2002年の初夏のことだが、チェチェンのべデノ地区の森林地帯で、チェチェ ン抵抗運動の拡大司令官会議が数日間にわたって開催された。ここでアスラン ・マスハードフ大統領は、激しく路線対立してきた野戦司令官のシャミリ・バサー エフと席を並べ、統一的な司令部として、国家防衛評議会(GKO)=マジリスリ・ シューラを構成し、バサーエフを参加させた。その夏の攻勢の激しさは、チェ チェン抵抗運動の再生を伺わせるものだった。この間に、グルジア、パンキシ 渓谷からはハムザト・ゲラーエフもチェチェンに戻った。一方で、このころ、 さまざまな和平提案が色々な立場の人々から出された。
ところが、秋になって情勢は一変する。デンマークで開催される世界チェチェ ン人会議の平和攻勢に水をかけるように、モスクワ劇場占拠事件(ノルドオス ト事件)が起こり、この事件は公称130人の犠牲者を出した。バサーエフは、事 件関与を認め、チェチェン合法政権の一切の職務を解かれ、以降、偵察破壊工 作大隊「リヤドス・サリヒーン」司令官として、チェチェン抵抗運動の主流と は一線を画して、さまざまな自爆攻撃の首謀者となった。マスハードフ大統領は、 自爆攻撃がおこる度に、チェチェン政府は、そのような攻撃と無縁だと宣言し てきた。これに対してロシア側は、マスハードフとバサーエフの連合体制は、変 わっていないとして、抵抗運動全体を国際テロリズムと非難し、プーチン政権 がチェチェンで行っている国家テロ政策から、国際世論の目を欺こうとしつづ けた。
1年後の2003年初夏にも、300人規模の拡大司令官会議が、今度は、南西部シャ トイ地区の山中で開催され、その会議には、マスハードフ政権初期の副大統領ヴァ ヒ・アルサーノフや、ハムザト・ゲラーエフが出席したが、主催者と肩を並べ て主役を演じたのは、先のような事情でチェチェン軍とは無縁の存在のはずの バサーエフだった。この会議にマスハードフは出席せず、明らかにバサーエフと の同席を避けたが、チェチェン抵抗運動の中で、あいかわらずバサーエフの影 響力が大きいことは明白だった。この間にロシアが主導し、アメリカが黙認す る形で、ゼリムハン・ヤンダルビーエフ前大統領(代行)とバサーエフは、国連 安保理に国際テロリストとして登録されてしまった。
昨年後半は、プーチン政権が攻勢をかけた。カディロフの傀儡政権を合法化 すべく、国勢調査、国民投票による傀儡憲法の制定と、そして大統領選挙を行っ てカディロフを「大統領」とした。この間に、特務機関人事などのチェチェン 化を進め、非武装住民への弾圧を、カディロフの息子ラムザン・カディロフの 民兵や、チェチェン民警などを前面にたて、チェチェン人同士が相争う構図を 意識的に作り出そうとした。これに対抗してバサーエフらは、チェチェン国外 での自爆攻撃を頻発させた。チェチェン側の公表するロシア軍被害は冬になっ ても減らず、毎週100-70名が戦死するという状況に終始した。この間に、チェ チェン軍もかなりの損失を受けた。アブ・ワリド、ゲラーエフなど、良く知ら れた司令官クラスが戦死した他、マスハードフ自身もロシア側に包囲され、脱出 の際に負傷している。
今年に入って、プーチンの、事実上の信任投票としてロシア大統領選が行わ れた。大統領選を前にして奇怪なモスクワ地下鉄爆破事件が起こった。引き続 いてカタールでヤンダルビーエフが爆殺され、ロシアの外交官とGRU(ロシア陸 軍参謀本部諜報局)の将校2名がカタール当局に逮捕された。プーチン政権が 圧力を強化したのは、チェチェンだけではない。エネルギー産業の大手ユコス の経営責任者のホドルコフスキーを逮捕拘禁し、企業倒産の淵に追い込んだ。 独立系テレビ局から政府に批判的なキャスターを追放させ、ついにテレビ局か らは政府批判が姿を消した。また一連の治安機関の機構改革で連邦保安局(FSB) の権限は大幅に強化され、ロシア自体の急速なファシスト国家化の構図がはっ きりしてきた。
おりからロシアの景気はかなりよい。このため一般ロシア国民のプーチン政 権への不満は高くない。市民層にも、チェチェンでどんな非道が行われていよ うと、対岸の火事という、感覚の麻痺が広がっている。その中で、チェチェン 抵抗勢力の間には、プーチンに交渉による解決の意思が無い以上、もはや交渉 による解決の一方的な呼びかけは、あまり意味がないという結論に、チェチェ ン側は行き着いた。そこには、穏健派、強硬派といった色分けは成立しない。 少なくともプーチンの任期満了ごろまでは、戦争終結の見通しが無いだろうと いうのが、チェチェン抵抗運動指導部の見方であり、この見方は在外チェチェ ン人たちのかなり末端まで浸透している。
最近のチェチェンウェブサイトの論調、バサーエフ、マスハードフの声明、発 言を読み返すと微妙ながら、かなりの歩み寄りが見られる。チェチェンプレス は、マスハードフに近い、アフメド・ザカーエフ副首相の指導下に運営されてい るが、かなりの割合で、バサーエフ派の運営するサイト「カフカス・センター」 の記事を再配信して、マスハードフ派がそれらの記事を支持ないし容認している ことを示している。さらに、バサーエフの発言もコメント抜きでそのまま紹介 している。一方、マスハードフはロイター通信のインタビューに対して、バサー エフ関し微妙な発言をしている。
「バサーエフはチェチェン抵抗運動と一線を画しているが、チェチェン人に とって彼は、ロシア侵略者との戦いに、自分の命の危険も省みず戦っている英 雄である」と。またバサーエフは、「ロシア側が国際法規をチェチェンでの戦 闘で遵守するなら、自らも戦術を改める用意がある」さらに、マスハードフは、 このインタビューの中で、わざわざチェチェン国外での戦いが、チェチェン側 にとって国際法規上合法的であると発言して、6月下旬のイングーシ蜂起事件 に関するチェチェン抵抗運動の関与を公表する地ならしをしている。
報道によれば、イングーシでの一晩の戦闘で、チェチェン抵抗運動は、戦闘 参加人員数よりも多い銃器弾薬を入手した。さて、事件の後で公表されたビデ オの中で、マスハードフとバサーエフは、戦利品を閲定するという形で姿をあら わした。これは、マスハードフとチェチェン抵抗運動が大きな賭けに出たもので、 周到な計算の結果であろう。そうでなければ、発表までに1ヶ月もかける意味 はない。私見だが、プーチン政権のロシアと戦う上で、国際テロリズムとの連 携というロシア側の主張を打ち砕けるだけの、何かを握った上での行為ではな いだろうか?
さて、チェチェンにおける文化の問題は戦火の中で深刻な事態に瀕している。 まだ数10万のチェチェン人がチェチェン国内に残っているが、既に残留者に匹 敵するぐらいの離散民を出している。文化の伝承、言語の保持問題は一様に深 刻である。難民たちの二次的な移動がさらに人々の拡散を加速し、人々のつな がりは、インターネット上の仮想空間の中だけにしか存在しかねない状況が目 前に来ているのである。
筆者は、さる6月に在日韓国人作家姜信子、チェチェン人ジャーナリスト、 ザーラ・イマーエワと共にカザフスタンを旅して、高麗人、チェチェン人、カ ザフ人の実にさまざまな人々の生活や出会いをビデオに記録した。そこでの見 聞を中心に、カザフスタンから見た、チェチェン伝統文化の問題を第2部とし て引き続き書いていく。
岡田さんのメールアドレス: kazuokada1@hotmail.com
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