http://www.jca.apc.org/tlessoor/chechennews/chn/0801.htm (HTML版) 発行部数:1681部
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なぜプーチンはロシアで人気が高いのでしょうか?今回のチェチェンニュースは、フリー・ジャーナリストの稲垣收さんの解説記事をお届けします。プーチンの高支持率の背景にある、ロシアが抱える諸問題を、具体的な事例を挙げながら、とてもわかりやすく伝えてくれる文章だと思います。少し長いのですが、ぜひご一読ください。
1月12日発売の『週刊プレイボーイ』にも、稲垣さんの記事が掲載されています。タイトルは「YES or NO? 2月に始まる核再処理」。このままいけば、来月にも本格稼動する青森県・六ヶ所村の核燃料再処理工場について、一緒に考えてみませんか?
ロシアの闇を暴くドキュメンタリ、『暗殺リトビネンコ事件』も、渋谷ユーロスペースでの上映は、1月25日(金)が最終日。2月からは大阪市の「第七藝術劇場」で上映が始まります。お近くにお住まいの方は必見です。
そして、1月31日、戦場の医師ハッサン・バイエフ氏が再来日します。今回の招聘は、バイエフ氏が医師として再出発するための医療現場の見学が中心になりますが、週末を利用して、チェチェンの最新情報をお伝えする報告集会を各地で行っていく予定です。東京では2月24日(日)の夜に文京区民センターで集会を開催します。どうぞ奮ってご参加ください。いつものように資金が不足していますので、よろしければみなさまのご支援をお願いいたします。
郵便振替加入者名:チェチェン連絡会議
口座番号:00180-6-261048
通信欄にバイエフと明記してください。
最後になりますが、クルド人難民のムスタファさん一家の在留特別許可を求める署名を集めています。以下からチラシもダウンロードできますので、こちらもよろしければご協力をお願いします。
http://mustafatokyo.web.fc2.com/mustafa-tirasi.pdf
(邦枝律/チェチェンニュース)
INDEX
(稲垣收/フリー・ジャーナリスト)
最近、友人から質問を受けました。
「プーチン大統領のロシアでの支持率は8割、プーチン政権下でロシアの経済は花盛り、ロシア国民に大国のプライドを取り戻させた指導者だから人気が高いとCBSドキュメントでやってたけど、ホント?日本では、プーチン政権は問題点が色々あって独裁的、みたいな情報をよく耳にするので、そんなに人気があるなんて知らなかった。その番組では、『国民の関心は経済の安定にあって言論の自由にはない』とも言ってたし」というものです。
年末のTIME誌でもプーチンは「今年の人物」(Person of the Year)に選ばれましたね。(その表紙には「ウラジーミル・プーチン、新ロシアの皇帝」という文字もありましたが……)
たしかにプーチン大統領はロシアで人気があります。しかし、それはちょっと普通の民主主義国家で政府のトップが人気がある、人望があるというのとは、かなり違った原因があります。
順番に見ていきましょう。
いま、ロシアは石油バブルといわれ、モスクワに行ってみると、10年前に比べ、レストランやスシバー、ショッピングモールなどがものすごく増え、ネオンも増えてキンキラキンの状態になりました。(物価もものすごく上がり、モスクワに行ったオランダ人が「アムステルダムより物価が高い」と驚いていました。)
さて、ではなぜロシア経済は一見、よくなったのでしょう?
これはまず、ロシアはもともと資源大国で、石油や天然ガスなどの宝庫であるということがあります。そして国際石油価格が上がっているここ何年か、ロシアは石油バブルのような状態だと言われているのです。石油だけでなく、天然ガスも、ヨーロッパ諸国に売りまくってウハウハ状態です。
では、プーチン以前はどうだったのでしょう?そんなに経済はひどかったのでしょうか?
さて、プーチン以前のロシア経済はどうだったのでしょうか?まず、ちょっと時間を遡って、エリツィンの前、ゴルバチョフのペレストロイカの頃から始めます。
ソ連の末期のゴルバチョフ政権下で、それまで限界に来ていたソ連型経済はついに破綻しました。(これにはソ連という国のいろいろ困ったシステムが原因しているのですが、長くなるので、これはまたの機会に説明します。)
その後エリツィン政権になって、経済の建て直しを図ろうと、国営企業の民営化を急速に推し進めました。しかし、あまりに大急ぎでやって大失敗し、本来は資源があって豊かなはずのロシアは、グチャグチャな貧乏国になってしまったんです。
これにはソ連が崩壊して、それまで経済的にもパートナーだった旧ソ連諸国(バルト三国やら、グルジアやら、ウクライナやらロシアも含めると全部で15の共和国がありました)がバラバラになって、互いの経済・産業的協力や連携がうまくいかなくなったことも関係しています。
で、ロシアが貧乏国になったという事実に、それまで「ロシアはアメリカと並んで世界の2つの超大国の1つである」というプライドを持っていたロシア人たちは、ものすごい屈辱を感じたんですね。
ロシアで民営化を進めたのはエリツィンとその側近たちですが、彼らは西側の国際通貨基金(IMF)などの指導に一応、従ってやっていたわけです。しかし、大失敗した。それまで共産党独裁政権だったソ連が崩壊してロシアが独立し、民主化されて、「これまでと違い、西側に向けても開かれた国になったのだから、明るい未来が待っているはずだ」と多くのロシア国民は期待していたんです。
しかし、フタを開けてみたら大混乱が待っていた訳です。砂糖を買うのに5時間も行列したり、ガソリンを買うのに6時間も待ったりしている人を僕自身もモスクワやサンクト・ペテルブルグで目撃しました。91年の夏、国営の食料品店には腐りかけたジャガイモがちょっと転がっているだけで空っぽでした。私営の店に行けば西側諸国から輸入された品々が何でも揃っていましたが、一般庶民の給料では手が出ませんでした。
そんな中でコネのある者、目端のきく者は、民営化された企業で社員全員に配られた民営化クーポン(株のようなもの)をわずかな金額で買い集めて大企業のオーナーや大株主に納まったり、国境が西側に開放されたのをチャンスと見て、貿易会社を起こし、輸出入で大もうけしたりしました。こうして、ニュー・ロシアンとよばれる成金や大富豪が誕生します。
しかしフツーの人たちの生活は、物価も爆発的に上がっていくのに給料は上がらないし、それどころか不払いが続いたりして(特に教師や炭鉱労働者、軍人等)、極貧生活に落ちる人が激増しました。何しろ物価が一気に100倍になったりしていましたからね。
今の日本がどんどん格差社会になってきていますが、ロシアではそれ以上に、ものすごい格差が広まったんですね。
そういう状況下で、民主主義や自由経済、そして西側諸国に対する不信感も頭をもたげてきたのです。その結果、民族主義も強まり、ユダヤ人やコーカサス(カフカス)系の人々——チェチェン人、グルジア人、アルメニア人、アゼルバイジャン人などコーカサス山脈地方出身の人たち——に対する差別も激しくなっていきました。
ここでチェチェン戦争が始まる下地ができてきたのです。
(2)までに、91年のソ連崩壊以降、拙速な民営化による経済の大混乱と、物価の大高騰、生活水準の激悪化、民主主義や西側諸国への不信感が頭をもたげ、それとのからみで、民族主義が頭をもたげ、チェチェン人をはじめとするコーカサス系など少数民族への差別や偏見が高まったとを書きました。
これらのことが94年に始まる第1次チェチェン戦争の下地になっているのですが、チェチェンの独立宣言について話すため、少し話を戻させてください。ロシアがソ連から独立を宣言してソ連が崩壊した91年、ロシアの中にある1共和国だったチェチェンは、ロシアからの独立を宣言しました。ちょっとややこしいですね。説明します。
ソ連の中にはロシアやウクライナ、バルト3国、グルジアなど15の共和国があったのですが、そのそれぞれの共和国の中に、ソ連時代は自治共和国とか自治州と呼ばれていたものがあったのです。つまり、ソ連という大きな国の中にロシアなどの共和国があり、そのロシアなどの中に、さらに小さな自治共和国があったわけです。つまり国の中に小さな国がたくさんあり、その小さな国の中にさらに小さな国がたくさんあるという入れ子構造になっていたわけです。
ロシア土産でよくあるマトリョーシカというロシアこけしがありますが、あれと同じ構造ですね。(僕もソ連崩壊の頃、1番外側がエリツィン、その中にゴルビー、さらに中にフルシチョフ、スターリン、レーニンと続いていく政治家マトリョーシカをよく買ってきました。それはさておき……)
しかし、日本での県の成り立ちと、チェチェンがロシアの中に組み入れられた経緯はかなり違うんですね。それは、最初はモスクワ周辺の小さな領土しか持たなかったロシア帝国が、植民地政策によってどんどん版図を拡大していった結果だったのです。
チェチェン人は19世紀にロシア帝国がコーカサス地方(ロシア語ではカフカス地方)を侵略・征服した際に、他の民族が次々に降伏する中、最後まで戦い続けた民族ですが、ついには彼らも屈服を余儀なくされます。(文豪トルストイも若い頃、コーカサスに兵士として行き、晩年になって、誇り高きチェチェン人の英雄ハジ・ムラートの物語を書いています。この作品『ハジ・ムラート』はトルストイ全集の後期作品集にも収められていますので、ご興味のある方は図書館でどうぞ。ドラマチックな名作です。)
そういう歴史と不撓不屈の精神を持った民族だけに、チェチェン人はソ連政権になってからも、ことあるごとに弾圧され、スターリン政権下では民族全体が中央アジアに強制移住させられてしまいました。(このときチェチェン人は、ナチがユダヤ人移送に使ったのと同じような家畜運搬用列車に詰め込まれ、水もロクに与えられず何日も運ばれたため、多くの人が途中で絶命したと言われています。これはロシアの作家A・プリスタフキン原作の映画『コーカサスの金色の雲』にも描かれています↓)
http://www.saturn.dti.ne.jp/~rus-eiga/arc/films/k/kinirono/
チェチェン人はスターリンの死後、故郷のチェチェンに戻ることを許されますが、この悲劇の歴史はチェチェン人の間ではけっして忘れられることはありませんでした。それ以外にも、ソ連体制の中でも、チェチェン人はさまざまな差別を受け、いい職に就けなかったり、優秀なスポーツ選手でもソ連代表にはなれなかったりという目に遭っていましたしね。(これはハッサン・バイエフ著『誓い』の中にも出てきます。)
そして91年、ソ連崩壊で混乱状態にあるとき、ロシアなどがソ連から独立を宣言したのを見て、「よし、これはチャンスだ!俺たちもロシアから独立してやる!」とばかりに独立宣言をしたんですね。チェチェンには石油もあったので、独立しても経済的にはやっていけるだろうという目算もありました。
これに対してエリツィンは、ソ連崩壊直後はいろいろ忙しかったのと、たぶん「民主的なロシアの新しい指導者」という西側の持つイメージを多少は大切にしたい思いもあったのかもしれませんが、最初はチェチェンに対し、あまり過激な行動は取りませんでした。
しかし、そのエリツィンも、次第に独裁的傾向を強めていきます。93年には、元副大統領だったルツコイをはじめとする“反エリツィン派”が立てこもったロシア最高会議ビルを、なんと戦車で砲撃させて屈服させました。
このビルは、91年の8月に、ソ連保守派が起こしたクーデターの際、エリツィン自身が当時は盟友だったルツコイらとともに立てこもった場所だっただけに、この暴挙には世界が目を見張りました。(このビル砲撃の模様は日本でもテレビで報道されましたね。このときは200人以上の犠牲者が出ています。)
そして94年になるとエリツィンはチェチェンにロシア軍を送り、チェチェン独立派を叩き潰そうとします。これが第1次チェチェン戦争のはじまりです。
さて、94年、エリツィンがついにチェチェンにロシア連邦軍を派遣し、いよいよ第一次チェチェン戦争がはじまりました。
しかし、生まれ育った野や山を知り尽くして地の利がある上に、やる気のないロシア兵と違って決死の覚悟で戦うチェチェン独立派のゲリラ戦法に、ロシア軍は当初から大苦戦を強いられました。
さらに現地に入ったロシアや外国のメディアも、ロシア軍の無差別攻撃によってどれほど多くの一般市民(ロシア系も多い)や、ロシア兵が悲惨な死に方をしているかを、テレビ・新聞でガンガン報道し続けたため、ロシア各地でも反戦運動が盛り上がってきたのです。(このとき、「ロシア兵士の母の会」というグループが、戦場から息子たちを取り戻すためチェチェンまで平和行進しました。そして首都グロズヌイまで辿り着くと、命がけでやってきてくれた平和の使者だということで、チェチェンの女性たちから歓迎を受けます。そのときのことは、この行進に同行した僕の友人のジャーナリスト、林克明氏が『カフカスの小さな国』〔小学館〕に書いています。)
http://www.jca.apc.org/tlessoor/chechennews/books/index.htm#chiisana
そして96年、ブジョンノフスクというところにある病院をチェチェン・ゲリラが占拠し、「人質解放の条件は停戦だ」としたため、ロシア政府はしぶしぶ停戦条約を結ぶことになるわけです。
ここで、“大国”ロシア人のプライドは、またもや激しく傷つけられたわけです。
さて、(5)では第1次チェチェン戦争で、強大なロシア連邦軍が敗れたことを書きましたが、このロシア軍の敗北は、ベトナム戦争でのアメリカ軍の敗北によく似ています。祖国を守るために命がけで戦う小国の兵士と、何となく大義が感じられず、気の乗らない大国の兵士……地の利を活かした、神出鬼没のゲリラ戦法。兵器でも兵員数でも圧倒的にまさるはずなのに、大国の軍が勝てない現実……さらに、従軍したメディア(特にテレビ)がお茶の間に伝える悲惨な戦場の映像に、国内で起こった大規模な反戦運動……
このように第一次チェチェン戦争時のロシアと、ベトナム戦争当時のアメリカには、非常に多くの共通したものが見られます。
その後アメリカ政府はベトナムでの「失敗」に学び、ブッシュ父の湾岸戦争では、従軍メディアを徹底して検閲し、自分らに都合の悪い報道はさせないようにしました。(このとき、アメリカのニュース番組だと検閲済みだということを示すcensoredという文字が、一応画面の端に出てたりしましたが、日本のニュース番組ではそれすら見せずに、あたかもすべて「中立公平」な報道であるかのように放送していたのが、非常に情けないですが……)
今回の息子ブッシュによるイラク戦争でもそうですね。従軍メディアは米国の「大本営発表」だけを垂れ流す御用マスコミにすっかり成り下がりました。さらに、都合の悪い報道をする記者たちのいるビルには、米軍が「誤爆」して殺したり…
ロシアもこれと同じことを、99年から始まる第2次チェチェン戦争で行ないます。メディアをコントロールし、チェチェンの戦場に入ろうとするジャーナリストは徹底規制。何とか潜り込む記者は失踪……それでもしぶとく取材し続ける記者は暗殺……(ノーヴァヤ・ガゼータ紙のアンナ・ポリトコフスカヤさんなど)のように暗殺……
しかし話がちょっと先に進みすぎました。第1次チェチェン戦争がロシア軍の敗北で終わったところに話を戻しましょう。
さて、話はロシアが96年に第1次チェチェン戦争に敗れたところからですね。
ソ連崩壊と経済の大混乱で、超大国から貧乏国家に転落したロシア国民の“大国としてのプライド”は、この敗戦で、またしてもズタズタに傷つけられました。そして、「ロシアはチェチェンという帝政時代に獲得した“領土”を失うかもしれない。チェチェンの独立を許したら、ほかにも独立を宣言する共和国がロシア連邦内から出るはずだ。もしそうなったら、ロシアはバラバラになる」という恐れも抱きます。これが96年の停戦以来、ロシア国民の頭にありました。
そもそも91年のソ連崩壊に関しても、ロシア人は15あったソ連の共和国すべて(ウクライナ、ベラルーシ、バルト3国、モルドヴァ、グルジア、アゼルバイジャン等々)を“自分の国”“自国領”と感じていたので、ロシア以外の共和国が“別の国”になってしまったことに、大きな喪失感を感じていたのです。もっと言うとソ連の領土だけでなく、東欧諸国も、ロシア人は自国の支配下、領土だと考える傾向がありましたしね。
いま、外国を相手に商売をしている僕のモスクワの友人たちの中にもそういう考えの人たちがけっこういます。(それらの国に行くのが前ほど楽ではなくなり、たとえばバルト3国などではロシア系市民に対する差別もはじまったり……といったこともあります。まあ細かくなりすぎるので、詳細はまたの機会に……)
そして、1999年。エリツィンの後継者として、KGB出身のウラジーミル・プーチンが、まず首相になります。しかし、ロシアでも外国でも彼はほとんど無名の存在でした。KGBの中佐として、かつて東ドイツにいた彼は、それまであまり政治の表舞台に出たことがなかったのです。(サンクト・ペテルブルグのサプチャーク市長の補佐をしていた頃、貧困層を救済するための食料輸入基金をプーチンが着服したという疑惑がありますが、もちろん、もみ消されています。サプチャーク市長はエリツィンの後継者と目されていた時期もありましたが、謎の死を遂げています。)
さて、99年9月に、ロシアで大事件が起こります。アパート連続爆破事件です。モスクワをはじめとするロシア各地で、アパート(団地)が次々と何者かによって爆破され、300人を超える死者が出たのです。この事件で、プーチンは一躍有名になります。
事件が起こるとプーチンはテレビに登場し、「犯人はわかっている。チェチェンのテロリストだ!」と何の証拠もないのに断定しました。
そしてテレビは連日、爆破現場の悲惨な映像を繰り返し流して人々の憎悪と恐怖をかきたて、プーチンはテレビで「必ずテロリストを叩き潰す!便所の中に叩き込んでやる!」と力強く宣言、チェチェンの首都グロズヌイへの猛烈な空爆を開始します。
これが第2次チェチェン戦争の始まりです。
無差別空爆により、まもなく首都グロズヌイは元の姿をまったくとどめぬほどに荒れ果て、陥落します。そしてプーチンは一躍「勇敢で強い最高の指導者」「失われかけた領土を回復した英雄」として脚光を浴び、翌年3月の大統領選挙で圧倒的な得票率で当選するのです。これが「ロシア国民に大国のプライドを取り戻させた指導者だ」と彼が呼ばれる理由です。
大統領になるとプーチンは、テレビなど主要メディアの規制を始めます。テレビ局の社長に脱税その他の容疑をかけ、国外追放にしたり、逮捕したりして、自分の息のかかった人間を社長に据えました。ユコスをはじめとする石油などの大企業のトップも同じようにして逮捕・追放したりして、自分の子分にすげかえました。
その後、ロシアでは「チェチェン人のしわざ」と言われるテロが、さらに何度も起こります。地下鉄爆破事件、モスクワ劇場占拠事件、航空機爆破事件、北オセチアの学校占拠事件……
今からちょうど1年前にロンドンで暗殺されたリトビネンコは、これらのテロの背後にはFSB(新KGB)がいると主張していました。
彼の著書『ロシア闇の戦争—プーチンと秘密警察の恐るべきテロ工作を暴く』には、そのことが詳細に事実を列挙して書かれています。特にアパート連続爆破事件では、リャザンという街で、爆薬をしかけているFSBの職員が逮捕される事件まであったのです。しかしFSBは「あれは訓練だった」とシラを切りましたがどう考えてもおかしいとしか言いようがありません。
詳しくは同書をご覧ください↓
『ロシア闇の戦争—プーチンと秘密警察の恐るべきテロ工作を暴く』
http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334961985
実際、このような大テロ事件が起こるたびに、プーチンは「テロと戦うには、権力を集中させることが必要だ」と自分およびFSBなど治安機関の権力を強化してきたのです。
テレビをはじめとするマスコミを統制し、それまで選挙で選ばれていた州知事を大統領である自分が直接任命できるようにし、小選挙区制を廃止、7%以上の得票率がないと議席が獲得できないという野党がまったく勝てないシステムをつくり……そうしたことをやっても、テレビなどの主要マスコミはまったく批判しません。もはや操り人形に過ぎないからです。
唯一激しくプーチン政権を非難し続けたアンナ・ポリトコフスカヤ記者は、06年9月に暗殺されました。「“チェチェン人によるテロ”の多くがFSBによるもので、アンナ記者を殺したのもプーチンの意向だ」と公的に発言していたリトビネンコも、ちょうど1年前に亡命先のロンドンで殺されました。こうして邪魔者はすべて消し、マスコミ、特にテレビでは都合の悪いことは報道させず、礼賛的な番組作りをさせ……
言ってみれば、北朝鮮とか、スターリン時代に近いやり口ですね。(スターリン時代には「偉大なる父スターリン」を讃えるスターリン・カンタータなる歌も作られ、少年少女が歌わされていました。まあ、スターリン時代よりは、今のロシアの方がまだ、移動の自由や旅行の自由、そして、多少の言論の自由や、わずかの報道の自由もありますが……これから、どうなっていくのやら)
こういうマスコミ操作と、英雄としての自分を演出、そして石油・天然ガスバブルによる好景気、さらにエリツィン時代にはできなかった、企業からの税の徹底した取立てによる国庫の安定などもあり、プーチン人気は高くなっているのです。
しかし、支持率などの数字は、かなり操作されている可能性があります。
モスクワの劇場占拠事件で、特殊部隊が使った“神経ガス”で人質が120人も死亡した直後も、「政府を支持する」という世論が多かったですが、ガスによる死亡者数は、このアンケート調査の時点で伏せられていました。学校占拠事件のときも当初人質の数は300人くらい、と実際の4分の1くらいに発表されていましたし。
ロシアで政府が公表する数字というのも、どこまで信用できるのか謎です。
ともあれ、先の議会選挙ではプーチン大統領自身が、与党である「統一ロシア」の候補の一人として立候補するという“荒ワザ”というか、他の国なら違法なんじゃないの?と思えるウルトラCを使って議席を獲得、まもなく大統領としての任期が切れるのですが、3月の大統領選の候補に、聞きわけがよさそうな子分のメドベージェフを候補として指名して、その後は自分は首相になって権力を温存するという路線を組んでいます。
これから、ますますロシアの闇は、深まる一方だという気がします。
現在、渋谷のユーロスペースで公開中の『暗殺リトビネンコ事件』には現在のロシアがどれほど恐ろしい国になっているのかが、具体的に描かれています。なかでも恐ろしいのが、プーチン・ユーゲントとも呼ぶべき青年愛国者組織“ナーシ”です。彼らは外国人に地下鉄などで襲い掛かったり、野党の集会などで暴れたりしています。
現代ロシアの、貧しく教育のない若者たちの怒りや鬱憤の捌け口を、民族主義と排外主義という受け皿に受け入れ、政権を支える力のひとつとする手法です。まさにナチの時代のヒトラー・ユーゲントのようです。
われわれ日本人は、隣国ロシアのこうした現状をウォッチし続けると同時に、日本でもロシアのように政府がメディアを使って国民を操ったり、排外思想を強めたりしていくことを警戒し、監視していかなくてはならないでしょう。ロシアで起こっていることは10年後、いや5年後の日本でも起こり得るのですから。
N社のTさんとみなさまからいただいた記事を紹介します。いつも本当にありがとうございます。
まずは、ポリトコフスカヤの書評から。(邦枝)
「本書は、現代ロシアの多様な問題を取り上げているが、ハイライトはやはり、この『対テロ作戦』の犠牲者や遺族への取材、、それを踏まえた加害者・当局者との対決インタビューだ。彼女以外の主要メディアや司法は、巻き添えや報復を恐れ、沈黙するか当局に迎合している」
「04年9月の学校人質事件の後、モスクワでおこなわれたテロとチェチェン『戦争』反対集会では、彼女もマイクを握った。『チェチェンでの戦争がテロを生み、対テロ作戦がまたテロを生んでいます。戦争をやめさせるかどうかは、ここにいる私たちにかかっています』と。この日のことも(自らの発言を除き)本書には出ている」
『ロシアン・ダイアリー』はプーチン大統領の政策を批判したジャーナリストの遺作。
「やっぱりこういう世界ってあって、それはロシアだけじゃないだろうと。金大中事件の際に日韓両政府がどう動いたのかを明かした『金大中事件の政治決着』や、警察の捜査の問題点に焦点を当てた『秋田連続児童殺害事件』などとも、通じるものがあります」
次は11月18日に水戸で開催されたアムネスティ集会の報告を。ビルマ(ミャンマー)の最新情報については、ビルマ情報ネットワークをご覧ください。
「(ティン・ウィンさんは)日本のODAによりミャンマーには病院や看護学校などが建設されたが、利用できるのは軍関係者だけといい、「日本がODAを出しても、貧しい国民に行き渡らない。日本政府は軍事政権の話に耳を傾けず、ODAをやめてほしい」と強調。『軍事政権を批判するよう日本政府に呼び掛けてほしい』と訴えた」
「また、ティン・ウィンさんの講演に先立ち、ノンフィクションライターの林克明さんが講演。林さんは、チェチェン戦争などを取材していたロシア人女性記者、アンナ・ポリトコフスカヤさんが暗殺された事件の背景やロシア情勢について解説した」
公開中の『暗殺・リトビネンコ事件』の解説も。
「映画『暗殺・リトビネンコ事件』は、ロシアのアンドレイ・ネクラーソフ監督が、英国に亡命中のロシアの政商を通して会ったリトビネンコ氏を5年にわたり取材したドキュメンタリーだ。彼はインタビューに対し、自らの行為を『反乱だ。まさに反乱』と表現した」
「監督自身、あとをつけられたりフィンランドの別荘が荒らされた。『その気になれば何でもできるという警告で、心理的に圧迫されました』」
「『やらなければならないことを霊感で感じとったら、それに向かって突進する。タルコフスキーから受けた一番の影響は、信念です』」
プーチンが大統領後継者に指名したメドベージェフは、一般に「リベラル」派と見なされているようですが、いったい誰と比べられているのでしょうか(やっぱりプーチンですか)?そして、大統領任期満了後に首相に就任する意向を示しているプーチンには、こんな姑息な裏ワザもあるらしい?
「ガスプロムも、メドベージェフ会長の下でかなり手荒なことをやってきた。たとえば昨年、巨大石油・天然ガス開発プロジェクト『サハリン2』でのガスプロムの権益を増やすよう契約内容を変更するために、環境問題を理由に国際石油大手ロイヤル・ダッチ・シェルに圧力をかけた」
「プーチンには、ロシアと隣国ベラルーシの連邦国家を建設するという手もある。新しい国家を樹立して新しい憲法と新しい大統領を設ければ、プーチンはロシア憲法に違反せずに大統領になれる」
「プーチンは12月14日、ベラルーシの首都ミンスクを訪れてルカシェンコと会談した。ベラルーシの野党系ウェブサイトによれば、プーチンが連邦大統領、ルカシェンコが連邦議会議長に就任することを前提に、新連邦国家の憲法草案が作成されているという」
12月の下院選で圧勝した与党「統一ロシア」の青年組織「若き親衛隊」が、チェスの元世界王者ガルリ・カスパロフらを標的に射撃ゲームをしているという不気味なニュースも。「過激主義防止法」の変遷は、共謀罪成立後の日本の社会を彷彿とさせる気がします。
「『若き親衛隊』は、約7万人の巨大組織だ。同組織の極東ウラジオストク支部では10月、若者らの選挙研修会で、カスパロフ氏らを標的に見立てた射撃ゲームまで行っていたようだ」
「02年成立の『過激主義防止法』はテロ阻止を目的としていたが、その後の改正で、大統領批判を封じ込める『野党取締法』に変容しつつある。選挙前、カスパロフ氏が逮捕され、5日間拘置された際の理由は『無許可デモの煽動』だった」
12月の下院選を世界はどう見るのでしょうか?日経新聞で紹介された海外三紙の社説はこちら。
「ロシア以外でなら真に民主的とみなされる価値観を主張する少数党はあたかも国家への脅威であるかのように活動を妨害された」[英フィナンシャル・タイムズ社説 11/27]
「ロシアでは、民主主義を育成するどころではなくプーチン氏はその根を絶やそうとしている」[英オブザーバー社説 12/2]
「プーチン氏は下院選挙の国際監視団引き揚げを求めたとして米国を非難したが、選挙プロセスから法的正当性を排除したのは同氏自身である。二〇〇八年の大統領選挙ではさらにひどくなるだろう」[米ニューヨーク・タイムズ社説 11/27]
先日のチェチェンイベント情報でお知らせした、1月3日の「クルド難民のムスタファ・チョラクさんのお話を聞く会」のようすを報告します。ムスタファさん一家が日本で安心して暮らしていけるよう、身近な方に署名を広めていただけると助かります。どうかよろしくお願いいたします。
ムスタファさん一家の家族紹介はこちら。
[クルド人ムスターファとその家族を支援する会 東京連絡会 11/30]
http://d.hatena.ne.jp/oda_asahi/20071130
ムスタファさん一家の最新情報はこちら。
[クルド人ムスターファとその家族を支援する会 東京連絡会]
http://d.hatena.ne.jp/oda_asahi/
今日はイベントです。
1993年から日本に来て、難民生活を送っている、クルド難民のムスタファさんと、奥さんのエヴァンジェリンさん、二人の娘さんが来廊、今の状況を語っていただきました。
トルコ、イラク、イラン、シリア、アルメニアなどにまたがって生活している民族で、それぞれの国の政府から弾圧されています。ムスタファさんも、警察や軍隊に捕まっては拷問され、やっとのことで日本に逃れてきました。
日本で難民認定を求めて申請をしたのですが、却下され、その結果をくつがえすために、何度も裁判でたたかったのですが、すべて負けてしまいました。
いま、ムスタファさん一家は強制送還の危機にいます。仕事もありません。
「トルコは本当にひどい。クルド人であるだけで、殺されることだってある。でも、日本は、殺さないだけで、ずっとひどいままで、放っておかれる。妻は病気(癌)になりました。なんと言っていいかわからないくらい、ひどい」
会場では、カンパ集めや、署名集めをしました。
それにしても。
アートは、世界の現実に対して、何ができるのでしょうか。少なくとも、無関心を装いたくないと思いました。お集まり下さったみなさま、ありがとうございました。
あさって5日は、午後1時30分〜3時30分に、ビルマの難民の方をお招きします。
http://www.geocities.jp/galleryroom12/tomii_200801.html
http://d.hatena.ne.jp/oda_asahi/20071127 からの転載です。
クルド人難民ムスタファ・チョラクさん一家の在留特別許可を求めるための署名は、こちらからどうぞ!
●署名用紙のダウンロードはこちら
http://mustafatokyo.web.fc2.com/mustafa-shomei.pdf (PDF版)
http://mustafatokyo.web.fc2.com/mustafa-shomei.doc (Word版)
署名用紙は、プリントアウトなさるか、ダウンロードしたファイルにお名前・ご住所などを入力してお使い下さい。集約先は、用紙のなかに記載されています。
●ネット上からできるクイック署名はこちら
http://merufo.biz/form/mustafa/form.cgi
【クリスチャンちゃん・シーランちゃん家族の在留特別許可を求める請願書】
法務大臣 殿
東京入国管理局長 殿
貴職におかれましては、私たちの生命と暮らしを守る大切な職務に日々ご尽力いただき心から感謝申し上げます。さて、子どもとその両親が共に安心して暮らしたい、これはごく当たり前の願いであり、日本の批准している「児童の権利に関する条約」でも保障されているところです。しかし、ここにそれが脅かされている家族がいるのです。
私たちの友人でトルコ国籍のクルド人、ムスタファ・チョラクさん、その妻でフィリピン人のエヴァンジェリンさん、ふたりの子ども、クリスチャンちゃんとシーランちゃんの4人家族は現在、東京都板橋区にある難民の家「JELAハウス」に暮らしています。
父親のムスタファさんは1993年に来日してすでに14年になり、この間、民族的迫害を受け続けているクルド人として難民認定と在留特別許可を求めてきました。幼少時よりトルコ軍や警察によるクルド人に対する虐待を目撃してきたムスタファさんは、クルド民族の人間としての権利を主張したために警察に逮捕されて激しい拷問を加えられ、その後も監視され続けました。生命の危険を感じて難民として日本へ逃れてきた彼の帰国は、再び迫害を受ける危険がきわめて高く、人権擁護の立場からとうてい考えられません。彼に強制退去の命令が下されて以来、私たちは友人としておよそ16,000名の請願署名を提出するなどして支援してまいりましたが、いまだに在留許可は得られていません。
母親のエヴァンジェリンさんも、ムスタファさんの妻としてやはり在留特別許可を求めています。夫とは日本で知り合い結婚しましたが、出産後に癌が発覚。現在、夫のムスタファさんとともに入院や手術などによってできた借金を返済しながら、懸命に子育てをしています。
彼らの娘、クリスチャンちゃん(7歳)とシーランちゃん(6歳)は、ともに日本で生まれ、日本語しか話せず、日本で健やかに育っています。長女のクリスチャンちゃんは他の日本人と同様に地元の小学校に通っています。もし、このまま一家に対する強制退去が実行されれば、国籍の異なるムスタファ一家は離散の危機に直面し、子どもたちは親と引き裂かれ、その健やかな成長は阻まれてしまいます。基本的人権を尊重する我が国で、そのような仕打ちは決して許されません。
日本国憲法の理念を踏まえ、この親子が安心して日本で暮らせるように、クリスチャンちゃん・シーランちゃん・ムスタファさん・エヴァジェリンさんの4人に在留特別許可をいただきたく、格別なるご理解とご英断を心からお願い申し上げます。
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