チェチェン総合情報

20 Jan 2014
チェチェンニュース(転送・転載・引用歓迎)


 ソチオリンピックの開会を控えたロシアで、もっとも危険なおたずね者と言え
ば、チェチェン人の野戦司令官であるドック・ウマーロフです。

 最近も、チェチェンのカディロフ首長(親ロシア派)が、「ウマーロフは死ん
だ」と息巻いていますが、今までも何回も死亡が報道されてきました。
( http://d.hatena.ne.jp/chechen/20140119/1390127618 )

 今回のチェチェンニュースでは、少し古い情報ですが、基本情報としてウマー
ロフについての人物紹介をお届けします。情報源はラジオ・リバティーの古参記
者、リザ・フューラーです。


■ドック・ウマーロフとは誰か?

(リザ・フューラー / RFE/RL 2010/4/1)

 チェチェンの抵抗勢力司令官ドック・ウマーロフは、3月29日のモスクワの地
下鉄爆破事件(39人の死亡者を出した)に対して犯行を声明した。

 ウマーロフは、1994年のロシアーチェチェン戦争の最初から参加しているベテ
ランのゲリラとして知られており、平の戦士から昇格して、現在は北コーカサス
全域に渡る抵抗勢力の野戦司令官になった。ロシアからのチェチェン単独での独
立を追求する立場を捨て、北コーカサス、南ロシア、ヴォルガ地方一帯を、イス
ラム国家として独立させることを目標としている。

 また、当初は否定していたテロリズムについても方針を変更し、2010年にはロ
シア軍や治安部隊がチェチェン人から組織的に略奪を続け、苦痛を与えることに
対して「ロシア民衆が無関心であるなら」、武力の行使はやむをえないと声明
した。

 ウマーロフは1964年に、チェチェン南部のシャトイ地区、ハルセノイ
(Kharsenoi )村のインテリ家庭で生まれ、グローズヌイにある石油大学の建設
学科を卒業した。2005年にラジオ・リバティーに語ったところでは、モスクワ在
住の1994年にロシアーチェチェン戦争が勃発し、すぐに国を愛する者としてチェ
チェンに向かって闘いに参加した。

□迅速な昇格

 1994ー96年の第一次戦争、そして1999年ー2000年の第二次戦争を通じて、ウマ
ーロフは活発に活動し、経験豊富かつ勇敢な司令官としての評判を獲得した。何
度か負傷し、顔面と顎の外科手術を受けている。2005年の春には地雷を踏んで負
傷したが、この後も負傷したという報道がある。

 第一次戦争が終結したハサブユルト和平合意のあと、1997年にチェチェンの大
統領に選出された元ソヴィエト軍大佐アスラン・マスハードフは、ウマーロフを安
全保障会議書記に任命した。そのため、1998年のマスハードフや穏健派とイスラム
過激派との対立の際にはマスハードフ側に立って鎮圧活動に参加した。

 1999年からの第二次戦争中、ウマーロフは南西戦区で司令官を務めた。2005年
にマスハードフが暗殺され、その後継者となったアブドゥル・ハリム・サドゥラ
ーエフは、ウマーロフを副大統領に任命した。そして2006年にサドゥラーエフが
暗殺されると、あとを継いで大統領となった。そのさい、マスハードフの息子の
アンゾールは亡命先の北欧から、「チェチェンおよび近隣諸国で闘うすべての戦
士は、ウマーロフに従ってもらいたい」と発言し、後継者としての正統性を示し
た。

 2005年はじめ、ウマーロフの父親、兄弟、妻、そして幼い子どもがチェチェン
の傀儡政府当局に拘束され、人質となった。彼によると人質となった親族は2006
年に解放されたという。父親は2007年に死亡したが、その状況は明らかになって
いない。

 2006年ウマーロフは武装抵抗勢力の戦線を北コーカサス外の2地域に設定し
た。ヴォルガとウラル地域である。

□心変わり

 2007年末、ウマーロフはチェチェン独立のイデオロギーを破棄し、北コーカサ
ス全域にわたるイスラム国家の首長を名乗り始めた。この背景には、武装抵抗勢
力内でのイスラム主義派からの圧力が強かったためという指摘もある。わずか2
カ月前には、イチケリア・チェチェン共和国独立記念日を記念する声明を出して
いたので、大きな変心と言える。

 すくなくともマスハードフの暗殺まで、ウマーロフは抵抗勢力の中では穏健派
に属しており、市民に対するテロリズムには慎重な立場だった。2005年のインタ
ビューでは、はっきりとテロリズムを戦術にすることに反対していた。

 「もしもそんな手段を使ったら、われわれの誰一人として、人間の顔をしては
いられないだろう」。彼が特に批判していたのは、2004年の北オセチア、ベスラ
ン学校占拠人質事件だった。

 しかし最近のウマーロフは、北コーカサス以外の土地での、市民生活を対象と
した破壊工作はもとより、自爆攻撃など、市民を標的としたテロリズムさえも許
している。

 和平交渉を呼びかけるために、ロシアに対する一方的停戦を実行したマスハー
ドフと違って、ウマーロフはロシアとの公式の対話をまったく求めていない。い
くつかのビデオでは、北コーカサスでのロシアのプレゼンスを粉砕すると約束し
ているほどだ。

 2009年4月に開かれた上級野戦司令官会議を要約したビデオによれば、ウマー
ロフは「リャドゥスーサリヒーン殉教大隊」の復活を宣言した。死亡した有名な
野戦司令官シャミーリ・バサーエフが組織していた部隊である。

□増加する目標

 またウマーロフは、指揮下の戦士たちがロシアの警察や軍部隊だけでなく、交
通機関やインフラストラクチャーをターゲットにする場合があると警告した。実
際、ロシアで起こったいくつかの爆破事件に対して犯行を声明している(正確
には「責任を負う」としている)。2009年の水力発電所爆破、27人が死亡したネ
フスキー急行爆破事件である。ウマーロフはネフスキー急行爆破事件について、
「これは始まりに過ぎない」とした。

 ロシア政府はチェチェン過激派による列車爆破を非難しているが、水力発電所
の爆破に関しては、犯罪ではなく、技術的な問題から発生した事故だとしてい
る。

 2010年2月、ウマーロフは北コーカサスの解放だけでなく、クラスノ
ダール、アストラハン、そしてヴォルガ地方も解放すると宣言した。このときの
ビデオ演説では、ウマーロフは現在の抵抗勢力の人数について、1万人から3万人
程度だと言及。ジハードに参加しようとする者すべてに訓練をするには至ってい
ないが、参加している戦士たちは、「現在の状況に対して完全に対応できる能力
がある」という。

 2010年3月29日のビデオでは、モスクワ地下鉄で起こった二件の自爆攻撃につ
いての責任を認めるとともにこれを「正当な報復行為」と定義した。それは2月
に、チェチェン・イングーシ国境地帯で、地方の特産品である行者にんにくを
摘むために山中に入ったチェチェンの人々を、警察と保安部隊が殺戮したことに
対する報復だという。ロシアの人権団体の調査によれば、ここで殺害された人々
は至近距離で銃殺され、その遺体は切り刻まれていた。

 ウマーロフは、テロリズムの行使は一定の批判を受けざるをえないという認識
を示した上で、「こうした批判をする人々は、ロシアのプーチン首相(当時)が
これまで行ってきたチェチェン市民の虐殺を批判することはないだろう」と言っ
た。

http://www.rferl.org/content/News_Profile_Who_Is_Doku_Umarov/1999886.html

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