2003年6月6日、ラジオ・リバティーのプラハ本部での会見で、ルスラン・ハズブラートフ・元ロシア連邦最高会議議長は、次のように語った。
1990年の4月10日、ゴルバチョフ・ソビエト連邦大統領は、ソ連邦内の自治共和国の地位を格上げし、ソ連邦構成共和国と同等とする法律(ソ連邦権限区分法)に署名した。ロシア共和国内の自治共和国は、ダゲスタン共和国を除いて(*1)順次、主権宣言を行い、ロシア共和国はそれを承認した。
これにより、1991年12月のソ連邦崩壊より前に、各自治共和国は国名から「自治」という用語を削除しており、法的にはすでにロシア共和国の一部ではなく、独立する権限を有していた。
他の自治共和国と同様に、チェチェン・イングーシ自治共和国は、1990年の11月(*2)に主権宣言を行い、適切に権利を行使した。ハズブラートフ自身は、1992年3月(*3)のロシア連邦条約を推進することで、ロシア共和国の崩壊を防ぐ努力をした。だが、チェチェン(およびタタールスタン)が同条約への調印を拒否している限り、ロシア憲法と国際法の観点から、チェチェン共和国を独立した主権国家とみなすべきだと結論した。
RFE/RL NEWSLINE Vol. 7, No. 106, Part I, 6 June 2003
(*1 ダゲスタンの主権宣言は翌1991年5月13日にずれ込んだ。 *2 チェチェン・イングーシ共和国の主権宣言は1990年11月27日。1992年にチェチェン、イングーシは2つの共和国に分割され、イングーシはロシア連邦内にとどまった。 *3 ロシア連邦条約は1992年3月31日に正式調印。ハズブラートフはチェチェン人の政治家で、当時はロシア共和国最高会議第一副議長。エリツィンの側近であり、連邦条約をめぐる政治の中枢にいた。訳注)