石川 雄久
昨年(1998年)の夏前に、京大の学園祭であるNFで研究発表をしないのかという話が持ち上がり、「国内の外国人」を取り上げようということで一緒にやっていく人を募った。私がここで「国内の外国人」というテーマで取り上げようと思ったのは、一つには彼らが身近な存在でありながらも彼らについてなにも知らないこと。もう一つは彼らがしばしば我々の耳に入ってくるときには差別されるもの、抑圧を受けるものといったバイアスのかかった状態で入ってくるということである。日本という同じ国家に居住するものとして、同じ地域に生活するものとして、彼らをもっと別の方向から見ていけないだろうか、そうすることによってもっと自然な関係を見いだしてみようというのが私の意図であった。
そのようにしてテーマが決まった後にメンバーを集めはじめた。最初は私(石川)と片田、角田の3人であったが、様々な問題に興味を持つ原田と帰国子女の問題に強い関心を抱いていた石原を加えた計5人がコア・メンバーとなった。その他にも読書会に参加してくれた平さんや座談会のテープおこしを担当してくれた深川君など様々な人たちが関わってくれた。
外国人班では同じテーマについてみんなで一つのことを研究しようというのではなく、それぞれがテーマに関係する問題を取り上げるということで方針が決められた。片田が労働者について、原田が医療について、石川が結婚について、角田と石原が教育について、というのが当初の割り振りであった。外国人班として最初にみんなで行動したのが、大阪の労働者集住地域に外国人労働者の話を聞きにいったことである。詳しいことはパンフレットの片田の担当した章を読んでいただければ分かるが、ここが大きな出発点だったと思う。座談会でもここでの話をもとに進めたことも分かる通り、みんなの問題意識の共有できるものであった。その後、外国人の抱える様々な問題について電話相談を行っているRINKという団体の主催する講演会を聞きにいったり、インターナショナルスクールを訪問したり、片田のもってきた本の一部について読書会をするなど班全体で行動しながらも各自が自分のテーマについて研究を進めた。そして、NFでは民族料理店Unicafeのなかにパンフレットを置き、来店したお客に読んでもらうということになった。また、パンフレットに興味を持ってもらうようにテーブルに小さなビラのようなものを作ろうという話もでたが、結局これは完成させることができなかった。
パンフレットは各人が調べてきたことの発表とみんなで一つの問題についての話し合いをまとめた座談会の二本立てで行うこととなった。それに加え、それぞれの発表を読んでもらうのに必要な基礎知識の部分を角田が担当するという形になった。そしてNF前合宿などでユニセフクラブ内で確認作業を行った後、パンフレットの印刷をした。ここでの確認作業で石原の文章に片田から注文が入り、石原も自分の文章に納得ができず、全文を書き直すなどのハプニング(?)がおきたことなども印象に深い。このような意見交換が研究発表の醍醐味なんだなあ…と感心していた。まあ、当人にとってはしんどいものであったとは思うが。
このような章を作ってみたが、別に今後の展望などもあるわけではない。それぞれが興味を持ったことについて調べていけば良いし、別にこの外国人班を継続する必要性などもまるでない。でも、みんなで一つのこと(パンフレットの作成)をやったという喜びと一体感は大切にしていきたいと思う。また、今回はより多くの人にパンフレットを読んでもらうことができなかったので、新歓活動などを通じてさらに多くの人に自分たちの問題意識を知ってもらうという活動も必要なのかもしれない。
今まで書いてきた部分は純粋な経過説明というよりはかなり個人的な感想を加えながら書いてきた。従ってあらためて感想を書くのも変な話であるが、自分の担当した章の反省をすると、私は日本人と外国人の結婚をテーマに取り扱ったのだが、このことについて日本全体でどのような状況にあるのかということを取り上げなかったことを反省している。本や実際に日本人と結婚し日本に住んでいる外国人の人の話を聞いたりして、そのケースをもとに自分の章を構成したのだが、何を伝えたいのかが分からないという反応が多かった。そんな場合もあるよね、という感想しかもちえないという話も聞いた。確かに私の伝え方、書き方に問題があったのは認めるが、いろいろな話を聞いて、それに対してどれだけその人の痛みを理解できるかが問題ではないのか、というのが私の勝手な反論である。でも、確かに研究発表としては意味の少ないものであったのかなと反省している。調査不十分の研究発表であったが、終わった(パンフレットを完成させた)後としては、とても満足をしている。いろいろな人の話を聞くこともできたし、また、自分が外国人にどう接するべきかという態度について考えることができたので。
石原 正恵
私は、外国人班の読書会や合宿に参加できませんでした。そのため、班員以外の人とも、班員の人とも、情報を交換したり、議論することが少なかったです。ユニセフでは、過去に滞日外国人のことをNFで研究しているので(テーマは私たちのやったことと違いますが)、その人たちから反省点や疑問に感じたことを聞いておけば、効率的に研究できたと思います。また、私たちがそれぞれ選んだテーマも非常に異なっており、どちらかというとそれぞれが個別に調べるという研究のやり方を取ったので、班員内での直接的、間接的な情報、データのシェアリングもやるべきだったと思います。直接的な情報とは、話を聞きに行ったときに得た情報や自分の体験などで、それはシェアリングをする段階で間接的な情報になってしまいますが、文献で調べても載っていないことが多いので、シェアリングをすることは大切でした。その上で自分の考えの交換をすれば、具体的議論ができたのではないでしょうか。
議論することで、単なる勉強から、具体的にどうすればよいのか、ということを考えられたのではないかと思っています。
班の人で話し合っていく中で、京都に住んでいる外国人にも、ユニカフェの存在を知ってもらって、その人と実際にユニカフェで話ができるといいね、という意見が出ました。そのために、英語版のビラも作って配りに行こうといっていましたが、実際はできませんでした。どうしても研究発表は自己完結的になりがちです。人に自分の考えを伝え、それについての意見、反応を聞くということは常に課題なのだと思いますが、難しいです。私は今回もできなかったです。
私のテーマは、ニューカマーというテーマとは、かなりかけ離れてしまいました。しかも、わかりにくい文章を掲載して、申し訳ありません。ありきたりだけど、もっと余裕を持ってやらないといけないなと思いました。本文でも述べたことですが、何かを表象するということは恐いことです。自分がその発言に対して責任を負うということもありますが、そこには表象する側による新たなカテゴリー化が起こるからです。それでも自分の文章を載せるならば、、自分の言いたいことがきちっと伝わり誤解を生まないように、推敲を重ねないといけないのでしょう。読み手に伝えようという努力が必要です。
このテーマを選んで考えた時間はなかなかしんどいものだったけれども、それなりに面白かったです。内容に関しては、抽象的な議論を現実に生かす具体的方向が見えてこないことが残念でした。
12月18日
角田 望
ユニセフクラブでは11月祭で「研究発表」というものをやるらしい・・ということでよくわからないままに飛び込んだ「研究発表ワールド」.それは9月,10月,11月と私の生活の一部を形づくっていたわけだが,それが終わって12月になった今も,それが何であったのかいまいちよくわからないというのが正直なところだ.それがなぜなのかについてはのちに私なりに考察するが,とにもかくにも「おもしろかった」(または楽しかった)というのもまたひとつの感想.
外国人労働者,Osaka International Schoolにお話を聞きに行った時は頭で考えるだけでなく心で感じることの大切さに気づいた.そして何よりもNF前合宿でのシェアリングに向けてみんなで意見を交換しあったあの時,そして夜を徹してああでもないこうでもないと研究発表をまとめ上げた11月祭の前々日・・焦っていたし,もう頭を振ってもたたいても何もでてきそうにないほど疲れていて苦しかったけれど,それだけに皆真剣でいろんな話がぽんぽん飛びだしたひととき.あれはきっと「おもしろかった」のだと思う.
「いまいちよくわからなかったがおもしろかった」これが非常に感覚的なわたしの感想だろう.それではこの「よくわからなかった」部分をどうしていけばいいのかを少しだけ考えてみた.
◆共通の知識,問題意識を持つ
→読書会,From the pressなどを通してまず共通の知識や問題意識を持ち,そこから 発展していく形式をとる方がいいのでは?今回フィールドワークが少なく,あまり 脈絡がなかった感じだがこうすることによってきっかけもつかみやすく,やりやす くなると思う.
◆ミーティングの回数を増やし,中間報告を徹底する
→個人的には読んだ本,調べた資料の絶対量が少なすぎたと思う.文章を書く段にな って急に焦って読み出した.文章化する前の段階で少しずつ調べていくきっかけを 作るため中間報告を徹底することが必要だと感じた.
◆(研究発表の)目的をはっきりさせる
→これがなくては何もできない.全ての場面で行き詰まってしまう.
よくわからないといえばそもそも「研究発表」という名前そのものがよくわからないのかもしれない.「研究」してそれを「発表」するのだろうが,さらっと言ってしまうと当たり前なようで実はこれほど様々な目的を設定することが可能で,またこれほどいろいろな方法でアプローチすることが可能なものも少ないであろう.
だからこそ行き当たりばったりではできないもの,それが「研究発表」なのだと思った.
片田 真志
つまんないけど個人的な反省を並べてみようと思う。
第一に、テーマ選びがいいかげんであったこと。いつのまにか決定していて、いつのまにか参加メンバーが決まり、見直し(例えばもっと範囲を絞って突っ込んで調べるとか)もされずに進んだため、結果としてパンフ全体の違和感を与えるものとなった。
第二に、スケジュールの問題。ま、一回生ということで全体の流れが見えていなかったのは仕方ないとしても、テープおこしと文章化にこれほど時間がかかるとは思わず、ヤマギシ訪問などが重なったこともあり、11月の頭はかなり慌ただしかった。締め切りが少し早かったのかもしれない。(なんか、言い訳ばっか書いてる)。
第三に、勉強不足。これについては、付け加えることはない。
さまざまな失敗や迷いがあったが、全体としては有意義で楽しい研究発表だった(と書いたそばからホントかよ、おい、と突っ込むオレ)。
反省については、来年に活かすとして、残りのスペースで、とりとめもないことを少し書いてみる。あまり読まれたくない気もする、この感情こそ以下の文のテーマだ。
意思表示、これはいったい何のために行われるのだろう。何かを伝えるということは、何かを伝えない(もっというなら、何かを隠す)ということでもある。複合的な私の存在を肯定するなら、そのあらゆる私に声を与えることは不可能であり、そこでは常に選択が行われることになる。意識的であってもなくても。表現されずじまいの私はどうなるのだろう。
何かを言いながら、同時にその発言に反感を持ったり、違和感を感じることが、大学に入ってから多くなった。最近では、ほとんどの発言に自ら声を出さず反論している。あまりしゃべらなくなったのもその辺りに原因が・・・(これもなんか違う。欺瞞だ。ホントはもっと単純な・・・)。さまざまな欲求に対しても、それを自ら制止しようとする私がいる。その欲求は正当なものなのか?(などと独りよがりもいいとこだ)。
沈黙は楽だ。更には、思考の停止は楽だ(これも嘘。いや半分ホント、かな)。しかし、語り、聞くことで誰かと繋がり、自己との対話の中で、より明確な私を把握できた気になるのは得難い喜びであり、つい話しかけたり、考えこんだりしてしまう。
未知への恐怖。あらゆる暴力の根元であり、人間にとって最大の希望(なんて傲慢な書き方だ。イノナカノカワズ、何様のつもりだ!)。もやがかかったものに暴力的に風を吹き込む、「あなたは誰?」「私は誰?」の問い。答えることは許されず、問わずにはいられない。圧倒的な不条理。あらゆる意味の崩壊。でも、そこに光が見え隠れする。
今はよく分かんないけど、カミュか誰かが言ったように、とりあえずは、不条理を受け入れつつ抵抗しよう。そこに可能性があるのかも知れない。結論を出すにはまだ早すぎる。
救いは一歩踏み出すことだ。さてもう一歩。そしてこの同じ一歩を繰り返すことだ。
『人間の土地』 サン=テグジュペリ
PS、文章そのものが虚栄に満ち、内容のないものになってしまった。
こうなるとは思っていたが。
実はなんてことはない、初めから内容なんて無かったのだ。
私自身への鼓舞。ここにあるのはただそれだけ。
生きよう。
原田 勇輝
僕が外国人班に加わったのは、西成区まで外国人労働者の人の話を聞きに行ってからだった。あの時は外国人労働者のことよりも、日雇い労働者ということ全体について興味を持った。今まで西成区での日雇い労働者のことはテレビなどで見たことがあったけれども、実際に行ってみて感じたものは全然違ったような気がする。メディアを間に挟むことで、そこは自分の世界とは切り離された世界としてしか見てなかった自分を再度認識させられた。ここでの経験は僕にとってかなり刺激的なものだった。(片田君に感謝)
そして、次にインターナショナルスクールに同行させてもらった。ここでの体験もすばらしかった。こんな学校もあるのかという気がした。僕が今まで思っていた「国際化って言っても形ばかりのものなんでしょう」というものが打ちのめされた気がした。ここでもやはり実際に見に来るのとテレビで見るのとでは全然違うのだということを感じた。ちなみに自分の英語力の拙さも思い知らされた。(角田さんに感謝)
僕はRINKの講演会を何度か聞きに行った。そこでは知らないことを結構教わったような気がする。しかし、これも人から聞いた話なので自分が直接見て感じるものとのひらきが必ずあるだろう。だから、書物等から知識を得るのも大事だけど、できるだけ多くの人と出会い、できるだけ多くのものを見たいと思った。とても当たり前な意見だけど、そのことを今回再度認識したような気がする。