1992年 台湾の阿媽は起ち上がり、次々と名乗り出て、当時受けた日本軍の暴行を訴えた。
名乗り出た台湾の生存者は58名。
1995年 台湾の阿媽、「女性のためのアジア平和国民基金」を拒否し、日本の戦争責任と犯罪行為を隠蔽する「取引き」を拒絶。
1999年 台湾の阿媽、日本の東京地裁に「日本政府に謝罪と賠償を求め」提訴。
2005年 一審、二審で敗訴した阿媽の上告を、最高裁判所が却下。
2006年 たった27名の生き残っている阿媽が、対日賠償要求の正義の道を前進する中、阿媽たちは次々と世を去っていく。
「高寶珠、蔡桂英、黄完、許金、張櫻花、陳宇治、郭珠螺、曾雪妹、張錦、黄見、ョ運妹、李玉串、蔡秀蘭、黄阿厚、雷春芳、呉是、李扁、李桂蘭、何美玉、彭月妹、呂全、徐鳳嬌、林月英、林阿秀、林英、陳嬌妹、郭秀娥、洪好、徐好、林素卿、林錦妹…」
この31名の阿媽たちは、恨みを抱いて世を去り、もはや日本の犯罪行為を訴えることはできない。
陳桃、黄阿桃、陳鴦、陳樺、何秀鳳、黄鳳、葉桃、李淳、阿會、阿真、阿如、林雪英、李妹、盧滿妹、蘇寅嬌、呉秀妹、鍾榮妹、高秋蘭、高蘭妹、李梅月、林沈中、蔡芳美、温妹、應菜、温紅柿、謝阿珠、葉美女…」
この阿媽たちは、いま生き残っている阿媽たち。
平均年齢84歳、年老い、身体の衰えた阿媽たちは、日本政府が正義と名誉と尊厳を回復してくれて、彼女たちの一生の悪夢に終止符を打ち、この世で無念の気持ちを抱かずに一生を終えることを、切に願っている。
日本の友人たちに阿媽の声を届けたい。
裁判の原告だった小桃阿媽は言う。
「私は、まだ生きている。日本政府が謝罪も賠償もしようとしないなら、死ん でからも恨みの気持ちは残るだろう。裁判は次々に敗訴して、情けない思いを したが、しかし、私の心は負けない。必ず最後まで徹底的に闘う。」
阿媽たちがいちばん日本政府に聞きたいと思っていること――
「私たちは、どんどん亡くなっていく。結局、日本政府は、いつまで引き延ばし たら私たちに謝罪し、賠償してくれるのか?」
阿媽たちは、最年長の台湾の女性活動家だ。女性の権利のために闘っている。
1992年から今日まで、15年が過ぎたのに、残念ながら、私たちは、まだ、責任を引き延ばす日本政府の強硬な態度を改めさせることはできない。まだ、阿媽たちの名誉と尊厳を回復することができない。
阿媽たちが病身に堪えられず、年ごとに私たちの前から去って行くのを見るのは辛い。
大声で叫びたい。
「世界の超大国である良識ある日本政府よ! どうか心して、この被害者の苦しみを聞いてください。
この被害者たちに正式に公開謝罪をしてください。それを世間が知ることで、被害を受けた阿媽たちの女性としての名誉と尊厳が回復されるのです。
全力をつくして彼女たちの失われた青春と悲惨な過去を補ってください。
そして、謝罪するとともに賠償金を支払い、戦争責任を果たすことによって、84歳の被害者の心の中の悲憤を除き、後悔することなく、自暴自棄にならず、翻弄された運命を嘆くことなく、静かで平和な余生を過ごすことができるのです。」
台湾の27名の阿媽と台湾「慰安婦」支援団体「台北市婦女救援基金会」 2006年8月9日
台湾・阿媽の声と婦援会からの訴え