8月12日、ダゲスタンのマハチカラに事務所を置いている国際NGOの「国境なき医師団」の援助ワーカー、アルガン・エルケル氏が何者かによって誘拐された。犯人たちは3人組で、マハチカラ郊外の友人宅を訪れる同氏の車を襲い、身柄を拘束した。ダゲスタン当局によると、現在のところ犯人からの要求は届いていないという。ロシアの新聞 gazeta.ru が報じた。
http://www.gazeta.ru/2002/08/13/Dutchaidwork.shtml
8月5日、ロシア政府のスルティゴフ/チェチェン人権担当官が声明の中で明らかにしたところによると、チェチェンでこれまでに誘拐された被害者のオンライン・データベースが近日中に公開される。同担当官によると、ここ7ヶ月の間に、チェチェンでは284人が誘拐被害にあっている。その多くはロシア人だという。
http://www.reliefweb.int/w/rwb.nsf/480fa8736b88bbc3c12564f6004c8ad5/0eafe62fd408aee9c1256c0c005a4900?OpenDocument
7月13日に国際NGOの「国境なき医師団」のミカエル・ホフマン氏は、先のダゲスタンにおけるオランダ人ワーカーの誘拐事件について、「われわれはこの地域での安全の確保に困難を感じています。これから、ダゲスタンでの活動を継続するかどうか、他の援助団体とも協議して決定したい」と発言し、ダゲスタンでの活動の見直しをすることを明らかにした。AFPの報道による。チェチェンでの人道援助活動については、96年にも国際赤十字の職員6人が同時に何者かに射殺されるなど、安全性が確保されない困難が続いている。MSFも過去にアメリカ人ワーカーの誘拐を経験している。
http://www.reliefweb.int/w/rwb.nsf/480fa8736b88bbc3c12564f6004c8ad5/dbd6cebd653c25ad85256c140075117e?OpenDocument
国際NGO、メドュサン・ドゥ・モンド(MdM、世界の医療団)が、日本語のメールニュースを発行した。第一号はチェチェン特集。以下は抜粋。購読の申し込みはメドゥサン・デュ・モンド ジャポン/田口さんまでメールで。
メールアドレス:mdmjap2@gol.comホームページ: http://www.medecinsdumonde.org/japan
●MdM通信《創刊号》MEDECINS DU MONDE JAPON/ 2002/08/15発行
◆チェチェン共和国:沈黙がさらなる犠牲者を生んでいる
1999年9月以来、イングーシ共和国に避難したチェチェン難民はおよそ15万人に上ります。現在、イングーシ共和国の難民キャンプでは、9月末をタイムリミットに、イングーシ共和国からチェチェン共和国への難民帰還プログラムが進められています。ロシア政府によるプロパガンダや難民帰還キャンペーンにもかかわらず、大多数の難民は母国への帰還を拒んでいます。
プーチン・ロシア大統領は先頃、「チェチェン情勢は沈静化している」と宣言しましたが、実情は、沈静化には程遠く、ロシア軍による「掃討作戦」、不当な逮捕・拘束、裁判抜きの処刑および拷問が日常化しています。しかし、チェチェン戦争は、国際社会から忘れられたままです。犯罪者が裁かれることもありません。密室の中で続くこの戦争を語るとき、人権侵害の事実を避けることはできません。
チェチェン共和国およびイングーシ共和国に医療ボランティアを派遣し、人道支援活動に取り組むメドゥサン・デュ・モンドは、チェチェン市民や難民に対する人権侵害を間近に見ています。私たちは証言者として、難民の帰還を促進するためのあらゆる圧力を直ちにやめることを求めます。「テロとの戦い」という大義名分で、この組織的な人権の侵害と、民間人の保護という理念に反した難民帰還プログラムを正当化することはできないからです。
◆ 数字でみるチェチェン戦争
イスラム教徒が多数を占めるチェチェン共和国はロシア南部に位置しています。ロシアからの独立を宣言した同国に対し、独立を認めないロシアは、1994年から1996年にかけ、大量の軍隊を派遣し、その動きを押さえようとしました。それ以来、チェチェン共和国とロシアの間の戦争が続いています。
チェチェン共和国の人口:およそ100万人第一次チェチェン戦争(1994〜1995)による死者:10万人第二次チェチェン戦争(1999〜)による死者:10万人第二次チェチェン戦争(1999〜)による負傷者:20万人イングーシ共和国に避難しているチェチェン難民:およそ15万人
続きはこちら:
http://groups.msn.com/ChechenWatch/general.msnw?action=get_message&mview=0&ID_Message=198&LastModified=4675384422560878026
これまでの記事でもわかるように、チェチェンでの難民救援活動は困難だが、デンマーク難民評議会(DRC)はそのなかでもなかなかよい活動をしているようだ。以下は、15日のモスクワタイムスに掲載された、エフゲニア・ボリソーヴァ記者による記事を要約。
ベテランの現地責任者のピーター・ソレンセン氏(41)は語る。「紛争地帯では小さなことをするのも大変です。国は破壊され、人々は絶望の淵。そういった人々の目が輝くときがあって、われわれのやりがいにつながります」
DRCはデンマークの非政府組織で、1956年のソ連軍のハンガリー侵攻による大量の難民流出に対応して設置された。98年からコーカサス地域で、主にチェチェン難民のための活動を行ってきた。国連、EUなどとも難民支援のための契約関係を持っている。
99年、チェチェン住民のおよそ半数を対象とした大がかりな食糧配給プロジェクトが開始された。ダゲスタンの6000人、イングーシの11万5千人、チェチェン領内の18万人への、食塩や油などの配給である。あくまで緊急用の食品にすぎず、栄養失調が懸念されているが・・・。親ロシア政権のある職員は「チェチェン人はみんな難民評議会に感謝している。援助がなくては、私の家族も生き残れなかった。私はいつまでも忘れない」と、匿名を条件に記者に語った。
DRCは単なる難民救援組織ではなく、配給のための、チェチェン住民についてのデータベースという独特の財産を持っている。これはロシア政府やチェチェンの親ロシア政権も及ばないような正確なものである。6箇所の情報センターと93箇所の配布ポイントなどの間でこの情報は維持され、国連などもこの情報を参照している。昨年、ロシア政府が難民登録を停止して以来、唯一使用可能なデータベースなのだ。
また、難民対象の利子のないローンも行われている。これは農業施設の整備などが目的に、最低2000ドルが貸与されるが、これまでの回収率は90%である。難民の住居の建築資材も提供しているが、DRCが強調するのは、現地で資材を購入することで、地域の経済に寄与していることだ。また、資材を適切に使用するため、まずレンガとセメント、それが組みあがったのを確認してから壁材を支給、というように別々に支給して確認を怠らない。
しかしDRCの作業はスムーズではない。昨年11月にはロシア当局に「ゲリラたちに支援をしている」などと指摘された。しかしこういった言いがかりについては、むしろ親ロシア政権がとりなし、ことを荒立てないように図っている。
http://www.themoscowtimes.com/stories/2002/08/15/012.html
8月15日から16日にかけて、ゲヒチュ、シャラジ、ウスルマルタンなどの地域で戦闘が激化した。ロシア連邦軍のスポークスマンは、32人のチェチェン兵士が死亡したと発表した。モスクワタイムスがチェチェンの親ロシア政権からの情報として報道したところでは、少なくとも12人のロシア兵士が戦闘により死亡したという。ウルスマルタンの住民たちは戦闘の激化に耐えかね、隣国のイングーシへの避難を開始した。ラジオ・リバティーによる。
http://www.rferl.org/newsline/2002/08/190802.asp