チェチェン総合情報

どうしてチェチェン?(発刊の辞のようなもの)

2004.03.11 大富亮/チェチェンニュース発行人

 ここ1年以上企画を続けていた単行本、「チェチェンで何が起こっているの か」を、ようやく上梓する。チェチェンだけに内容を絞った本は、林克明の 「カフカスの小さな国」(小学館)以来7年振りになる。その間に第二次チェ チェン戦争が始まり、もう4年が過ぎた。

 「大富さんは普段何の仕事をしているんですか、なぜチェチェンのことを書 きつづけるんですか」と、知り合う人ごとに聞かれる。いつも答えにつまって、 「いろいろな偶然の結果です」などと、あいまいにする。一つ目の質問には、 私は、チェチェンとまったく関係のないアルバイトをしながら、ひとりで暮ら している、と答えられる。けれどもうひとつの「なぜ」に答えるには、少し考 えなければ自分にもわからない。

 1999年、美術系の大学を出たばかりの私は、小さな出版社にもぐり込ん では辞める日々を送っていた。身を入れて仕事を覚えようともしないくせに、 世の中のことを全部知っているような気分でいた。結局私は肝心の己を知らず、 いたずらに賃仕事を繰りかえして時が過ぎていった。それでも、何とか一人前 になる道が欲しかった。まるで浮浪児のようだったその頃、とあるNGOに拾われ ることになる。

 第二次チェチェン戦争はその時に起こった。独立を勝ち取ろうとしていた小 さな共和国が、内部からかく乱され、民主的に選挙された大統領は無力になり、 あげくロシア軍が無差別攻撃を始めた。三ヶ月のあいだの死者は数千を超えた。 グロズヌイという40万人の首都は見渡す限り瓦礫の野原になり、住民の大多 数は逃げ、運の悪いものは砲撃と爆撃で殺された。それがプーチンの「テロリ スト掃討作戦」なのだという。こんな犯罪と欺瞞が許されていいのか。

 ある日は冬陽が斜めに差す暗い午後、麻布台のロシア大使館の前で、参加者 わずか5人の反戦デモをした。またある日、たった一人で大統領あての抗議文 を手にしてその門を叩けば、見たこともない大勢の警察官たちにとり囲まれて 小突かれ、怒りと心細さに、目は真っ赤になった。大国に追い詰められている チェチェンを助けようとする人など、どこにもいないことの、これ以上ない 「たとえ」のようで、その痛いような無力感は今も忘れがたい。

 悔しさにつきまとわれる日々の中から、「チェチェン ニュース」が生まれた。

 最初は誰にも期待されなかったチェチェンニュースが、この新しい本につな がっている。共著者の林は外科医のように現地に立ち入り、読者の眼となって チェチェンの惨事を書き記した。私は内科医のように、遠いチェチェンから聞 こえるニュースに耳を傾け、その背景にある文脈と策謀を理解しようとした。 医師ならぬ書き手の知る処方はわずかだが、なぜこの戦争があり、私たちがこ れから何をするべきかが、明確な像を結ぶよう、力を注いだつもりでいる。

 ご一読くだされば幸い。