1999年のモスクワアパート連続爆破事件の真相はいまだ謎である。犯行主体についての確実な情報がないため、ここでは具体的な経過を挙げるに留める。
モスクワ中心部のショッピングモール「マネズ」で混雑時間帯に爆破事件が起こる。1人が死亡、40人が負傷。
チェチェンの隣、ダゲスタン共和国のブイナフスクの軍人用集合住 宅に乗り入れたトラックが爆発し、建物が崩壊。64人死亡、うち子どもは2 3人。130人が負傷。
夜、モスクワのグリナノフ通りの集合住宅で爆破事件。94人が死亡、 164人が負傷。
朝5時、モスクワ、カシルスコエショッセで爆破事件。119人が死亡。
ヴォルゴドンスクの集合住宅で爆破事件。17人が死亡、72人 が負傷した。
リャザンの集合住宅の地下で警察が爆弾を発見。ただちに処理さ れて事なきを得たが、1日後にFSBのパトルーシェフ長官が「訓練のために設 置したダミーで、爆薬の中身は砂糖だ」と発表した。
ロシア政府は一連の事件を「チェチェン人の仕業であり、犯人はチェチェンに逃亡した」と断定、9月14日には2万以上のロシア軍部隊がロシア/チェチェンの国境に集結した。チェチェン政府が事件への関与を全否定する一方で、ロシア政府はまたたく間にアパートの瓦礫を撤去した。犯行声明はどこからも出されなかった。
第二次チェチェン戦争はリャザンでの爆弾発見騒ぎの翌日9月23日、チェチェンの首都グロズヌイに対する無差別爆撃によって始まった。10月1日、ロシア軍地上部隊はチェチェンに侵攻を開始した。「テロに対する断固たる処置」であった。
参考サイト:terror99.ru