From the Press報告
片田 真志
参加者は6名程度
体外受精した受精卵の遺伝子を調べ、重い先天性の病気の有無を診断する着床前診断について、日本産科婦人科学会の理事会は、臨床応用を認めることを決定した。倫理的問題をめぐる市民の意見聴取は十分行ったとのことだが、批判する市民グループは多く、議論を呼んでいる。(98年6月28日 毎日新聞)
まず記事とこの記事に関する一つの短い文章を読んでもらい、それぞれに感想を聞いた。さまざまな意見が飛び交うかと思いきや、たいした意見の対立もなく、さくさく進む。大まかな意見は次の通り。
NFの研究発表と重なる部分が多いように感じる。外国人を外に規定することは、彼らを排除すると同時に、私に日本人であることを要求する。障害者を外に規定することもやはり、彼らを排除すると同時に、私に健常者であることを要求する。私の声は、・・として発せられるのではなく、多様な差異を含みつつ揺れ動く「私」の声として発せられる。僕の中にある差異を見つめなおし、暴力的にどちらかを押しこめることなくせめぎ合いに身を置いて生きていきたい。
などと意味不明のことを書いたが、最も大切なことを言っていない事に気付く。何をなせるのか。なすべきことは何か。
僕は親になるだろう(なりたい)。今の社会で、僕の子が先天性の重い病気を患って生まれてきたら、悲しまずにいられるだろうか。たぶん無理だ。この社会は、固定された健常者像に当てはまる人に有利にできている事実を認めないわけにはいかない。健常者の枠から漏れる人々は何らかの形で機会を剥奪される。目を背けてはいけない。技術進歩で障害者の数を減らすことは、何の解決にもならない(入管法で減らすのは少し異なるが本質は同じ)。驕りで終わらないように声を聴きにいこう(原田君期待してます)。