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94年に、チェチェンのドゥダーエフ大統領(当時)はトルコのマスコミにこう語っていた。
「私は、ロシア帝国主義に対抗する、カフカス諸国の連合国家を考えている。主要な目標は、独立し、自由を得ることだ。しかるのちわれわれは、豊かな天然資源をトルコを経由して、世界に輸出することを提案するつもりだ」
91年以降、カフカスではソビエト連邦に抑圧されていた民族意識が解き放たれ、諸民族の結合体としてのカフカス連合国家を望む声が生まれていた。ドゥダーエフが、そのような系譜に連なる人物だったことは、あまり知られていない。
さて、チェチェン問題を考えるとき、必ず取り上げられるのが、石油と、チェチェン国内を抜けるパイプラインという要素である。確かにチェチェンには、自国の需要をまかない、かつ輸出にまわすだけの石油を産出する能力がありそうだ。
だが、石油を手に独立を勝ち取ろうとする試みは、これまですべて失敗してきた。ロシアは、チェチェンの石油を手放すつもりがないからだ。それを軍事力で奪っておいて「対テロ作戦」と銘打つのは身勝手きわまりないが、この構図が変わらない限り、ロシアは決して介入をやめないはずだ。
・・・と、そんなことを考えていたおり、友人で若い商社員のYさんからメールが届いた。Yさんは外語大の学生時代、チェチェンに半年間滞在していたこともある、チェチェンを最もよく知る日本人の一人だ。
[Yから大富]
ぼくの考えでは、チェチェン戦争は決してロシア、チェチェン双方とも、 「石油のため」の戦争ではない、ということが大前提です。日本の多くのロシア研究家やマスコミは、かならず石油とパイプラインの利権とチェチェン戦争を結び付けますが、これは間違いです。
なぜなら、石油利権の話であれば、話し合いで決着がつくのに、もう10年越しで戦争を続けている。この戦費は、ロシアにすれば東シベリアその他の有望油田の開発、発掘、精製工場建設に回せる金額であり、こんだけのコストをかけて、1910年代にすでに採掘を縮小したグロズヌイの油田を取り返す必要はありません。
[大富からY]
するとチェチェン戦争には、別に原因があるということになりますね。
[Yから大富]
そうです。石油よりも重要なのは、チェチェンが不安定であれば、それをロシアが政治カードに利用できる、戦争をあおってプーチン政権の国内的な支持を集められる、そちらのほうに、はるかに重い価値をおいているので、プーチンは戦争をやめる気がないのだということが、ぼくのベースとなる考えです。
そしてチェチェン人がなぜ戦うのか。これも集約すれば、ロシア側がチェチェンで「殺す・奪う・破壊する」からです。
やりとりのなかで、思い当たったことがある。まず、チェチェン戦争が始まった当初に、エレーナ・ボンネル女史(故サハロフ博士夫人)は、こう証言している。
『第二次チェチェン戦争が勃発した主な原因を探るには、まず、現在のロシア政治情勢を理解しなければならない。第一次チェチェン戦争は、エリツィン大統領再選のために必要であった。今回の戦争は、エリツィン大統領が自ら選んだ後継者として公に支持する、ウラジーミル・プーチン現首相が世論調査で順位を上げるために必要とされている』
1999.11.04 エレーナ・ボンネル/米上院議会での証言より:
この証言の約2ヶ月後の99年12月31日に、エリツィン大統領は突然、辞任した。もうひとつ大事なのは、その際に、「大統領経験者の不逮捕特権」を手にしたことだ。ロシア政治の舞台では、最高権力者の引退とは、ほとんど死亡か失脚のいずれかを指すという物騒さだが、エリツィンは無事に辞任を果たした。もちろん、手が後ろに回るような事柄が山とあることは、この特権自体が示している。
プーチンが「ロシアの政治の安定」なるものの立役者になるために、チェチェンは戦火につつまれた。また、家族ぐるみで犯罪に手を染めた(あるいは巻き込まれた)エリツィンは、プーチンを後釜に据えたことで、失脚することなく引退生活に入った。
肝心なことは、それらにチェチェン人は何の関係もないことだ。言うまでもなく、チェチェン人が油田の上に生活しているのも、彼らの責任ではない。チェチェン人の不幸は、こういう事情で戦争を仕掛けられ、さらに「テロリスト」というレッテルを貼られることで、世界的にも孤立していることだ。この戦争の原因はまず、ロシアにある。「ロシアにとって必要な戦争」と言っても過言ではない。
チェチェン独立問題をきっかけに、行きつ戻りつしながらチェチェン戦争の原因を考えてみた。次回は、少し見方を変えて、チェチェン経済の自立の可能性に進みたいと思う。自立のためには、まず、何が必要なのだろうか。<つづく>
(2003.06.23 大富亮/チェチェンニュース)