グルジア難民移住省の発表によれば、現在グルジアのパンキシ渓谷には、およそ3600人のチェチェン難民が居住している。1999年の第二次チェチェン戦争の開戦当時は、7500人の難民がいた。
4月29日のラジオ・リバティーによると、昨年アウシェフ大統領が辞任したのち空席になっていたイングーシ共和国の大統領選挙の決選投票において、連邦保安局(FSB) のムラート・ジアズィコフ将軍が52%を得票し、当選した。ジアズィコフ将軍は現在南部連邦管区の副代表を務めている。
大統領選挙は4月7日に第一回投票が行われ、44%の投票率で連邦下院議員のアリハン・アミルハノフ氏が32%、ジアズィコフ将軍が19%をそれぞれ得票したが、双方とも過半数に達していなかったために決選投票に持ち込まれていた。
アウシェフ元大統領は、今回の選挙について「前例のないいやがらせ」が行われた」と発言している。これによると、第一回投票の直後、アミルハノフ候補の選挙事務所に突然、家宅捜索が行われ、警察は選挙違反を理由にアミルハノフ候補に対する捜査を開始したという。
選挙の舞台となったイングーシ共和国はチェチェンの西隣に位置し、もともと33万人の小国に、チェチェンからの難民15万人前後が流入している。このために国内のインフラが限界に達し、社会的、経済的不安定が目だっていた。昨年末に辞任したアウシェフ大統領は、連邦中央に対して難民への救援を強く要請するなど、チェチェン難民の保護に努力してきた。今回の選挙結果により、連邦中央の意を受けたジアズィコフ氏が大統領に就任した場合、難民たちに対する処遇はさらに不透明になる。
4月28日朝、クラスノヤルスク州知事のアレクサンドル・レベジ退役将軍が、カカシアでヘリコプターに搭乗中の事故で死亡した。29日のラジオ・リバティーなどによると、20人が搭乗したMi-8型ヘリが送電線に衝突して墜落し、レベジ氏を含む8人が死亡。 レベジ氏は52歳、1996年のロシア政府の安全保障会議書記在職時、チェチェン-ロシア間で結ばれた停戦合意であるハサブユルト合意の成立に尽力した。
5月5日、チェチェン南部山岳地帯で厳戒体制下に、チェチェン独立派政府のマスハードフ大統領/チェチェン軍最高司令官主宰による拡大司令官会議が開催された。この会議には各戦線の司令官達が出席した。中央方面:シャミル・バサーエフ、南西方面:ドッカ・ウマロフ、南部方面:アブドルハジエフ・アスランベク。この他、各地区司令官、グロズヌイ:イサ・ムナーエフ、グデルメス:ウヴァイス・インデルビエフ、ウルス・マルタン:リズワン・アフマドフ、アチホイ・マルタン:ムサ・ジャマルディノフも参加。
会議の冒頭、マスハードフ大統領は、最近相次いで死亡した野戦司令官のハッタブとアイダマル・アブラエフを追悼し、アブドゥル・ハリム師によってコーランの一節が読み上げられた後、マスハードフは、ノジ・ユルト戦区の新しい司令官に、マハマド・ハンビーエフ野戦司令官をあてる命令書を読み上げた。
この後、マスハードフは、チェチェン、北カフカス、および世界情勢の分析を講じ、またいくつかの国際機関を通じてもたらされた和平工作に関する報告を行った。 マスハードフに続いてシャミル・バサーエフ司令官が立ち、「アッラーへの信仰を守り、分裂してはならない」というコーランの一説を引用しつつ、ロシア侵略者の最も恐れるのは、チェチェン戦士の統一と団結である、と訴え、現在の軍隊と人民の一体感の高まりをできるだけ早い、ロシアへの反撃に結びつけようと呼びかけた。
発言希望者は多かったが、安全性に配慮し各司令官は、マスハードフからの命令書の束を受領して速やかに解散した。 原文は次のURLに。
http://www.chechenpress.com/news/05_2002/9_07_05.shtml
チェチェンのシャミール・バサーエフ野戦司令官は、死亡が報じられたハッターブ野戦司令官が、3月19日に、手紙に塗られた毒物によって暗殺されたことを明らかにした。チェチェン独立派のwebサイトの一つ、カフカス・センター (www.kavkaz.org)による。ハッターブの遺体はチェチェンの山岳地帯に埋葬された。ロシア側が発表した遺体のビデオは、待ち伏せしていたロシア軍部隊に奪われたものだという。詳細は http://www.kavkaz.org/eng/article.php?id=6154月27日には、アスラン・マスハードフ大統領の側近であるザカエフ副首相も、チェチェンプレス(http://www.chechenpress.com)において、ハッターブの死を公式に認めた。「ロシア軍に殺害されたものではない」と声明しているが、原因は明らかにしていない。この他にもチェチェン人のネットワークの中では、内輪もめなどの説も飛び交っている。ハッターブ司令官は1995年にヨルダンからチェチェン入りし、外国人のゲリラとしてチェチェン戦争を戦った。99年夏、配下の部隊を率いて隣国ダゲスタンに進攻したことが、第二次チェチェン戦争の原因のひとつにもなっている。また、ハッターブとオサマ・ビン・ラディンには協力関係があるとして、ロシア側は一貫してチェチェン進攻を「対テロリズム作戦」と呼んできた。今回ハッターブ司令官が葬られ、「国際テロリズム」とのリンクが切れたことは、今後スムーズに交渉に入り、戦争を早期に終結させたいというロシア側の意図が反映されている可能性もある。
5月9日、ダゲスタン共和国の港町カスピスクで爆破事件があり、少なくとも41人が死亡した。APによると、対独戦勝記念日のパレードが行われていた際、遠隔操作とみられる爆弾が爆発、演奏中のバンド、子ども17人を含む41人が死亡、150人が負傷した。ロシアのプーチン大統領は、「この事件のテロリストはナチスのように処罰されるだろう」と発言。ロシアのメディアは一斉にこの事件の背後にチェチェンの独立派がいる可能性を報じはじめたが、犯行声明はどこからも出されていない。一方、チェチェンのザカーエフ副首相は、事件の翌日に関与を否定する声明を発表した。ラジオ・リバティーによると、ザカーエフ副首相はチェチェン政府を代表して、犠牲者に追悼の意を表するとともに、「チェチェン側は、あらゆる一般市民への軍事行動を断固として否定する」として、凶行に及んだ犯人を非難した。
4月17日、ジュネーブで開催された国連人権委員会の場で、民間団体、チェチェン母親協会代表のマディナ・マゴマドワさんが発言し、国際社会に向けてチェチェンの惨状を訴えた。国連人権委員会の場ではチェチェンのための決議が採択されなかったが、具体的な事例をあげてチェチェン人自身が訴えた貴重な報告といえる。マゴマドワさんは、2000年の3月に、日本のNGO「市民平和基金」の招きで来日するなど、チェチェンの問題を国際社会が認知するよう、精力的に活動している。以下報告。「第二次チェチェン戦争により、900日以上が戦乱に費やされました。ロシア軍は、カフカスの小さな国であるチェチェンを地上から消滅させようとしています。ロシア政府は、国際的な人権の基準を適用していると宣言していますが、その結果もたらされているのは、4万人の子どもたちを含む、チェチェン国民の20%の死亡という犠牲です。1万人が今も行方不明で、1万人が戦闘によって障害を負い、さらに数十万人が難民化しています。街や村、病院、学校、博物館、モスク、協会、それらはほとんど破壊されました。社会的、経済的インフラは徹底的に破壊され、いたるところで民間人への虐待や不当逮捕が行われています。 チェチェンの女性は、いやおうなくロシア軍の残虐な行動の目撃者になっています。それも毎日。焼き殺されるチェチェン人、有刺鉄線で縛られて地面を引きずられてゆくチェチェン人、手や耳をそぎおとされたチェチェン人の姿を。チェチェンの母親たちが産みおとした息子たちは、今この瞬間にも、砲弾の下で焼き殺されようとしています。今年4月8日、スタール・アタギの村はずれで、イムラン・クンタエフたち、9人の民間人が生きたまま焼かれました。私たちは、計画的な虐待行為、基本的人権に対する侮辱の目撃者です。ちょうど、カシミールやパレスチナでのそれと同じように。1月11日、ノクチカロイ村の5人の住民たちが処刑されました。C.M.アスラハノフ、A.サタバエフ、S.バハエフ、M.ムサエフ、H.ツブーロフです。彼らは拷問を受けた後、喉をかき切られて車に押し込められ、ガソリンをかけて焼かれたのです。この他にも大勢の人々が、掃討作戦によってランダムに逮捕され、行方不明になっています。 チェチェン共和国議会のアリハジエフ議長は、2001年の5月17日に逮捕され、モスクワにある連邦保安局(FSB)の刑務所に入れられ、今も消息を絶っています。他の1万人と同じように。ロシアの情報機関と軍は、私たちの大事な人々を処刑すると同時に、人々の遺体を冒涜しています。ロシア兵は私たちの大勢の息子の遺体に値段を付け、これを家族に買い取らせています。100人を越える女性たちが署名して、ウルスマルタンに駐留するロシア軍のガズニエフ司令官を訴え出ましたが、逆にロシア軍は彼を将官に昇進させました。トローシェフ将軍はチェチェン人をすべて処刑せよ、と呼びかけています。ロシアの虐殺政策が進められているために、チェチェン人は滅亡の淵に立たされています。チェチェン人に対する罪は、バルカン半島の事例にくらべ、十分に伝えられているとはいえません。国際社会は、ロシアによるチェチェンに対する犯罪に手を貸してはなりません。チェチェン戦争は、文明に対する犯罪であり、法と秩序に対する犯罪なのです。
私たちは、国連人権委員会に対して訴えます。ただちにロシア軍によるチェチェンでの犯罪行為を止めさせてください。強力な決議を成立させ、人道に対する犯罪として、国際法廷で訴追してください。武装した国際軍をチェチェンに派遣し、市民を守ってください」備考:第58期国連人権委員会、非占領下のイチケリア・チェチェン共和国情勢についてのセッションにおける声明(国際平和事務局,International Peace Bureau,2002/4.17)。国連人権委員会は、ロシア連邦の、人道に対する罪による問責を退けた(Kavkaz Center, 2002.4/28) 。