(7月29日/ルスラン・イサーエフ) チェチェンでの情勢の悪化を受けてイングーシ政府が国境管理を厳しくしたため、チェチェン難民が影響を受けている。軍は、8月6日に大攻勢があるとの最近の噂から、警戒態勢を強めている(去る96年のこの日、チェチェン側が大攻勢に出て首都グロズヌイを短期間占領した記念日であるため)。また、この噂は住民たちの恐怖心をあおっている。
きのうの時点で、チェチェンからイングーシに逃亡してくる難民の数は増大した。ロシア軍側がこういった噂は根も葉もないものだと説明しても、住民たちには安心できないのだ。もし状況が少しでも悪化したら、生き残れる保障など誰にもないことを、人々は経験的に知っている。多くの人はグロズヌイを捨てて他の村や、ここイングーシに避難してきているのである。
グロズヌイの住民、アダム・バスヌカエフは、戦争がはじまってから二度目の避難に入った。今日、彼の家族はイングーシに到着し、親族の住んでいるキャンプに来た。ちょうど2ヶ月前に決心してここからチェチェンに戻ったものの、危険だらけだった。犯罪と、夜毎のロシア兵の襲撃で、結局またチェチェンを離れざるをえなくなった。彼は、グロズヌイは8月6日にかならず廃墟になるだろう、という。
しかし難民キャンプの居住環境はお世辞にもよいとは言えない。特に、難民の強制送還が決まってからというもの、いやがらせも多発し、最悪の状況が続いている。7月20日には、ナズランで、地元住民と難民の摩擦が大きな争いになりかけた。難民たちによると、イングーシ人たちが「チェチェン人は出て行け」と叫んだらしい。警察がすぐに来て間に入ったために犠牲者は出なかったが。
ここ数日はチェチェンの親ロシア政権の職員たちが、スレプツォフスカヤの難民キャンプの人口調査を行った。少し前に行われた、ロシア内務省による難民再登録では登録されていても、必要書類を持っていない人々は、今回の700人ほどのリストには記載されなかった。これはロシアの国章の入ったパスポートを持っていない子どもたちや、パスポートに2枚目の写真が貼られていない人々であった。
(ルスラン・イサーエフ/ チェチェン人ジャーナリスト。過去の記事はwww.watchdog.czに掲載)原文:
http://www.watchdog.cz/?show=000000-000002-000003-000032&lang=1
7月30日付モスクワタイムスによると、23日、チェチェンでNGOワーカーのニナ・ダヴィッドヴィッチさんが誘拐された。ダヴィッドヴィッチさんはセント・ペテルスブルグ生まれのロシア人。事件は連邦保安局(FSB)が、「チェチェンゲリラたちが外国人誘拐を企んでいる」との注意情報を発した1週間後に発生した。ダヴィッドヴィッチさんの所属するロシアのNGO「ドルーズバ」は、国連児童基金(UNICEF)の提携団体として、チェチェン領内で人道援助活動を行っていた。
7月29日、国連人道援助調整事務所(OCHA)のビクトリア・ゾチコーヴァ氏は、ロシア人ワーカーの誘拐事件に関連し、「国連は北コーカサスでの治安状況に非常に憂慮している」とし、ロシア政府による安全の保障がない限りチェチェンでの人道援助活動を再開しない見込みを明らかにした。
「ドルーズバ」は、40人ほどのスタッフが、難民の児童に対する教育事業などを行っている。ダヴィッドヴィッチさんは7月23日、チェチェンの首都グロズヌイからイングーシのナズランへ車で移動するさいに何者かに銃撃を受け、身柄を拘束された。同行していた同僚によると「犯人たちはマスクをしていて、ロシア語もチェチェン語も話さなかった。終始無言だった」という。
事件の発生により「国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)、世界保健機構(WHO)、UNICEF、世界食糧計画(WFP)」の諸機関は活動を見合わせた。イングーシ共和国で2日間、チェチェン領内で一部の活動を除き無期限の活動停止の見込みである。
WFPと共同で食糧支援を主に行うデンマーク難民評議会(DRC)のピーター・ソレンセン氏は「食糧配布は予定通り続けます。チェチェン領内での配布は日中のみ、チェチェン人スタッフが行います」と語った。
「国境なき医師団」(MSF)のミカエル・ホフマン氏によると、今回の誘拐事件を受けて、同団体はチェチェンにいた外国人スタッフ5人のうち3人を退去させた。MSFでは去年、アメリカ人ワーカーのケニー・グルック氏が何者かに誘拐され、無事解放されている。今後の措置はまだ決まっていない。
ロシア政府はイングーシ共和国に避難中の難民15万人弱に対して「自発的な」帰還を促しているが、今回の誘拐事件のように、チェチェン国内での治安状態は悪い。チェチェンではここ10年間、身代金目当ての誘拐事件が多発していたため、国際的な支援活動が難しい素地があった。また、こういった事件はチェチェン人自身の犯罪である場合とは別に、ロシアの特殊部隊の関与が取りざたされる場合もある。いずれにしても今後、チェチェンに国際的な支援と交流が行われるためには、こうした犯罪が撲滅される必要がある。(大富亮)
http://www.themoscowtimes.com/stories/2002/07/30/003.html(モスクワタイムス)
http://www.reliefweb.int/w/rwb.nsf/480fa8736b88bbc3c12564f6004c8ad5/475c030c88ae1bc049256c070009d1ad?OpenDocument(OCHA)
8月1日、ロシア・チェチェン友好協会情報センターはプレスリリース246号を発表してロシア占領地域の憲法的秩序の実態を明らかにした。これによると、親ロシアチェチェン政権の法務大臣にベス・バスハノフが任命されたが、就任後2週間を経ずして、7月11日に、彼の出身地セルジェニ・ユルト村が「掃討作戦」の対象となった。
連邦軍は彼の自宅にも装甲車を乗り付けた。そして一応隣家に主人はどこかと声を掛けたものの、扉を壊して入り込み、略奪を始めた。知らせを聞いて村に駆けつけた法相は、村外れのチェックポイントで止められ、警備兵と押し問答になった。この事実は、占領地の主人が誰なのかを見せつける出来事であった。
この村の一般住民は、無傷で生き残りたければ次のどちらかを選べと告げられた。
1.没収されたとする武器一覧表に署名すること2.ロシア兵士が運び出した物品は、住民が友好の印として自発的に兵士に贈呈したものであると署名すること以上は要約原文: http://www.chechenpress.com/news/08_2002/6_02_08.shtml
7月29日16時頃、アブハジアとカラチャエボ・チェルケス共和国(ロシア連邦)の国境を武装集団がアブハジア側から越境してきて、迎え撃ったロシア国境警備軍と衝突となった。7月31日のカフカスセンターが、カラチャエボ・チェルケス共和国内務省の発表として報じた。国境警備軍は武装集団の帰属を確認できていない。
この武装集団はゲラエフ部隊である可能性がある。チェチェンニュース53号では、東隣のカバルディノ・バルカリア共和国情勢の不穏を予測したが、さらに西隣から、いよいよ入ったという感がある。グルジア=チェチェン国境付近での衝突は、こうしたルートからの侵入の陽動作戦だったのではないか?(渡辺千明)
http://www.kavkaz.org/russ/article.php?id=4298 (カフカスセンター)
http://kafkasclub.tripod.co.jp/chn/0053.html (チェチェンニュース53号)
チェチェンでは独立派政府と野戦司令官の団結の強まりによって、軍事情勢が急展開している。今回は主にチェチェン側のソースを元に、その状況を整理してみた。なお、ロシア側のソースについても採用して検討をしたいところだが、自ら情報統制をしているために情報の絶対量が少ない。したがって本稿は情勢分析そのものではなく、一参考資料として掲載する。(編集室)7月30日、チェチェン=グルジア国境での騒乱が続くなか、首都グロズヌイなどでも散発的に戦闘が発生していた。首都グロズヌイ/スタロプロミスロフ地区・ザボドスキー地区では、チェチェン側はロシア軍大型軍用トラックURALと軍用ワゴンUAZを遠隔操作地雷で爆破。これにより、ロシア軍兵士6名が死亡し、4名が負傷。
http://www.kavkaz.org/russ/article.php?id=4275
http://www.chechenpress.com/news/07_2002/12_30_07.shtml翌7月31日、首都グロズヌイでは大規模なチェチェン独立派の攻撃が行われた。カフカスセンターの電話取材によると、アブ・サヤフ司令官の特別任務イスラム連隊は、7月31日から1日にかけての夜間にマヤコフスキー通りのロシア軍の大規模なチェックポイントを攻撃した。この攻撃は、機関銃・グレネードランチャー・火炎放射器を動員する大掛かりな戦闘になった。3時間後、このチェックポイントを粉砕され、11名のロシア兵が死亡。軍用トラックUAZと、BTR=8輪装甲兵員輸送車各1両が炎上した。チェチェン側は1名が死亡したが、これはMukha(蠅)という使い捨てグレネードランチャーの爆発によるもので、チェチェン側は、ロシア側のトラップにかかったものと判断している。
8月1日、イトゥム・カリ地区ではいくつかの小規模戦闘があり、一つはロシア軍特殊部隊と独立派部隊の遭遇戦。ここではロシア兵5人死亡、2基の地雷発射装置を捕獲した。また、独立派側の小部隊がロシア軍の武装ヘリコプターに発見され、包囲された。ヘリコプターからの攻撃を避けるため、チェチェン兵は、ロシア地上部隊と最接近する戦法に出た。やがて包囲網を抜けることができたが、チェチェン側にも戦死者が出た模様。この日、首都グロズヌイでは、戦闘によりロシア軍将校2名が戦死、またBTRとGAZ66中型軍用トラックがおそらく誘導地雷によって攻撃され、6名が死亡した。シャリではBRDM4輪装甲車が爆破され、このほか南部の町ヴェデノでも戦闘があったもよう。
ヴェデノでの戦闘の詳報は伝わっていないが、結果を想像できるニュースがロシア側から発表された。8月2日のインターファックス通信によると、ヴェデノ地区の親ロシア政権副責任者のクリムルズ・ソフバノフは、カディロフ行政長官が8月2日に招集した会議で次のように言明した。「夕闇と共に独立派のチェチェン人が町中に堂々とやってくる。彼らは夜は自分たちの思いのままと感じている。薄暗くなったら配置されている治安部隊も身を守るのが精一杯で、陣地に引きこもり、道路のパトロールなど一切していない」
http://www.interfax.ru/show_one_news.html?lang=RU&tz=0&tz_format=MSK&id_news=55867058月4日には、チェチェン側が損害を出した。アルグン渓谷の東側、シャトイ・イトゥムカリ地区側での戦闘で、兵士10名と司令官1名が死亡し、2名がロシア軍の捕虜となった。チェチェン側によると、この戦闘では全体で50名以上のロシア兵が死亡し、大量の武器を捕獲し、ヘリコプター1機を撃墜、数台の軍用車を炎上させたという。
http://www.kavkaz.org/russ/article.php?id=4386
7月29日、イングーシ共和国の首都ナズランで国際会議「平和を求めるチェチェン女性」が開催された。30日のチェチェンプレスによる。この会議にはロシア、チェチェン両国の多数の社会・平和・人権・婦人団体が参加した。
参加団体は、社会団体LAM(ズライ・バダロワ)、地域間平和擁護団体「戦争のこだま」(共同議長ザイナプ・ガシェエワ)、同チェチェン支部(トイタ・ユヌソワ)、チェチェン女性同盟(リプハン・バザエワ代表)、人権擁護組織メモリアル(タマラ・カラエワ)、A・サハロフ記念博物館(Yu・V・サモドゥロフ館長)など。会議にはジャーナリストも参加した。ノバヤ・イズベスチア紙O・R・ラツィス、ノバヤ・ガゼータ紙A・ポリトコフスカヤ、電子出版社 grani.ru など。
内容は会議の名称がすべてを語っており、参加者たちはいかにチェチェン戦争が血塗られた残酷極まりないものか、いかに肉体的だけでなく精神的にも人々を傷つけているかを報告し、早期の戦争停止と政治交渉による戦争終結を求めた。ロシア軍占領下のチェチェンの村や町からも60人の女性が参加し、自分たちが経験し目撃してきた辛い報告を、具体的な場所と日時をあげて11時から19時まで続けた。
会議が終わりに近づいたとき、ロシア人の新聞記者が、チェチェン人の母親に詫びて言った。「われわれを赦して下さい。ロシアの軍隊と民衆一般とは異なります」
原文: http://www.chechenpress.com/news/07_2002/11_30_07.shtml
7月26日付けのイズベスチア紙によると、これまで200人以上のホームレスの孤児が、ロシア陸軍に兵士としてスカウトされているという。国防省の匿名の情報源によると、今年中にその数は400人まで増える見込み。報道によると、こうしたタイプの採用は95年の第一次チェチェン戦争でも非公式に行われたが、2001年の国防省の命令により、全国的に行われるようになったという。
アルハンゲリスク州政府の職員、ナデズダ・ココヤニナ氏は、「14歳から16歳の少年たちは順番待ちをしているくらいです。彼らは軍に、大きな、信頼のおける家族の役割を期待しているのです」と話す。別の自治体の職員も、孤児たちのための施設を作るのには経費がかかるため、軍に入れて訓練を受けることに賛成だという。ラジオリバティーが報じた。
第二次チェチェン戦争に参加しているロシア兵士は主に契約志願兵だといわれているが、こういった子どもたちについての情報は少なかった。ここで紹介したロシア国内の声は、孤児が兵士になることを良いことだと見なしている。児童搾取を当然視している国家、国民は病んでいるとしか言いようがない。チェチェンでもロシアでも、子どもたちがまず犠牲になっている。(大富亮)原文: http://www.rferl.org/newsline/2002/07/290702.asp
8月1日のロイターによると、日本の寺沢潤世氏をはじめ、チェチェン共和国、キルギスタン、ロシア、ウクライナの仏教の僧侶で構成される国際的なグループが、インドとパキスタンの間の平和を願って、来週7日から3カ月にわたり、パキスタンからインド中部に向けて行進する。寺沢氏は、ラホールで記者団に対し、「インドとパキスタンは、この素晴らしい文明の地を、核兵器によって荒廃した墓地に変えてはならない」と述べた。
原文: http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020802-00000228-reu-int
7月29日のモスクワのインターネット新聞、グラーニは、チェチェン・グルジア国境で、グルジア側から侵入した武装分子の中で、ロシア国境警備隊の捕虜の中に日本国籍の者がいると、北コーカサス対テロ作戦本部代表、イリヤ・シュバルキン大佐の発表として報じた。本人はイスラム教に入信しており、アラブの名を名乗っているが、他の武装分子と共に戦闘に参加していたという。
原文: http://www.grani.ru/news/chechnya/
「チェチェン軍司令官アブドゥッラは、自隊に日本人義勇兵ミナミ・ヒロシが参加していること、彼がチェチェン人民の独立を目指す解放闘争に共感してチェチェンにやってきたことを明らかにした。司令官の語るところでは、この義勇兵は24歳沖縄出身の元空挺隊員で、空手は黒帯である。
彼はロシア軍との実戦に参加することを熱望しており、民族の独立と自由を目指すチェチェン民衆の戦いが孤立したものではないことを身をもって証明したいと心を燃やしている。日本の広い世論はチェチェンのロシア侵略者に対する独立の闘いに共感を寄せている。また最近編集部に寄せられた日本からの手紙には、わが国の自主独立を目指す正義の戦いへの支持が語られている。
思い起こせば、1830年から59年のカフカス戦争にあたり、チェチェン人戦士の側には、ハンガリー、オーストリア、ポーランド、チェコ、ロシア、ウクライナの義勇兵達がチェチェンの自由への闘いを、自らの義務として戦った。
また1994年から96年の第一次チェチェン戦争は数十名のウクライナ義勇兵、北コーカサスの数多くの山岳諸民族出身者が加わっている」
原文: http://www.chechenpress.com/news/08_2002/3_05_08.shtml
7月31日に strana.ru などが報じたところでは、ロシア検察庁はボリス・ベレゾフスキー氏に対する裁判について、さらなる調査のため10月5日まで延期されると発表した。今回報道された事案は、「ベレゾフスキー氏がチェチェン武装勢力に対して違法な資金援助を行った」ことに対するもので、連邦保安局(FSB)からの情報に基づくもの。公式筋は延期の理由を「裁判資料の充実のため」と説明しているが、一方、30日にFSBのニコライ・パトルーシェフ長官は報道陣に対して、「違法資金援助については、われわれが期待していた以上の情報が集まっている。ベレゾフスキーは自分が何をしたかについて、答えなければならなくなるだろう」と strana.ru に対して語った。ラジオ・リバティーの報道による。
原文: http://www.rferl.org/newsline/2002/07/310702.asp
7月30日、ロシア政府のチェチェン復興委員会が開かれ、ヴィクトル・キリシェンコ副首相とウラジミール・イェルギン・チェチェン復興担当相がそれぞれ発言した。それによると、チェチェンのインフラ復興の状況は予算の割り当てが少ないため、遅れている。キリシェンコ副首相は、新年度までに学校の再建を優先すると同様、イングーシからの難民の帰還のための住宅整備も優先課題とする必要があると語った。ラジオ・リバティーによる。
原文: http://www.rferl.org/newsline/2002/07/310702.asp