チェチェン総合情報

チェチェンニュース Vol.04 No.23 2004.07.15
発行部数:1077部

<アンナ・ポリトコフスカヤ特集第2回>

特集サイト: http://www.jca.apc.org/tlessoor/chechennews/archives/anna.htm

 今回お送りするのは、5月9日にグロズヌイで暗殺された親ロシア派のカディ ロフ「大統領」の事件の背景と、今後についての対談です。ラジオ局エコー・ モスクワで放送されました。番組の中でジャーナリストのA・ポリトコフスカ ヤと元民族問題担当相のV・ゾーリンは、カディロフ流の統治とはどんなもの だったかを、まったく反対の立場から語り、その統治以外の可能性を視聴者に 問います。

 事件の真相はいまだにわかりませんが、このインタビューの中には、ロシア 社会の反応と、今後の事態へのいくつかの予測が盛り込まれています。

 注が必要になりそうな個所もあります。「わからん。」と思った点は、この メールへの返信でご質問ください。そのあたりを中心に、近いうちに解説しま す。カディロフは何者で、なぜ殺されたのか。そして、どんな未来が選択でき るのでしょうか。チェチェンに毎月のように通うポリトコフスカヤの本は、こ の夏に日本で出版されるそうです。そちらも期待しましょう。

■カディロフはなぜ死んだのか? 2004.05.10 エコー・モスクワ

アンナ・ポリトコフスカヤ/ジャーナリスト
ウラジーミル・ゾーリン/元ロシア連邦民族問題担当大臣
マトヴェイ・ガナポーリスキー/司会

●カディロフ———理性の人かテロリストか

ガナポーリスキー(司会):ゲストに助けていただいて、打開の道を探ろうと いう番組です。今日は、有名なジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤさ んと、元民族問題担当大臣で、1995年にチェチェンの連邦機関現地地域局副局 長だった、ウラジーミル・ゾーリンさんをお呼びしています。つい先日のアフ マド・カディロフの殺害とその政治的な影響について、お話をうかがいたいと 思います。このような悲劇が起こった原因はなんだったのでしょうか。そして、 チェチェンにとってよいことか悪いことか、知りたいところです。

ポリトコフスカヤ:やさしいテーマではありませんね。

司会:休みの日なのに来てくださってありがとう。報道によれば爆弾は建物に 仕組まれていた。そういうものを爆破させるのは簡単ではありません。捜査当 局も言明していましたが、これをやれるのは味方の側しかいないことになりま す。しかも、カディロフはあの日会場にいかないつもりだった。つまり予定外 だったわけです。モスクワ市長のルシコフがどこにでも現れように、プーチン 大統領が潜水艦に乗ってみたり、戦闘機にのってみたりするようなものでした。

それとカディロフの息子ラムザンは、事件の直後にプーチン大統領との会談に、 スポーツウエアで現ました。噂では彼はモスクワで何かの苦境にたたされ、ト ラウマを受けて病院で治療されていた。また、プーチンと会ったチェチェン (親ロシア派)の首相であるアブラモフは手が震えていました。

ポリトコフスカヤ:唇も。

司会:そうでした。まだ若いことですし、会計のイロハもわからない人間が、 チェチェンでは莫大な金額の帳簿をまかされることもありますし。そういうバッ クグラウンドがある。他の説はどうでしょうか? これは起こるべくして起き たとか?

ゾーリン:まず、犠牲者の方々に弔意をあらわしたい。もちろんこれは悲劇で す。カディロフは、ひとことで言い表せるような人物ではないです。実にさま ざまな評価がある。しかし、彼の行動は常に国民のことを考え真剣にそれにつ くしていた、非常にバランスよく、理性に従って行動していた。親ロシアの立 場をとったのもそのためです。今回のことは大きな損失です。彼はチェチェン 社会にとって本当の意味で合法化されたリーダーとなっていましたし、それは 大統領選挙があったからというだけでなく、社会の様々な勢力の人たちが真の 意味で連帯しつつあったからです。

司会:チェチェンでですか?

ゾーリン:もちろん。彼への反対も多かったが、今はその支持基盤が広がりつ つあるんです。今日の事件でジャーナリストも亡くなっている、その人達にも 追悼の意をあらわしたい。

司会:まったくおっしゃるとおりです。カディロフがどういう人物であったか という話で始めたいと思っていたところです。ポリトコフスカヤさんにも、カ ディロフとはどういう人物だったか語っていただきましょう。

ポリトコフスカヤ:子どもの時、亡くなった人を悪く言ってはいけないとしつ けられました。しかも、実際あの人たちは亡くなったのですから、批判しよう とは思いません。彼は彼の真実というものを持っていたし、そのために多くの 人たちの命を犠牲にしたと言うことを分かっていた。そのことは確かです。

司会:彼が正しかったかどうかではなく、客観的に・・・

ポリトコフスカヤ:だからこういったんです、彼のやり方は多くの人の命を奪っ たと。

司会:番組の視聴者は、彼が何をやったのかを知りたいと思います。例えば、 彼の時代になって回復した、チェチェンの秩序とはどんなものだったかとか。

ゾーリン:まずアンナから語ってもらいましょう。わたしたちは初めから見解 が違いますし、いろんな意見を聞く方がいい。

ポリトコフスカヤ:彼はマスハードフと闘っていました。それが彼の立場、思 想だった。そのことを隠そうとしていなかったし、わたしのインタビューでも ほかの人にもそう言っていた。マスハードフと言えば牛に赤い布を見せたよう に反応した。マスハードフに同調するものたちは、裁判なしの懲罰をうけた。 そう言う人たちはその後死体で発見された、今日はこういう言い方をしたくな かったんですが、でも、まさに国家テロのやり方でした。結局、本人も政治テ ロの犠牲になった。誰にやられたにしても、これはテロです。彼自身がああい う指導方法を信奉した以上仕方ありません。

彼自身、崖っぷちを歩いていると一度ならず語っていました。彼自身、チェチェ ンのメンタリティを承知していましたよ。彼のボディガードが殺され、それに 代わった甥たちが殺され、「血の復讐」が宣言されました。これは数日後には 果たされたんですが、これは血の復讐の本来のルールに従っておらず、ここで 殺された者たちが今度はカディロフに復讐を宣言した。暗殺事件を考えるとき、 このいきさつを忘れてはいけないと思います。カディロフに復讐を誓った者た ちがいたんです。今回の場合が血の復讐でなかったと考えられるとすれば、子 どもや年寄りが亡くなったことです。市議会議長やカディロフ以外の家族の代 表が殺されてしまった、これは単に血の復讐とは言えません。

司会:ゾーリンさんいかがですか?

ゾーリン:いくつかの点について反論してみたい。われわれはこのテーマにつ いて同じぐらいの時間を割いてきています。私は1995年全部とそれからあとずっ と。誰でも、一度チェチェンに関わってしまうと、決して忘れられなくなる。 私はカディロフに1995年に会っています。彼は、あのころ始まりかけていた事 態を止めようと、模索していました。それから、彼と極めて緊密に連携して仕 事することになった。国の各機関や宗教団体と過激派対策で協力するグループ が作られたんです。

彼ははいつも質的にも、立場的にも成長を続けていました。今回の爆発が、血 の復讐によるものだと言う説には与したくありません。チェチェンの状況から いって、あれは極めて綿密に政治的な打撃をあたえようとして仕組まれたもの だと考えています。

司会:今日のテーマの順番ですが、まずカディロフがどういう人物かというこ とをポリトコフスカヤが話してくれました。

ゾーリン:なるほどね。アンナはああ言いましたが、彼はチェチェンに国家テ ロをもちこみはしませんでしたよ。彼の最近の言葉をぜひ思い出していただき たいですな。「ルビコン河は渡った」と、国家が憲法体制に移行したことを表 現しました。われわれは正常な共和国になるのだと。あのテロをやったのは、 まさに安定化をを恐れてる勢力です。プーチン大統領はこう言いました。「カ ディロフは国民の名誉を救った。全国民が分離主義に与しているのではないこ とを示した」と。最近では「チェチェンのテロリズム」とか「分離主義」と言 う言い方はされなくなりましたね。まともなチェチェン国民と、こういう事態 にチェチェン国民を引きずり込んだ連中を別に扱うようになってきたんです。

司会:私は賛成しかねるのですが・・・

ゾーリン:結構。私もアンナも、自分の理解を述べているんです。次に大事な のは、チェチェンの指導部も国民も、自分たちの問題は自分で解決しなければ ならないと考えていることです。カディロフがこのことを言っていました。 「自分たちは選挙で選ばれ。責任をもち、ものごとを解決していく、他の人び とはそれを助けてくれるだろう」彼は、彼なしでもうごいていく体制を作り上 げてきたんです。

●親ロシアの立場をとった理由

司会:あなたがおっしゃることは大変おもしろい。たいていの人はその逆のこ とを言っているからです。あなたはカディロフをチェチェンにとって肯定的な 人物と評価しているんですね。カディロフは民主主義をチェチェンに根付かせ るようなことをしましたか?

ゾーリン:複雑ですが、まず、不可欠の人物でした。市民社会を作るまでには 至らなかったが、その方向へ向かっていました。

司会:質問です。カディロフについてこういう評もあります。ロシア政府は言 うことを聞き、かつ、チェチェン人を強権で押さえつけられる人物として、彼 を選んだ。そしてそのとおりにやった。別の見解もります。

ゾーリン:私は不用意に話しているわけではないですよ。彼が連邦中央と協力 することにしたのは感情ではなく、理性的な判断のもとに行われた選択です。

ポリトコフスカヤ:私はカディロフがチェチェンで政権の基礎を築いたという 見方には絶対反対です。権力基盤なんかありません。カディロフは始末されて しまったわけですし、大統領選挙の候補者をだせるような市民社会なんかあり ません。

司会:ゾーリンさんは、その方向に向かっていたが、そこにいくまで間に合わ なかったと言っているんです。ポリトコフスカヤさんに伺いたいのですが、カ ディロフがロシア政府と組む事にしたのは、金儲けのためでしょうか、それと も本当にマスハードフがチェチェンを袋小路に導いていると理解したからでしょ うか。

ポリトコフスカヤ:両方でしょう。しかし、正直に考えてみてください、何よ り、バックには極めて単純なことが隠されている、権力闘争です。その勝利の ために、ロシア側についたんです。誰かしらそういう人がでてくるものです。

ゾーリン:いや、それは権力のための同盟ではない、(チェチェンの)国民の 選択です。

ポリトコフスカヤ:権力のため、お金のためです。チェチェン人なら誰でも知 っていることですが、モスクワではまだ知らない人もいるかもしれないません。 お金がなくて、権力だけ、あるいは信条だけ。これがマスハードフ政権の体制 でした。今、カディロフの一家は役人達を貢ぎ物地獄に陥れている、誰に訊い たってそう答えますよ。自分の地位を保つのにラムザンにいくら払わなければ ならないか。そして払っているんです。チェチェンの石油を獲得しようという 戦いは今もつづいているし、ロシア政府は、もちろん特定の一族にすべてを握 らせたくないと頑強にねばる。それもお金がからんでいる。

司会:チェチェンみたいな国で統治が可能かということを訊きたいんですが、 あなたは、人々がカディロフの息子に拷問されたり、そもそも本人自身ひどい やつだったと言います。では、あなたは現在チェチェンを治めるのに他のやり 方があると思いますか?

ポリトコフスカヤ:もちろんです。あそこに住んでい るのは、わたしたちとおなじような人たちですから。

司会:かならずしも、そういう人たちが問題解決にあたっているわけではない でしょう。

ポリトコフスカヤ:クレムリンが解決にあたってますからね。

司会:私がしているのはチェチェンの中の話です。

ポリトコフスカヤ:チェチェンの中の人たちだって、私たちと同じ教育を受け、 おなじ初等中等学校をでて、大学に行き、ソビエト時代という過去を持ち、ソ ビエト的メンタリティがあります。ロシアは一流なのだなどという作り事を言 わないでください。

司会:そんなこと言ってません。じゃあ、チェチェン人の精神はどんなもので しょう?

ポリトコフスカヤ:精神って、わたしたちと同じです。わたしにも親 戚がいるし、ある意味ではテイプ(氏族社会)ですよ。わたしだって何か特別 な地位についたら、そういうことはあり得ないけど、やはり、親戚のなにがし はこれこれの専門家だから、わたしの補佐にしておこうとか思うでしょうね。 シラクだって娘に手伝わせている。チェチェンだけが未開国だなんて言わない でください。非宗教的な普通の国家です、人びとはそういう能力がある人たち です。有力な一族がいくつかあるけれど、それはどこの国だって同じです。

司会:わかりました。

ゾーリン:3点コメントします。まず、われわれの社会で汚職の存在を否定す るのは無意味です。それはチェチェンにもある。チェチェンに兵器がある以上、 汚職の規模がおおきくなるのも当然です。次に、チェチェン共和国憲法採択の ときの議論をおぼえてますよね、議会制の共和国にするのか大統領統治にする のか。カディロフは大統領統治と言う考え方で 彼なりの理解でそういうもの を作ろうとしていました。今のばあい、これがもっともふさわしい選択だった でしょう。

もう一つ、カディロフの特徴にもう一つ付け加えるべきことがあります。彼は 非常に信仰心の深い人だった。そしてかれがマスハードフと対立していた重要 な点の一つは、マスハードフがチェチェン民族の社会にとってよそものである ような宗教的な物の見方や、ワッハーブ派の浸透に抵抗しなかったことです。 つまり、アンナの言うような権力闘争だけではなかったということです。

司会:カディロフはワッハーブ派がチェチェンに浸透してきた事に対して激し く反応して、マスハードフにワッハーブ派がチェチェンに浸透できないように するような法基盤をつくらせようとさえしたということですね。アンナ、あな たは今チェチェンというのは特別のことはない、ふつうの国民がいる、普通の 非宗教的な国だと見なしていますね。私はそこでちょっと疑念をいだいている んです。ある経験豊かな人が言っていたが、一日にアラーの神に五回の祈りを 捧げる国は、ふつうの国とは言えない。

ポリトコフスカヤ:まるでチェチェンが別の国家であるかのようですが。

司会:ええ、チェチェンは別の国家として語っています。

●すばらしきブレジネフの時代

ポリトコフスカヤ:プーチン政権の支配下にあ る一つの地域で、そこの指導者がカディロフなのではなかったんですか。私は、 チェチェンはロシア連邦の一部だととらえています。複雑な地域だけど、一応 プーチン政権の支配が及んでいる地域として。カディロフはプーチンの手先で す。プーチンの政策をチェチェンで進める役です。それは否定できません。カ ディロフがワッハーブ派の敵だったということはいくらでも言えますが、ゲラー エフだってワッハーブの敵でした、でも、それはなんの意味もなかった。

チェチェン人に、誰の統治時代が良かったかと訊きいてみました。ドゥダーエ フの時か、マスハードフか、カディロフか?皆、ブレジネフ時代が良かったと 言うんです。われわれはあの時代に暮らしたいって。ロシアの多くの人たちの 見方と全く同じです。彼らは私たちと一緒なんです。別れてしまうことができ ない。あの人たちを切り離したら、おそろしい悲劇の繰り返しです。カディロ フに反対する行動というのは すべて、プーチンのチェチェン政策に対する抵 抗です。私はそういうふうにしか理解できません。

司会:モスクワが息子のラムザンを後押しするのは間違っていますか?ポリト コフスカヤ:それは悲劇的な間違いです。ラムザンは何も教育を受けていませ ん。彼自身、しょっちゅうテレビで言っています。「自分がもうじき放り出さ れるかもしれない」とか、「父が放り出されるかもしれない」とか。何度も聴 いてます。モスクワではあまりこういう細かいことに関心をもっていないから 分からないのでしょうけど。彼は一度ならず、こうも言ってます。自分に力さ えあったら、ロシア人を追い出してやるって。

司会:ゾーリンさん、昨日ラムザンがプーチンのところに現れましたが、プー チンはカディロフの息子だから励ましたんでしょうか?それともラムザンが副 首相になったから?ゾーリン:父親を亡くした家族に支持を表明したんです。 そしてチェチェン共和国で実現されている方向性を。ここではすべてはっきり しています。チェチェン共和国の非業の死をとげた指導者が高い評価を受けた と言うことです。私はある部分でまったくアンナと同じ意見です。つまりカディ ロフとかれを取り巻き、彼とともに会った者たち全員、そしてチェチェン社会 の大部分は、ロシアと自分を分けて考えてはいない。ここはロシアの一つの地 域であって、連邦構成体として、ある独自性を持ったロシアだ、ということで す。

司会:これから視聴者に質問をします。5分後から、電話で投票を受け付けま す。質問はこういうものです。「チェチェンを統治するのに、カディロフのや り方とは違うやり方があると思うか?」アンナ、あなたはカディロフは恐ろし いやり方をしていたと語りましたよね。ゾーリンさんは、カディロフのやり方 はまったく正しい統治であって、民主主義の基礎を築いたと。つまりその二つ の立場があるわけです。ゾーリンさんは、われわれロシア人のチェチェンに対 する態度が変わったと言います。チェチェンのことをあまり思い出さなくなり ましたね。なぜなら、カディロフはモスクワでの爆破事件が少なくなるように したのだから。

ポリトコフスカヤ: 少なくなったですって?それどころじゃないでしょ。ど れだけの人たちが亡くなってしまったことか。そんなに簡単によくも言えるわ ね、そう言う人たちを知らないからよ。私はあの人達を個人的に知っているわ。 何のために死ななければならなかったの?カディロフの側につきたくないと言 ったからなの?どこにもいかずに、何も特別の望みもなくただ、生き延びるこ とだけを願っていた人たちがいるのよ。そういう人たちを、カディロフの保安 当局が連行し、行方不明になってしまった。どうしてそういう人たちが、あな た方がいうモデルでは命をうばわれるはめになるわけ?何のために?ゾーリン :私はあれが理想的だったとは言ってませんよ。しかし、あの情勢にたいして は適当だった。

●別のやり方はあったか?

司会: 質問です。「チェチェンを統治するのに、 カディロフのやり方とは違うやり方があると思うか?」イエス、他のやり方が あるはずだと言う人は995−81−21,あのすばらしい、祝福の土地を、 あのすばらしい国民、そして自分に反対する者たちと犯罪者をひっくるめて、 統治することができるのはカディロフのやり方しかない、という人は995− 81−22に電話を。司会のわたしは評価はしません。ゾーリンとポリトコフ スカヤの仕事です。ゾーリンさん、質問はぶしつけでしたが、もう三千人の回 答が来ました。

ゾーリン:カディロフは死んだのだから、過去形で「違うやり方があったと思 うか?」と訊けばもっとフェアだったのに。

ポリトコフスカヤ:つまり、憲法に違反するような方法をもちいなければなら ない情勢があったと、そういいたいわけ?おもしろいわね、そうするとわたし たちは、いい人になれるのね、そのへんの強盗ではなくなった。ラムザンも、 もう強盗じゃなくなるのね。「あの状況下」なのだから仕方ないと。

<ニュースでしばし間が空く>司会:今日の話題はカディロフです。 ゾーリンさんは私を下手な司会だとおもっているでしょう、でも6459もの回答 が寄せられています。この忙しい夕方で。視聴者の答えは衝撃的です、71パー セントが可能だと答えている。

ポリトコフスカヤ:なんてことなの。法律無視のニヒリズムが感染症のように はびこって栄えているのね。

司会:え、勘違いしてませんか? 71パーセントの人が、あなたが正しいと答 えたんです。

ポリトコフスカヤ:まあ。あなたの言い方がわかりにくいのよ。みなさん、ご めんなさい。ありがとう。嬉しいわ。なんてすばらしいことになったの!

司会: チェチェンに行ったことが一度もない人たちが、カディロフは弾圧をしてい るとみなし、チェチェンには独裁ではない統治がありうると、71パーセントの 人たちが言っているってわけです。29パーセントがゾーリンさんと同じ考えだ。

ゾーリン:わたしもコメントしたい。人びとがそういう答えをしていると言う ことは、彼らがチェチェンの国民に好意をしめしているということだ、そして、 この10年間味わってきた悪夢におわりがくることを望んでいることだ。そうい う意味でこの結果は極めて肯定的です。

司会:いえ、チェチェンやロシアの人々についての質問ではありませんよ。

ゾーリン:なんだって?・・・まったく・・・

ポリトコフスカヤ:人々はチェ チェンで起こっているような、裁判なしのやり方をとても恐れているんだと思 います、それはロシア国民の遺伝子に記憶されているんです。

ゾーリン:おもしろい答えだ。政治家ならもっと深い分析をするでしょうがね。

●カディロフ後のチェチェン

司会:今後のシナリオの話に入りましょう。

ポリトコフスカヤ:二つのシナリオがあって、どちらになるのかは結局プーチ ンに主導権があります。シナリオの一つは息子のラムザンが跡を継ぐこと。も う一つはラムザンなし。一つ目は良くない選択。ラムザンはどこをとってもチェ チェンを率いていく人ではないです。

司会:どうして?教育がないから?

ポリトコフスカヤ:それと、今も犯罪世界 の人間だから。敵でない相手にも残虐です。汚職にも絡んでいるし、そう言う ことすべてが、カディロフ二世が大統領には向かない理由です。カディロフ二 世なしのシナリオですが、今、チェチェンの運命を決めているのはクレムリン です。クレムリンが別の判断をすれば、次のチェチェンの指導者となれる人は かなりたくさんいる。それは今までにいた人たちのなかにも、新顔も。クレム リンが学者のハイキンの意見に耳を傾ければいいと思います。チェチェンでか なりいい社会調査を行った人です。

司会:どんな?

ポリトコフスカヤ:人々が新しいタイプの指導者を待ち望んで いるという結果が出ています。カディロフに関わりのないリーダーたちも、い ることはいるんです。たとえばモスクワの企業家、マリク・サイドゥラーエフ。 彼は去年10月の大統領選挙運動で全然勇敢ではなかった人ですけど、彼にもチ ャンスはあります。あるいは、モスクワに住んでいるサランベク・ハジーエフ、 チェチェンで彼がしてきたことがいろいろあっても、とても多くの人たちがハ ジーエフのチェチェン帰還を望んでいます。ハリム・ヤマダーエフ、アフマル ・ザヴガーエフには目がありません。アスラハーノフにも見込みはありません。 大統領顧問ですから。プーチンやカディロフから圧力を掛けられて、大統領顧 問の職を貰った。何も引き受けなければチェチェン人から評価されたのに。

司会:昨年10月の選挙のときのことですね。それではもう一つ質問。チェチェ ンにとって、モスクワにいる人間が大統領になるというのはどうなんですか? 金をもっているかどうかはどういう評価を?サイドウラーエフは金持ちですが。

ポリトコフスカヤ:もちろん金持ちがいいです。わたしたちのと同じシステム なんですから。お金はあって、がつがつする必要のない人がいい。もうひとり、 これはあまりに空想的かもしれませんがザカーエフです。あなた方がどんなこ とを言おうと、チェチェンの人たちには彼はとても人気があります。彼の手は 血に染まっていません。ロシアへの強制送還をかけてロンドンで裁判して、彼 がそれに勝ったことも有利な材料です。もしもモスクワが手綱をゆるめたほう が得策だと理解したら、ザカーエフは非常に有望です。

司会:でもロシアにとってそれはあまりに屈辱的では・・

ポリトコフスカヤ: ちっとも屈辱ではありません。ラムザンを大統領にすえて、その先どうなるん です?父親とおなじ運命になるだけでしょう。

司会:ハズブラートフ(元ロシア最高会議議長、チェチェン人)がいますが。

ポリトコフスカヤ:いいえ、はずれです。この前の大統領選挙のときずいぶん 話題になりました。立候補したかと思えばとりさげる、また立候補する・・・ 司会:ルイプキンのように?

ポリトコフスカヤ:あれはだめです。

●誰がカディロフを殺したのか?

司会:ではつぎのテーマです。誰がカディロ フを殺したのでしょうか?いろいろな説がありますが、お二人のお手伝いを得 て、あり得ない説を取り除いてみたいと思います。第1の説、武装勢力が殺し た。マスハードフとカディロフが袂を分かった、賞金が掛けられていた、その 延長という考えです。第2、血の復讐。友人たちの一味。友人で敵となった者、 カディロフが何かの掟を破ったとか、誰かを殺してしまったとか、そうポリト コフスカヤさんは言っています。第3、ロシアの特務機関の巧緻な工作。政治 はとてもダーティなものです。トップに据えて、不要になったから取り除いた というだけのこと。シニカルですね。第4、ベレゾフスキーがやったという説。 最後は、ヤンダルビーエフ事件の復讐。アンナ、そんなに驚かないでください、 あくまで説ですから。

ポリトコフスカヤ:ヤンダルビーエフの一族?スタールイエ・アタギに住んで いる人たちなら、ほとんどが死んでしまっているわ。あり得ない。

ゾーリン:たぶんそうだ。

司会:ベレゾフスキー説。動機はよく分からないが、チェチェン戦争のすべて の責任はチュバイスとベレゾフスキーにあることは皆知ってるんだから。

ポリトコフスカヤ:ちょっと信じられない。

司会:ロシアの特務機関説は?ゾーリン:それは9月11日の事件がアメリカの 特務機関によってなされたというのに等しいですよ。

司会:そういう説もあります。

ポリトコフスカヤ:わかりませんが、いずれにしても警備していた人たちが爆 薬を仕掛けたことは周知の事実です。つまり、味方のなかの誰かです。特務機 関もいろいろ、今はなんでも特務機関と呼びますから。

司会:つまり連邦保安局(FSB)だという説です。

ポリトコフスカヤ:軍情報部(GRU)だってあるでしょ?あのときの演壇に いたのは、ロシア軍の警備司令部、カディロフ、皆それぞれのガードと一緒に いました。壁からなにかコードがぶらさがっていたら気を付けろって、モスク ワではお婆さんだって知ってますよ。専門訓練を受けている人たちがチェチェ ンではそういうコードに気づかなかったなんて考えるのはばかげています。つ まり、調べた、その人が爆破したんです。

司会:もう人を特定していますね。あなたが今言った言葉を捜査で注目してく れるといいんですが。

ポリトコフスカヤ:わたしが言わなくたって、もう注目しています。

ゾーリン:わたしからは、これは特務機関の仕業だなんて考えられない。そん なのは、ロシアにとっても、あの演壇にいた誰にとっても不利です。私は第1 の説(武装勢力犯行説)に傾斜していますが、それは暗殺が独立派の連中にと ってしか意味がないからです。

司会:そんなに単純なものでしょうか。友人達、敵の一派、血の復讐。そのこ とをアンナは言いましたが、これについては?ゾーリン:チェチェン共和国は、 今血の復讐をやっているような時ではないでしょう。何でも血の復讐のせいに してしまうのはあまりにお手軽です。

ポリトコフスカヤ:もう言ったけど、「血の復讐」はありえます。ところで、 私は別のことを考えてます。例えばバサーエフ一派のこのごろの行動は、誰か を殲滅すると決めたら、だれでも殺してしまう。今回のテロでは子ども達や老 人達、退役軍人たちが、卑劣にも殺されてしまった。これはとてもバサーエフ のやり方に似ている。最近の彼らのやり方に。

ゾーリン:アンナ、それは説得力がある。

ポリトコフスカヤ:最近彼らは味方でもなんでも構わなくなりました。私自身 直接訊いたことがあります。どうして自分の味方を、仲間をころしてしまうよ うなことをするの?具体的な答えはもちろんありません。「結託するからだ」 などとうそぶいています。

司会:子どもや老人女性たちまで「結託」していると?ゾーリン:これは人間 の尊厳の蹂躙だ。誰かを侮辱しようとして、聖なる祝日、記念日が選ばれてい る。

ポリトコフスカヤ:やけっぱちだと思います。バサーエフやほかのみんなのお じいさん達もお婆さん達も対独戦争で闘ったのに、5月9日の戦勝記念日にテ ロ事件をおこすなんて、自分の親やおじいさんお婆さんにたいしてテロをおこ なったようなもの、そういうシニシズムがこのごろのバサーエフの特徴なんで す。

ゾーリン:そういうところは厳しい見方をするんだね。

司会:今日はカディロフの死とチェチェンの今後についての対談でした。有名 なジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤさんと、元民族問題担当大臣ミ ハイル・ゾーリンさんのおふたりでした。それではごきげんよう。

(翻訳協力:T.K)

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