〈記事について〉ウクライナでのカディロフツィの動きについて知りたかったので、比較的最近のアル・ジャジーラの記事を訳してみました。カディロフツィが怖いのは見た目だけで、軍事的にはそれほど意味がないようですが、戦線後方での残虐行為にはかなりコミットしている可能性があります。この記事ではその一端がわかります。(大富亮)
アル・ジャジーラ 2022年8月18日
https://www.aljazeera.com/news/2022/8/18/the-real-role-of-pro-russian-chechens-in-ukraine
ウクライナ侵略が始まったばかりの2月27日に、虐殺の舞台となったブチャに進入した34台の装甲車に乗っていたロシアの軍人のほとんどは、チェチェン人だった。
彼らは、チェチェンの親ロシア派の指導者ラムザン・カディロフにちなんで「カディロフツィ」として知られている。彼らはあごひげを生やしてがっしりした体格で、真新しい制服を身にまとい、ライフル銃を携え、戦争の3日目にウクライナの首都キエフに入ろうとしていた。
人権団体や虐待からの生存者は、ここ20年の間、カディロフが超法規的殺害、誘拐、拷問を行っており、宗教者やLGBTQのチェチェン人が標的にされていると非難してきた。そして、この戦争の直前に、カディロフはまた新たな問題を起こしていた。
今年1月、カディロフは、彼を批判していたアブバカール・ヤングルバーエフ弁護士の母親であるザレマ・ムサエバをわざわざロシア西部の都市ニジニ・ノヴゴロドで誘拐し、チェチェンに強制連行した。(人権派弁護士アブバカール・ヤングルバーエフの親戚21人がカディロフツィに誘拐されて行方不明になっている事件。チェチェン当局はムサエバさんを拘束し、独房に隔離していると認めた。https://www.amnesty.or.jp/get-involved/ua/ua/2022ua008.html 訳注)
現在投獄されているロシアの野党指導者イリヤ・ヤシンが開始した、カディロフ解任を要求するオンライン嘆願書には、すでに何十万人もの人々が署名している。チェチェンの支配者は、こうして傷ついた自分のイメージを修復する必要があった。そこで彼は、ロシア国家警備隊の一部である彼の軍隊をウクライナへの電撃戦の先頭に立てることにした。
ロシア軍兵士の残虐行為を記録しているウクライナの権利グループ、「ユーロマイダン-SOS」のミハイロ・サヴァは、「戦争へのカディロフの積極的な参加は、実は自己宣伝のためだった」と語る。「カディロフは、自力でキエフを占領することを望んでいた」と、戦争の最初の数週間を、キエフとウクライナ中部を結ぶジトーミル高速道路沿いの占領された郊外で過ごしたサヴァは言った。
カディロフの車列がブチャに入る2日前、彼はチェチェンの首都グロズヌイで1万2千人の軍人に演説し、キエフ襲撃を命じた。ウクライナの諜報機関によると、少なくとも1200人のカディロフツィが2月下旬にウクライナに入り、その後さらに数百人が彼らに加わったと見られている。
カディロフツィと数名のロシア系軍人は、2月27日の朝、ブチャに向かって移動し始めた。 彼らは、ジトーミル高速道路でより大きな列に加わって、キエフへと前進しようとしていた。車に座っている軍人たちはは、スーフィー(イスラム教スーフィー派)の聖歌を歌っていられるほど、のんきだった。しかし、車は急ブレーキをかけた。
「歌や自動車の走行音が聞こえたから、われわれは攻撃を始めた」ボグダン・ヤヴォルスキーはアルジャジーラに語った。
彼は小さな運送会社を所有していて、学位を2つ持っている。年齢は39歳でやせている。彼はブチャに来た22人のウクライナ志願兵のうちの1人であり、退役軍人の支援のもと、道路の交差点で待ち伏せしていた。そこにいた者のうち、火炎瓶しか持っていないものも8人いた。残りは、ライフルと、使い方を学んだばかりの対戦車グレネードランチャーを持っていた。
彼らはライフルを発砲してカディロフツィの気をそらし、2台の装甲車に手榴弾をぶつけ、火炎瓶を浴びせた。チェチェン人たちは装甲車から大砲、機関銃、ライフルで反撃してきた。この戦闘で、身体障害者のウクライナ人が死に、さらに数人が負傷した。
弾丸がほとんどなくなったウクライナ人部隊は退却を決め、負傷者を車に引きずり込み、徒歩と装甲車で彼らを追跡し始めたカディロフツィから急いで逃げた。ヤヴォルスキーは司令部に空襲を要請し、ウクライナの戦闘機2機がカディロフツィの縦隊を爆撃し、12台の装甲車を破壊した。(このときの様子と思われる動画 https://youtu.be/wy2NsAusyWY )ヤヴォルスキーは「私たちは、この”TikTok軍”がどれほどのものかを示したんだ」という。
TicTokには、カディロフツィが投稿した数多くの動画がある。「カディロフは恐ろしいイメージ、特に『プーチンの歩兵』のイメージを維持するための広報をしている」とワシントンDCのシンクタンク、ジェームスタウン財団に所属する、ロシア在住の軍事アナリスト、パベル・ルージンは語る。
ウクライナのあるメディアは「TikTok軍は、空っぽの建物に対するリアルな戦いのビデオを投稿した」という見出しで、カディロフが投稿した映像の一つを、しばらく笑いものにした。一方、ロシアのメディアは、こうしたビデオを放送し、カディロフの軍隊がウクライナでの特別軍事作戦で重要な役割を果たしているという幻想を作り出した。
シリアでチェチェンの戦闘員と一緒に戦ったロシアの民間軍事会社「ワグナー」の部隊を指揮した経験のあるマラト・ガビドゥリンによれば、どのビデオもよく計算された軍事行動を示しており、ほとんどが前もって準備された訓練の映像だった。「彼らの成功は誇張されていて、軍事行動にはほとんど関係ない。シリアでも、カディロフツィは決して恐るべき軍事力ではなかった。彼らは攻撃部隊として使われたことは一度もない」と。
シリアでは、カディロフの要請でチェチェン人の部隊がワグナーに加わったが、彼らは反アサド反政府勢力との遭遇でパニックに陥り、すぐに潰走したという。一部のチェチェン人は優れた戦士だったが、全体としてはそれほど勇敢でもなく、戦闘の準備ができていなかったと述べた。「カディロフの傍には普通の戦士はおらず、強面を演出したおべっか使いばかりだ。本当に強い者はこの種の男には従わないだろう」と彼は言った。
伝えられるところによると、ロシア政府も、カディロフツィとの共闘にはあまり関心がない。「チェチェン人部隊は行動を誰とも調整せず、カディロフからの命令だけで無秩序に動いている」とクレムリンの当局者も語っている。マリウポリ南東部の都市でウクライナと戦っていた分離主義者の有力者は、カディロフツィを「よせあつめ」と形容した。
戦争が始まって数日後、カディロフはキエフを占領に寄与することは不可能だと気づき、作戦を変更した。「彼らは後方を守り、占領地を一掃する役割を果たすことにした。第二次世界大戦中に、退却する歩兵を撃ったソ連の秘密警察のように」とユーロマイダン-SOSのサヴァは語った。
ウクライナの諜報機関が3月下旬に傍受したチェチェンの戦闘員と妻の通話では「われわれの任務は、砲撃から逃げ始めたお粗末なロシア兵を追い返すことだ」と語っている。また、負傷したロシア兵を助けるように命じられたこともあるが、少なくとも一度は反対のことをしたと、ウクライナの情報当局者は語った。3月12日、12人のロシアの軍人を避難させる代わりに、カディロフツィは彼らを射殺したというのである。
生存者、警察、権利団体によると、カディロフツィは、ブチャ他のキエフ郊外、占領地域で何百人もの民間人を殺害した。
「私の隣人はバイクを奪われ、ロシア人のところに行って返してもらおうとした。あごひげを生やしたチェチェン人が、苦情を言った彼をその場で殺した」と、キエフ近くの村の住民はアルジャジーラに語った。3月初旬、カディロフツィの戦闘員は占領下のホストメルの町のコミュニティリーダーであるユーリ・プリリプコを射殺したと、当局者はフェイスブックで述べた。調査ジャーナリズムのサイトSlidstvo.infoは、カディロフツィがプリリプコの体にブービートラップを仕掛けたと報じた。
またチェチェンの戦闘員は、戦争犯罪の疑いのある行為を録画してしまうことがある。チェチェンの最高治安当局者であるアプティ・アラウディノフは、6月中旬に、ひどく殴打され打撲傷を負ったウクライナの軍人を映した動画を投稿した。彼らと他のロシアの軍人が犯した常軌を逸した暴力は、二度にわたるチェチェン戦争に起因している。そこでは即決処刑、切断、拷問、レイプなどの戦争犯罪が行われてきた。
ロシア政府が2009年に第二次チェチェン戦争の終結を宣言した後でさえ、ロシア全土から何千人もの警察官と軍人が2か月交替で戦争で傷ついたチェチェンに派遣された。彼らは恣意的な殺害や、宗教的強硬派とされる者の拷問に参加し、そこで得た新しいスキルを地元で熱心に使用したのだった。
「チェチェン戦争は、ロシア人にとってもチェチェン人にとってもトラウマ的な経験であっただけでなく、ロシア社会を残忍なものにした。この経験によって正当化された暴力と残虐行為は、今日ウクライナで見られる恐ろしい暴力に転化した」と、ノルウェー・ヘルシンキ委員会の上級政策顧問であるイヴァル・デールはアルジャジーラに語った。欧州議会も、カディロフツィは暴力と残虐行為を「ウクライナの占領地域に最も残忍な形で」移植しており、マリウポリの包囲で彼らの行動には「二度のチェチェン戦争で始まった敵対勢力への扱いの残忍さが現れていた」と、6月に報告した。
カディロフは自分自身を「プーチンの歩兵」と呼んでおり、モスクワから多額の資金を受け取っていると伝えられている。戦争の最も声高な支持者である一方で、ウクライナの歴史と時事問題については驚くほど無知である。3月に彼は部下に「ステパン・バンデラを殺せ」と命じた。ステパン・バンデラは激しい反ロシアのナショナリストであり、ナチスの協力者だったが、悲しいかな、すでに1959年にミュンヘンでKGBの暗殺者によって殺害されていた。
カディロフのチェチェンはクウェートほどの大きさの山岳地帯で、人口は150万人未満。しかし、カディロフはチェチェンを自分の領地のように支配し、政治的影響力は極めて大きい。彼はプーチン大統領との個人的な友情を誇っており、連邦閣僚や高官を叱責し、しばしばカメラの前で謝罪を強要する。
彼の下で、チェチェンは「ロシアの全体主義の一部」になったと、人権擁護者のレフ・ポノマリョフは2015年にアルジャジーラに語った。カディロフは、いわゆる「名誉殺人(婚前交渉をした女性などを殺害すること)」と一夫多妻制を称賛し、チェチェンでのアルコールの販売を禁止し、女性に服装規定を強制した。
「想像しうるすべての人権が侵害されており、法律が機能していません。法律に従って何かが実行されたとすれば、それはカディロフがそうしろと言った場合です」とポノマリョフは言った。
カディロフがプーチンの死後、チェチェンをロシアから離脱させることを望んでいると考えている人もいる。「彼は、プーチンがいなくなった後にロシア内での戦争を戦うために、自分の軍隊を作りたいと考えている」とユーロマイダン-SOSのサヴァは言った。
2008年、ロシアとグルジアの戦争中、筆者はチェチェンの軍人が戦っているのを見た。彼らは大コーカサス山脈を越えて、数十台の装甲車でグルジアから分離した南オセチア州に入った。チェチェン人の写真家が、装甲車に座っている将校のひとりに話しかけた。
「やあ、ノアの子(チェチェン人の間で敬意を表して呼ばれる)、誰のために戦っているの?」
「ロシア人のために。今はな」と将校が答えると、部下たちは笑い出した。
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