10 Feb 2014 チェチェンニュース(転送・転載・引用歓迎) ソチオリンピックが始まっていますが、この北コーカサスで、今までどんなこ とが起きてきたのか、おさらいになりそうな記事がありましたので、紹介しま す。書き手のエリック・S・マーゴリスは、中東と南アジアを専門とする国際的 コラムニストで、1994年にチェチェン軍事侵攻が始まって以来、この話題を フォローしているようです。 記事のあとで少し補足を書きますので、どうぞお読みください。なお、もうす ぐ来る2月23日は、ロシアの赤軍記念日と同時に、チェチェン・イングーシ民 族が1944年に強制移住されてから、ちょうど70周年にあたる、悲しい記念 日です。くわしくはこの記事をお読みください。 http://www.jca.apc.org/tlessoor/chechennews/archives/1944vinakh01.htm (バイナフの運命) ■なぜ彼らはソチオリンピック妨害をめざすのか 「サン」紙 2014年2月2日 エリック・S・マーゴリス ソチは、冬季オリンピックが開かれる場所としては、ちょっと変わったところ だ。だいいち、ここはほとんど亜熱帯に近い。雪を見つけるには、コーカサス山 脈をかなり登らなくてはならない。黒海に面しているから、リゾート地としては 魅力的だが、それはビーチリゾートで、スキーやスノーボード競技に使えるだけ の雪が、山の上にあるとは知らなかった。 ここでオリンピックが膨大な金の無駄遣いだ、みたいなことを言うのは野暮 だ。これは娯楽なんだから。ロシアは30億ドルの金を、この豪華絢爛のイベン トに投入した。要するに愛国的なムードをかもした巨大・広告大会だ。 ソチには、北コーカサスのゲリラの脅威もある。実際、アメリカ政府はプーチ ンのパレードに水を差そうとして、アメリカ国民の旅行者に対して「「テロ」の 危険があるので、厳重に注意されたい」といった警告を出している。万が一の事 態のために、2隻のアメリカの駆逐艦が黒海に派遣されているくらいだ。 まあ、要塞のように守りを固めたソチより、アメリカのあちこちの大都市で開 かれるスポーツイベントの方がむしろあぶなくて、私もデトロイトやヒュースト ンよりはソチに行った方がいいのかもしれない。 さて、西側の傍観者たちは、北コーカサスでは「テロリズム」が危ないとい う。もちろん理由なんて知ったことではない。中東のテロリズムと一緒だ。数あ る事件は大々的に報道されるが、その原因はずっと闇の中、というわけだ。 私が書いた『アメリカの支配(American Raj)』という本の中では、ここ300 年に及ぶロシアの占領と、それに対するコーカサス人の闘いを紹介した。チェチ ェンとダゲスタンについて書いた章のタイトルは、「コーカサスのジェノサイ ド」という。 ソチオリンピックは、ソ連の指導者スターリンが、250万人のコーカサス人 と、クリミアのイスラム教徒たちを殺害したり、追放した土地のすぐそばで開か れている。この恐ろしい犯罪の傷は、まだ生々しい。 1877年、帝政ロシアはチェチェンの22万人の人口のうち40%を殺害し た。そして40万人のチェルケス人たちを強制的に移住させた。ほとんどはオス マン帝国にわたらざるを得なかった。 1937年、スターリンは当時の秘密警察である内務人民委員部(NKVD) に命じて1万4千人のチェチェン人を銃殺した。スターリン自身が、チェチェン のすぐ隣のグルジア出身だったのだが。 その7年後、スターリンはチェチェン人〈全員〉(50万人ほど:訳注)を狩 り出して、暖房もついていない貨車に押し込み、カザフスタンに強制移住させ た。途中で死んだチェチェン人たちは、凍った大地に捨てられていった。このと きにチェチェン人の半数が消えた。 他のイスラム系の民族たちも、同じように強制収容所群島へと追放された。ク リミア・タタール、イングーシ人、カラチャイ人、バルカル人、ウズベク人、タ ジク人、そしてダゲスタン人だ。第二次大戦が終わったあと、このジェノサイド を生き残った人々もようやく自分の故郷に戻ることができた。ただし、自分たち のものだった土地は、非ムスリムたちに取り上げられていたが。 やがて1991年にソヴィエト連邦が崩壊したあと、チェチェン人たちはロシ アからの独立を宣言した。ちょうど、ウクライナや、バルト3国、中央アジアの 国々と同じように。ロシアの新しいリーダーになったエリツィンは、チェチェン の要求を拒否して軍隊を送り込んだ。小さなチェチェンは爆撃され、それで10 万人の市民が死亡したと推定されている。それでも驚くべきことに、ロシア軍は 敗北し、チェチェンの戦士たちに追い返された。 チェチェンの穏健派リーダーだったジョハール・ドゥダーエフが暗殺されたの は1996年の4月で、これはアメリカ国家安全保障局(NSA)がロシア連邦 保安局(FSB)に提供したテクノロジーの賜物だった。(ドゥダーエフは無線 電話を使っているところをミサイルで殺された:訳注)その後も穏健派のリーダ ーは次々と殺害され、残るのは数人の過激派指導者ばかりになっている。アメリ カはエリツィンの戦争を大いに助けていたのだ。 そういえば、チェチェン人の若者が、2013年の春にボストン・マラソンで 爆破事件を起こした。彼の名前もジョハールと言う。偶然だろうか? エリツィンの後を継いだ新しいリーダーのプーチンもまた、チェチェン侵攻と 抵抗勢力の絶滅に手を染めた。しかも「テロリスト」という用語をアメリカと一 緒にうまく使って。 復讐をめざすチェチェン人たちが、ロシアの飛行機や列車、そして劇場を襲え ば、単純に「テロリスト」と呼ばれる。ベスラン学校占拠事件の真相はいまだに 謎で、チェチェン側の理論でもあまり意味のない事件だった。 1991年から2010年にかけて、チェチェンの、ロシア人も含めた人口の うち25%が、残忍なやり方で殺された。今は、チェチェンを裏切った親ロシア 派の傀儡が、この国を統治している。 ロシアに対する抵抗勢力は、いまだにチェチェンとイングーシ、それからダゲ スタンの山岳地域でくすぶっている。今のチェチェン抵抗勢力のリーダーのウマ ーロフは、ロシアに対して「われわれと同じ目に遭わせる」と警告する。 ソチオリンピックは、ロシアのコーカサスでの抑圧への復讐の場になるのかも しれない。 http://www.thesundaily.my/node/239739 (補足) ところで、上の記事で書かれているロシアのコーカサス征服の歴史 の中で、ソチではチェルケス人虐殺が起こりました。今年はちょうどそれから1 50年周年です。毎日新聞の去年の記事で、ちょうどこの問題に触れた解説があ りましたので、URLを紹介します。 http://sportsspecial.mainichi.jp/news/20131014ddm007050019000c.html この毎日の記事は、なかなか味わい深いものがあります。ロシアの大学教授 ーー名前からするとグルジア人のような気がしますーー登場して、チェルケスに対す る扱いは「特定民族を絶滅する意図はなかったので虐殺ではない」といい、一方 でむしろオリンピックという民族融和の時だからこそ、チェルケスの問題を知っ てほしいと言います。コーカサスに対する支配と弾圧は今も続いているのに、融 和も何もありません。 しかしこのオリンピックによって、北コーカサスについてもっと知らなけれ ば、と感じてくださる人がいるなら、この教授とは少し立場が違いますが、編集 人として私もありがたいと思います。 ==================================== ▼チェチェンニュースは、ロシアによる対チェチェン軍事侵攻と占領に反対し、 平和的解決を求める立場から発行している無料のメルマガです。2001年から発行 しています。 ▼新規購読はこちらから: http://www.jca.apc.org/tlessoor/chechennews/chn/index.htm ▼発行継続のためのカンパをおねがいします。いくらでもかまいません。 ▼ 〈郵便振替口座番号 00130-8-742287 チェチェンニュース編集室〉 〈ゆうちょ銀行 019店 当座 0742287 チェチェンニュースヘンシュウシツ〉 ▼ツイッター: @chechennews ▼よろしければご意見、ご感想や情報をお寄せください: ootomi@mist.ocn.ne.jp ▼発行部数:1250部 発行人:大富亮 ====================================