台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会
台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会 1999.12.26
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答 弁 書 (平成11年(ワ)第15638号、平成11年11月2日)


平成11年(ワ)第15638号

  原告  高宝珠ほか8名

  被告  国

           答 弁 書

平成11年11月2日

       被告指定代理人

            川 口 泰 司

            住 川 洋 英

            松 崎 研 丈

            向 山 敏 明

            根 原 稔


第一 請求の趣旨に対する答弁

   原告の請求をいずれも棄却する

   訴訟費用は原告らの負担とする

 との判決を求める。

 なお、仮執行の宣言を付するのは相当でないが、仮にその宣言を付される場合には、担 保を条件とする仮執行免脱の宣言を求める。


第二 被告の主張

 一 はじめに

   原告らは、被告に対し、損害賠償及び謝罪を請求し、その法的根拠として、@国際 法違反による国際不法行為に基づく請求権等(訴状116ページ以下及び138頁以下) 、A強制労働に関するILO29号条約違反に基づく損害賠償請求権等(同119ページ以 下及び141頁以下)、B民法709条に基づく損害賠償請求権等(同143ページ以下 )、C立法不作為等を根拠として国家賠償法に基づく損害賠償請求権等(訴状146ペー ジ以下)を主張しているようである。

 しかし、右各法的根拠に基づく原告らの右請求は、以下に反論するとおり、いずれも法 的根拠を欠き、請求自体成り立ち得ず、あるいは理由がないものである。

二 国際法に基づく損害賠償請求権について

 1、原告らの主張

 原告らは、いわゆる「従軍慰安婦」として性的行為を強制されたことは数々の条約、国 際慣習法に違反し(訴状116ページ以下)、かかる行為は国際不法行為を構成し、それ によって何らかの損害を被った国家に対し国家責任が生ずるところ(同130ページ以下 )、重大な人権侵害には、個人又は個人の集団は、国際法の下で実効的な救済と正当な賠 償を受ける権利があり、国際責任の解除のためには個人の被害回復が必要であるとする( 同132ページ)。そして、国際不法行為により国家に課せられた被害回復義務は、個人 に対する効果的な救済措置を行うことであって、原告らの右各請求は、ヘーグ陸戦条約3 条のような規定を根拠としているものではなく、被告のユス・コーゲンス(強行法規)違 反を根拠にするものであるとし、明文の規定がなくとも国際法違反の国際不法行為に基づ き個人が国家に対し損害賠償を請求しうると主張する(同141ページ)。

 しかし、そもそも原告ら個人は原則として国際法の法主体とはなり得ないのであって、 原告らの主張する国際法違反が原告らの請求を基礎付ける者ではなく、原告らの各請求の 法的根拠として原告らが挙げる国際法に関する右主張は、失当といわざるを得ない。

2 国際法における法主体性

 (一) 国際法は、国家と国家との関係を規律する法であり、条約であれ国際慣習法で あれ、第一義的には、国家間の権利義務を定めるものである。したがって、国際法が個人 の権利の保護、確保に関する規定を置いていたとしても、このことから直ちに、個人に、 条約等に基づく権利を他の締結国に対し行使し得るという意味での法主体性を認めたもの と解することはできない。

 すなわち、一定の条約が個人の権利に関する規定を置いて個人の権利を保護、確保する 趣旨があったとしても、その条約は、原則的には、国家と他の国家との国際法上の権利義 務として、個人の権利に関する規定を遵守し、その結果として個人の権利を保護する趣旨 を全うするということを意味するにとどまる。したがって、国際法が、個人の権利に関す る規定を置いたということから、直ちに、個人に国際法上の権利主体性が認められたとし 、これによって当該個人に直接国際法上何らかの請求権が付与されたと解することはでき ないのである(東京地裁昭和38年12月7日判決・判例時報355号17ページ、東京 地裁平成元年4月18日判決・判例時報1329号36ページ、その控訴審判決である東 京高裁平成5年3月5日判決・判例時報1466号40ページ、東京地裁平成10年11 月26日判決・判例タイムズ998号92ページ、東京地裁平成10年11月30日判決 ・乙第一号証82ないし84ページ、高野雄一・全訂新版国際法概論上40ページ、田畑 茂二郎・国際法新講上67ページ、小田滋・石本泰雄・寺沢一・現代国際法152ページ )。

(二) このように国際法が原則として国家間の権利義務を規律するものである以上、あ る国家が国際法に違反するとして国家責任を追うべき場合に、国家責任を追及できる主体 も原則として国家である。

 このことは、直接の被害者が個人であったとしても、加害国との関係で国際法違反を理 由とする以上、同様である。この場合に加害国に国家責任を問い得るのは、被害者個人や その遺族ではなく、被害者の属する国家であり、当該国家が外交保護権を行使するという のが国際法の基本的な考え方である。すなわち、「国は、その人民が他国の犯した国際法 違反の行為により損害を受け、その国から通常の経路を経て賠償を得ることができなかっ た場合に、その人民を保護する権利をもつ、これが国際法の基本原則である。その一人民 の言い分を取り上げ、かれのために外交行動または国際裁判手続きに訴えることによって 、国は、実は、それ自身の権利─その人民の一身において、国際法規の尊重を確保する権 利を主張しているのである。」(常設国際司法裁判所1924年8月30日判決・皆川洸 訳「国際法判例要録」183ページ)とされているのである(小田ほか・前掲書67ペー ジ、田畑・前掲書51ページ、藤田久一・国際法講義216ページ、高野雄一・全訂新 版国際法概論下129、130ページ、山本草二・国際法(新版)168ページ、筒井若 水「国際法に基づく個人の保護」法曹時報45巻4号1053ページ、ヴィルヘルム・カ ール・ゲック=中村洸訳「今日の世界における外交的保護」法学研究(慶應義塾大学法学 研究会)59巻1号30ページ)。

(三) この点については、我が国の裁判例においても、「国際法は、国家と他の国家と の関係を規律する法であるから、一般に個人が国際法上の法主体性を有する者ではなく、 国際法が個人の声明・身体・財産などの個人的利益を保護しようとする場合にも、国家に 対し個人の権利・利益を侵害してはならないとの義務を課し、その義務に対する違反行為 に対しては当該個人の属する国の外交保護権を行使する方法によって間接的に救済をはか ることを予定するに過ぎず、個人がその属する国以外の国家に対して権利侵害に対する被 害回復を求めようとしても、これを直接実現するための法制度が存在しないので、ぞの目 的を達するための有効な手段を個人は有していない。」と判示されているところである( 前掲東京地裁平成元年4月18日判決・判例時報1329号56、57ページ。前掲東京 地裁平成10年10月9日判決、前掲東京地裁平成10年11月26日判決及び前掲東京 地裁平成11年11月30日判決・乙第一号証も同旨。)。

(四) ところで、今世紀に入って、国際法違反行為により権利を侵害された個人が直接 国際法上の手続によってその救済を求め得るような制度、すなわち当事国間に特別に設け られた裁判所等に個人の出訴権を認めることなどを内容とする条約が締結される例がある 。このような場合においては、例外的に、個人が国家に対し特定の行為を行うことを国際 法上の手続により要求できる地位を条約自身が与えているとみることができる。また、個 人の国際法主体性が認められるには、単にその権利義務が国際法(特に条約)で規定され ているだけでは不十分であり、個人がその名において(国家の外交保護権によることなく )国際法上の権利を主張しその義務を追及することができるよう、特別の国際法上の手続 (国際裁判所又は国際機関における当事者適格)の存在を要する(山本草二・国際法(新 版)122ページ、東京地裁昭和38年12月7日判決・判例時報355号30ページ) 。そのような特別の手続が存在する限りにおいて、個人に国際法上の法主体性が認められ たということもあるが、これは当該条約自身がそのように定めたことの効果に過ぎないの である。

(五) したがって、条約自体が、権利を侵害された個人に対し、直接国際法上の手続に よってその救済を図る制度を認めているような例外的な場合を除いては、個人は、国際法 上の法主体性が認められないから、原告らは、加害国に対し、国際法を法的根拠として損 害賠償等を請求することはできないのである。

(六) 小括

  以上のとおり、国際法の基本的な考え方によれば、国際法違反行為の効果は、国際法 上の国家責任を発生させ、相手国からの国家責任の追及を受けることはあっても、相手国 の国民個人が加害国に対し国際法上直接損害賠償を請求し得るとすることはできない。

 したがって、国際法違反行為によって被害を受けて個人は加害国に対し、損害賠償を求 め得るとする原告らの主張は、国際法に関する独自の理解に基づく誤った主張であること は明らかである。

3 ユス・コーゲンスについて

(一) 原告らは、被告がユス・コーゲンス(強行法規)違反を犯している場合には、明 文の規定がなくても、国際不法行為に基づく損害賠償を個人が被告に対して請求できると も主張する(訴状141ページ)。

(二) しかし、そもそもローマ法に起源を持つと言われるユス・コーゲンスとは、ユス ・デスポジテイーブム(任意規範又は任意法規)に対する法的概念で、下位の法規の内容 を絶対的に規制し、その逸脱を許さない法的な力をもった上位規範を言うとされる(波多 野里望ほか編・国際法講義473ページ、条約法に関するウイーン条約53条、64条) 。

したがって、ユス・コーゲンスは、これに反する条約を無効とする効力を有するにすぎず 、その違反行為につき、個人に損害賠償請求権を付与する法理ではないから、これによっ て、原告らの右請求が法的に根拠付けられるものではない。

(三) なお、原告らは、陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約三条に言及しているが(訴状14 1ページ、原告らは「ハーグ条約」と表記している。)、同条も、国家間の賠償責任を定 めた規定にすぎない(東京高裁平成8年8月7日判決・訟務月報43巻7号1610ペー ジ、前掲東京地裁平成10年10月9日判決、前掲同平成10年11月26日判決、前掲 同平成10年11月30日判決)

二 強制労働に関するILO第29号条約違反に基づく請求について

 1  原告らは、被告の原告らに対する行為は、強制労働に関する条約「ILO第29号条約」に反し、これに基づき損害賠償を請求できると主張する(訴状141ぺージ以下)。

 2 しかしながら、同条約には、損害賠償請求権についての特別の規定が存しないから 、原告らの損害賠償請求権等が同条約によって発生するということはできず、また、同条 約の規定を手がかりにし、同条約違反を理由にして、原告ら個人が被告国に対して直接損 害賠償請求等を求めることが可能であると主張するのであれば、前記2(二)で述べたと おり、個人は国際法上法主体性がないのであるから、そのような主張は失当である。

3 したがって、同条約違反をいう原告らの主張は、主張自体失当である。

三 民法の不法行為に基づく請求について

 1 原告らは、原告らが戦前に受けた被害について、重大な人権侵犯に属し、民法 7 09条に基づき損害賠償請求が可能であると主張する(訴状143ページ以  下)。

 2 しかし、原告らが主張する被告の加害行為は、必ずしも明らかではないが、その主 張からすると、日本軍が設けた慰安所で日本軍の兵士が「慰安婦」に対して行った行為を いうものと思われる(訴状143ページ)。そうすると、右行為は、国の権力的作用に該 当するところ、明治憲法下では、国家の権力的作用として実施された行為については「民 法の適用はなく、国家無答責の法理が妥当したのである。

(一) すなわち、明治憲法下において、行政裁判法16条が「行政裁判所ハ損害要償ノ 訴訟ヲ受理セス」と規定しており、行政裁判所に対して国家賠償請求訴訟を提起する途は なかった。また、旧民法下では行政裁判所に対するのと同様、司法裁判所に対して国家賠 償請求訴訟を提起することも否定されていた。

(二)要するに、行政裁判法と旧民法が公布された明治23年(1890年)の時点で、 国家の権力的行為については国家無答責の法理を採用するという国の基本法的政策が確立 したのである(塩野宏・行政法弟2版222・223ページ)。

大審院の判例も、国家の権力的行為については、大審院昭和16年2月27日判決(民集 20巻2号118ページ)の判示するとおり、損害賠償責任を一貫して否定している。そ して、最高裁判所も、「国家賠償法施行以前においては、一般的に国に賠償責任を認める 法令上の根拠のなかったことは前述のとおりであって、大審院も公務員の違法な公権力の 行使に関して、常に国に賠償責任のないことを判示してきたのである」(最高裁昭和25 年4月11日第三小法廷判決・裁判集民事3号225ページ)と判示しており、その他下 級審判例においても同旨の判断がなされているところである(大阪高裁昭和43年2月2 8日判決・訟務月報14巻5号520ページ、東京高裁昭和57年4月28日判決・訴務 月報28巻7号1411ページ、東京地裁平成8年11月22日。訟務月報44巻4号5 07ページ、前掲東京地裁平成10年10月9日判決)。

(三) したがって、原告らの主張に係る行為について民法の適用はないから、その請求 は法的根拠を欠くものとして却下を免れない。

3 さらに、仮に民法が適用されるとしても、本件では、原告らの主張に係る加害行為か ら本訴提起までに既に20年が経過しているので、民法724条後段により、除斥期間の 経過により損害賠償請求権は法律上当然に消滅している(最高裁平成元年12月21日第 一小法廷判決・民集43巻12号2209ページ、最高裁平成10年6月12日第二小法 廷判決・判例時報1644号43ページ、東京地裁平成7年7月27日判決・判例時報1 563号121ページ、前掲東京高裁平成8年8月7日判決及び前掲東京地裁平成10年 10月9日判決参照)。

4 この点について、原告らは、民法709条の解釈は国際法に適合するよう解釈されな ければならないところ、国家無答責理論や時効、除斥期間等により請求を斥けることは、 新たな責任を生じさせると主張する(訴状145ぺーじ)。

 しかしながら、前述したように、国際法ないし国際慣習法はあくまで国家間の権利義務 を規定する法体系なのであるから、これが国内法化されたからといって、私人間の法律関 係を規定する民法の解釈に直接影響を及ぼすものではない。

 したがって、原告の右反論は、その前提を欠き失当である。

四 国家賠償法に基づく請求(立法不作為)について

 1 原告らは、国会議員の立法の不作為を理由とする国家賠償請求に関する最高裁判所 昭和60年11月21日第一小法廷判決(民集39巻7号1512ページ。以下「昭和6 0年最高裁判決」という。)に言及した上、立法不作為が日本国憲法秩序の根幹的価値に 関わる基本的人権の侵害をもたらしている場合、例外的に国家賠償法上の違法ということ ができると主張し、山口地方裁判所下関支部平成10年4月27日判決(以下「下関支部 判決」という。)を引用する(訴状146ページ以下)。そして、賠償立法を行う義務は 戦後ただちに行われるべきであったのに、1950年11月には立法に要すべき合理的立 法期間は経過しており、被告は国家賠償法上の損害賠償義務を負うと主張する。

2 原告らの主張に対する反論

 原告らの右主張は、以下に述べるとおり、昭和60年最高裁判決及び立法不作為につい ての国家賠償法の適用に関する誤った理解に基づく独自の主張であって、失当である。

(一) 昭和60年最高裁判決について

 まず、原告らが引用する昭和60年最高裁判決の意義を明らかにする。

 昭和60年最高裁判決歯、立法行為(不作為を含む。)に、国家賠償法の適用があるか 、適用があるとして、いかなる要件の下に国家賠償法上の違法性が認められるかについて 、在宅投票制度を廃止したこと及びその後同制度を復活させる立法をしない不作為の国家 賠償法一条一項の違法が問われた事案において、以下のとおり判示した。

 「国家賠償法一条一項は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民 に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに、国又は公 共団体がこれを賠償する責に任ずることを規定するものである。したがって、国会議員の 立法行為(立法不作為を含む。)が同項の適用上違法となるかどうかは、国会議員の立法 過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したかどうかの問題 であ(る)」、「国会議員は、立法に関しては、原則として、国民全体に対する関係で政 治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応 した関係での法的義務を負うものではないというべきであって、国会議員の立法行為は、 立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を 行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法一条一 項の規定の適用上、違法の評価を受けないものといわなければならない。」

 そして、昭和60年最高裁判決は、右結論を導くにつき、以下のとおりその論旨を展開 している。

 (1)「憲法の採用する議会制民主主義の下においては、国会は、国民の間に存する多 元的な意見及び諸々の利益を立法過程に公正に反映させ、議員の自由な討論を通してこれ らを調整し、究極的には多数決原理により統一的な国家意思を形成すべき役割を担うもの である。そして、国会議員は、多様な国民の意向をくみつつ、国民全体の福祉の実現を目 指して行動することが要請されているのであって、議会制民主主義が適正かつ効果的に機 能することを期するためにも、国会議員の立法過程における行動で、立法の内容にわたる 実体的側面に係るものは、これを議員各自の政治的判断に任せ、その当否は終局的に国民 の自由な言論及び選挙による政治的評価にゆだねるのを相当とする。」

 (2) 「さらにいえば、立法行為の規範たるべき憲法についてさえ、その解釈につき 国民の間には多様な見解が有り得るのであって、国会議員は、これを立法過程に反映させ るべき立場にあるのである。」

 (3) 「憲法51条が、『両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決につい て、院外で責任を問はれない。』と規定し、国会議員の発言・表決につきその法的責任を 免除しているのも、国会議員の立法過程における行動は政治的責任の対象とするのにとど めるのが国民の代表者による政治の実現を期するという目的にかなうものである、との考 慮によるのである。」

 (4) 「このように、国会議員の立法行為は、本質的に政治的なものであって、その 性質上法的規制の対象になじまず、特定個人に対する損害賠償責任の有無という観点から 、あるべき立法行為を措定して具体的立法行為の適否を法的に評価するということは、原 則的には許されないものといわざるを得ない。ある法律が個人の具体的権利利益を侵害す るものであるという場合に、裁判所はその者の訴えに基づき当該法律の合憲性を判断する が、この判断は既に成立している法律の効力に関するものであり、法律の効力についての 違憲審査がなされるからといって、当該法律の立法過程における国会議員の行動、すなわ ち立法行為が当然に法的評価に親しむものとすることはできないのである。」

(二)昭和60年最高裁判決と立法不作為

 (1) 昭和60年最高裁判決が、立法行為(不作為を含む)について国家賠償法上の 違法と評価され得る例外的な場合を憲法の一義的な文言に違反する立法行為のような場合 と限定した論拠は、前記(一)(1)及び(2)の判示部分において明確にされている。

 すなわち、立法に係る憲法解釈については国民の間に多様な見解が存するのが通常であ り、全国民を代表する立場にある国会議員としては、その多様な見解を立法過程に反映さ せるべく、自由に意見を表明し、表決を行うべき職責を負っており、特定の憲法解釈に立 脚する立法がされ、又はされないことは、多種多様の違憲の対立の中から多数決原理によ り決定されるべきものである。

 そして、国会議員が、多義的な解釈を容れる余地のある憲法の条項について、違憲立法 審査権の行使の結果として、司法の立場からは違憲とされる解釈を採り、これに基づいて 意見を表明し、表決に加わった(又は、意見を表明しない、表決に加わらない)としても 、議会制民主主義の原理からは、国会議員の右立法過程における行動は、当然に許容され ているもので、原則として、国家賠償法上違法とされるものではないとする趣旨を明らか にしたものである。

 したがって、前記「例外的な場合」とは、国会議員の立法過程における行動が一義的に 確定される場合であるから、かかる事態は、文字どおり「容易に想定し難い場合」なので あって、憲法の一義的文言に反する場合か、あるいは、憲法解釈上争いがなく、憲法に違 反することが一見して明白である場合、すなわち誰の目から見ても違憲であることが明ら かであるにもかかわらず、あえて立法を行うというような場合にとどまるべきことは明ら かである。

(2) ところで、昭和60年最高裁判決は、右「例外的な場合」について、立法不作為 の場合に関しては、具体的な言及していない。

 しかし、立法不作為が国家賠償法上違法となることを例外的にせよ認めることは、憲法 が採用している権力分立制度との関係でより慎重な検討が必要である。

 すなわち、憲法は、41条において、「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一な 立法機関である。」と規定するのみで、いつ、いかなる内容の立法を行うか又は行わない かを国会の裁量にゆだねているところである。しかるところ、裁判所が国会議員の立法不 作為に対する法的責任を問うことは、裁判所が個々の国会議員に対し、特定内容の法律を 特定の時期までに立法すべき義務を課することにほかならない。 この点で、既に成立した法律についての立法過程における国会議員の行動を問題とする場 合に比し、あるべき立法行為の内容とその時期を全国会議員が個々の国民に対して負担す る法的義務として措定しなければならない点においてきわめて大きな困難がある。日本国 憲法が採用する三権分立の基本理念からすれば、裁判所において、広範な立法裁量権を有 する国権の最高機関である国会に対し、たやすく一定の立法義務を課し得るとすることは できないからである。立法行為については、憲法81条が裁判所に違憲立法審査権を付与 しているが、立法不作為について同条が触れるところがないのもこの観点から理解できる 。学説でも、「立法行為の違憲判断は、具体的な法令の「違憲審査をすることによって行 うことができるが、立法の不作為については、立法機関の行動全体を評価することであっ て、法令の違憲審査とは全く異質の判断構造をもっているため、違憲立法審査権があるこ とは当然にこれをみとめる根拠となるものではない」(遠藤博也・国家補償法上巻179 ページ)とされているところである。

 このことは、「あるべき立法行為が措定した具体的立法行為の適否を法的に評価すると いうことは原則としてゆるされない。」と前記(一)(4)の判示部分においても明らか にされているところである。

(3) そうすると、立法不作につき、昭和60年最高裁判決のいう「憲法の一義的文言 に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき容易に想定し難 い例外的な場合」に即して想定するとすれば、憲法上、具体的な法律を立法すべき作為義 務が、その内容のみならず、立法の時期を含めて明文をもって定められているか、又は、 憲法解釈上、右作為義務の存在が一義的に明白な場合でなければならないというべきであ る。しかし、憲法上右作為義務を定めた規定は存在しないし、憲法解釈上も右作為義務を 肯定することは困難であるから、昭和60年最高裁判決は、立法不作為が国家賠償法上違 法となることは、基本的に予定していないものといわなければならない。

(4) 以上が昭和60年最高裁判決の正確な理解というべきであるが、同判決の示した 国会議員の立法行為と国家賠償法一条一項の違法に関する判断基準は、その後の判例もこ れを踏襲しており(最高裁昭和62年6月26日第2小法廷判決・裁判集民事151号1 47ページ、判例時報1262号100ページ、最高裁平成2年2月6日第3小法廷判決 ・訟務月報36巻112号2242ページ。)、立法行為についての国家賠償法の違法性 判断基準に関する判例の枠組みは確立したものといえる。

(三) 例外的場合に関する原告らの主張の誤りについて

 (1) 原告らは、前述のとおり、下関支部判決を引用し、日本国憲法秩序の根幹的価 値に関わる基本的人権の侵害をもたらしている場合、立法府が、その被害救済のための立 法行為をすべき義務を負うと主張している。

 (2) しかし、国会議員の立法不作為が例外的に違法の評価を受けるのは、憲法で一 義的に定められた具体的な立法義務に違反して立法をしない場合、又は、憲法解釈上、右 のような立法義務が一見明白に定められているにもかかわらず立法をしない場合に限定さ れ、そのように解すべき理由は前述したとおりである(東京高裁平成11年8月30日判 決・乙第2号証参照)。

 原告らが違法判断基準として主張する憲法の根幹的価値に関わる重大な人権侵害と救済 の高度の必要性は、判断基準として不明確である上、何故にこれを立法不作為における違 法判断基準とすべきであるのか、その理由が示されておらず、根拠を欠く。

 また、原告らがいう憲法の根幹的価値に関わる基本的人権の侵害とは具体的にどのよう な場合をいうのか不明であるが、現行憲法下においてそのような重大な人権侵害行為がさ れながら、これを救済するための立法措置がされていないという事態は、現実には容易に は想定することができない。原告らは、本件において原告らが主張するような損害を想定 しているものと思われるが、それは憲法が効力が生じる以前の公権力の行使による権利侵 害についても憲法上その損害回復が要求されているという誤った前提にたつからにほかな らない。

 原告らのような立場にある者を救済するための立法措置を国会議員に一義的ないしは一 見明白に義務付けた憲法上の規定がないことはもちろん、前記(二)(2)で述べたとこ ろからあきらかなとおり、憲法施行前の公権力の行使により生じた損害について救済のた めの立法措置をとるかどうかは、立法府の広範な裁量にゆだねられているのである。

 したがって、本件では、そもそも国会議員の立法不作為につき国家賠償法一条一項上の 違法を問われる余地はないというほかはない。

(四) 立法期間の主張について

 なお、原告らは、立法府が賠償立法を行う義務は戦後直ちにおこなわれるべきものであ り、昭和25年(1950年)11月には立法に要すべき合理的立法期間は経過している と主張する(訴状150ページ)。しかし、戦後直ちに賠償立法を行う義務が生じたか否 かを国会議員が認識することができたか否かが明らかではない上、昭和25年(1950 年)11月までが立法措置をとるまでの期間とすべき合理的根拠ももない。

3 小括

 以上述べたとおり、原告らの右各請求の法的根拠として、原告らが主張する立法不作為 についての国家賠償法の適用は、主張自体において理由がなく、却下を免れない。

五 国家賠償法に基づく請求(戦争犯罪者不処罰)について

 1 原告らの主張の要旨

  原告らは、本件旧日本軍人の行為は、「醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買禁止ニ関スル 国際条約」等に違反する犯罪行為であるにもかかわらず、被告らの国会、内閣、捜査機関 を構成する公務員が、右犯罪行為につき行為者の発見処罰をしていないことは右条約に基 づく作為義務違反であり、国家賠償法一条一項の不法行為を構成するとして損害賠償等を 請求する(訴状150ページ以下)

 2 被告の反論

  しかしながら、国家賠償法一条一項にいう違法とは、公務員が個別の国民に対して負 担する職務上の法的義務に違背するところであるところ(昭和60年最高裁判決)、原告 らが国の公務員の義務違反の根拠として主張する条約上の義務は、国際法上の義務であり 、相手方である締約国に対する義務であって、被害者個人に対して負担する義務ではない 。

 また、犯罪の被害者が、捜査又は公訴提起によって受ける利益は、公益上の見地に立っ て行われる捜査又は公訴提起によって反射的にもたらされる事実上の利益にすぎず、法律 上保護された利益ではないから、被害者は、捜査機関による捜査が適正を欠くことを理由 として国家賠償法の規定に基づく損害賠償請求をすることもできない(最高裁判所平成2 年2月20日第3小法廷判決・判例時報1380号94ページ)。したがって、仮に右の ような義務が観念でき、これに違反があったとしても、これら義務違反をもって国家賠償 法一条一項上違反を問われる余地はない。

 以上からすれば、原告らの右各請求の法的根拠としての、戦争犯罪者不処罰を理由とす る国家賠償法の適用は、主張自体失当である。


第三 謝罪請求の問題点

 一 原告らは、請求の趣旨二項において、「被告は原告に対し公式に謝罪せよ。」とし て、被告に対する公式謝罪請求をする。  二 損害賠償請求が認められないことは、これまで述べたとおりであるが、なお、念の ため、原告らが同じ法的根拠に基づくと主張する謝罪請求について述べると、そもそも、 かかる請求は、被告国のいかなる機関がいかなる方法で謝罪するのか特定されておらず、 執行することが不可能であり、したがって、請求の特定として不十分である。


第四 結語

 以上のとおり、原告らの右請求の法的根拠として、原告らが主張するものはいずれも理 論上失当である。したがって、本件各請求は、請求自体法律上成り立ち得ず、あるいは法 の適用を誤ったものであるから、いずれも理由がなく、棄却を免れない。


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