例会後ワークショップ報告

「パパラギ」

角田 望


う〜っいつものことながら廊下はひえるなぁ・・そんなことを思いながら古本の整理をしていた2月のある日のこと.一冊の本が私の目に留まった.「パパラギ」である.確か高校生の時授業で少しだけ取り上げられたことがある本だ.興味を持ちながら今まで開いたことがなかった.一度読んでみるとするか.そして私はその本を家に持ち帰った.(お金はちゃんと払いますよ→古本市担当さん)

『パパラギ』は西サモアの酋長であったツイアビという人物がパパラギ(=文明を持った白人)について語った演説を,ヨーロッパ人の友人が本にまとめたものである.「鋭い文明批評」と一言で片づけてしまえばそれまでだが,これがなかなかおもしろい.お金を「丸い金属と重たい紙」と言ってみたり,アパートを「石の割れ目」さらにはそこに住む人間を「割れ目人間」と言ってみたり・・わたしたちの「当然」をことごとく,しかも楽しく痛快に突き崩してくださるのである.確かに文明「批評」には違いないのだろうがなぜかこの本は「批評」という言葉につきまといがちな重さや押しつけがましさとは無縁で,笑いながら読む人を幸せにしてくれそうな爽やかさがあるのだ.この爽やかさをできれば多くの人と共有してみたい・・そこで考えついたのが例会後企画でのワークショップという方法である.

1.詩の朗読

パパラギとは

白人のこと 見知らぬ人のこと

でも 言葉通りに訳せば

天を破って現れた人

初めてサモアに来た白人の宣教師が

白い帆船に乗っていた

遠くに浮かぶ白い帆船を見て

島の人たちはそれを天の穴だと思った

白人が その穴を通って彼らのところへやってきた

白人は天を破って現れた

『パパラギ』が書かれた背景・経緯などについて簡単に説明.(ここでは略)

2.なぞなぞ「これな〜んだ?」

酋長ツイアビは私たちにとって当たり前のモノ・概念を(わたしたちからすれば)非常に奇妙な言葉で表現しています.さて,これらは一体何を表しているのでしょうか?

  1. 束になった紙
  2. 白人の本当の神様
  3. まやかしの暮らしのある場所
  4. 白人がとりわけ好きな,手では決してつかめないがそれでもそこにあるもの

もちろんこれだけではわかりませんよ・・ね.

さらにヒントを付け加えながら皆で酋長ツイアビの言わんとしていることを考えてみました.

ここでも読者の皆さんのために少しだけヒントを付け加えておきます.ちなみにこの表現は全てツイアビの言葉そのままです.(ヒントは上の番号に対応しています)

  1. パパラギの大きな知恵がおかれているもの
    毎朝毎晩パパラギが頭をつっこんで頭が新しいもので一杯になるように食べさせるもの
  2. 丸い金属と重たい紙
    誕生の時,死ぬときにさえも必要なもの
  3. どんな村にもある秘密めいた場所
    どんなに明るい昼間でも他人が見分けられないほど暗い
    暗い部屋は黙って座っている人でいっぱい
  4. 白人が小さく切り刻んで粉々にしてしまうもの
    もともとそこにあるのに譲り合ったり誰かがくれたりするもの
    そこにあるのにとてもあったためしがないと白人が言い張るもの

さて,どうでしょう.(答えは1.新聞2.お金3.映画館4.時間です)「え〜っ」「はぁ〜 なるほど.」意外で新鮮,それでいて言われてみると妙に腑に落ちる,そんな感想を持った人が多いようでした.(←皆さんの雰囲気を見ていた私の勝手な解釈)おもしろかったのは4で,愛,神さま,名誉といったものから石けんという珍答までさまざまでした.

3.あなたがツイアビに出会ったら・・

さて,本日のメインイベント.この酋長ツイアビとの遭遇の機会がやってきました.3つのグループにくじで分かれてもらい,それぞれに『パパラギ』の本の中から別々の箇所を選んで渡し,読んでもらいました.

問題は「あなたは今ツイアビに出会ってこのようなこと(=本の内容)を言われました,さてどんなふうに返事をしますか」というもの.私自身がツイアビの役になり,語りかけるので何らかの反応をしてほしいと説明しました.

3つのグループそれぞれの課題(題名と要旨)

パパラギにはひまがない

時間というものは日が昇ってから沈むまで皆に同じだけ十分与えられたものであるのにパパラギはそれを切り刻み,数え,計り,常に時間を苦しみにしている.いつも時間がないことに不満を言っている.

パパラギの職業について〜そしてそのために彼らがいかに混乱しているか〜

職業という不可思議な概念がパパラギにはある.一人の人間は決まった一つのことしかしないという意味だ.一つのことしかできなくなると不便だし,喜びもその分減って苦しみだけが重なっていくのに・・

まやかしの暮らしのある場所について,束になった紙について

パパラギは映画館でまやかしの暮らしを楽しむ.残酷な場面を見ても平然と,それがまるで楽しみでもあるように喜々として・・本当の暮らしは太陽の下にあるというのに.

新聞は毎日決まった一定量の知識を詰め込むことで全ての人の頭を一つにしようとするが,その知識は意味のないものなのでパパラギの頭は役立たずの栄養が詰め込まれて窒息しそうな状態だ.

各グループ内での意見交換の時間はそれぞれ自分の体験にもとづいた話などをしていたようでなかなか盛り上がっていたようです.

(こんなに単純に類型化してしまっていいのでしょうかねぇ.ごめんなさい→参加してくださった皆様)

いろいろ飛び出しました.

職業について・・

映画・新聞について

ひまについて

感想

本当はいろんな人の感想を紹介したいところですが,終了後に時間的余裕がなくあまり感想を聞けないままに終わってしまったことと,アンケートを取り忘れたことから一人分の感想だけを紹介させていただくことにします.

◆ 当たり前と思っている見方をひっくり返されるのはおもしろいものでした.しかしそうした見方に対して,とりあえず言葉の上では,「それはそれでおもしろいけど,私はそういう社会に住んでいないし,別の見方をする.」と私は言ってしまいがちであるということも,再確認させられました.内心では,もっと自由な考え方・生き方をしたいし,それで今よりも幸せになれるのなら,いうことはないんですが.でもやっぱり,「文字はしょせん紙の上のシミ」「職業によって,人は不幸になる」などといわれると,立つ瀬がないわけです.医学書に書いてあることは(とりあえずは)真実であるとか,人を幸せにするのに,医療という手段が有効な場合もあるとか,心のどこかで信じていないと医学生なんかやってられません.専門課程に入って,勉強の毎日を送る私にとって,新鮮な体験でした.(後略)

◆ワークショップを終えて〜わたしの感想〜

私が例会後企画でこのワークショップをやろうと思ったのは,冬に「開発と文化」に関する読書会をやっていたときに感じた違和感がきっかけになっているのだと思います.「異なった文化を受容する」だの「象徴としての文化」だのといった表現がたびたび登場しましたが,時間に追われて本を読んでいる,あるいはBOXで議論をしているといった状況の中で「異なった文化」ってどんなものなのか,「多様性」ってなんなのかどんどんみえなくなっていきました.ましてやそれを「うけいれる」とか「りようする」とか「みとめあう」なんて私には遠い世界でした.にもかかわらずそういった言葉だけが現実を離れて頭の中を駆けめぐっていました.

そんなときに出会ったのがこの『パパラギ』の本です.この本で何を得たのか,みんなで『パパラギ』を読むという経験を分かち合うことで何を得たのか,それを言葉で表すのはとても難しいです.というよりもむしろ言葉で表せるほどはっきりした「なにか」を得られたわけではないのかもしれません.ただ,だからこそひとつ思うのは,こういったいわば言葉に表せない経験や感覚といったものを,言葉で理解しうる経験・知識と同じくらい大切にしていきたいということです.

『パパラギ』を読んだ感想を聞かせてください.といわれると困る人が多いのではないだろうかと思います.今回のワークショップでもおそらく戸惑った人がいるのでは?と思います.今回のワークショップでは酋長ツイアビに語りかけてもらうという方法をとりました.言語が主なコミュニケーション手段であるこの社会では体験を分かち合う方法としてこれ以外は考えつきません.というわけで上の話と矛盾しているようですが今回は主に『パパラギ』を言葉を使って理解し,表現するという試みをしました.が,そのためにかえって(私にとっては)言葉の限界といったものを考えさせられるものになったような気がします. 私は見ていて皆が言葉として口にしている以上にいろんなことを感じているような気がして仕方ありませんでした.

大学という場にいると入ってくる情報はほとんど文字,話し言葉・・つまり「言葉」によるものばかりです.また,自分が内面を何らかの表現として外に出す手段もほとんどが「言葉」によっています.そんななかで「言葉」にはあらわせないものを不要として切り捨てるのではなく,むしろ大切にしていきたい,そんなことを考えました.

興味のある方は是非読んでみてください

《パパラギ〜初めて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集〜》岡崎照男・訳 立風書房・1981

 

 

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