた問題意識を持つ著者が幻想に包まれた現場の実体を暴いていくって話だ。これは面白そうだ。幸いぼくは参加できたけど、何人か参加したいのに日程が合わなくって参加ができなかった人がいたのが残念。
いざ読書会をやってみると、確かに刺激的な言葉が並んでいるけど、長い割に大して内容がないように感じた。彼の見た現場のことは解るけど、口の悪さが災いして真意を掴むのが難しい。主張を首尾一貫してとらえらるのも難しい。あまり内容について議論することもなかったので、雑談っぽい話をしてた時間が多かったような気がする(宗教観の対立とかね)。結局細かいところをすっ飛ばして、全体を通して解ったのは、「ごたくを言わずに効率よくやれ」「理屈をこねて自分の幻想を押しつけるな」「寄付者にちゃんと目に見える形で効果を示せ」ってこと。これは寄付者を株主に変えたなら企業の理念そのもの。それもそのはず、著者は開発NGOを先進国の金持ちに満足を与えるサービス業と捉えているのだ。ぼくの前書きにあるようなNGOの幻想なんて一気に吹っ飛んでしまう。
この本は「プロ意識のあるNGO」「本物の援助」を目指す著者の理性的な情熱が生み出したもので、共に新たなNGO業界を作ってゆくための真摯な呼びかけの声らしい。確かにここには「援助」と言う言葉の裏にある強者、弱者の関係はもうない。全てが商品なんだ。お金を持っている人が、お金を持っていない人にちょっぴり持ち合わせを分けて、それを使ってお金のない人が少し豊かになって、お金持ちは満足する。後ろめたさなんてどこにもない。対等な関係なんだ。この考えを受け入れにくい人もいると思う。だけど、個人の幸福追求が本質的に肯定される社会の仕組みの中で、僕たちは生きている。個人の幸福を追求することを否定した社会がどうなったか、ちょっと見てほしい。僕たちが生きている社会のいいところを、悪いところの補填に使う仕組みを提供する。これはそんなに悪い話だろうか。ぼくには、良くわからない。ただ、言えるのは、ぼくは、たいそうな夢や幻想なんていらなくって、今、自分にできる事を、やるだけなんだ。
概して理念的になりやすいNGO解説であるが、この本はNGOを多いくるんでいる幻想のベールをあっさりと剥ぎ取ってくれる。NGOというものがいまいちなじみが無く遠い存在であるがゆえに、その実体からかけ離れた幻想を抱いてしまいがちだが、この本はその実体を赤裸々に描いていた。また、著者はなかなかの悪舌で、理想を持って途上国に乗り込む人間を『自分の知的優位さを見せつけたい人間』と言って非難するが、その一員になりかねないぼくにとって良い忠告であったかもしれない。
「宗教者は、常に地元信徒たちと運命を共にし、最悪の場合には殉教する覚悟を持つべきである」については、賛成、反対の意見が分かれ、宗教観の対立にまで話が行ってしまった。あまり、問題となる発言ばかりというのも困りものだ。
崇高な理念に惑わされず、いかに効率的に開発援助を進めていくかのみに注力する著者の姿勢には批判もあがったが、与えられた現実の中でいかに効率的に目的を成し遂げていくかについての姿勢は感心した。
余談だが、先日この本を、経営学のコーナーで見かけた。なるほど。
「いいことをしている。」「途上国の人々を助けてあげている。」という「美しい」認識のもと非効率性、援助によって起こる弊害などの問題点が包み隠されている(と著者が考えている)日本のNGO業界に対して痛烈な批判を浴びせたかたちのこの本。かなりの反感を覚えつつも各論において確かに正しいと認めざるを得ない面も多々あり、余計釈然としない思いを持ちながら読み進めていた。
この本の内容はどうやらほとんどが客観的な統計や調査ではなく著者の身の回りで起こったことに基づいて語られているらしいので見方が偏っているという面もあるだろうし、全体的にかなり誇張した書き方をしてある。が、その辺を多少割り引いて考えるにしても確かに個々の議論はかなり的を得ているのだろう。
それにも関わらず残ったこの釈然としない思いというのは一体何なのだろうか。例えば本文によると「プロジェクトの成果という『商品』を寄付者という『顧客』に提供することもサービス産業たるNGO業界のひとつの業務である。」のだという。確かに表面だけ見ればそうなのかもしれない。そのように割り切ることでより効率的な運営ができ、ひいてはより多くの人により質の高いサービスが提供できるのだということも理解できる。しかしだ。多少のお金と引き替えにプロジェクトの成果という「商品」を手に入れて満足するような「顧客」がどんどんと増えていくことが本当に良いことなのだろうか。
かたや貿易や債務返済によってどんどんとモノやおカネが日本に流れていく。その傍らで細々と小規模なお金が草の根による援助として途上国に流れる。前者の大きな流れに何の注意も払わずに多少のお金を寄付して満足を手に入れるような人が増殖することに私は危惧を覚える。
NGOとはいったいなんなのだろうか?NGO活動というのは一体何のためのものなのだろうか。
『NGOとは何か』を読んで考えたことはまさにこのことだった。
著者の意図したところとは若干意味が違う気がするが、まぁそれはそれとして。
「NGOとは何か」という題名からして、「NGO入門」的な本だと思っていたので、読み始めたときは面食らいました。次々出てくる批判の中には、暴論だと思われるものも多々ありましたが、全体的に刺激的でおもしろい本でした。読み進むうちに、NGOに対する美しいイメージは、完全に崩壊してしまいましたが、それは、良かったと思います。NGOも組織である以上、打算も腐敗もありえるし、運営上の問題点も各団体いろいろ抱えているはずですが、これまでは、勝手に理想化していました。また、NGOの自己PRを鵜呑みにするのは危険であるということにも気付かされました。NGO側は良いことだと思って取り組んでいても、現地政府や住民にとっては実は迷惑である場合もあります。冷静に、客観的に、NGOを見る目が大切だなぁと思いました。あと、読書会を進めるうちに、アフリカに関する認識不足を痛感しました。現在抱える問題も、そこに至った原因も、日本との関わりも、さっぱり分からないため、著者の見解について、十分な議論ができませんでした。アフリカについて、もう少し勉強してから読んでみたら、また違う読み方になるかもしれません。
そもそも援助業界は、白人の偽善的(?)な行動や、ヒーローぶる事で発達してきたものなので、NGOの経営をまるで競争力のある株式会社の経営と同じような効率性を求めるのにそもそもの勘違いがある。確かに、効率化によって、エンパワーメントやサスティナビリティが達成されるので、著者の言うことは正しいのだろう。しかし、「森さんが巨人の監督をやれば長島がそうするよりも巨人は強くなるけど、巨人の人気低下による野球人気低下、それに伴い、野球少年激減、20年後の日本野球界はおもしろくならないし、レベルの低下も免れない。」ように、プロフェッショナルな人ばかりで最強チームを作って、センセーショナルな話題性を欠いたところで一般のドナー(必ずしもかしこい人とは限らない=アホもいる)に共感を得られるのか、著者は考えなければならない。著者がえらそうなことを言えるのは、援助業界が発達した、繁盛している、と言う前提のものに成り立っているもので、前提を無視した議論はいかがなものか。