ロシア人の女性記者による、チェチェン情勢の分析記事。今年8月にはチェチェン領内でロシア軍の大型ヘリがチェチェン軍に撃墜され、118人もの死者を出した。莫大な犠牲を払っているにも関わらず、ロシア軍はなぜチェチェンでの戦争をやめようとしないのか?
この記事が発行されたのは2002年春だが、モスクワ人質事件の反動でロシア軍の撤退の可能性が遠のく現在の状況の、背景をよく説明している。チェチェンニュース Vol.02 No.07 2002.05.01より再掲載。(2002.11.05.大富亮/チェチェンニュース)
シャノバール・シェルマトヴァ/モスクワ・ニュース記者/2002.04.04.
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、チェチェンの泥沼から脱出するための新しい方策を探っている。だが連邦軍はそれに積極的ではない。
モスクワで3月半ばに開かれたロシア政府の安全保障会議で、プーチン大統領はチェチェン問題についての新しい考えを参加者に求めた。すでに2年半が経過した第二次チェチェン戦争で、政治的解決の試みはすべて失敗している。
会議の参加者の一人によると、4月末に再び安全保障会議が開催される予定だが、その際「チェチェンの武装解除と平和創出」という新しい提案が検討されるという。チェチェンの政治家でビジネスマンでもあるマリク・サイドラーエフ氏は、独特な提案を明らかにしている。それは、武装解除のための方策を民間から募り、有力な解決策には賞金を出す。その賞金はチェチェン人社会からの募金を募るというものだ。
別個にロシア政界で真剣に検討されているのは、現在分離しているチェチェン共和国とイングーシ共和国を再統合するというものである。モスクワ在住のあるチェチェン人コンサルタント(CN註: ハズブラートフ・元ロシア最高会議議長と思われる)は、この提案が両共和国からどのように迎えられるかの分析を、クレムリンから依頼されていると話した。チェチェン人とイングーシ人は、カフカス人のグループの中で非常に近い民族的関係にある。
ソビエト時代には、チェチェン・イングーシ自治共和国を構成していたが、ソ連崩壊後、チェチェンのジョハル・ドゥダーエフ大統領(当時)が独立宣言をした後で分離した。
前出のチェチェン人によると、中央政府はこの再統合案に対して積極的だ。もし実現すれば、チェチェンのマスハードフ政権はその正統性を失う。4月1日、連邦評議会議員であるレオニード・ロケツキー氏は、「チェチェンとイングーシを再統合する案は、その大統領を連邦側から指名するならば、よいアイデアだ」と、インターファックス通信に対して語った。
モスクワのチェチェン人の一人は、「この提案が認められれば、次期大統領はムラート・ジアジコフになるのだろう」と話している。ジアジコフは南部連邦管区の副代表で、イングーシ人。元連邦保安局要員(旧KGB)である。この人事はイングーシ側にとって再統合を受け入れやすくするという観測もある。ジアジコフはイングーシの大統領選挙にも立候補している。(CN註: 実際に2002年春、ジアジコフ氏はイングーシの大統領に就任。その後イングーシではチェチェン人難民排斥の動きが強まっている)
しかし、先のコンサルタントによると、再統合案には重大な問題点がある。このままではチェチェンの抵抗勢力との問題解決はできないというのだ。「掃討作戦」がチェチェンで行われ、民間人の行方不明が多発している限りは、こういった被害者の家族親類から、武器を持ってロシア軍に反抗しようとする人々はあとを絶たないだろう、というのである。チェチェン問題についての政治的解決の模索は、1年以上にわたって続けられているが、いまだに実行されていない。クレムリンはこの間、チェチェンの余剰部隊を削減し、チェチェン駐留の部隊を兵舎から出さず、チェチェンの親ロシア政権に武装を譲り渡して地の利を得たチェチェン人の部隊に軍事作戦を任せるプランを発表しているが、これも実現していない。
すくなくとも昨年の春までは、ロシアのイワノフ国防相はチェチェンの余剰部隊の撤退を表明していた。当時の非公式の数字では10万人以上の陸軍、内務省軍がチェチェンに駐留していた。計画では陸軍の1個師団と、内務省軍の1連隊を撤退させる予定だったが、わずかこれだけの撤退も実現できなかった。
現在、チェチェンにおける親ロシア政権の副首相を務めるガンタミロフ氏によると、8万人のロシア軍がチェチェンに駐留している。これを裏付ける公式発表はないが、最近、南部連邦管区の幹部が発表したところでは、内務省軍は4万7千人まで縮小されるとのことだが、現在どうなっているかは確認されていない。
ロシア軍は、チェチェン側の兵士の人数しか発表していない。しばらくの間、ロシア側は1500人から2000人のチェチェン人が抵抗していると発表していたが、現在は400人程度に減ったという。すると、8万のロシア軍が、たった400人のチェチェン軍と戦いつづけているということになる。連邦軍はチェチェンで一体何をしていて、なぜ撤退できずにいるのか?
昨年夏に行われたある調査によると、軍の将校と兵士は石油の闇取引を副業としていた。調査の集計値は興味深いものだった。毎日、数十万ドル相当が闇取引されているというのだ。昨年、チェチェンの親ロシア政権のカディロフ行政長官は、連邦政府の安全保障会議に対して、チェチェン領内での石油製品の盗難について発言し、プーチン大統領はこの情報を確認した。ロシア政府はその後「石油作戦」を開始し、内務省に対して調査を命令した。 この「作戦」はまる1年続けられ、チェチェンをはじめ北コーカサス全体が対象となった。内務省とFSB、軍情報部(GRU)からなる特別部隊が、現在も対処している。
しかしこの問題がなくならない理由は明白。この商売からは莫大な利益が上がるのだ。石油を積んだトラックを、毎晩検問所を目をつぶって通すだけで、軍の将校には300ドル以上の袖の下が入る。そういった検問所は、たとえカディロフ行政長官のような親ロシア政府の閣僚でさえも、書類がなければ通れないのだが。
クレムリンのチェチェン政策をサボタージュしているのはこうした状況だ。上級将校たちにとってプーチンは災いだ。99年の「対テロ作戦」開始当初から、戦争遂行に対する白紙委任状を受け取ったはずだったが、今は市民に対する武力行使に制限がかけられようとしている。しかしチェチェンからの撤退の意味するところは、莫大な利益を生む商品を手放すことでもあるのだ。
先週、チェチェン駐留軍のモルテンスコイ将軍は、共和国内での兵士の綱紀粛正についての命令を出した。この命令のもとでは、チェチェンの住民を逮捕する時、兵士は官姓名を名乗らなければならず、規則によって逮捕についての書類を政府の官僚に手渡さなければならない。 この新しい規則は、軍隊の恣意的な行動を止めるために出されたものと思われる。しかし、ツォタン−ユルト村の住民たちが先週訴えたところでは、残酷な「掃討作戦」が村で行われているといい、少なくとも状況がかわった兆しは見られないのが現状である。
原文:
http://www.iwpr.net/index.pl?archive/cau/cau_200204_123_1_eng.txt
IWPR: Institute forPeace and War Reporting 戦争報道に関するNGO。本部ロンドン。