チェチェン総合情報

将軍たちはチェチェンから撤退を考えている

パーヴェル・フェリゲンガウズル/軍事評論家(モスクワニュース、2001.06.19, 25号)

ロシア軍内部に広がる失望

チェチェンの現在の状況は、1996年の夏を想起させる。当時も公式見解では、正常化が進み、ザブガーエフ行政府長官は、それなりに状況をきちんと掌握し、復興をすすめ、レジスタンスたちは、連邦保安局、内務省、地元チェチェン民警によって息の根をとめられつつあり、地元民も彼らを支持しなくなっているとされていた。実際にはゲリラによる地雷戦が行われ、毎日死者が出てはいたものの、全般的には状況は沈静化したように思われていた。しかし、ロシア軍の理性的で優れた高官たちの間では、作戦は失敗し、占領を続けても日々抵抗が強まるだけで、撤退すべきだとの見方が広まっていった。

96年の撤退劇

1996年8月、住民たちの支援のもとに、独立派レジスタンスたちは首都グロズヌイの守備隊と、同市に援軍として送り込まれたロシア軍の装甲縦隊を打ち破り、その結果ハサブユルト和平合意が締結された。むろん、軍関係者の間では、ハサブユルト合意締結は裏切り行為であり、あと2−3週間もすれば、敵方は殲滅されていたはずだと当時も今も言われている。もっとも、歴史を振り返ってみても、将軍たちが敗北の責任を認めたためしはなく、軍人とは、危険に身をさらし、犠牲を強いられる存在だというわけだ。いずれにせよ、ハサブユルト和平合意に調印した安全保障会議の書記、アレクサンドル・レベジ退役将軍が突然、解任された96年秋でさえも、ロシア軍は待っていましたとばかりにチェチェンから撤退していった。

「チェチェンからいかに撤退するか?」

今また、最良のロシアの軍人は、チェチェンからいかに撤退するかについて、真剣に考えはじめているらしい。だがむろん、撤退しても行き場のない将軍たちもいれば、ありとあらゆる責任を一挙に負わせられることを恐れている将軍たちもいる。彼らは、避けることのできなかった恥辱的な全面的敗北、戦争犯罪と略奪行為、何十億ルーブルもの参戦割増金の支払いにおける乱脈ぶりと不正、といったことに対する責任を問われることを恐れているのだ。

勝利は手遅れに

北カフカス軍管区司令官のゲンナジー・トローシェフ将軍は、一人に対していくらと懸賞金を約束してレジスタンスの首領を捕え、見せしめとして捕まえた首領たちを広場で絞首刑にすべきだと相変わらず主張している。しかし、トローシェフ将軍のような高位の将軍たちの間で、こうした向こう見ずな主張は、共感よりも嘲笑を買っている。チェチェン人に同情する者はいないし、戦争犯罪のことなど誰も問題にしていない。ジュネーブ協定がどうした、戦争中に、そんなことに構っていられるか、というわけである。しかし専門家たちには、必要だったのは、作戦開始後、1−2週間のうちの「首領」たちを「中立化」することであり、それができていれば勝利の望みはあったが、今やもう手遅れだということが分かっている。

暴力の悪循環/和平へのきっかけ

将軍たちによれば、チェチェンは暴力の悪循環に陥っているという。住民は独立派レジスタンスを支援し、首領たちを匿っている。まともな装備も持たず、十分な訓練も受けていないロシア部隊は、彼らにとって敵対的な住民を仕返しのために襲撃する。それが住民の憎悪をさらにつのらせ、住民をレジスタンス支持に傾かせる。ところで、セルゲイ・イワノフ国防相の説明によると参戦割増金の多くが横領されたため、5月には参戦割増金の支払いが中止された。チェチェンの兵士、将校たちの給料は固定給だけとなり、軍の司令官たちにとっては、作戦を継続するこれといった経済的うまみがなくなっている。損失は拡大し、軍隊は士気を喪失し、軍隊としての機能は低下し、残った軍の装備類は使い物にならなくなり、明るい見通しはまったく立たない。どうやら、ハサブユルト以来の新しい和平協定締結のきっかけが現れるのを待つほかないようだ。

初出:チェチェンニュース Vol.01 No.12 2001.07.17