「ようやく少し助成がきまりました。今まで集まった募金は21万円です。ちょっとたらんね」。チェチェンニュース編集室に、こんなメールが届いた。チェチェン戦争による被害を受け続けている子どもたちへの支援を計画している、「チェチェンの子どもを支援する会」(東京都小平市、代表鍋元トミヨさん)に、東京国際交流財団から事業費の一部助成が決まった。
「支援する会」は、2月中旬から3月にかけて、現地NGOとともに、戦争によって教育の行われていない子どもたちのために、仮設の学校を置くプロジェクトを行う。現地のNGO、「チェチェン母親協会」が実施し、支援する会と共同で運営する。
全予算の94万円のうち、今回の助成額は30万円。これまで集まった21万円を差し引くと、差額の43万円は募金などで確保しなければならない。もうあと少しの頑張りで実行にこぎつけることができる。
代表の鍋元さんは「この小規模事業をやれば次回の申請などの時に実績となり、次につなげることができます。みなさんのご協力をおねがいします」と話している。チェチェンの子どもに支援する会のURLと募金口座は下記の通り。
・チェチェンの子供を支援する会ホームページ: http://www7.plala.or.jp/deti-chechni/ 募金口座: ・郵便振替口座番号 00180−0−57269 口座名称 チェチェンの子どもを支援する会 ・富士銀行八坂支店 普通 2545084 口座名称 チェチェンの子どもを支援する会
12月24日、チェチェンの隣国ダゲスタン共和国で裁判にかけられていたチェチェンのサルマン・ラドゥーエフ野戦司令官に、無期懲役の判決が下りたと、イタル−タス通信が報じた。ラドゥーエフ氏は、レジスタンスを率いて略奪とテロ、誘拐を行ったとして起訴されていた。1996年、第一次チェチェン戦争において、ラドゥーエフ氏はダゲスタンの町キズリャルにある病院を占拠し、2000人以上を人質にとり、包囲したロシア軍との戦闘中、70人以上の死亡者が出た。
12月28日、紛争の続くチェチェンの隣国、イングーシ共和国のルスラン・アウシェフ大統領が辞任した。これにより、33万4千人の人口と、チェチェンからの難民(推定14万8千人)をかかえるイングーシの政局は不安定さを増すと見られる。これまでアウシェフは一貫してロシア政府のチェチェン進攻政策を批判し、チェチェン独立派との和平交渉を要求してきた。
この辞任を受けて、当面はアフメド・マルサゴフ首相が政務を引き継ぐ。首都マガスでは大統領の留任を求めて4千人以上のデモが発生した。
アウシェフ大統領は47歳、チェチェン/イングーシ人の強制移住先のカザフフスタン生まれ。大統領としての任期は8年目。ソビエト時代は陸軍少将をつとめ、80年代のアフガニスタン進攻にも参加。ソビエト連邦英雄。
1月7日、ロシア陸軍、内務省軍の部隊に対してチェチェン側レジスタンスが攻撃を行い、チェチェン中部の町アルグンでの戦闘が激化しはじめた。ORTテレビの報道でも、少なくとも2人のロシア兵が死亡し、4人が負傷した。
1月26日、ロシア連邦中央との戦闘状態にあるチェチェン独立派政府のアスラン・マスハードフ大統領の5年の任期が満了する。マスハードフ氏は1997年の1月に、選挙によってチェチェン共和国大統領に就任した。最近のチェチェン防衛評議会(大統領を長とし、野戦司令官によって編成されている)の決定によれば、共和国大統領と議会の選挙は、現在の戦争終結まで延期されるという。
グラスノスチ財団のレポーターからの連絡によると、およそ200人の民間人の遺体が、Tsotsan Yurt 村で発見された。しかし遺族による遺体の引き取りに際し、ロシア軍は遺体がレジスタンスに参加した者であるという確認書への署名を要求すると同時に、身代金として1000ルーブルの支払いを求めている。
1月3日、チェチェンの首都グロズヌイのスタロプロミスロフスキ地区でロシア軍の装甲車1台がチェチェン側の攻撃を受け、ロシア兵1名が死亡した。同日、ノジ・ユルト地区のメスケチ村で、ロシア内務省軍の部隊が攻撃を受け、兵士1名が負傷した。クチャロイ地区では、警察署とロシア軍の事務所がチェチェン側の攻撃を受け、8人のレジスタンスが死亡した。ロシア側の被害は未発表。
グルジアのシュワルナゼ大統領は、アメリカ国務省のカスピ海資源担当顧問、ジャスティン・フリードマン氏と会い、バクー/トビリシ/ジャイハン間の石油パイプラインの安全問題について会談した。フリードマン氏は、パイプラインに対する破壊工作の可能性に対処するため、専門家を派遣してグルジア軍を支援する方策を検討していることを明らかにした。これに対してシュワルナゼ大統領は、パイプラインの安全保障が自国の安全保障と同等であると答えた。
ロシア軍の情報によると、1月3日から続いている、グロズヌイの東の町アルグンでの特殊作戦により、38人のチェチェン人が逮捕された。このチェチェン人は、先週、Tsotan-Yurtでの戦闘後にアルグンに逃げ込んでいたという。Tsotan-Yurtは包囲され、道路も封鎖されていた。また、ロシア軍のスポークスマンは、1月4日のアルグンへの爆撃によって犠牲者が出たとの報道を否定した。アルグンでは12月末には同様の作戦によって60人以上の市民がロシア軍に逮捕され、略奪も発生している。
1月8日、インターファックス通信によると、紛争の続くチェチェン共和国では、ロシア軍とチェチェン独立派の戦闘により、すくなくとも20人以上が死亡した。現在戦闘の渦中にあるアルグンは、6日ごろからロシア軍に包囲されている。8日はロシア正教のクリスマスにあたるが、戦闘は止んでいない。ロシア軍側の発表では、死亡したレジスタンスのひとりは、マゴメッド・グツイエフ野戦司令官。
同日、インターファックス通信はアルグン市内で、ロシア軍の包囲に抗議する数百人の市民のデモ行進が行われた。RIAノーボスチによれば、南部の町ヴェデノでは、親ロシアの行政府の関係者が自宅で殺された。親ロシアのチェチェン人は、独立派のチェチェン人から裏切り者と見なされ、これまでも数十人が殺されている。グロズヌイでは、ロシア人の老人の夫婦が自宅で死亡しているのが発見された。
1月9日、トルコ政府は、ロシア政府からの、モフラジ・ウドゥゴフ氏の引渡し要求に対して令状を要求した。ウドゥゴフ氏は主にトルコをベースに、99年のロシア軍の侵攻以来、スポークスマンとしての活動を続けてきた。
ロシアのヤストルゼムスキー報道官は、「トルコの対応を評価する。国際テロリズムに対する協力姿勢の現れだ」と発言。この引渡し要求は1年以上前にトルコに伝えられていたが、これまでトルコ政府の対応はなかった。ウドゥゴフ氏が送還された場合、ロシア政府に引き渡された初めてのチェチェン政府関係者となる。ロシアの司法当局によると、すでに令状は準備されているという。
(訂正:配信時点ではモフラジ・ウドゥゴフ氏をチェチェン議会外交委員長と表記していましたが、アヒヤド・イディーゴフ外交委員長と混同していました。ウドゥゴフ氏は在野の人物です。訂正します。2003.04.17)
昨年の12月末から、チェチェンでの戦闘が激化しはじめた。ロシア側の発表では90人以上のレジスタンスが死亡する戦闘もあったという。
昨年9月11日の同時多発テロ以来、チェチェン情勢は複雑さを増した。これは、チェチェンのイスラム教徒を中心としたローカルなゲリラたちが世界的なテロに参加しているという意味ではない。
「「9.11」後、西側諸国はチェチェン問題に触れなくなった。コソボ紛争が懸案だった頃は、チェチェンに侵攻したロシアをユーゴスラビアに重ね、「人道危機」を盾に政治解決を迫ったのに。自らが「テロとの対決に傾いた今、チェチェンは「鬼門」になってしまったらしい」(朝日新聞「地球儀-忘れられたチェチェン」、1/8 )
チェチェン問題を通して、ロシアは民主化の遅れと、少数民族への抑圧について、西側諸国から一定の批判を受けていた。しかしそれらの国々がアフガニスタンのイスラム原理主義勢力への攻撃に賛成するようになると、反動としてチェチェンはエアポケットになってしまった感がある。そんな時期だけに、このニュースの発行や、チェチェンの市民への支援という形での、地道な努力の必要を痛感している。(発行人)