チェチェン総合情報

チェチェンニュース Vol.03 No.29 2003.07.24

発行部数:948部

■「白いストッキングの狙撃兵」から、「黒衣の寡婦たち」へ
グローズヌイ、ズナーメンスコエ、イリスハンーユルト−チェチェンでの自殺の記録

記事について

今年5月のロシアの雑誌ノーヴォエ・ヴレーミャの記事。ちょっと遠まわりな書き方ですが、チェチェンやモスクワで起こる爆弾テロ事件は、例外なくロシア側の謀略によるもの、と言うのがこの記事の主張。今年3月のチェチェン「国民投票」では、80%以上のチェチェン人が「ロシア内に留まることに賛成した」と報道されました。捏造された結果だということはほとんどはっきりしていますが、世界中にロシア側発表が伝えられたことで、チェチェンの人々は発言権を失いました(これについては、日本も含め、報道機関の責任が重いと思います)。考えてみると、こうしてチェチェン人が政治権力を奪われた以上、どんなことが起こってもおかしくありません。(2003.07.23 大富亮/チェチェンニュース)


初出:ノーヴォエ・ヴレーミャ(新時代)誌 21号 2003.05.25 訳: T.K
ワジム・ドゥブノフ

祭日にはグロズヌイから避難する

チェチェンの現実を良く理解している人たちは、国民投票だろうと、戦勝記念日だろうと、とにかく国民的祭日にはグローズヌイから避難しておくに越したことはないと知っている。普段から人通りの少ないグローズヌイの街はさらにひとけがなくなり、陰気に閉鎖した街に並んだ車両宿舎は静まりかえり、ひとびとは村へと散っていく。しかし、村へ行ってもそれほど安全なわけではない。ことに山麓地帯や山中の村なら、祝日であろうとなかろうと、夜中には所属不明の兵士たちが突然現れてパスポートの登録もなしに、ここで何をしている、と容赦なく問いただす。

チェチェン北部に身内がいる者は運がいい。ことにナドテレチヌイなら。というのも、そこはチェチェンとは関わりがないかのごとく、二つの戦争をやりすごしているからだ。10年たって、いまではその地方さえ 様変わりだ。それも後戻りがきかないほどに。ブジョンノフスク、カスピスクやグローズヌイの政府庁舎と同じくらいに。

38名の狙撃兵から36名の決死隊に

ズナーメンスコエの爆破は自分たちの責任だと、バサーエフは声明した。どうも彼はチェチェンのハマス役をひとりで引き受けることにしたようで、「ノルド・オスト」についても新年を前にしたグローズヌイの爆破事件も自分がしたことと声明している。 ズナメンスコエについては、ことに華々しく、自らがそのボタンを押したのだとさえ言明した。

グデルメス近郊のイリスハンーユルタで自爆した数名の女性たちについては何も言っていない。戦争が戦争なら、テロもそれに応じたものとなる。チェチェン風はこうなるという本も書けるだろう。まず、ブジョンノフスク事件。次が、ブジョンノフスクを最悪の形でパロデイに仕立てたようなキズリャルの事件。そのあとはテロルにつぐテロルが戦争そのものであるとなっているのに、クレムリンはその戦争の終結を宣言している。 カスピスクの事件で明らかになったように、リモートコントロールの爆弾に対しては何も確実な自衛策がない。「ステインガー」(CN註:対空ミサイルの代名詞として用いている。チェチェンで使われているのはロシア製)に対しても対処できず、ハンカラの軍事基地上空ではヘリコプターが爆破する。 しかし、これはプラグマチックに戦術的に考えれば、軍事作戦の一つの形なのだ。ヤルイシューマルドィ近郊の装甲車列を殲滅する作戦と、ヘリコプターへの攻撃に大きな違いはない。「ノルドオスト」で人質を取ることすら、軍事作戦の一つと言える。大隊長とそうでない者の違いなど、今のチェチェン人に説明しても無意味だ。シャヒードのベルト(CN註:爆弾を体に結びつけるベルト)。これが、今や主要な脅迫の武器となったのだ。ベルトの大きさがトラック大になったものが、チェチェンではいままでも爆破されていたが、なぜかロシア連邦軍司令部にとってはこれはパレスチナ風の亜流だろうぐらいに片づけられていた。チェチェンで自爆テロが抵抗の形となったとき、連邦軍は「これはバサーエフ流のやり方だ、彼が36名の決死隊を訓練したのだ」と言うしかなかった。ペルヴォマイスク事件のときの狙撃兵は38名だった。

「シャヒード」になるということ

シャヒードにはどのようになるのだろうか?表面的にはイリスハンーユルトの爆破直後の狼狽とその後の調べで答えが出されている。テロリストの女の一人が、99年に夫が死んだ証明書を所持していた、チェチェンで男が死ぬのは交通事故などではないのは明らかなので、動機は復讐だった、というわけだ。もっともこの女性をテロリストと考えるのがあまりに単純すぎたことがあきらかになった。彼女がカディロフに近づこうと群衆を分け入っていったのは、掃討作戦でどこかへ連れ去られてしまった息子を見つけてくれるよう陳情しようとしていたのだった。その女性が他の者を道連れにして自爆した女とともに殺されてしまったというのが事実だった。

国際的なテロ組織の暗躍を強調している特務機関としては、かならずしもそのテロの法則を認めようとしない。テロは自殺の形を取るようになる。パレスチナ流、インド流、フィリピン流という形で。そして、ここではチェチェン流というわけだが、そこにはきわめてロシア的な違いがある。

もちろんこれらの実行者の養成や行動を準備する者のがいる。通常、自爆する者自身は、作戦の経験も、爆発物とりあつかいの経験もない。ルートを考える者があり、爆発物を手にいれる者があり、セメントの袋の下やベルトの中に隠す者がいる、そしてそれらすべてのコーディネーターがいるわけだ。シャヒードの役割はただ一つ、最後のお勤めを果たすだけなので、特別な技能は必要なし。最近数週間の事件のシャヒードたちは、まったく専門性を発揮していない。ズナーメンスコエでもイリスハンーユルタでも、爆破は計画より早すぎるか遠すぎるところで起きている。

つまり、シャヒード養成学校というのは「白いストッキングの女狙撃兵」の伝説に近いものだろう。バルト諸国出身の「白いストッキングをかぶった女狙撃兵」が見えた、それがやったという誰もが聴かされていた噂の狙撃兵を、実は誰も見た者はいない。「白いストッキング」と「黒衣の寡婦」の違いは、後者が日常的になっていることだ。黒衣の寡婦になんの訓練も養成もいらない。あるいはだれか本気で信じる者がいるだろうか?バサーエフの手の者たちが、各集落を回って自爆者になる者を集めているとでも?

ニューカマーたち

たしかに、パレスチナではそうしたことが行われているそうだ。そしてエルサレムのどこかのカフェでいつでも自爆してやるという雰囲気がたちこめていると。パレスチナではシャヒジズムがイデオロギーになっている、聖なる憎しみ、そうした死に方が名誉となる、かの地の状況がある。そんな例を知らなければ、チェチェンの人々がこんな戦い方を考えつきもしなかっただろう。あきらかに模倣であり、当然シャヒードと名乗ることになる。

シャヒードという言い方そのものが欺瞞的だ。なぜかと言えば爆薬を身体に巻き付け、決死のトラックに乗り込み、「ノルドオスト」に進入するのは、チェチェンの独立を求めて口角泡を飛ばす人たちではないのだから。すくなくともそういう人たちだけとは言えないのだ…

そういう者たちは、第一次チェチェン戦争のあともすくなからずおり、それを後押ししていたのはラドゥーエフだった。ラドゥーエフの部隊は、才能や組織力はだめだった。そもそもラドウーエフ部隊というのは戦いの経験のない者を集めたものだった。ただ、第一次チェチェン戦争の後には何の戦利品もなく、その記憶に残ったのは、破壊された家並みと、目の前で殺された身内のことだけ。

第二次チェチェン戦争が始まったとき、第一次のチェチェン戦争は、軍人としての規律がみごとだったとして思い出されることになる。第二次チェチェン戦争には、双方から新しい種類の人々が流れ込んだ。トラクターの運転手とブダーノフ大佐、それが第二次の登場人物で、第二次の憎しみは動物的なものとなった。ブダーノフに強姦され殺されたエリザの父親ヴィーサ・クンガーエワは裁判に訴えた。村人たちは何の役にも立たないからと止めるように説得した。それでも彼は一人で、そして唯一そういう行動を起こした人だった。戦闘の経験もなく、戦い方など覚えっこない他の数百の父親たちは、どうすることができるのだろうか?今回の戦争でもっとも札付きの人非人である、有名なアフマドフ兄弟の一人は、第一次戦争のとき戦争に参加していない。彼は目の前で身内を焼き殺された。そして彼は極端に走った。幸いなことに、誰もがそうなるわけではない。かといって、他にどうしようがあっただろうか?

「つまり、それが平和ってことか?」

イデオロギーなど何もない。「テロ行為の裏には必ず、国民投票の成功のあとで始まりつつある、政治的正常化を受け入れまいとしている者が糸をひいているのだ」と、クレムリンもカディロフも判で押したように主張している。そんな国民投票はやめるように警告はあったはずだが。

それとも人間が追いつめられた状況におかれると、その意識にどういうことが生じるかを試してみたいとでもいうのだろうか?この出口なしの追いつめられた空気をチェチェンに満たすのに、国民投票ほど上手い手だてはなかっただろう。チェチェンではこういわれた。戦争は終わった。平和な生活復興を始めよう。大統領と国会議員を選出しよう。あたりまえの生活を始めよう、憲法を持ち、祭日にはみんなが楽しめる当たり前の人たちのように…

チェチェンの人たちは尋ねる「つまり、それが平和ってことか?」地上からすべてを殲滅する作戦をすでに10年近くも続けてきたのはそのためだったわけ?それが、あんたがたが言う新しい生活の始まりってわけか?

ここではすでに独立なんかまったく語られていない、大部分の人々にとって、マスハードフは弱々しいがせめてお行儀の良い統治者にすぎない。バサーエフのことなど持ち出すのすら、無意味だ。しかし、戦争は続いている。夜中に連邦軍による一斉検挙がなくても、必ず何かが爆破されるか武装集団が誰かを殺している。どちらにも忍耐などもうない。

しかし、 これも味方、自分たちの側の者だという意識はあるのだ。チェチェンの人々はやはり心の底では自分たちの正しさを知っている。戦闘行為の力も技能も、これ以上の恐怖に耐えていく力がなくなる時が来る。現在、若者たちは山に入っていく、村にいても仕事もなく、あるのは夜中の一斉検挙で行方不明になる危険だけなのだ。山に入れば自動小銃、スティンガー、爆薬の取り扱いを学ぶだろう。彼が山に入らず、チェルノコゾヴォの拘置所かなにかで破滅していればその母親や妻たちが山にいく。その女性たちは、ついこのあいだまで武装勢力がおとなしくならないのを呪っていたかもしれないのに。そう言う女性がカラシニコフ銃を使いこなすようになるかもしれない。ノルドオストに進入することにもなろう。次のイリスハンーユルトの祭日が起きるかもしれない。カディロフに息子の捜索を頼みに行くのか、ベルトの爆薬を爆破させるのか、それともその両方なのかは誰にも分からない。イリスハンーユルトでなく他の場所かもしれない。チェチェン人のだれが彼女の行為を非難できよう?結局、大統領のとりまきたちにとって喜ばしいことには すべてその責任はバサーエフが引き受けてくれるのだ。

警告は届かなかった

こんなことは、昨日はまだ止めることができるはずだった。しかし、今となっては、ほかのシャヒードの国々の例が示すごとく、ほとんど止めることは不可能だ。この状態を受け入れて生きていくことを学ばねばならない。イスラエルの人々のように。パレスチナの人々とチェチェンの人々がどんなに異なっていても、イスラエルでと同じように、ロシアでもそれは難しいだろう。

ズナメンスコエで爆破されたトラックが、2回の点検を受けていたことが直ちに明らかにされた。どうしてたった2回なのだろうか?検問所は見渡す限り肩をならべてあるというのに?たとえ2回の点検があったのだとしても、それではセメントと爆薬を区別するには不十分なのだろうか?特別訓練された犬のことはともかく、検問所でどんな検査をうけるのか見たことがある。挑発的に50ルーブルの支払いを拒否した、怪しげな乗用車などが、中まで探って調べられるのだ。

ここではすべてが明らかで、トラックに乗り込んだ決死隊は、もちろんそんな疑念をよぶこともなく、 なんの抵抗もなく、しかるべき支払いをして検問所を通過する。2回の点検の際に、それぞれその支払いをする。ちなみに、トラックを通過させてしまったそのふたつの検問所についての処分は何も聞こえてこない。そのかわり、爆発物については 興味深いことがたくさん語られている。疑惑をよぶのは、武装集団側がこれらの製造物を連邦軍の兵器から手にいれていることが、すぐに指摘されている。つまり、爆発物の混合物はモスクワでの住宅爆発に使われたのと類似している点だ。つまり、完全に事態が掌握された(ことになっている−訳者)チェチェンでも、爆発物の製造工場が以前と同じく支障なく稼働しているということだ。

ハンカラから爆発物が盗まれていることを認めてしまったほうが、政治的に有利なように思われる。一番まともそうな公式発表に従がったとしてもやはり、ほとんど疑惑といっていい疑問がわいてくる。完全に掌握しているのではないとしても チェチェンの中で、どこにそうした製造所があるのかまったく分からないなどありえない。チェチェンのように、お互い誰が何をやっているか知らないことはない社会では、そんなことは不可能だ。ところが、こういうトラックがやってくるのは、知らないでいられるのだ。国民投票の日に、筆者は自分でグローズヌイ市内を車で回ってみた。わたしが政府の街をどんな目的で車を走らせていたのか、だれも関心を持たなかった。わたしの車にわたしでなく決死隊が乗っていたら、政府の役人の首が飛んだかもしれないのに。

服喪の日はなく、「政治的正常化」が進められる

特別な陰謀はなかったのだろう。それよりもっと悪い状態だ。ぐるになっていた者は摘発し、罰すればいい。しかし、実際に今起きていることは正しようがないのだ。チェチェン内を何トンもの爆発物が移動するのを監視すべき者たちはその能力がない。最終的にはそれを教え込むことはできるとしても。

何かが準備されているという警告はあったかもしれない。しかし、そのトラックが検問所に来たとき、どうすることができただろうか?撃ち合いになって英雄的に戦死する?数百ルーブルがただもらえる時に、そんなばかなことはしない。おそらくなんの警告もきていなかったのだろう。そういう警告はもっと上のほうで握りつぶされたのだ。何か準備が進んでいるようだ?やらせておけ。チェチェンで毎日何かしらの準備がされてなかったら、我々の参謀本部はやることがなくなってしまうじゃないか。

明日もまた、起きてしまったことに対してマスハードフとバサーエフが非難され、バサーエフは自分でもまったく何も掌握できないことにしがみつくかように、片端から自分がやったと認めることになる。そこでまたもや勝ち誇ったような質問が出される。「こんな連中の誰を相手に交渉をするべきだと言うんです?」国民投票のあとから順調につづいている政治的正常化は、更に発展させてよいことになる。大統領選挙はクレムリンでは急がないことにしたようだ、カデイロフと完全に運命をともにする決心はつかなかったのだろう。しかし、無関心だった者たちを絶望しきった者に容赦なく変えていくこの仕組みは、爆発物製造工場の確実な稼働とともに動き続けていく。二つの爆破事件での服喪の日は、ついに発表されないままだ。