チェチェン総合情報

アムネスティ発表国際メディア・ブリーフィング
(2004.06.23)

アムネスティ日本  Webサイト: http://www.amnesty.or.jp/メール: info@amnesty.or.jp

ロシア連邦:チェチェン共和国‐誰の目で見た「正常化」なのか?
要 約

AI Index: EUR 46/032/2004

ソビエト連邦の崩壊以来2度目となる、チェチェン共和国における紛争は、5年近く続 いている。ロシアおよび親連邦政府のチェチェン政府高官による、状況は「正常化して いる」との主張にもかかわらず、アムネスティ・インターナショナルは、紛争とそれに伴 う人権侵害は、「正常」からは程遠いと述べている。

アムネスティ・インターナショナルの報告書「ロシア連邦:チェチェン共和国‐誰の目 で見た「正常化」なのか?」(AI Index: EUR 46/027/2004)は、ロシアおよびチェチェ ン の治安維持部隊によって行われている人権侵害を明らかにしている。

法の支配の代わりに、「失踪」や恣意的拘禁、超法規的処刑、反政府武装勢力に よる攻撃が続いている。このような人権侵害は、その多くが戦争犯罪を構成している が、それを犯した者が免責されることが圧倒的に多く、実施された調査のほとんど は、よくても結論が出ず、加害者がつきとめられ裁判にかけられることはごく稀であ る。

報告書は、2004年の3月と4月にイングーシを訪れたアムネスティ・インターナショナ ル調査団の結果と、ロンドンの国際事務局による継続中の調査に基づいている。

チェチェン共和国での人権危機

2003年3月の新憲法採択と同年10月初めの大統領選挙は、チェチェン共和国の状 況を正常化しなかった。強かんや国際法に反する殺害行為を含む、超法規的殺害、 「失踪」、拷問が組織的に行われている。

ロシアとチェチェンのニュース・サービスは毎日、チェチェンでの銃撃や爆発について 報道している。これらの事件の多くは、市民の死亡につながっている。チェチェン行政 府の役人と警察官は、常にチェチェンの反政府武装グループのメンバーから狙われ ている。

超法規的殺人

2004年4月9日、チェチェンのシャリ地方のセルジェン・ユルト近くの峡谷で、地元の住 人が9人の男性の死体を発見した。遺体は拷問の跡とともに、銃弾による傷があった という。男性のうち8人は2004年3月27日の早い時間に、ロシア連邦軍によって、セル ジェン・ユルトからおよそ25kmのドゥバ・ユルトの村に拘禁されており、その時期、彼 らの消息は不明だった。

チェチェンの人権活動家である29歳のアスラン・ダヴレトゥアカエフが、切断された遺 体となって、2004年1月16日にチェチェンのグデルメスの町近くで発見された。アスラ ン・ダヴレトゥアカエフは2004年1月9日にロシア連邦軍によって拘束されたという。事 件についての刑事調査は現在まで結論が出ておらず、殺害の責任を負うべき者は誰 も確認されていない。

「失踪」

チェチェンでの紛争を特徴づける、「失踪」という深刻な人権侵害が続いている。  

2003年4月2日、グロズヌイの石油研究所の学生である22歳のアルトゥル・アクマトゥ カノフは、ロシア連邦軍の兵士と思われる男たちによって、自宅近くに拘束された。彼 の「失踪」から1年以上たつが、家族は今も彼のその後の状況と行方に関する知らせ を待っている。

2002年12月30日、ウルス・マルタン地方の装甲人員輸送車(APC)が、2台の車を止 めようとし、銃口を向け、1人の乗客を殺害し、残りの8人をAPCに引きずり込んだ。こ の8人はカンカラの北コーカサスにあるロシア軍の本部へと連行された。次の2日間、 男性たちのうち6人が、チェチェンの武装勢力との関係について尋問され、その間に 拷問を受け、その後解放された。アドラン・ドヴタエフとシャプルディ・イスライロフは解 放されず、「失踪」したままである。

2003年1月4日、ウルス・マルタンで、迷彩服とマスクを身に付けた男たちが、ティ ムールと呼ばれているアリ・サインディノヴィッチ・カダエフを連れ去り、彼の書類を調 べたとされる。彼のその後の消息は依然として不明である。

武力紛争において女性を標的とすること

 現在の武力紛争の初期に、アムネスティ・インターナショナルは、武装勢力のメン バーによって、強かんを含む拷問、虐待および「失踪」にさらされてきたチェチェン女性 たちの事例をいくつか記録している。2002年10月にモスクワの劇場で起きた人質事 件の際に、人質をとった者の中にかなりの数のチェチェン女性がおり、それ以来、複 数のチェチェン女性が、モスクワや北コーカサスにおいて、自爆攻撃に関与していると される。この結果、ロシアおよびチェチェンの治安部隊がチェチェン共和国内で女性を 狙うことが多くなったと考えられる。

2004年1月15日、ウルス・マルタン地方出身のエリザ・ガイタミロヴァは、家の近くで、 無標の車でやって来た、迷彩服とマスクを身に付けた数人の男によって止められた。 ロシア兵士とされる男たちは、彼女を連れ去り、彼女はそれ以来目撃されていない。 エリザ・ガイタミロヴァの夫は2001年に「失踪した」とされている。

アチコイ・マルタン地方出身の寡婦、ミラナ・オズドエヴァは2004年1月5日と9日に、ロ シア連邦軍のメンバーから、彼女が自爆攻撃の志願者だったという疑いについて尋 問された。彼女の隣人によると、2004年1月19日、数人の男が彼女の家に入り、彼 女を強制連行した。それ以来、ミラナ・オズドエヴァは目撃されていない。彼女の夫 は、最近のロシア軍との衝突で死亡した武装勢力の兵士であったと伝えられている。

2003年5月16日、15歳のアミナト・ドゥガエヴァと親戚で34歳のクルビカ・ジナブディエ ヴァは、武装しマスクをした濃い青の制服を着た男たちによって、クルビカの家から、 山岳地帯のシャトイ地方へと連れて行かれた。北コーカサスのロシア連邦軍の代表 者は、地元のテレビで、この2人の女性はテロの疑いで拘禁されていると宣言した。 彼女たちの母親は、娘たちの「失踪」後の政府対応が不十分であったとして、欧州人 権裁判所に訴えた。

2000年3月、18歳のケダ・クンガエヴァはロシア軍によって家から連れ去られた後、 強かんされ殺害された。2003年7月、ユリ・ブダノフ大佐は、彼女の殺害で10年の刑 を言い渡された。しかしながら、法廷の証拠は、彼女は死ぬ前に強かんされたことを 示していたにも拘わらず、彼女を強かんしたことで有罪になった者はいなかった。(こ の事例についての更なる情報は、Denial of Justice, AI Index: EUR 46/027/2002 http://web.amnesty.org/library/index/engeur460272002をご覧下さい)

非公式の拘禁場所における拷問と虐待

攻撃中に拘禁されたチェチェン人は拘禁され続け、しばしば非公式の拘禁場所で拷 問を受けている。2002年および2003年の5月に、欧州拷問防止委員会(CPT)は、グ ロズヌイにある、当時の非公式の拘禁場所であり、ロシア内務省の下の秘密諜報・ 調査局が運営していたORB-2を訪問した。CPTはこれを、「疑われる虐待の頻度およ び深刻さの点で突出した施設」であると指摘した。  

増えつつある非公式の拘禁場所の多くは、ラムザン・カディロフの指揮下にあると 言われている。ラムザン・カディロフはチェチェンの前大統領アフマド・カディロフの息 子で、2004年5月にチェチェンの副首相に任命された。

欧州人権裁判所へ訴えを起こした人びとへの報復

ロシア連邦における人権侵害に関する犯罪捜査は依然として不十分で、結論が出 ないまま終えられてしまうことも多く、裁判までこぎつく事例は稀である。結果として、 欧州人権裁判所に事件を持ち込むチェチェン人の数が増加している。そうすることで、 申立人自身やその家族が、嫌がらせや脅迫、死といった報復にさらされることにな る。  

2002年4月の軍事襲撃の間に11人の村人が「失踪」した後、アミール・ポカエフの 父であるシャルフディン・サンビエフと他9人のスタリェ・アタギ出身の人びとは、2003 年7月、欧州人権裁判所に訴えを起こした。2004年4月10日、約50人の連邦軍兵士 がポカエフの家に入り、家の中を捜索し、庭に隠れていたアミール・ポカエフの兄 (弟)アンゾールを銃殺したという。

イングーシ

イングーシで圧力をかけられているIDP

2004年の最初の数か月間、ロシア政府は、イングーシに住んでいる何千人もの避 難民(IDP)に圧力をかけ続け、チェチェンへの帰国に関して彼らが持っている十分に 証拠のある、安全に対する恐怖を無視して、彼らを送り返そうとした。政府は多くの場 合、イングーシに残りたいと望む避難民に、代替住居を提供するという約束を反故に した。チェチェンの首都グロズヌイで政府が運営している仮の宿泊施設は、当局が約 束した条件を満たさないものだった。

イングーシの閉鎖されたキャンプから来た避難民はアムネスティ・インターナショナ ルに、ロシアとチェチェンの政府役人は、彼らをチェチェンに戻ることを促すために、 「あめとむち」を用いたと語った。役人は、もし彼らがチェチェンに戻れば、損失財産に 対する補償を約束するが、彼らが戻らない場合には人道支援を打ち切ると警告した。 また法執行官は、もしチェチェンに戻らないなら、弾丸を撃ちこむか麻薬づけにするぞ と脅したという。

イングーシで悪化する人権状況

長い間チェチェン紛争の特徴であった人権侵害は、イングーシへと広がりつつある。 2003年には、国境を超えた攻撃が増加しており、イングーシの村やチェチェンの施設 が、連邦およびチェチェンの治安部隊と思われる者によって攻撃されたという複数の 報告がある。2004年の最初の数か月間に、多数の人びとが「失踪」したと報告され ており、人権団体は、多くの即決処刑、民間人の死傷につながるような攻撃があった ことを記録している。

免責

ロシアおよびチェチェン政府は、人権侵害の容疑に関する完全かつ独立した、公正 な調査、またこのような人権侵害の加害者を裁くことを、現在にいたるまで行なってい ない。チェチェンにおける市民への深刻な人権侵害に関する、一握りの警察や軍関係 者に対する起訴や判決は、チェチェンで報告されている人権侵害の規模やその行為 の重大さに十分取組んでいるものとはいえない。

2004年4月29日、ロストフ・オン・ドンの裁判所は、軍諜報機関の特別部隊のエドゥア ルド・ウルマン大尉と他の3人の隊員に対し、チェチェンでの特別作戦の間に6人の民 間人を殺害したことについて無罪判決を言い渡した。裁判所は、彼らは命令に従って いたので、その行動は罰せられるものではないとした。

グロズヌイ出身の教師であるアラウディン・サディコフは、2000年の春、特別暴動鎮 圧警察隊(OMON)のメンバーによって、グロズヌイのオクチャブルスキ地区にある警 察本署に拘禁され、拷問を受けた。ロシア連邦のチェチェン人権問題および市民的権 利と自由に関する大統領特別代表は、2001年、内務省からの部隊によって行われ た疑いのある違法行為に関する調査が開始されたものの、それ以来誰も裁判にか けられていないと述べた。

カンティ・マンシースク出身でOMONのメンバーであるセルゲイ・ラピンの裁判は、 2003年10月14日に、グロズヌイのオクチャブルスキ裁判所で始まった。セルゲイ・ラ ピンは、グロズヌイ出身で26歳のゼリムカーン・ムルダロフの「失踪」に関与したとし て起訴された。しかしながら、彼が心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患っており、他 にも彼がグロズヌイで裁判に出席することを阻む心理学的な問題があるという理由 で、彼の裁判は延期された。その後、2004年の初めに、セルゲイ・ラピンは武装警察 官としての職務に復帰したと報告されている。

チェチェン紛争と国際社会

数多くの国際人権条約の締約国として、ロシア連邦はその領土内の全ての人びと の人権を尊重し保護する義務を負っており、差別のない司法権を受け入れなければ ならない。チェチェンでの紛争において、これを怠ってきたことによって、しばしば政府 やその関係諸機関は不適切な対応に終始した。2001年9月11日の米国での攻撃の 前は、外国政府および国際機関は、チェチェン共和国における劣悪な人権状況に関 して、ロシア政府をより強く非難していたが、その後は国際人道法や人権の侵害に対 する批判の多くは沈静化してしまった。

1999年に紛争が勃発して以来、ロシアもその常任理事国である国連安全保障理事 会は、チェチェンにおける武力紛争でのロシア軍の行動に関して、特別な決議を何一 つ採択してこなかった。

2004年4月15日、国連人権委員会は、欧州連合が提出したチェチェン共和国の状 況に関する決議案を、3年目にして否決した。

自由権規約委員会や欧州安全協力機構(OSCE)、欧州評議会など、数多くの国際 機関や人権機関が、ロシア治安部隊やチェチェン武装勢力の行動を監視し、批判し 続けている。

勧告

アムネスティ・インターナショナルの報告書『ロシア連邦:チェチェン共和国‐誰の目か ら見た「正常化」なのか?』は、ロシア連邦政府およびチェチェン共和国の行政府、 チェチェンの反政府武装グループ、他の国々の政府、欧州評議会への勧告を行って いる。その勧告の中でアムネスティ・インターナショナルは、チェチェン紛争における人 権侵害を止め、加害者を裁きにかけ、被害者への補償を確実に行うための措置が必 要であることを強調している。

AMNESTY INTERNATIONAL

Media Briefing



AI Index:      EUR 46/032/2004    (Public)
News Service No:   154

Embargo Date: 23 June 2004 01:00 GMT


    Russian Federation: Chechen Republic - "Normalization" in whose eyes?
                                  Summary


The second armed conflict in the Chechen Republic since the break-up of the
Soviet Union has continued for nearly five years. In spite of repeated
claims from Russian and pro-Moscow Chechen officials that the situation is
'normalizing', Amnesty International states that the conflict and the
accompanying human rights abuses which continue are far from "normal".

      Amnesty International's report Russian Federation: Chechen Republic -
"Normalization" in whose eyes? (AI Index: EUR 46/027/2004
http://web.amnesty.org/library/index/engeur460272004) exposes human rights
violations carried out by Russian and Chechen security forces.

      Instead of the rule of law, "disappearances", arbitrary detentions
and extrajudicial executions and attacks by armed opposition groups
continue. Such abuses, many of which constitute war crimes, are
overwhelmingly committed with impunity, the majority of investigations
which are undertaken are at best inconclusive and very few perpetrators are
ever identified and brought to justice.

      The report is based on the findings of an Amnesty International
delegation which travelled to Ingushetia in March/April 2004 and ongoing
research from the International Secretariat in London.


THE HUMAN RIGHTS CRISIS IN THE CHECHEN REPUBLIC
The adoption of a new constitution in March 2003 and the presidential
elections in early October of the same year have not normalized the
situation in the Chechen Republic - extrajudicial killings,
"disappearances" and torture, including rape and unlawful killings occur
systematically.

      Russian and Chechen news services report daily about shootings and
explosions in Chechnya. Many of these incidents result in the killing of
civilians. Members of the Chechen administration and police are regularly
targeted by members of armed Chechen opposition groups.


Extrajudicial Killings
   On 9 April 2004 local residents found the bodies of nine men in a ravine
   near Serzhen-Yurt in the Shali region of Chechnya. The bodies reportedly
   bore gunshot wounds as well as marks of torture. Eight of the men had
   been detained in the early hours of 27 March 2004, reportedly by Russian
   federal forces, in the village of Duba-Yurt, approximately 25 kilometres
   from Serzhen-Yurt and their whereabouts were unknown at the time.

   The mutilated body of Chechen human rights activist, Aslan Davletuakaev,
   aged 29, was found near the town of Gudermes in Chechnya on 16 January
   2004. He was reportedly detained by Russian federal forces on 9 January
   2004. Criminal investigations into the incident have been inconclusive
   and to date no one has been identified as responsible for the killing.


"Disappearances"
"Disappearances", a grave human rights violation which has characterized
the conflict in Chechnya, continue.

   On 2 April 2003, Artur Akhmatkhanov, a 22-year-old student of the Oil
   Institute in Grozny, was detained near his house by men who appeared to
   be members of the Russian federal forces. More than a year after his
   "disappearance", his family is still waiting for news of his fate and
   whereabouts.

   On 30 December 2002, an armoured personnel carrier (APC) in the Urus
   Martan region tried to stop and reportedly opened fire on two cars,
   killing one passenger and dragging the remaining eight into the APC. The
   eight were taken to the headquarters of the Russian Armed Forces in the
   North Caucasus in Khankala. During the following two days, six of the
   men were released, after having been reportedly subjected to torture and
   ill-treatment while being questioned about their alleged contacts with
   Chechen fighters. Adlan Dovtaev and Shaprudi Israilov were not released
   and have since "disappeared".

   On 4 January 2003 men in camouflage uniforms and masks in Urus-Martan
   took away Ali Saindinovich Khadaev, commonly known as Timur, allegedly
   to check his papers. His fate or whereabouts are still unknown.


The targeting of women in the armed conflict
During the first period of the current armed conflict Amnesty International
has documented several cases of Chechen women who had been subjected to
torture, including rape, and ill-treatment, or "disappearances" by members
of the armed forces. A significant number of Chechen women were among the
hostage-takers during the hostage-taking incident in a theatre in Moscow in
October 2002 and since then, several Chechen women have reportedly been
involved in suicide bombings against targets in the North Caucasus as well
as in Moscow. This appears to have resulted in an increase in the targeting
of women in the Chechen Republic by Russian and Chechen security forces.

   On 15 January 2004 Eliza Gaitamirova from the Urus-Martan region was
   stopped near her house by several men wearing camouflage uniforms and
   masks, who arrived in unmarked cars. The men, reportedly Russian
   soldiers, took her away, and she has not been seen since. Eliza
   Gaitamirova's husband had reportedly "disappeared" in 2001.

   Milana Ozdoeva, a widow from the Achkhoi-Martan region, was questioned
   on 5 and 9 January 2004 by a member of the Russian federal forces about
   allegations that she wanted to become a suicide bomber. According to her
   neighbours, on 19 January 2004 several men entered her house and forced
   her to go with them. She has not been seen since. Her husband is
   reported to have been a fighter who died in a recent clash with Russian
   forces.

   On 16 May 2003, Aminat Dugaeva, 15, and her relative, Kurbika
   Zinabdieva, 34, were taken from the latter's home in the mountainous
   region of Shatoi by armed, masked men in dark blue uniforms. A
   spokesperson for the Russian federal forces in the North Caucasus
   reportedly announced on local TV that two women had been detained under
   suspicion of terrorism. Their mothers have filed cases with the European
   Court of Human Rights as they considered that the authorities' response
   following the "disappearance" of their daughters has been inadequate.

   In March 2000, 18-year-old Kheda Kungaeva was taken from her home by
   Russian forces and subsequently raped and killed. In July 2003 Colonel
   Yuri Budanov was sentenced to 10 years' imprisonment for her killing. No
   one, however, was ever charged with raping her, although forensic
   evidence indicated that she had been raped prior to her death. (For
   further information on the case see: Denial of Justice, AI Index: EUR
   46/027/2002 http://web.amnesty.org/library/index/engeur460272002)


Torture and ill-treatment in unofficial places of detention
Chechens detained during raids continue to be held and often tortured in
unofficial places of detention. In 2002 and in May 2003, the European
Committee for Prevention of Torture (CPT) visited ORB-2, a then unofficial
place of detention located in Grozny and run by the Operative and Search
Bureau under the Russian Ministry of Interior. The CPT considered it to be
an establishment which "stands out in terms of the frequency and gravity of
the alleged ill-treatment".

      It is alleged that a growing number of unofficial places of detention
run by members of armed units under the control of Ramzan Kadyrov, the son
of the late Chechen President Akhmad Kadyrov, who was appointed deputy
prime minister of Chechnya in May 2004.


Reprisals against applicants to the European Court of Human Rights
Criminal investigations into human rights violations in the Russian
Federation remain inadequate, are frequently closed without a conclusion
and the cases rarely ever get as far as a courtroom. Consequently, an
increasing number of Chechens have decided to take their cases to the
European Court of Human Rights; in doing so they have opened themselves and
their families up to reprisals including harassment, threats and even
death.

   Sharfudin Sambiev, the father of Amir Pokaev, and nine other people from
   Starye Atagi filed an application in July 2003 with the European Court
   of Human Rights after 11 individuals from the village had "disappeared"
   during a military raid in April 2002. On 10 April 2004 some 50 members
   of the federal troops reportedly entered the Pokaevs' home, searched the
   house and shot dead Amir Pokaev's brother Anzor, who was hiding in the
   garden.


INGUSHETIA


IDPs under pressure in Ingushetia
During the first months of 2004, the Russian government continued to
pressure thousands of internally displaced persons (IDPs) living in tent
camps in Ingushetia into returning to Chechnya, ignoring their well-founded
fears about the security situation there. The government has, for the most
part, failed to fulfil previous promises to provide IDPs who wish to stay
in Ingushetia with alternative accommodation there. The conditions in
government-run temporary accommodation centres in the Chechen capital
Grozny reportedly do not correspond with promises made by the authorities.

      IDPs from closed down camps in Ingushetia told Amnesty International
that Russian and Chechen officials had used a combination of threats and
incentives to encourage them to return to Chechnya. They said officials
promised them compensation for lost property should they return, and
threatened they would lose their right to humanitarian aid if they did not.
They also said law enforcement officials had threatened to plant bullets or
narcotics on them if they did not go back to Chechnya.


The deteriorating human rights situation in Ingushetia
The human rights violations that have long been the hallmark of the
Chechnya conflict are spilling over into Ingushetia. During 2003, there
were reports of an increasing number of raids across the border, where
Chechen settlements as well as Ingush villages were targeted by what
appeared to be federal and Chechen security forces. During the first few
months of 2004, dozens of people have reportedly "disappeared" and human
rights groups have documented a number of summary executions and attacks
against civilians resulting in deaths and serious injuries.


IMPUNITY
The Russian and Chechen authorities have failed, and continue to fail, to
carry out thorough, independent and impartial investigations into
allegations of human rights abuses and to bring suspected perpetrators of
such abuses to justice. Charges against and sentences handed down to the
few police and military personnel that have been prosecuted for serious
human rights violations committed against civilians in Chechnya fail to
address the gravity of the acts as well as the scale of human rights
violations reported in Chechnya.

   On 29 April 2004 a court in Rostov-on-Don found Captain Eduard Ulman and
   three other officers of a special unit of the military intelligence not
   guilty of the murder of six civilians during a special operation in
   Chechnya. The court found that their actions were not punishable as they
   had followed orders.

   Alaudin Sadykov, a teacher from Grozny, was detained and tortured in
   spring 2000 by members of a special riot police (OMON) in a police
   station in the Oktiabrskii district in Grozny. The office of the Special
   Representative for the President of the Russian Federation on Human
   Rights and Civil Rights and Freedoms in the Chechen Republic stated in
   2001 that investigations into alleged unlawful actions committed by a
   unit from the Ministry of Interior had been opened, but since then no
   one has been brought to justice.

   The trial of Sergei Lapin, a member of the OMON from the Khanty-Mansiisk
   region, started on 14 October 2003 at the Oktiabrskii court in Grozny.
   Sergei Lapin has been accused of involvement in the "disappearance" of
   26-year-old Zelimkhan Murdalov from Grozny. However, it has been
   reported that his trial was postponed on the grounds that he was
   suffering from post-traumatic stress disorder and other psychological
   problems which prevented him from attending the trial in Grozny. It has
   since been reported that in early 2004 Sergei Lapin returned to work as
   an armed policeman.


THE CHECHEN CONFLICT AND THE INTERNATIONAL COMMUNITY
As a signatory to a number of international human rights treaties, the
Russian Federation is obliged to respect and protect the human rights of
all people within its territory and subject to its jurisdiction without
discrimination. Its failure to do so during the conflict in Chechnya has
more often than not produced inadequate responses from governments and from
some inter-governmental bodies. It has been noted that prior to the attacks
in the United States on 11 September 2001, foreign governments and
international bodies were more inclined to take the Russian Federation to
task for its appalling human rights record in the Chechen Republic, but
since then, much criticism of the violations of international humanitarian
law and human rights has been muted:

   Since the outbreak of this conflict in 1999, the United Nations'
   Security Council, of which Russia is a permanent member, has not once
   adopted a specific resolution about the conduct of the Russian forces
   during the armed conflict in Chechnya.

   On 15 April 2004 the UN Commission on Human Rights, for the third year
   running, rejected an EU-sponsored draft resolution on the situation in
   the Chechen Republic.

      A number of international bodies and human rights mechanisms, such as
the UN Human Rights Committee, the Organization for Security and
Cooperation in Europe (OSCE) and the Council of Europe, continue to monitor
and criticize the conduct of Russian security forces and the Chechen
fighters.


RECOMMENDATIONS
Amnesty International's report Russian Federation: Chechen Republic -
"Normalization" in whose eyes? makes recommendations to the government of
the Russian Federation, the administration of the Chechen Republic, Chechen
armed opposition groups, governments of other countries and the Council of
Europe. In its recommendations Amnesty International stresses the need for
measures to stop the human rights abuses in the context of the conflict in
Chechnya, to bring the perpetrators to justice and to ensure redress for
the victims.


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川上園子
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