10月23日夕刻、モスクワの劇場に、約40人の覆面をしたチェチェン人武装集団が押し入り、観客数百人を人質に立てこもったとロイターが報道し、3日間にわたるろう城戦が始まった。本稿ではこの事件についての経過を、主にロシア・チェチェンの情報源から追う。
●事件発生
23日夕刻、占拠をはじめた時点で、数人の女性を含む民兵グループは「警察が踏み込めば、劇場を爆破する」と宣言した。最初に解放された観客らによると、民兵たちは天井に向けて発砲しながら、「チェチェンでの戦争をやめろ」と叫んだ。モスクワ市警広報官は国営ロシア・テレビに対して、解放された人々の証言として、武装集団は、「チェチェン共和国情勢の打開」をロシア当局に要求していると述べた。また、チェチェン独立派のウェブサイト、 kafkaz.org は、モフサル・バラーエフ野戦司令官の率いるチェチェン民兵チェチェン戦争による未亡人が、1000人の人質を取ってモスクワの映画館に立てこもったと報道した。
チェチェンプレス(チェチェン国営通信社)が詳報したところでは、事件のあったのはモスクワのメリニコフ通りにある映画コンサートホールで、ミュージカル「ノルド・オスト」を上演中であった。これを占拠した民兵グループは、児童、イスラム教徒、コーカサス出身者を即時退去させ、ロシア・スラブ系および外国人の約700人が残った。 館の周りは内務省軍、民警特別部隊(OMON)、FSB特殊部隊アルファ、消防隊・救急隊などが取り囲んだ。
●仲介の試み
今回の事件には、多数の仲介者が現れた。その一人は、チェチェン選出のロシア下院議員アスラン・アスラハノフ氏だ。同氏は事件現場に駆けつけ、流血を避けるため民兵に対する説得を続けた。彼は女性たちが加わっていることについて、「チェチェンでは伝統的に戦争は男の仕事であり、女性たちは外すべきだ」と民兵グループにに求めた。また、このころ決死隊と人質双方の流血を避けるためモスクワ在住のチェチェン人が人間の壁を作ろうという動きも出てきた。イワン・ルイブキン元安全保障会議書記は、ここで流血が起これば、和平実現は決定的に遅れるとして、何としても流血を避けるよう呼びかけた。
http://grani.ru/Events/Terror/m.12690.html
23日夜には、突入に向けたロシア側の情報収集活動はすでに始まっていた。10月24日早朝4時半頃、館内に入り込んで情報収集を図っていたFSB(ロシア連邦保安局)の部員と見られる女性が、決死隊員の制止を無視して行動したため、射殺された。さらに、酔っぱらいのふりをして館内に入り込もうとしていた民警隊員が、6時頃射殺された。民兵グループは、威嚇のために人払いをした場所で手榴弾を爆発させた。人質の中の外国人は70名に昇ることが判明、10時には、その解放など、動きが慌ただしくなった。なお、人質の構成は事件終結後も明らかになっていない。
●チェチェン政府、事件への関与を否定
10月24日付けの国営通信社チェチェンプレスは、この事件に関し、「マスハードフ大統領の率いる政府・軍とは無関係に発生した事件であって、チェチェン政府はこれまで1度もロシアの民間施設を攻撃した事もなく、今後もする意志はない」との記事を掲載した。これは、海外代表のザカーエフ副首相が、欧州評議会でチェチェン問題を担当しているジャッド卿にあてた手紙の内容を引用したもの。
「これまでマスハードフ大統領は、ロシア民間施設への攻撃を禁じ、堅く守らせてきた。しかし、絶望感からこのような決死の行動に走る者が出た。根本原因は過酷なロシア指導部のチェチェン政策にあり、起こるべくして起こったものとチェチェン政府は捉えている。それゆえ、事件の責任は、これまでかたくなにチェチェン政府からの和平への呼びかけを拒んできたロシア当局にある」との認識の上で、罪なき人々を流血から救うため、民兵グループ、ロシア政府双方が冷静になるべきと呼びかけた。
●ポリトコフスカヤ女史、仲介のためアメリカから帰国
24日、「ノーバヤ・ガゼータ」紙で人道的な観点からチェチェン報道を続けてきたアンナ・ポリトコフスカヤ女史が、人質籠城事件を引き起こしたチェチェン人グループとの仲介人を引き受けるため急遽、ワシントンからモスクワに戻ることになった。ポリトコフスカヤ女史は、籠城グループの掲げている要求、「戦争終結、ロシア軍撤退」同感しながらも、この方法は受け容れがたいと言明した。そのとき彼女はモスクワを離れて、アメリカワシントンで、ホワイトハウス当局が国務省と共催したチェチェン問題の平和解決検討会に出席していた。
この会はきわめて高位のアメリカ政府関係者によって組織され、チェチェン外相アフメド・アフマドフ、ズビグニュー・ブレジンスキー元米国大統領補佐官(注:チェチェンに平和をアメリカ委員会共同議長)、欧州評議会のジャッド卿が招かれてていたものの、ポリトコフスカヤ女史のみ 急遽モスクワに呼び戻されることになった。しかしワシントンからモスクワへの直行便が少なく、席の確保、航空券の切替に伴う差額US$1000以上の工面の苦労、ロシア外務省の官僚主義の冷淡さなど実状を次の記事が伝えている。
http://2002.novayagazeta.ru/nomer/2002/79n/n79n-s41.shtml
●ロシア政府、メディアの活動に圧力を加える
25日早朝、劇場内の人質・武装勢力双方に、民兵グループの許可を得て内部に取材に入った「NTV」独立テレビの取材陣のテープが公開されないことに不安が広がった。チェチェン独立派のサイト Chechen.org などは、NTVの取材テープをはじめ、バラエフ司令官のインタビューなどの公開禁止がプーチン大統領の直接指示で決められたことを報じている。
25日夜に伝えられたところでは、当局はテレビチャンネル「モスコビア」とラジオ局「モスクワのこだま」に活動停止を命令した。いずれもプーチン政権に批判的であった。「モスクワのこだま」は劇場占拠事件発生後、緊急世論調査を行い、55%が「マスハードフ政権と交渉して戦争終結を」、40%が「この際、チェチェンを徹底弾圧するべき」と伝えていた。
チェチェン側の情報源によると、籠城しているバラエフ司令官の部下は、攻撃準備には2ヶ月かけて、2トン近くの爆発物をこの劇場建屋に運び込んできたといい、事件はきわめて計画的に行われたという。カフカスセンターに掲載された記事によれば、「戦士も未亡人たちも、生きて戻れるとは思っておらず、勝利か天国かの二つしかない」と考えている。
AFPの報道によると、ロシアのプーチン大統領はこの事件について、「今回の犯人たちは、バリ島での大規模テロ事件の犯人たちと共謀している」と語ったが、バラエフ司令官はこの発言を否定した。「自分たちは、死を覚悟してモスクワへ来て、敵の首都で殉教する。われわれの生命の安全を保証など、まったく興味はない。プーチンは思い違いをしている。われわれには彼のような生命への執着はない」と語った。また、劇場内部の人質に内務省軍のユリヤ・オルハンニコフ少将がおり、彼を戦争捕虜として、他の人質と別扱いにしたと声明。
●特殊部隊の突入
26日、朝7時のノーボスチ通信によると、ロシア側特殊部隊の突入によりチェチェン側との激しい銃撃戦が建物内部で行われ、モフサル・バラーエフ司令官らチェチェン側の大部分は射殺され、人質にも多くの死傷者が出た。懸念された強行突入である。ロシア側によると人質の大部分は館外に救出された。今現在も不明な部分は多いが、ロシアの新聞 gazeta.ru によると、ロシア特殊部隊は催眠ガスを使用して、チェチェン人男女が衰弱したときに突入したという「説」を紹介した。根拠は、館内で撮影された死体が眠っていた様な姿勢であることから出たようだ。
今のところ、ロシア側報道機関はチェチェン人36名を「射殺」、数名を拘束、人質側にも死者多数と発表し、犠牲者数に口を濁している。チェチェン側の自爆の巻き添えとなった者も多数いると見られ、無事だったのは200人程度という報道もある。これが正しければ、単純計算では人質500人の半数以上が、ロシア側の無謀な突入で犠牲になったことになる。なお、27日現在の grani.ru の報道によれば、現在も消息不明の人質は300人に上るという。人質が運ばれたバスが3台しかなかったことは、犠牲の多さを物語っている。
チェチェン側報道 http://www.chechen.org/kavkaz/
ロシア側報道 http://www.gazeta.ru/lastnews.shtml
10月25日、大富亮(「チェチェンニュース」編集兼発行人)および渡辺千明(インターネットサイト「チェチェンウォッチ」編集人)が起草者となり、民兵グループへの自制を求める公開書簡が送達された。この書簡には日本人の有志20名以上が署名し、人質の安全を最優先として行動するよう訴えた。書簡はカフカス・ジャーナリスト評議会を経由し、モスクワに届けられた。その直後、チェチェンプレス(チェチェン国営通信社)およびカフカスセンター(独立派通信社)もこの書簡を掲載した。
公開書簡(第一次集約): http://www9.ocn.ne.jp/~kafkas/20021025appeal.htm
チェチェンプレス: http://www.chechenpress.com/news/10_2002/2_25_10.shtml
カフカスセンター: http://www.chechen.org/kavkaz/
カフカス・ジャーナリスト評議会:
http://kvestnik.org/cgi-bin/newssite4/news_look_inside.cgi?newstime=2002/10/24/20_35_43&newslang=l2
10月26日、チェチェン市民への支援を続ける日本のNGO、市民平和基金(文京区白山)が、劇場占拠事件についての声明を発表した。同基金はチェチェン難民のための救援募金も行っている。
市民平和基金:http://www2u.biglobe.ne.jp/~cfp/index2.htm
10月28−29日の両日、デンマークの首都コペンハーゲンで、、全世界チェチェン民族会議が開催され、そこでロシアとの戦争終結に向けた問題が討論される。 この会議では、ロシア、プーチン大統領とチェチェン、マスハードフ大統領の間での交渉を求める決議が準備されている。この会議には世界中で活動するチェチェン人指導者及び、ロシアを含む外国の政治家も招待されている。このような大会の開催は何回か計画されてきたが、ロシア当局が開催国に圧力を掛けては潰してきた。今回もロシア、イワノフ外相がデンマークに圧力を掛けようとしたが、デンマーク側にそうした試みをきっぱりと拒絶された。以上チェチェンプレスが伝えた。
http://www.chechenpress.com/news/10_2002/11_25_10.shtml
10月18日、東京池袋の東京芸術劇場にて、アムネスティ・インターナショナル日本による時局講演会、「チェチェン紛争の今を知る」が開かれた。講演者として徳永晴美氏(上智大学教授、元朝日新聞記者)および常岡浩介氏(フリージャーナリスト)が演壇に立ち、100人を超える聴衆にチェチェン情勢を語った。
10年前よりチェチェン情勢をモスクワでウオッチしてきた徳永氏は、チェチェン情勢と経過について一般的な解説を行ったうえ、今後の情勢の予測として「バサーエフ、マスハードフを殲滅するというやり方か、彼らをサウジアラビアかどこかに亡命させるなど、チェチェンの大義名分を持って戦っている人々が、何らかの形で姿を隠すことが、一つのシナリオです。彼らが力を得たとしても、彼らの中には経済のわかる人間もいません。一つの国を彼らが作れるとは、思えません。和平交渉もはじまってはいますが、何も実っていないというのが現状です。マスハードフが降伏するというのも、また一つのシナリオだと思います」と語った。
フリージャーナリストとしてチェチェンに取材を行った常岡浩介氏は、パンキシ渓谷での取材の際のチェチェン兵士らの写真を紹介し、「現在のチェチェン戦争というのは、チェチェン独立とも、ロシアの独立阻止という方向とも違う方向にずれつつあり、9月11日からはそれが特に強くなっています。最大の問題点は、チェチェン人に対する殺戮への、世界の関心の低さにあると思います。日本では特に知られていません」と発言し、また、チェチェンのゲラーエフ野戦司令官によるアブハジア侵攻作戦についても言及し、一筋縄では理解できないチェチェン紛争の現実を強調した。
アムネスティ・インターナショナルは今後ロシアの人権問題についてのキャンペーンを行う予定とのこと。今後の企画が期待される。なおこの報告会の模様は「東長崎機関」に報告されると同時に、チェチェン独立派の Webサイト(ロシア語)でも多数紹介された。
カフカスセンター: http://www.kavkaz.org/russ/article.php?id=6108
カフカス・ジャーナリスト評議会:
http://www.kvestnik.org/cgi-bin/newssite4/news_look_inside.cgi?newstime=2002/10/19/20_11_50&newslang=l2
東長崎機関: http://2.hotspace.jp/~higashi-nagasaki/e2002/E01-2002_53_4.html
10月16日のグラスノスチ財団は、最近アゼルバイジャンで欧州安全保障機構(OSCE)主催で開催された「デモクラシーにおける宗教と連帯、テロリズムと過激主義を乗り越える道」の会議について伝えた。これによると、平穏裡に行われていた会議の場で、チェチェン人権センターのマイルベク・タラモフ代表が、イスラム系民族に対するロシアの侵略的政策と「分割支配」についての批判を行ったところ、議場は騒然とした。
タラモフ氏は、ロシアの情報機関がチェチェンの過激勢力に対して支援を行い、またイスラム信者を装った者たちによる誘拐、殺人、政府転覆などの犯罪を黙認しているとした。そして「ロシア連邦保安局(FSB)はテロリズムと宗教的過激主義の脅威を高めることで、市民に対する戦争を実行している」と発言した。
このタラモフ氏の主張に対し、ロシア外交官のゲンナジー・エヴシュコフ氏が「分離主義者のタラモフはこの会議に出席する許可を得ていないし、発言するなどもってのほかだ」と非難したが、主催者側はタラモフ氏がNGOの代表として招待されているとアナウンスした。また、OSCE人権局のジェラルド・ストュードマン氏は、現在のチェチェンの状況を報告し、紛争の政治的解決のためにNGOの力は不可欠だと発言した。
国際NGOのアムネスティ・インターナショナルから出席したナデズダ・バンチック女史は、「先のロシア代表の発言には民主主義への軽蔑が認められる」とコメントし、「ロシア政府は市民へのジェノサイドを、<テロへの戦争>と言い換え、西側社会もまた、この主張を黙認している」と発言した。
News Bulletin Glasnost Media 16/10/2002
10月18日のグラスノスチ財団のニュースによると、ロシア・チェチェン戦争傷病兵連合のムーサ・カルヌカエフ議長は、イングーシのオルジェニキゼフスカヤの難民キャンプで戦争への抗議のためのハンストを開始した。これは本紙36号で紹介した、モスクワでのハンストに呼応するものであり、同議長はロシアのプーチン大統領とチェチェンのマスハードフ大統領による和平交渉の開始を強く要求している。
News Bulletin Glasnost Media 18/10/2002
チェチェンニュース36号:http://www9.ocn.ne.jp/~kafkas/chn/0236.htm
10月15日付けのラジオ・リバティーによると、グルジア共和国の首都トビリシで10日から行われたロシアのウラジミール・プロニチェフFSB副長官とグルジア安全保障相の協議において、両国は今後国境地帯での共同警備と情報交換について合意した。これに両国の国境警備担当者も加わる。
http://www.rferl.org/newsline/2002/10/151002.asp
欧州人権法廷は、グルジア政府に対して、拘留中のチェチェン民兵8人のロシア政府への引渡しを延期するよう勧告しているが、10月11日、ロシア政府から同法廷に出席しているパーヴェル・ラプトフ氏は、この法廷の態度に正式に抗議したと、ラジオ・リバティーが伝えた。また、グルジアのシュワルナゼ大統領は14日のラジオ番組のなかで、8人の引渡しについて「彼らが重大犯罪に関与していれば、引渡しはやむをえない」と発言し、例によって判断を保留している。
http://www.rferl.org/newsline/2002/10/151002.asp
10月15日付けのグラスノスチ財団のニュースは、現地の親ロシア派首長のカズベク・サリモフ氏の通報として、チェチェン南部山岳地帯のツサ−ヴェデノの村を目標にロシア軍が砲撃し、民家13軒が破壊されたと報じた。幸運にも最初の爆発音の後すぐに住民が地下室などに入り、難を逃れた。
News Bulletin Glasnost Media 15/10/2002
10月14日から15日にかけて、チェチェン南部のノジ−ユルトで激しい戦闘が発生した。ロシア軍はチェチェン軍に大きな損害を加えたと発表しているが、チェチェンプレス(チェチェン国営通信社)はこれを否定している。
http://www.rferl.org/newsline/2002/10/161002.asp
10月16日のグラスノスチ財団のニュースによると、14日以来のロシア軍−チェチェン軍の戦闘の後、ロシア軍はノジ−ユルト地区のツセントロイ村でいわゆる「掃討作戦」を開始した。先の戦闘でチェチェン側はロシア軍の102連隊の副指揮官、イゴール・カフィゾフ大佐および3人のロシア兵が死傷したと発表。一方、ロシア合同軍のボリス・ポドプリゴーラ副司令官は、この戦闘でアブ−ワリド部隊の兵士9人が死亡したと発表した。同副司令官は、この戦闘はチェチェン側による陽動であり、偵察部隊の最近の報告として、グルジアにいたチェチェン側部隊150がダゲスタン経由でチェチェン入りしようとした形跡があると語った。
News Bulletin Glasnost Media 16/10/2002
10月17日、チェチェン第二の都市グデルメス近郊でロシア軍のヘリコプターMi−8型機が高圧線に接触して墜落した。18日現在3人が行方不明。ラジオ・リバティーが伝えた。24人が搭乗していた模様。親ロシアチェチェン行政府筋の情報によると、ロシア軍ヘリは墜落のまえに強力な地上からの攻撃を受けていたという。インターファックス通信によれば今年に入ってからロシア軍ヘリの損失は6機目。
http://www.rferl.org/newsline/2002/10/181002.asp
10月16日、EUの行政組織である欧州委員会人道援助事務所(ECHO)は、チェチェン戦争で被害を受け、緊急の支援を必要とする難民たちに対して2050万ユーロ(日本円で約24億円)の支援を行うことを発表した。今回の支援は、チェチェン国内で難民化している人々(internally displaced people: IDP)への基礎的な物資供給などを主目的としている。これは食糧供給のほかに、4度目の冬を迎える難民たちの新しいテントや、不足している衛生設備も含まれる。この資金を使用した活動は、国連組織および赤十字国際委員会、および現地NGOなどを通して行われる予定。同委員会は99年のチェチェン戦争勃発以来、7000万ユーロを難民の支援のために支出した。
http://www.reliefweb.int/w/rwb.nsf/UNID/6EE818868FCEF026C1256C54004B9917
10月16日、チェチェンにおける親ロシア行政府のルドニック・ドゥダーエフ安全保障会議書記は、「和平交渉は武装解除の後初めて可能になる。ゲリラは交渉の席につくべきだ」と発言した。また、同書記は「マスハードフとの交渉の必要はない。彼はこの国でいかなる影響力も持っていない」と断言した上、「西側ではマスハードフとの交渉をするべきだと言っているようだが、彼らだってタリバーンやオサマ・ビン・ラディンとの交渉などしなかったじゃないか?」と語った。以上ロシア政府発表。チェチェンにはロシア政府が設置した傀儡行政府があり、こういった民意を無視した議論が常にメディアに発信されている。
Russian informational centre
http://www.reliefweb.int/w/rwb.nsf/UNID/42A2B891C1CCD169C1256C54005B776C