4月6日、「チェチェンの子どもを支援する会」の報告会が、新宿区の早稲田奉仕園にて開かれ、現地入した小平市の主婦、鍋元トミヨさんと、葛飾区在住の高橋純平さんの二人のボランティアが、現地の様子と学校設置事業について報告した。満員となった会場では参加者が熱心に聞き入る姿が見られた。
鍋元さんによると、今回現地に設置された学校は、日本でいえば小学校低学年に相当する、15人のクラス。先生一人と、管理員など計3人の現地スタッフによって運営される。学校の名前は「ラードゥガ(=虹)」。鍋元さんは「難民キャンプの状態は比較的よかったものの、相次ぐ戦争で子どもたちへの教育が不十分だったために、ロシア語ができない子どもたちが多かったことに驚いた」という。「子どもたちは自分たちの境遇を理解していないからかもしれませんが、とても元気だったのが印象的です。日本の子どもの元気のなさとは対照的」とも。
こうした事業の傍ら、難民の生活状況なども見てきた鍋元さんらは、難民キャンプの基礎的なインフラについても、「キャンプではトイレ、シャワーなどの必要不可欠な設備もほとんど足りていないのですが、こうした問題になるとさらに大きな支援が必要になります。でも、それは政府レベルの援助になっていくでしょうから、その方面にも訴えていかなければなりません」と強調した。
今後は、この小さな教室を維持、拡大すると同時に、現在停止している難民の女性経ちのための授産施設「暖かい家」を再開し、国土を破壊されたチェチェン人の立ち直るきっかけにしたいという。この事業は、一般寄付を中心として東京国際交流財団の助成金を得て実施された。
鍋元さんの活動報告は、4月9日(火)午後11時からの、NHK-BS23「世界じっかんリポート」でも紹介される予定。
ルスラン・イサーエフ/数日前、14歳と15歳の二人の少年が、チェチェン第二の都市アルグンの中央病院で死亡した。ロシア兵が少年たちに灯油を飲ませたためだ。
グロズヌイからアルグンの間の道路に設けられたチェックポイントで、酔ったロシア兵少年たちに踊り見せるように強要した。彼らが拒否すると、無理やり灯油をを飲ませ、道端に放り出した。
グロズヌイから来たチェチェン民警の一団が彼らを発見し、すぐに病院へと運んで行った。しかし翌日には中毒のために死亡したのだった。家族たちは医師に、こんなことになった原因についての診断書を書くことを求めたが、ロシア軍にあとで厳しくとがめられることを恐れ、医師は拒否した。
3月25日から4月1日の間、ツォタン-ユルトで行われた掃討作戦により、13歳から65歳の間の300人のチェチェン人が拘束された。うち、多数の市民が尋問により負傷して釈放されたが、全員が「不当な取り扱いを受けなかった」という文書へのサインを強要された。14人が現在も行方不明になっている。また、この作戦で3軒の家屋が破壊され、5軒が略奪を受けた。
先週**日にロシア軍のモルテンスコイ中将は「掃討作戦を行う際には、検察庁、地元民警と行政の代表の立ち会いを必要とする」との命令を布告したが、現在の状況は命令が単に口先だけのものでしかないことをが明らかになっている。
4月2日、アメリカ政府系の放送局ラジオ・リバティーがチェチェン語、チェルケス語によるラジオ放送を開始したことに対し、ロシア政府は米外交官を呼びつけて抗議するなど、抗議の姿勢を明らかにした(AFP,4/2)。しかしラジオ・リバティー側は、今後放送時間を延長すると発表している。チェチェン語放送は、再放送なども含めて1日2時間程と伝えられているが、戦禍にいるチェチェンの住民の関心を集めることはほぼ確実と思われる。
ラジオ・リバティーは、プラハに本部を置き、アメリカ議会が資金を提供している放送局。ロシア語、東欧諸国語による放送のほか、大規模なWebサイト(www.rferl.org)で情報を提供している。ロシア国内で次々に独立系のジャーナリズムが政府の圧力を受け、消えていく中で、チェチェン問題についての報道を続ける数少ない放送局となっている。今回のチェチェン語放送は2月にも開始される予定だったが、アメリカ国務省などがロシア側を刺激することを避けたため、延期されていた。