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チェチェン戦争に関連して、いくつかの新聞記事をピックアップしてみたい。 6月1日の読売新聞には、カタールに滞在していたヤンダルビエフ・元チェチェ ン大統領の爆殺を、ロシアのイワノフ国防相が直接工作員に指示していたとい う記事が掲載された。カタールでは、2月に事件が発生した直後からロシア人 工作員2人が当局に逮捕され、現在非公開で裁判が進んでいる。
このヤンダルビエフの未亡人のインタビューを放送しようとした、ロシアの NTVテレビのキャスター、レオニード・パルフョーノフ氏(44)が突然解 雇された。6月4日の朝日新聞によると、同氏は政権に批判的な番組に出演し ていた。NTV側は「局の方針に違反したため」としか発表していない。ロシ アではNTV、TV6、TVSなど、独立系のテレビメディアは軒並み体制側 の圧力によって経営陣入れ替えなどが強行されており、報道に対する締め付け が厳しい。
4月から6月にかけて、チェチェンの隣、イングーシ共和国では難民キャン プの閉鎖が相次いだ。ロシア政府当局は「チェチェンの戦争は終結した」と言 いつづけているが、「それならなぜ、まだ難民キャンプがあるのか」という疑 問は誰しも感じるところ。そんな議論を封じるために、ロシア側は難民たちを 『自発的に』帰国させて、平和な印象を作り出そうとしている。4月に、9千 人の難民が入居していた「スプートニク」キャンプが閉鎖され、6月7日には、 イングーシの最後のチェチェン難民キャンプ、「サツィータ」が閉鎖された。
私は2002年に「サツィータ」に行った。厳冬だったが、サウジアラビア 赤新月社が運営するこのキャンプにはガスが通っており、木造の管理棟には医 師と看護婦のチームが待機していて、救急車も常駐していた。地元の人々は、 ストーブに手をかざしながら、「サツィータの敷地はサウジアラビアが50年 間の契約で借り切っているから、ロシア側も簡単には潰せないはずだ」と話し ていた。それからわずか1年半しか経っていない。あのとき私が泊まった小さ な村、雪の降るオルジョニキッゼフスカヤの小屋には、私たちが来るつい前日 まで、難民の家族が暮らしていた。親戚を頼ってここで肩身も狭く暮らしてい た一家は、日本から来たNGOワーカーが泊まるために、どこかに追い出され てしまったようだった。難民キャンプにも入れない、そんな人々は今もイングー シに5万人以上いると、国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)は報告して いる。 (関連記事: http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=1&ID_Message=1363 )
最近私は、ロシア大使館で開かれた文化関係の催しに参加した。受付を済ま せると、意外にも、会場に入ってすぐの目立つところに、20枚ばかりのチェ チェンの写真が貼られ、「チェチェンは平和と創造の道」と大書されていた。 投票所で子どもと共ににこやかに笑いながらこちらを見ている傀儡のカディロ フ、世界一長寿のチェチェン女性や、ポポフが設置した内分泌物研究所の写真。 カディロフはその時点ですでに爆殺されていて、小さく書き加えられた(故) という文字が、可笑しいようでも、悲しいようでもあった。グロズヌイの街路 の写真はなかった。空爆で跡形もなく破壊されているのだから、仕方ない。難 民キャンプの写真もない。パネルの前では、私と同じ歳くらいの大使館員が、 訪れた日本人の客に、いかにチェチェン人が悪らつで、ロシアが平和のために 努力しているかを説いていた。見ているこちらが恥ずかしくなるような光景だっ た。
ロシア政府は、難民の『自発的帰国』のために、2本の人参をぶら下げた。 チェチェン内での一時収容施設の準備と、戦争被害への補償金の支払いの約束 だが、内実はかなりひどい。アムネスティ・インターナショナルなどの報告に よると、一時収容施設は8畳程度の室内に8人が押し込められるという劣悪な 環境で、上下水道もなかった。補償金の金額はわずか千ルーブル、日本円にし てわずか4千円弱。たったそれだけの金で家を再建し、仕事をみつけることな どできるはずがない。これが、「ロシア連邦内のチェチェン共和国」の国民へ の福祉の実態だ。(アムネスティなどの報告書: http://www.jca.apc.org/tlessoor/chechennews/archives/pr20040507amnesty.htm)
ここ2週間の日本の各紙の記事をざっと調べた限り、閉鎖されつつある難民 キャンプのことを伝えた記事は見当たらなかった。アムネスティ・インターナ ショナル日本が報告書を和訳して発表したのはもう1ヶ月以上前の4月だが、 いまだに取り上げるメディアはない。ここに、大きなアンバランスが存在して いる。冒頭に挙げたように、メディアへの弾圧や、ヤンダルビエフ事件のこと は、短いながらも鋭く語られている。けれど、チェチェンのごく普通の人々が 受けている苦しみを伝えずに、チェチェン問題の何を伝えたことになるだろう。 僅かな金に釣られてしまう人々がいるなら、それだけひどい貧困がある。
ロシアの対チェチェン政策によって、何万もの難民たちが、また追放の苦し みを負った。人びとはうつむいて国境を越え、我が家があったところへ戻って いくだろう。絶え間のないゲリラ戦や、民間人をターゲットにしたロシア軍や 親ロシア派の掃討作戦のつづくチェチェンへ。イングーシよりもさらに外国の 目の少ないチェチェンへ。適切な報道がなければ、この人びとを助けようとい う声も、生まれようがない。その無関心によって、多くの命が闇の奧に追いこ まれていることを、新聞や放送に関わる人々には、どうかわかってほしい。メ ディアが、結果として、侵略に荷担しないために。
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