安藤雅樹
1)概説
6月の初めから3回かけて岩波新書の『公共事業をどうするか』の読書会を行った。参加者は平均5〜6人であった。
なぜこのテーマの本を読むことにしたかと言う理由を最初に述べておく。去年はODAのことを調べていて、日本の公共事業のことにも興味が出てきた、ということが建前の理由で、本音は将来は実家の信州に帰って町作りみたいなものに関わっていきたいと考えていて、その勉強になるかな、と思ったのが僕自身としての動機である。
2)内容
3回に分けて『公共事業をどうするか』を読んだ。1回、番外編として神谷が『環境影響評価法』についての学習会を行った。
僕自身が担当したのは公共事業をよくするためにはどうしたらいいのか、その周辺の法律(情報公開法、NPO法など)について、また国会の役割の再検討、公共事業に対するオルタナティブについてなどの部分であった。
3)感想
最初にこの本を読んだのは春休みのことだったが、読み終わったときには頭がくらくらしていた。何でこんな無駄なことをするのか、誰かやめよう、と言い出す人は内部にいないのか。吐き気がした。
しかし、そうではないのだ。
なぜこのようなことが続いているのか。それは何よりも国民が望んでいるからなのである。僕らのような稼ぎもない“インテリ”学生が憤慨しているのとは全然違う次元で(もっと根の部分で)公共事業がないと生きていけない人がいる。それも決して少ない数ではないだろう。
基本的に暇人である学生にできることはもちろんさまざまな分野で多くあるだろう。しかし、公共事業は学生が対岸から何か叫んでいても、むなしい結果に終わるように、思える。(もちろん個々の無駄な公共事業を止めるために、世論を喚起するとかそういうことは学生でもできるかもしれないが)。
思うに、プロにならないとできないことが多いのではないか。ということで、この分野については今は勉強の時。実践は大人になってから。今現在はそう思っている。
深川博志
岩波新書「公共事業をどうするか」の第2回読書会を、5月25日夜に行いました。今回は、第2章を深川が、第3章を神谷さんが担当しました。
第2章には、どうして日本の公共事業が止まらないのかについて書いてありました。それと比較する形で、第3章にはアメリカの公共事業を統制するシステムについて書いてありました。
私には、「日本では国会で細かいところまで審議しないから、いつまでたっても公共事業が変わらない。それに対してアメリカの公共事業が変わり得た一つの要因として、連邦議会で極めて細かいところまで審議することがある。」と読めました。では日本でも細かいところまで審議すればいいではないか、となるのですが、これに対して参加者の間から、「今の国会のシステムでは無理。やるとしたら会期をもっと延長しなくてはならないが、そうすると議員が地元に帰れなくなり、落選してしまう。」という意見が出ました。ではアメリカでは、議員は地元に帰らなくても落選しないのでしょうか。よく分かりませんでした。きちんと政策を作っていく議員が、日本では落選し、アメリカでは当選するのだとしたら、公共事業が変わらない最終的な責任は、有権者にあるということになります。
今手元にきちんとした記録がないので、個人的な感想になってしまいましたが、著者の主張については、直接原文に当たって下さい。