97年 NF研究発表(ODA研究班)を終えて

安藤雅樹


 今回のNFで、僕はODAについての研究を行った。若干の感想と反省などを述べておきたい。

1.NFにいたるまでの経緯

 もともと僕がODAに興味を持ったのは、アムネスティで“人権侵害が行われているという理由から開発途上国へのODAの供与をストップさせたりすることがある”、ということを聞き、その供与中止は許されるのだろうか、ということがまず最初のものだった。そこまで人権というものが絶対的な価値判断基準となるのだろうか。

 最初はそこから入り、ODAに興味を持っていたところに、4月の終わりに飲み会で村井吉敬と外務省の官僚を対談させたら面白いんではないか、というシンポジウムの企画が持ち上がったのでその企画の実行委員会に合わせて、ODAについての勉強を進めていくことにした。

 ほとんど一(イチ)からの出発だったので、ODAシンポジウム実行委員会の研究会は非常に勉強になった。ODAの基礎知識からNGOからの批判、外務省の考え方、経済界の考え、ODA基本法など‥。

 9月の中旬になると、ODAシンポジウムのために、神谷とともにODAの基礎知識をまとめる作業に入った。この『基礎知識』は、結局少し改変して研究発表の前半部分として使うことにした。

 ODAシンポジウムは10月25日に行われた。ユニセフでの研究発表はこの時以降から始めざるを得なかったため(ただ怠慢で始めなかっただけ、という噂もあるが)、最後までこの時間不足が響いたように思う。だいたいこの頃、僕は『情報公開』というテーマを決めて、本格的に個別の研究発表に取りかかった。

 11月に入ってから東京に行き、JICA(国際協力事業団)とJICA図書館と、国際協力プラザを訪ねた。JICAに行って話を聞いたのはいいのだが、あまり質問を煮詰まらせていなかったので、突っ込んだ話が聞けなかった。もう少し勉強してから行けば良かったと思う。

 結局、NFの前々日の夜に70ページに及ぶパンフレットは無事(?)完成した。

2.感想と反省

 パンフレット自体は、全体としてはかなり満足できるものができた、と思う。前半部分は一般の人にODAの基礎知識を理解してもらえるものになっていると思うし、後半部分は興味ある人にだけでも読んでもらえればいい、というのが基本的な考えだったので、読んでくれる人は読んでくれるだろう、それでいいと思う。

 しかし、全体としてはまあまとまっていたとは思うものの、個々の内容には不満が残る。僕は後半部分では『ODAにおける情報公開』を担当したのだが、読み返してみると、主張に説得力がなさすぎる。

 その主な原因は、海外との比較があまりにもお粗末、ということにあるのだろう。また、ケースを出して、このように情報公開しなかったからこのような悪影響が出た、という実情も訴えるべきだった(そのようなケースが実際にあるかどうかさえ知らない)。頭の中のみでこのような悪影響が出るのではないか、と勝手に考えて進んでしまった部分が大きく、説得力の点で弱いものとなってしまった。こうすべきだ、という提言を出したのはいいのだが、その提言が流れの中で納得してもらえるものであったかどうかはかなり疑問である。言いっぱなし、という気もしないでもない。その点で、提言を出すのは説得力ということを考えると、かなり難しいものなのだな、ということを思った。

 研究班自体にも反省する材料は多くある。今年は4月からODAシンポジウム実行委員会が始まり、研究発表を行おうという9月の段階で上回生の知識が1回生に比べて突出してしまっていた。そのため、ODAに関しては上回生だけでマニアックに研究発表を行おう、ということを考えていた。しかし深川君がODA班に加わってくれることになり、深川君へのケアをどうすればいいのか、ということを考えなくてはいけなかったのだが、シンポジウムの準備に追われ、1回のODAの基礎知識の学習会を開いたのみで、後はほとんどサポートしない、ということになってしまった。反省すべき点の一つである。

 また、ユニセフクラブ内での知識のシェアというものもあまりなされなかった。先に述べたODAの基礎知識の学習会には広く呼びかけて参加者を募ったが、他にはそのような機会を設けることはしなかった。もっと知識を共有する場を作るべきだった、と思う。もちろん今からではもう遅い、というはなしではなく、これから心がけるべき事柄なのであろうが。

 いろいろ述べたが、全体としては僕にとって、これまでにないとても“楽しい”研究発表だった。東京に行き、JICAの人の話を聞き、また電話で外務省無償資金協力課やOECF(海外経済協力基金)の職員に質問をしたり、ファックスでその電話の内容の確認書を送ったり、など滅多にできない体験ができたと思う。また、基本的に何事も『敵』という存在がいると、物事というものは格段に面白くなるもので、(今回はOECFと外務省が『敵』となってくれ)その点から言ってもとても楽しい研究発表になった。貴重な場を提供してくれたユニセフクラブに感謝の意を表したい。

■付記■

 JICAに情報公開(と環境アセスメント)について話を聞きにいったときに対応してくれたJICAの人の言葉が忘れられない。それは次のようなものであった。

「国内の情報公開にお金をかけるなら、途上国の人のためにお金を使いたい。」

 その言葉には、情報公開は行政機関がODAの供与をまともにやらないから、国民がコントロールする必要があるんだよ、行政に任せてはおけないんだよ、という僕の気持ちを越えて、何か心に響くものがあった。この言葉は一面真実であり、他面、真実ではないのだろう。どう解釈したら良いのだろうか。研究発表を終えた今も、この言葉をひきずっている。

 

 

研究発表の感想

神谷 厚毅


 今回は、ODAに関する研究発表という枠内で、ODAにおける環境アセスメントに関する日本における取り組みについて調べた。内容については、パンフレットをゆにとぴあと同時に、あるいは、別便で送ることになっているらしいから詳しくはそちらを見ていただければ、と思うが、自分でも読む気にならないほど量が多く、かつわかりにくいため、読む気にならない方も多いかともj思うので、概略だけ示しておきたいと思う。

 まず最初に、環境アセスメントの必要性について述べた後、環境アセスメントの定義に触れた。そして、過去のNGOからの環境破壊に関するODA批判について少し触れた後、日本(JICA、OECF、外務省)と海外の例としてアメリカ(USAID)のそれぞれの環境アセスメント手続きについて触れた。その後で両者の比較も絡めつつ、日本のODAにおける環境アセスメント手続きの問題点とその改善法について述べた。

 以下は感想・反省について述べたい。

 まず第一に、環境アセスメントについて考える意義が舌足らずになってしまった。パンフレットの中では、1992年の地球サミットからの流れのみを強調してしまい、環境アセスメントの本当の?意義についてはまったく触れていなかった。確かに、地球サミットの内容も環境アセスメントをするにあたっての重要なきっかけではあるが、それはあくまでもきっかけにすぎず、その目的を達成するためのみに環境アセスメントがあるのではない。パンフレットのような書き方では、地球サミットがなかったなら環境アセスメントは必要ないような印象を与えかねない。しかし、当然のことながら、その様なばかなことがあるわけがない。環境アセスメントは、環境を破壊しないための、環境を守るための制度のはずである。なぜ環境を守る必要があるかといえば、環境破壊が人々、特に、ODAが供与される現地の人々の生活に大きな影響を与えるからではないのか。それゆえに、環境アセスメントにおいて、情報公開や住民参加が重要になってくるのではないか。以上のように、意義のところで住民からの視点を欠いてしまっていた感は否めない。

 第二に、問題点のところがかなり理論的になってしまい、まあそれはそれでいいのかもしれないが、よろしくないことに、全く実証的ではなかった。つまり、問題点を書きならべただけで、それが現実にどのような形で問題となっているのかということがぬけ落ちてしまったのだ。簡単にいえば、ケースを全く採り上げていないということである。理論とケースが一体となってはじめて説得力のある議論が展開されるはずなのに、片一方がぬけ落ちてしまっていて、いまいち説得力にかける。なぜこのようになってしまったのか。まず、私自身、ケースをの重要性を認識していなかった。また、その認識が行われたのが、かなり遅くになってからであり、ケースの収集がまにあわなかった。しかも、日本において環境配慮のガイドラインが作られたのがごく最近だったこともその収集の難しさに拍車をかけた。結局時間不足だった。今思えば、この弊害は、私自身の構想の失敗に端を発しているのではなかろうか。もうちょっと先を見通した上で、構想を練っていれば、という後悔が消えない。

 最後に、情報収集能力の問題があった。今回、最後になって問題化したのは、国内の環境アセスメント法であった。私は新聞を購読しておらず、環境アセスメント法については寝耳に水であった。終盤になって、その存在を教えてもらったとき、げげげ、と思った。当然の如くそれからの調査では間に合わず(資料は提供してもらえたのだが)、パンフレットに記述することはできなかった。まあ確かに、国内環境アセスメント法は国内にしか適用されず、当然ODAにも適用されない。しかしこの法律について調べ、その問題点を指摘することは、ODAにおける環境アセスメント手続きを考える際にも有効なはずである。 

 だいたい大きな反省点は以上のようなところであろう。

 感想としては、調査すべき点を多く積み残してしまった、というのが第一である。これらの点については、これからも考えていきたい。幸いなことにそれができる環境にもいる。以上の積み残した問題について考えてみてはじめて、研究の終了といえるのではないのかと思っている。時間に制約はあるが、もう少し頑張ってみたい。 

 第二としては、このテーマに関して調べる時間が少なすぎた。この研究発表(ODA)をした経緯については安藤君が書いてくれたらしいからここでは触れないが、このテーマ(環境アセスメント)について調べはじめたのがNF一ヶ月前。これではよろしくない。基礎知識は定着していて、NFでODAについてやること、環境アセスメントについてやることも大体決まっていたのだから、もっと前から、という感じである。

 この研究発表をするにあたって、JICAを訪問できたことは、研究発表の内容とはまた別の意味で、自分自身のためになった。もっと目上の人の対する言葉遣いを練習しなきゃ、ということを強く思わされた。(その後、ユニセフクラブ内で練習しようと試みてはいるが... 評価を自分ですることは避けたいと思う。)

 ODA班の皆様お疲れ様。安藤君、迷惑ばかりかけ、かつ、仕事を押し付けごめんなさい。深川君、全然かまってあげなくてごめんなさい。福田さん、僕の足りない頭の代わりをさせてしまい申し訳ありませんでした。あなたがたの犠牲の上で完成した中身があれでは、あなたがたも報われないかも知れませんが、まあ成仏してください。

 最後に脈絡のない一言を。「OECF全然だめ! もっとやる気出せ!」

 

 

NF研究発表:ODAと医療の感想

深川博志


 今年の11月祭で、私はODA班の一員として、医療とODAについてやりました。

なぜODAをやろうと思ったか

 そもそもODAに興味があったからです。医学部生ということもあり、どうせやるなら、医療ODAについて調べてみようと思いました。

班内の雰囲気など

 もともと、3人が興味に応じたことをやるということで出発したので、やりたいことをやらせてもらいました。ですから雰囲気はよかったと思います。

 といっても、上回生から見放されていたわけではありません。安藤・神谷の両氏が作ったODA基礎資料をもとに、基礎的な説明を受けました。これのおかげで、文献調査などがかなりやりやすくなりました。

当初の構想とのずれ

当初の構想は、

  • 日本の医療ODAのしくみ
  • 外国の医療ODAについて
  • 政府間組織(WHO, 国際赤十字等)やNGOの医療援助について
  • 日本の医療ODAへの批判 〜実務的側面から
  • 日本の医療ODAへの批判 〜倫理的側面から
  • これからの医療ODAのありかた
  • という壮大なものでした。しかし、実際に調べ始めるのが遅くなってしまい、満足に書けたのは「日本の医療ODAのしくみ」だけでした。「実務的側面からの批判」も一応書きましたが、具体的なケースをあまりとり上げることができず、不満が残りました。

    反省点

     まず、ケースをあまり探せませんでした。そのため、抽象的な話が多くなり、あまり興味をもってもらえなさそうな内容となってしまいました。

     また、資料をいろいろと提供してくれる、日本政府や政府関係機関からの情報に頼ってしまいました。医療ODAが本当に全ての人々に健康をもたらしているのかという点に関して、まったく検証できませんでした。当初は、この点に最大の関心を抱いて調べ始めたにも関わらず。

     やはり、時間の不足が最大の反省点です。遅くとも10月のはじめから調べ始めるべきでした。ただ、実際に現地に住んでみたわけでもない人間が、「医療ODAはすべての人に健康をもたらしているのか」1か月程度で調べるのは、不可能でしょう。そのような考えを抱くことは、傲慢とさえいえるのかもしれません。医療ODAを含め、医療は人に健康をもたらすのかどうか、今後とも考えていきたいと思います。

     

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