6月23日から24日にかけて、TRP=国際ラジカル党のロシア委員会が組織している大衆組織、反軍国主義ラジカル協会(ARA)は、モスクワのアンドレイ・サハロフ記念博物館を会場に第3回大会を催した。ARAとTRPロシア委員会は別々の組織であるが構成員はほぼ重複している。正式メンバーは65名ほどの小組織だが、果敢な反戦活動を展開し、チェンチェンをソ連・ロシア帝国最後の植民地と断じ、「チェチェン戦争は我が祖国ロシアの恥!」、「犯罪的な侵略戦争に荷担するよりは、脱走兵となれ」とロシア兵士に呼びかけ、ロシア軍の蛮行は、国連に新設される国際刑事裁判所において訴追されるべきと要求している。TRPの国際刑事裁判所に!という主張は、チェチェンのマスハードフ大統領や彼の特別代表ザカエフの考えにも影響を与えているので注目を要する。国際ラジカル党のメンバーには、有名な医師でチェチェン共和国の保健相ウマル・ハンビエフが加わっている。
http://www.ara.ru/congr/3/index.html 反軍国主義ラジカル協会第3回大会資料
6月26日、モスクワの高名な人権活動家10名は、マスコミ報道機関に公開状を送り、ロシア自民党のジリノフスキー党首の過激で無責任な言動が、マスコミの不用意な取り上げ方によって更にあおられる結果となっていることを憂慮して、報道機関が一致団結して、ジリノフスキー氏の言動を黙殺するよう言論ボイコットを呼びかけた。ロシア自民党は、ロシア国会でも相当な議席数を持つ会派だが、チェチェン戦争では、18歳のチェチェン少女エリザ・クンガーエワを強姦殺人して、収監され裁判中のユーリー・ブダーノフ大佐を敵女狙撃兵を成敗した、「あっぱれロシアの英雄、ロシアの最良の息子」と強弁して裁判支援活動を行い、また最近、ロシア検察当局が明らかな行き過ぎと、立件すら表明したメスケル・ユルト村で見られたような「掃討作戦」を更に強化せよと煽る野蛮で、無責任なキャンペーンを続けている。
アッピールの趣旨はジリノフスキーの言動を言論ボイコットで追いつめようと言うのであるが、思わぬところから、異議が申し立てられた。同じ26日、従来これらの人権活動家と友好関係にある国際ラディカル党ロシアコーディネーション委員会のニコライ・フラーモフ議長が、ジリノフスキーの言動は不愉快なものだが、言論の自由という長年追求してきた人権活動の理念と矛盾すると反対の声明を出したのだ。こうして見ていると、チェチェン問題で試されているのはロシアの民主主義だと強く感じられる。
(渡辺千明/本誌コントリビューター)
http://www.kavkaz.org/eng/article.php?id=883 人権活動家10名のアッピール(英訳)
http://www.radikaly.ru/news/?text=798 ラジカル党の声明(英訳)
6月25日、アゼルバイジャン国境のロシア軍の検問所で、通過しようとしたチェチェンからの難民、子ども3人を含む14人が拘束され、その後行方不明になった。逮捕を目撃した人物は、「ロシア軍のフィルターラーゲリに連れて行かれたのではないか」と話している。7月3日にチェチェンプレスが報じた。(2002.7.3 chechenpress.info)
http://www.chechenpress.info/english/news/07_2002/03/4.htm
6月25日にダゲスタンからアゼルバイジャンに出国しようとした難民14人(子ども3人を含む)が、ロシア軍に拘束され、行方不明になった。この件に関連し、チェチェンプレスは行方不明者のうち8人の氏名を公表した。これまでの調査によると、難民たちはホシ-ユルトのフィルトレーション・キャンプ(フィルターラーゲリとも。一般市民か、ゲリラかを尋問によって選別する施設。これまでも非武装の市民に対する虐待などがしばしば伝えられている)に送られた後、うち6人は首都グロズヌイ近くのハンカラにあるロシア軍の本部に送られた。その他の人々は子ども達も含めて消息不明。チェチェン側は各国の人道機関にこの件についての介入を求めている。(2002.7.4 http://www.chechenpress.info)この件で行動を起こす日本の人権団体はないものか?
ムーサ・バイムラドフ(Baimuradov, Musa)アリ・カミーロフ(Khalimov, Ali)マリヤム・カロモーヴァ(Khalomopva, Maryam)マーハ・カリモーヴァ(Khalimova, Marha)アブタリム・タミスハノフ(Taimaskhanov, Abu-Talim)ゼリムハン・セリムハノフ(Selimhanov, Zelimhan)ラズヤット・セリムハノーヴァ(Selimhanova, Razyat)ウサム・イブラギモフ(Ibraghimov, Usam)<カリモフ一家はジュクルタ(Jugurta)村から来た>
http://www.chechenpress.info/english/news/07_2002/03/4.htm
6月27日、欧州評議会議員総会は、「グルジア政府はチェチェン国内の情勢が安定するまで、チェチェン難民の強制送還を慎むべきだ」との勧告をまとめた。最近のセンサスでは、4000人のチェチェン難民がグルジア共和国に避難しており、ほとんどがパンキシ渓谷に居住している。グルジアとロシアは2月にチェチェン難民の送還協力について合意しており、グルジアはその履行のためにチェチェン国内の治安の安定をロシア側に求めていた。グルジア国連協会の報道による。(2002.6.28 www.civil.ge)
http://www.civil.ge/cgi-bin/newspro/fullnews.cgi?newsid1025247123,50004,
6月28日付chechenpressによれば、グルジア、パンキシ渓谷のチェチェン避難民の再登録が行われているが、当局は追加登録を数日中に行うと公表した。これは避難民の異動往来が激しく、確定が困難なためという。既に4−5月に登録した者は3680名であるという。(注 ロシアがずっと主張していたパンキシ渓谷がチェチェン武装勢力の後方基地になっているという主張の一部は、アメリカの武装勢力の存在の指摘で、ある部分裏付けられたが、シュワルナゼ、グルジア大統領は、武装勢力には速やかな自主退去を勧告した)
http://www.chechenpress.com/news/06_2002/4_28_06.shtml (ロシア語)
6月30日、イングーシのジアジコフ大統領は、すでに1万人のチェチェン人難民が、自発的にチェチェンに帰国し、今後も帰国者数は増加すると語った。1日にラジオ・リバティーが報じた。(2002.7.1, rferl.org)
7月3日のロシア非常事態省の発表によると、ロシア南部での先月からの洪水による被害は、米ドルにして4億4千万ドル、損壊家屋数1万、被災者は33万人以上にのぼることがわかった。死者数は1日の発表で109人。現在も5万人が避難を続けている。AFPが報じた。(2002.7.4 AFP)なおAFPのアルビ・アルビエフ記者の取材に対し、グロズヌイの市民の一人は、「でもこの戦争よりはましよ」と諦め顔で話している。ガスパイプライン、道路、鉄道、電力網、水道といった、ロシア軍を支える基幹インフラが影響を受けているため、チェチェン独立派側はかえってここ数日反撃を強めている模様。
明るいニュースを一つ。6月19-21日にアメリカ、ルイジアナ州シリフポルトで行われた柔道と良く似た格闘技「サンボ」の世界・アメリカ両選手権で、チェチェン共和国イチケリア出身の医師ハサン・バイエフが優勝し、両選手権のチャンピオンとなった。バイエフは既に前回のフランス、ニッツァで行われた大会で世界チャンピオンになっているが、今回は滞在中のマサチュセッツ州に敬意を表してアメリカチームの一員として参加した。(chechenpress 2002.06.27)(注:親ロシア派サイトによれば、チェチェン人には強いサンボ選手が沢山おり、ロシアチームにもチェチェン人選手は参加していた模様。チェチェン独立支持がはっきりしているバイエフが優勝したのでchechenpressが取り上げたのであろう)
http://www.chechenpress.com/news/06_2002/9_27_06.shtm