チェチェン総合情報

チェチェンニュース
Vol.01 No.28 2001.10.25

■チェチェンの子どもに学校を--- <主婦、鍋元トミヨさんのチェチェン支援>

この 10月で2年目を迎えた第2次チェチェン戦争。15万人もの難民が隣国のイングーシ共和国になだれこみ、さらに増加する見通しだ。そんななか、チェチェンの人々に、本格的な支援をしようという動きが始まった。今回のニュースでは、「チェチェン子どもを支援する会」の代表、鍋元トミヨさんにインタビューした。鍋元さんは東京都在住の3児の母。94年〜96年の第1次チェチェン戦争当時から、ボランティアとしてチェチェンのために行動してきた。

チェチェンニュース(以下CN):「チェチェン子どもを支援する会」という団体を立ち上げたとうかがいました。どのような団体なのでしょう。

鍋元トミヨ:去年の春、チェチェン母親協会のマディナ・マゴマドワさんが来日したとき、練馬区で彼女を招いた報告会を開いて、会場から700ドル程の募金を集めることができました。しばらくして、このお金をもとに、数台のミシンを買い入れ、難民キャンプに設置したという知らせがきたのです。700ドルでそういうことができるのなら、もっとチェチェンのために動きたいと思いました。今、二つのプロジェクトを進めています。一つは、女性たちの授産所のミシンなどをさらに増やすこと。もうひとつは、難民の子どもたちのための学校の開設です。

CN:資金はどのくらい必要ですか?

鍋元:私たちのプロジェクトでは、当初400万円ほどの予算を見込んでいます。これは資材の購入や、プロジェクトの間の最低限の人件費、それから日本からのモニタリングの費用を含んでいます。

CN:鍋元さんはどんなきっかけでチェチェンを知ったのですか?

鍋元:そうですね、94年のはじめ、第1次のチェチェン戦争が始まる前のことです。BSのワールドニュース・ロシアを見て「何かロシアが変な事を...」と思いました。その後ほんとうに戦争が始まってしまい、どうなることかと思っているところにチェチェン報告会がありました。戦争が終わってからは、97年に、チェチェンで行われた大統領選挙に、選挙監視ボランティアとして参加してきました。

CN:どんな国でしたか?

鍋元:とても活気があって、勤勉な人々の国でした。チェチェン人は、1944年にスターリンによって民族ごとカザフスタンに強制移住させられ、56年に名誉回復されて戻ってきたのですが、まさに何もないところからスタートしなければならなかったので、ある意味で当然ですね。それと、非常に誇り高い人達です!援助団体の人間が来ても、「何々がほしい、何々をしてくれ」というようなことは一切言わないんです。私が行ったのは97年のことですから、国中が立ち直ろうとして苦しんでいた時にもかかわらず。

私自身は、どちらかと言うと怠け者です。こうして活動をしているのは、他に誰もやってくれる人がいなかったからです。でも、チェチェンの人々の方を向いていることで、彼らに喝を入れられている気持ちがします。むしろ私の方が何かを受け取っている、という部分があるのです。

CN:ホームページで写真を見ましたが、とてもかわいい子どもたちですね。

鍋元:あの子どもたちはもうすぐ一人前の年ごろになります。悲しい事ですが、今のチェチェンで一人前になることは、戦士になることです。前の戦争から5年間、ほとんど学校教育がされず、子どもたちはロシアとの戦争ばかり見てきました。一番感受性の強い10代後半に、まず戦い方を覚えるというのは、子どもたちだけでなく、チェチェンの未来にとっても悲劇です。教育が行き届く事で、戦争によらない、チェチェンの明るい未来が開けると思います。

CN:学校づくりに向けた、現地の態勢はどうなのでしょう。

鍋元:子どものための学校の方は、先生方はいつでも授業に入れるよう、準備をしています。実際、優秀ならば大学まで只で進めた、ソビエト連邦の時代が長かったので、チェチェンには教養のある人材が大勢いるのです。女性のための授産所の方は、すでに小規模ながら動いていますから、これに必要な設備を追加してゆきます。

CN:今後の資金集めは重要ですね。

鍋元:ええ。今、いくつかの助成団体に資金助成を申請すると同時に、チラシを作ったりして一般寄付を募っています。助成金について言えば、実績がなければ助成金がつかず、助成金がないと実績が作りにくいという悪循環を感じています。もしチェチェンニュースの読者の方で、助成団体の関係者や、報道機関の方がおられたら、ぜひ協力してください。少しのことでも結構です。

CN:どんな形で協力することができますか?

鍋元:個人の方で、可能な方は募金をしてくださると、とてもありがたいです。もし報道関係の方が読んでおられれば、ぜひこういう活動があるのだということを、紙面で取り上げていただきたいと思います。私以外にも、最近チェチェンに実際に行ってきたメンバーもおりますから、詳しい取材に応じることができます。助成金について心当たりのある方は、アドバイスをお願いします。他にも、チラシを置いて下さったり、知り合いの方に手渡してくださるかたを探しています。

第1次戦争が終わった頃から、内部抗争が激化するという意味で「チェチェンはアフガニスタンのようになる」と言われてきました。今のアフガニスタンは、戦争・制裁・貧困で学校に行けない子どもたちが戦うことしかできなくなったという状況です。その意味ではチェチェンもアフガニスタン化しているでしょう。子どもが子どもらしい生活を送ることができない異常な事態が7年も続いているのですから。

チェチェンはもともと教育の程度は高く、国民はソビエト時代の他の民族と比べても、勤勉な方だったと思います。でも今のチェチェンの子どもたちが学校もなく、憎しみだけを見て育ったら、また戦争をするしかないのです。子どもたちはまず学校に通い、生きるための知恵を身につけなければなりません。

CN:ありがとうございました。

 ・チェチェンの子供を支援する会ホームページ:  http://www7.plala.or.jp/deti-chechni/

 ・鍋元トミヨさんのメールアドレス:  chechne@gray.plala.or.jp

 ・募金口座:  郵便振替口座番号 00180−0−57269  口座名称 チェチェンの子どもを支援する会

 ・富士銀行八坂支店 普通 2545084  口座名称 チェチェンの子どもを支援する会

■「武力では解決できない」パウエル国務長官、チェチェン紛争に言及/AFP、10/18

10月18日、アメリカのパウエル国務長官は、ロシアのイワノフ外相との香港での会談に先立ち、「ロシアに対してチェチェン問題の政治的解決を図るよう、要望する。軍事的な解決は不可能だ」と話した。一方で今週始め、安全保障担当のライス大統領補佐官は、イズベスチア紙の取材に対して、「チェチェンのリーダーたちには、テロ分子と手を切るように要望したい。われわれはチェチェンの内外にテロ分子がいることを確認している」と語った。

■戦闘状況/グラスノスチ財団、10/18

10月16日から17日にかけて、チェチェンの南部山岳地帯のレジスタンスのキャンプなどに対し、ロシア軍のSu-24攻撃機による爆撃が行われた。ロシア側の発表によると野営地2ヶ所と基地1ヶ所を破壊した。一方、17日の未明にはスタール・イタギとノヴィエ・アタギ、チリ・ユルト、ドゥバ・ユルトのロシア軍拠点に対してレジスタンス側の強襲が行われ、双方に大きな犠牲。同日、アルグン渓谷付近ではロシア軍の装甲縦隊が攻撃を受けた。

■グルジア領空への侵犯相次ぐ/ラジオ・リバティー、10/19

10月18日の午後、 4機のSu-25戦闘機がカバルディノ−バルカリア方面よりグルジア共和国上空に侵入し、グルジアとアブハジアとの紛争地域のコドリ渓谷上空を通過した後、ロシア領に引き返した。その後さらに6機のSu-25s機が同じルートを引き続き飛行した。ロシア空軍のドロビュシェフスキー報道官は、この日、南北コーカサス地域では一切ロシア軍機の飛行はなかったと声明。10月18日にグルジア外務省は駐グルジアのロシア大使に、領空侵犯に対する抗議の書簡を手渡した。

■国連ミッション、アブハジア入り/ラジオ・リバティー、10/19

10月17日、国連の当局者が、グルジア共和国から分離独立を求めているアブハジアの首相、および外務大臣と面会した。この中で、アブハジアのジェレニア首相は、「アブハジア政府は国連の介入と停戦監視軍の展開を歓迎する」と話した。この会談の後、国連PKO部門のヨアヒム・フッター氏は、「現在、コドリ渓谷で発生している戦闘を停止させなければならない。国連としてはグルジア政府とアブハジアとの対話を促進したい」と語った。

■チェチェン---無法と絶望の世界/プラハ・ウォッチドッグ、10/19

チェチェンの人々、特に山岳部に住む人々は、生死の境をさまよっている。人々は暖をとるために枝を拾いに出ることも、家にいることもできない。ロシア軍による、理由のない拘束が相次いでいるからである。拘束された者の多くは行方不明になるか、または死体となって道路上や村の周辺で発見されるかのどちらかである。

数日前、首都グロズヌイの南東、シェルゼン・ユルト村で、ロシア兵が2人の兄弟を逮捕した。ズカイラエフ家のノッカとビスランである。200人ほどの村人が、一緒になってロシア軍の地方司令部に出向き、兄弟の釈放を求めた。指揮官は、この件を調べてみると約束したが、その後何もない。

10月1日、チェチェン東部のベッチ・モック集落で、ロシア軍はバラカノフ家のハムザット(20歳)とイムラン(25歳)を拘束した。目撃者の一人によると、ロシア兵が2人の若者を、近くの森で木に吊り下げ、暴行した。翌日、二人の遺体は発見された。虐待の痕=削ぎ取られた耳、打ち砕かれた手足、無数の切り刻まれた傷も生々しく。

数日して、遺体が埋葬された後、ロシアの軍人がその遺体を掘り起こし、「この件を捜査して、犯人を処罰する」と約束した。捜査結果は知らされなかった。

10月5日、グロズヌイの南東、ドゥダイ・ユルト村での掃討作戦の際に、ロシア軍の兵士が、中学生のイブラギム・アブダカロフを拘束した。家族たちは、麻薬を打ったロシア兵が彼らの家にやってきて、少年を連れて行ったと証言した。イブラギム少年以外の非拘束者は解放されたが、少年に何が起こったかは、誰にもわからなかった。

首都グロズヌイの南東、サリ地区では、妊娠中のラナ・ウスマノーヴァ(35歳)がロシア兵によって殺害された。4児の母だった。彼女は車に乗って病院に向かう途中、ロシア軍の検問所で書類を調べられた。ロシア兵は運転手に通過を許可し、100メートルほど走ったところで突然、後方から銃撃した。こうして母親は死亡した。(北カフカス、ルスラン・イサーエフ記)

http://www.watchdog.cz/

■レジスタンスによる攻撃激化/グラスノスチ財団、10/21

10月19日、クチャロイ地区、ヴェデノ地区などのロシア軍拠点7箇所がレジスタンスによる攻撃を受け、ロシア兵20人が死亡、4両の装甲車両が破壊された。首都グロズヌイではロシア兵10人が死亡。第二の都市アルグンでは3人が死亡し、装甲車両2両が破壊され、その他にもナウルスキー、シェルコヴォスコエの2地区で8人のロシア兵が死亡した。

一方、チェチェン南部に対するロシア軍の空爆と砲撃が続行されている。これまでの1週間の間に、少なくとも17人の民間人が死亡し、20人が重傷。

■チェチェン人200人を逮捕/グラスノスチ財団、10/21

10月21日にグラスノスチが伝えたところでは、ロシア軍のチェチェン現地司令部は、ノザイ−ユルト地区のザンダクにて、200人から250人のチェチェン側レジスタンス部隊が投降したと、ラジオ"Echo of Moscow"に話した。ロシア軍の強力な空爆と砲撃によるものだという。

■ロシア軍の攻撃により民間人に犠牲/AFP、10/23

10月23日、チェチェンの首都グロズヌイの東、アルグンにて、ロシア軍の攻撃により6人の民間人が死亡した。チェチェンのニュースソースによると、ロシア軍は民間人の乗車したミニバスが検問所を通過した後、銃撃を浴びせたという。

■編集室より

鍋元さんは音楽が好きな、小柄なお母さんである。鍋元さんのように、チェチェンへの強い思いを持つ人や、あるいはロシアの不正義に対する怒りを感じずにいられない人が、いろいろなところにいる。

チェチェンに関心を持つ人々の気持ちが実を結ぶようにするには、どうしたらよいかが問題だ。今回紹介した運動は一つの可能性である。この他にも、チェチェンのために行動しようとしている人や団体のことを、チェチェンニュースで紹介していきたい。