チェチェン総合情報

ユーラシアからの手紙


南無妙法蓮華経

二〇〇三年十一月十三日
ロンドン

 本日、十一月十三日、ロンドン、ボウストリートの高等裁判所第一法廷において、ポストソビエト十二年間の最大の悲劇であるチェチェン戦争に画期的な法的判断が示されました。長期にわたったこの公判闘争は、ロシア側が国際指名手配したチェチェンリーダーの一人ザカエフ氏の身柄送還をめぐるものでしたが、かえってロシアが今日まで行なってきたチェチェン戦争全体と今日のロシアのありようが法の審判にさらされることになりました。
 ほぼ時間通り開廷された法廷にはジャーナリスト、傍聴者、三十人程で満員になるほどのささやかな場所ですが、ロシア政府側の姿はほとんどありません。
 裁判長が用意した判決文を淡々と読み上げていく言葉をききながら、あの美しくも誇らかなチェチェンの魂が傷つき苛まれ打ち捨てられていった絶望への時が脳裏を走りました。いま国際社会も欧米政府もあえて見据えようとしなかった二十一世紀の恥ずべき虚偽と欺瞞に、はじめて公正な法の光があてられていったのです。それは間接的に、ロシアのチェチェン戦争政策の醜さを浮き彫りにしてゆくものでした。
 判決にいたる詳細な法的根拠と議論は、そのひとつひとつが重要な問題ですが、今日それらを書き上げることはできません。
 裁判長は静かにおだやかな声で、ロシアが挙げた身柄拘束と強制送還、ロシアにおけるザカエフ氏の裁判の訴え、ザカエフ氏への罪状をすべて却下することを言い渡しました。
 ささやかながらもこれは、ポスト冷戦の危険なリアルポリティークの世界戦略の流れを逆転しうる重大な一瞬となりました。チェチェンの一般市民にとってこの判決は、巨大なガリアテの怪物に立ち向かう法的武器がはじめて与えられたことになります。市民的不服従と非暴力闘争への確固たる地平が拓かれました。
 英国の司法の独立と、ロシアの独裁的な権力者だけの虚偽にみちた「正義」とが、これほどはっきりと示されたことはありませんでした。
 英国は私の二十代後半と三十代のすべてを捧げた開教の地でした。それは御師匠様最晩年の生涯をかざる舞台となりました。その舞台、テームズ河畔バタシー公園に建つ御佛舎利塔に、夕刻お礼参りにおまいりしました。旧大ロンドン市議会の絶大な支援によって実現することのできた、ヨーロッパ冷戦終結と統合への道を開いた八十年代の平和運動の歴史的モニュメントです。
 晩秋のプラタナスの枯葉が宝塔と宝土に舞い落ち、夕闇のなかに心地よい香りを放つなか、美しい塔のまわりを太鼓を撃ってめぐりました。塔の厳かな静寂につつまれ、御師匠様との今生最後のお言葉をかみしめていました。
「イギリスに私は来ます。ロンドンでまた会いましょう」 
 今日、二十一世紀の人類最終戦争にいたるかも知れぬ危機のなかで、一条の光がロンドンの法廷でさし初めました。そのきっかけが、ロンドンから始まろうとしています。
 この二度にわたる暴虐きわまりないチェチェン戦争で多くの人々がチェチェンの地を逃れました。
グルジアに逃れた避難民達は国際機関、政府、秘密機関などの不正と立ち向かい、長期断食抗議などを過去一年間たたかいつづけましたが、追いつめられたぎりぎりのところで身ひとつで家族ぐるみでウクライナを経由し、深夜国境を突破し、スロバキアからオーストリアへ集団逃亡をはじめています。パスポートも身分証明書もなくした親子、女子供が冬の夜の道なき道を走って国境を越えて逃れていきます。彼らが当然受くべき法的保護も国際的保護も、幾年にもわたり存在していません。さらに数百家族がこのエクソドスへと待機しています。
 私はこの家族達が欧州の人権活動者、報道機関、法律家、政治家達の協力を得て、白昼堂々と公然の集団亡命の直接行動を準備すべきだと考えます。
今日のロンドンの判決は、その法的根拠になりうると考えます。彼らにはロシアへ強制的に追い帰される事を拒否する権利があります。 
 チェチェンに関わるもうひとつの新しい出来事は、現在、ウクライナの日本山妙法寺の道場に四名のチェチェンの若者が共に修行し、生活しています。チェチェンを逃れイングーシュで難民生活を余儀なくされた彼らは、第一次戦争が始まり、私達が母親の行進を組織してモスクワからグロズヌィ入りした一九九五年当時、まだ十二、三歳の子供でした。戦争以来、彼らにはまともな学校生活もなく、正規の教育を受けることができずに育ちました。
 法華経修行の道場で、彼らは一日五回の礼拝を守り、ラマダンの断食をつとめ、朝三時半に起床して朝一番の礼拝の後、日のあける前、食事をとります。そして日本山の朝と晩の二時間の修行に同席します。また、道場生活のつとめとして水くみ、まき割り、庭の掃除、ペチカの火番などに従事し、一日一時間ガンディの非暴力に関わる本や仏教の平和の教えについて勉強します。私は彼らをつれて十二月初め一週間の日本山の断食修行を中央アジアキルギスタンの天山道場でつとめ、十日頃にインドにわたり、正月いっぱいインドを巡る事にしています。
 彼らはチェチェン民族存亡の危機を救うためにガンディの非暴力、日本山の立正安国の世界運動を自ら学び体験し、さらに世界各地の戦争を解決し、平和樹立を可能とする真の宗教の和解と協力の道を歩む志を共にしています。
私はインドに彼らを留め、三月上旬までにロシア、モンゴル、中国の仏教徒と政府に、北朝鮮への東アジア仏教合同平和イニシャチブを呼びかけ、理解と支持をとりつけた上で北朝鮮入りを果たし、計画を協議し、明年春に日本にチェチェンの若者をふくめ十五名のお弟子達を招くつもりです。
 聖徳太子の十七条憲法制定千四百年にあたる日本仏教の東アジア平和建設の誓願として、鑑真和上招来のお佛舎利をいただき、韓国、中国を巡り、北朝鮮金剛山に全極東アジア仏教の不戦と和解の祈りを表わす仏舎利塔建立の運動を起こします。
チェチェンの若者の日本ビザ取得のため、また、ロシア、ウクライナ、中央アジアの日本山の徒弟の日本ビザのため、チェチェン関係の市民団体や法華経仏教国際交流会から招待状を年内にいただかなければなりません。三ヶ月のビザを申請すると同時に、中国、韓国のビザ申請もする必要があります。
 北朝鮮の核危機をめぐる複雑な諸問題を平和的に解決する本質的な大前提とし、アジア近代の対外世界戦略に翻弄されつづけたアジアの民衆の間に真の和解と信頼と協力の精神的文化的な運動が必須であります。
仏教三宝のアジア仏教文明は今こそ万国の平和共生の極宗として、その真価が問われています。
今日まで不思議と御師匠様のお志を世界に伝えてゆく道筋をたどることができました。現代の軌跡でありましょう。貧道無学の身のままに、如来神力品の無量の神力を現代に示す所以でありましょう。宿世の善根を真に喜ぶものであります。

多謝合掌
寺沢 潤世