A.M wrote:
私は、チェチェン問題についてはテレビ報道しか見なかったので、「ロシアが民族独立運動に反対して虐殺を行っているのだな」と漠然と考えていました。今日、たまたまこのサイトを見て歴史の勉強をさせていただき、詳細な歴史的な事情が分かりました。
ただサイトの「チェチェン紛争とは何か?」を読んでいて、ひとつの疑問が上がりました。第2次チェチェン紛争の開始の状況です。サイトには、1999年8月に「チェチェンの野戦司令官のシャミーリ・バサーエフとハッターブが隣国ダゲスタンに侵攻した」とありますが、なぜチェチェン軍はダゲスタン共和国へ侵攻したのでしょうか?この一文だけ見ると、私にはチェチェンが侵略戦争を始めて、ロシアが集団的自衛権を発動して防衛戦を行ったように感じますが。
そうなると「チェチェン人をテロリスト呼ばわりする」ロシアの発言にも、説得力が増すように感じるのですがどうなんでしょうか?
率直な質問をありがとうございます。シャミーリ・バサーエフのダゲスタン侵攻については、わかっていない部分も多いのですが、人物について多少調べたところを書きますと、次のようになります。 http://chechennews.org/basic/biograph.htm#Basayev
チェチェン人たちのあいだでは、ダゲスタン事件は、ロシア側による挑発に、バサーエフが乗ってしまったという見方が一般的です。ただし、それを裏付ける確実な証拠は残されていません。
そこで、三つの点を確認しておく必要があると思っています。一つ目は、この事件当時、バサーエフはすでにチェチェン政府の役職を離れており、政府軍部隊を率いていませんでした(*1)。マスハードフ大統領は公式に非難もしていたはずです。二つ目は、チェチェンの政府が関与していない以上、事件は犯罪として追及されるべきだったこと。これについては、マスハードフとエリツィンが結んだ「ロシア連邦とチェチェン共和国の平和と相互関係に関する条約」(*2)に則って解決されるべきでした。三つ目に、その手続きを無視して、ロシア軍が侵攻を開始してしまったことが、最大の問題です。その後のチェチェンの人々の犠牲は10万人から15万人におよびます。これはロシア側の防衛戦争と呼べるものではありません。
私としては、ダゲスタン侵攻は、戦争を始めるための挑発だったのだと考えています。ロシア側にとっては、バサーエフの逮捕は問題ではなく、戦争を開始することが重要だったということです。その思惑は各組織ごとに違うと思いますが、おそらく軍部にとっては、第一次戦争の敗北の屈辱を晴らす目的があり、エリツィンにとっては、自分の後継者であるプーチンを、強力な指導者というイメージに仕立てて大統領まで押し上げるという目的があった。これに、プーチンの出身母体であるFSB(連邦保安局、旧KGB)が加わっているものと思います。
また、サイトを読んで感じられのではないかと思いますが、この事件があったために、国際社会にチェチェンを助けようという意思が芽生えたとしても、それは留保つきのものにならざるをえません。これもロシア側にとって有利です。
ダゲスタン侵攻については、小著「チェチェンで何が起こっているのか」(高文研刊)のp197‐204で多少詳しく触れています。また、ハッサン・バイエフの「誓い 〜チェチェンの戦火を生きた一人の医師の物語〜」も参考になります。
(*1)ダゲスタンに侵攻した部隊のほとんどは、チェチェンに亡命していたダゲスタン人によって構成され、チェチェンのゲリラは一部に過ぎなかったという意見(バイエフ、上掲書 p344 - 345)もあります。
(*2)ロシア連邦とイチケリア・チェチェン共和国の平和と相互関係に関する条約:http://chechennews.org/archives/peacetreaty.htm
大富亮 2005.04.22
大富亮 2005.04.19(04.22に、追加質問を受けて加筆) -->