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5月24日土曜、渋谷区で、チェチェン難民支援報告会が開かれた。参加者は21名。2001年以来、チェチェンやイングーシ共和国などで難民支援活動を続けている「チェチェンの子どもを支援する会」 (東京都小平市)が主催した。
報告者は代表の鍋元トミヨさん(主婦)と、杉村由美子さん(会社員)。4月から5月にかけて、チェチェンの南にあるアゼルバイジャン共和国のバクー市に避難している1万人の難民の状況を視察した上、ニか所の難民学校に支援金を渡してきた。
紛争が長引くにつれ深刻化しているのが、チェチェンの子どもたちの教育問題である。鍋元さんによれば、アゼルバイジャン政府はチェチェン人に対する公的サービスをほとんどしておらず、ごく一部の子どもが公立学校に通っているだけという。
「アゼルバイジャンも、国内に多数の失業者と(ナゴルノ-カラバフ紛争による)難民を抱えていますから、チェチェン難民が仕事につくことは稀です。家賃をはじめ、物価は高く、人々の暮らしを圧迫しています。難民学校の生徒たちは、教科書や学用品が不足していて、地元の子どもたちのような教育を受けることができずにいます」と、鍋元さんは報告した。
鍋元さんと杉村さんは、バクーでの視察を通じて、難民のための学校とは言っても、その運営者にはさまざまな人がいることに気がついた。鍋元さんは、「残念ですがバクーのチェチェン代表部といったところも腐敗しています。内輪もめも多く、その付属学校に支援をしていこうというつもりには、なれませんでした」という。
いくつもの学校をみて回った上、誠実な活動を行っていると判断した2つの学校に、約27万円の支援金を手渡した。ひとつは、「子どもの権利擁護連盟コンピューターコース」で、ここはではコンピューターだけでなく、英語の教育も行っており、まだわずかだが、西側に働きに出ている卒業生もいるという。
もう一つは、バクー市の郊外にある「子どもの教育と健康のリハビリセンター<ラードゥガ>」である。ここの児童数は100人ほどで、職員は6人。ここで杉村さんは、岡山市の市民から支援物資として受け取った鉛筆、ボールペンなどを手渡した。杉村さんは、「文具や教材は不足しているし、給食の量もほんのわずかで、下の学年になるほど多めに配給されるけれど、十分な量だとは思えなかった」という。
「バクー」の由来は、「風の町」だ。その名のとおり、カスピ海からの冷たい風が街路を吹き抜けてゆく。この街のチェチェン人たちは、家屋や倉庫を借りて細々と暮らして、3年目になる。2001年9月11日以来、国連などからの支援も、大幅に減額された。一般にチェチェン人は誇り高い人々だが、長い戦争の中で、世界中から見放されているという意識が蔓延し、その誇りは打ち砕かれている。
チェチェンの子どもを支援する会では、これからもバクー、イングーシ両国にいるチェチェン難民へ、教育という形で支援を届けるよう、活動を続ける。子どもたちが成長するにつれ、この努力が実るだろう。(2003.05.28 大富亮/チェチェンニュース)
チェチェンの子どもを支援する会:
http://www7.plala.or.jp/deti-chechni/