11月21日から、数百人の民間人が、首都グロズヌイの南東の町シャリの中心部のロシア軍施設の前でピケを張り、ロシア軍がキロヴァ通りのいくつかの民家を襲撃したことに対して抗議を続けている。参加者たちは、この事件に対する捜査、犯人の処罰、略奪した資産の返還を求めている。
また、同様の被害を受けた近隣のアブチュリー、シェルゼン・ユルトの村落の住民もこの抗議に加わっている。これらの村落では、最近ロシア軍による大規模な掃討作戦が行われ、恣意的な拘束が行われていた。地区司令官はこの申し立てに対して調査を約束した。
11月23日、68人の人々が、チェチェンの隣国イングーシの首都ナズランから、チェチェンの町アルグンに設けられた仮設の住居に帰国した。多くは首都グロズヌイの住民である。これまでの戦争で、彼らの住居はほとんど完全に破壊されている。
帰国者の一人、ルイザ・バーシェゴヴァさんは、戦争の前はグロズヌイの中心部にあるミヌトカ広場の近くの9階建てのアパートに住んでいた。ロシア軍の空爆のために、この建物も今はなく、基礎がむき出しになっている。1999年に、ルイーザと2人の娘(3歳と7歳)は、戦乱を避けてグロズヌイからイングーシへ避難した。わずかな衣類を小さなバッグにつめて。それから2年間、彼女はカラブラクにあるキャンプで、一つの軍用テントを3家族で共用する生活を送ってきた。
ふたたび冬が巡ってきた。ルイーザは言う。「あそこでこれ以上生活をするのは無理です」と。もう1年前にテントは破損し、子供たちはたびたび風邪をひいた。ストーブからは1メートルと離れられない。これが、ルイザ・バーシェゴヴァが、生き延びるためにイングーシのテントを去り、アルグンのわずか一部屋の仮設住宅を選んだ理由である。「もちろん私も、アルグンにいるのは怖いわ」ルイーザはそう言った。「ついさっきも戦闘があって人が死んだばかり。けれど、子供たちは病気になるし、汚いテントの中で、知らない人たちと寝食を共にすることがどんなにつらいか・・・」
帰国した人々は、アルグンの第30職業訓練学校の中に居をかまえた。ここは町の東部で、たびたび戦闘の起こる工業地域が近い。親ロシアの行政担当者スルタン・ダウルベコフ氏によると、この場所は住まいを捜している人々にとって適切な場所だと言う。どの家族も1部屋を得て、電気とガス、暖房を得ることができるからだ。
チェチェンに戻ろうとする難民たちは、みな気が進まないのが本音だ。その理由は明白だ。チェチェンは相変わらず戦争に苦しんでいる。ロシア軍はいつまでも掃討作戦を繰り返しており、命の保障はない。公式筋はチェチェンに戻って新しい生活を始めるように宣伝しているが、たいていは難民に逆戻りしている。放浪を強要された人々の選択肢はあまりない。チェチェンに戻りはしても、ふたたび命の危険にさらされることに変わりはないのである。
11月25日、チェチェンのアフメド・ザカーエフ副首相は、進行中のロシア政府との和平交渉に関連して、「平和的解決を妨げるものは何もないと考えている」と、ロシアのNTVの取材に対して語った。
ザカーエフ氏は、今月18日にモスクワで開かれたロシア政府との会談の直後にも「非常に建設的な議論ができた。チェチェンでの戦闘を停止するための、新しいページが開けたと思う」と発言している。同氏はこの対話を、ロシア側による、国際社会へのプロパガンダのためとは考えておらず、紛争解決に向けた「真剣な」ものであるとつけ加えた。
しかしロシア政府側は18日の会談後は評価を控えており、現在もチェチェンでの和平交渉の下地はできておらず、会談はチェチェン独立派の武装解除をめぐって話し合われたとの立場をとっている。
11月26日、国連人道援助調整局(OCHA)は「北コーカサス人道援助機関合同アピール」の中で、チェチェン、イングーシ両共和国域内の難民数を31万人と発表した。アピールでは、現時点で凍結されている、チェチェン域内での援助機関の移動の自由とVHF無線の使用許可が降りれば、効果的な活動が可能であるとし、一部でロシア政府をけん制している。また、今年10月のチェチェンからの難民は8,000人に上り、チェチェンへの帰還者数を大きく上回っていることから、チェチェン内では平常な生活を送ることができないことを改めて強調した。
グルジア議会のニノ・ブルジャニゼ議長は、ロシアのメディアの取材に対し、現在係争中のアブハジア紛争について、ロシア軍主体の平和維持軍の撤退は求めないが、他のCIS諸国軍による兵力の補充を求める意向を明らかにした。同議長は、現在のアブハジア紛争に対して、ロシアによる平和維持軍が有効に機能しているかは疑問であるという。
ブルジャニゼ議長は発言の中で、「平和維持軍をロシアからトルコに替えろというのではない」とした上で、「この紛争によって1,600人もの民間人が死亡し、過去に2度にわたって全面戦争に発展しかけたのだ」(http://www.glasnostmedia.ru)と話し、平和維持軍として展開しているロシア軍が紛争深刻化の原因であることを示唆した。
グルジア共和国内で事実上の独立状態になっている「アブハジア共和国」との紛争では、ロシアがアブハジアの独立派勢力に支援することで紛争が泥沼化していると言われる。ブルジャニゼ議長の発言は、ロシアにいわば首の根を押さえられた形になっているグルジアの重い空気を反映している。
11月23日、チェチェン側によると、首都グロズヌイの第9病院の前を通りがかった十代の少年二人を、酔ったロシア兵が射殺した。同日遅く、目撃者が数えたところによると、少なくとも47人の民間人が、グロズヌイ市内と郊外で、ロシア軍の掃討作戦によって拘束され、暴行を受けていた。
11月20日から24日までつづいた、クチャロイでの掃討作戦により、少なくとも20人の民間人がロシア軍に拘束され、一人あたり100ドルから200ドルの身代金で解放された。
11月23日夜、グロズヌイの東の町、アルグンでロシア軍がチェチェン側の攻撃を受け、6人が死亡した。
11月24日、ロシア軍の装甲縦隊が、チェチェン側によるグレネード弾と機関銃による攻撃を受けた。1時間に及ぶ戦闘の後、トラック3台と装甲車1台が破壊された。
チェチェンの民間人に対するロシア軍の虐待行為はなお続いている。特に、南部のヴェデノとノジ−ユルトでは過酷な状況。11月25日、カットン、トブゼン、マケティの各村落及びバス河の流域はロシア軍によって包囲され、家屋への放火、略奪、身代金目当ての拘束が行われている。
ノジ−ユルトのベティ−マハ村から、現在奇妙な疾病が発生しているとの知らせが入った。村の子どもたちのほとんどが呼吸器に異常をきたした。すでにそのうち3人が死亡。数人はハサブユルトの病院に運ばれた。村人によると、この疾病は、村に向けて砲撃が行われた直後から発生している。症状を示した人は呼吸に苦しみはじめると共に吐き気をもよおし、下腹部に痛みを感じ、急速に体力が低下しているという。専門家のレフ・フュードロフ教授によると、この事件は生物・化学兵器の使用による可能性が高いとコメントしている。
11月25日、チェチェン南部山岳地帯の村落で、チェチェン国家防衛委員会が開かれ、野戦司令官たちを中心とする参加者はマスハードフ大統領の和平の方針を支持することで一致した。シャミーリ・バサーエフ司令官と、ヴァッハ・アルサノフ元副首相は、代理人が出席。司令官たちは11月18日にモスクワで行われた両国代表者の会談についての報告を受けたほか、今後の方針について決議したが、内容はまだ明らかにされていない。
チェチェンをめぐる状況が複雑化してきたので、少し勢力関係を整理してみたい。1999年10月から現在まで、ロシア陸軍、空軍、内務省軍が、北カフカスのチェチェン共和国に進攻しているため、独立派の穏健派指導者であるマスハードフ大統領を中心に、レジスタンス活動が続いている。
99年から2000年にいたる緒戦でのロシア軍の攻勢により、チェチェン側は南部の山岳地帯に追い込まれていたが、その後全土でゲリラ戦を展開している。2年以上に及ぶ戦闘により、ロシア軍は1万人を越える死者を出した。チェチェン側の犠牲者数は兵士、民間人とも集計されていない。
9月にプーチン大統領がチェチェン側に対して武装解除を求めたことから、チェチェン/ロシア両国の代表がモスクワで会談した。こうして和平への動きが芽生えつつあるが、戦闘はなお進行中である。
一方、チェチェンには、ロシアの後押しを受ける形で、アフメド・カディロフ氏を首班とする親ロシア政権が設置されている。チェチェン内部に存在する「氏族」同士の対立を利用した、ロシア側の支配政策である。しかし和平が実現すれば、親ロシア政権は存在意義を失うため、一貫してこれに反対している。
「第二次チェチェン戦争」と呼ばれるこの戦いがなぜ起こったかについては、チェチェン民族への迫害の歴史と、独立の結果としてロシアの政局と周辺地域の不安定化を恐れるロシア側の思惑とが交錯するところである。それについては今後の号で分析をしていきたい。
スタブロポリ地方で秘密に行われていた、99年の連続アパート爆破事件についての裁判が終わった。この裁判には、チェルケス人5名が、爆弾をカラチャエボ・チェルケシア共和国からモスクワに運んだとして起訴されたが、証拠不十分に終わり、凶器準備集合罪のような罪名で有罪となったという情報が入っている。ロシアによるチェチェン進攻のきっかけとなった事件だけに、詳しい情報があり次第伝えたい。
伝統的にロシアでは、カフカス人に犯罪者のイメージが重ねられることが多いが、「チェチェン人はテロリストである」というイメージは、この事件によって作り出された。不可解な裁判の進行と結果によって、テロがチェチェン人と無関係である可能性はさらに強まったといえる。
ここで犯人捜しをするほどの情報は与えられていない。「得をするのは誰か?」と、情況証拠を元に推理をすれば、ロシア政府のいままでのやりかたをなぞることになるかもしれない。チェチェン人はそうやって罪をかぶせられてきたのである。このことは、今の英米によるアフガニスタン攻撃にもあてはまるのではないだろうか。(発行人)