台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会
台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会 1999.12.26
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初公判を傍聴して


台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会(石川逸子)

 1999年11月2日、この日、初公判とのお知らせが「支援する会」から届い ていて、もし傍聴者が少なかったら大変と心配になって駈けつけてみましたら、同 じ思いからでしょうか、傍聴席は満員、まだ次々皆さんが駈けつけてこられて結局一部の 方は交代で傍聴するという賑やかな初公判になりました。

 まず清水由規子弁護士が訴状の重要部分だけを読み上げられました。

「慰安所」政策は、植民地政策のなかでももっともおぞましい政策であり、長く俎 上にのぼらずにきたこと、被害者たちが名乗り出るのに半世紀の歳月がかかったこ と、戦争による被害と女性ゆえの被害、さらに先住民として差別された女性もいて 、これまで二重、三重の苦しみに会われてきたこと。

 被害者たちは、日本が責任を明確にし、賠償することを望んでおり、ほかに手段 がないため訴えたのである、と。

 次に、公判のためわざわざ来日された被害者のお二人が短い時間(10分)です が、意見陳述をされました。日本の「皇民化」政策をもろに受けている二人は、時 々中国語を交えながらもほとんど日本語で陳述されます。その意味を裁判官はどれ だけ深刻に受け止めてくれるでしょうか。

 林沈中さんは、冒頭「被害者の代表として日本に来た」と言われました。 兄弟は、兄三人に女は自分一人。「大きい兄は軍属でニューギニアに行き戦死、 次男は徴用で防空壕つくりや橋つくり、三男は鉄工場で飛行機の部品つくり、と一 家中が日本軍に奉仕させられ、犠牲になっているのです。

 「慰安所」へは、「兵隊の用事、ボタンつくりなどの仕事をしてほしい」とタケ ムラ伍長にだまされ連行された、「三ヶ月たったら、ナリタ軍曹が私たちを連れて 、山下のトンネルに行き、兵隊を呼んでイタズラさせました。私は16〜17歳で した。2〜3回流産し、病気しました。逃げることはできない。泣きながら我慢し ました。」と、二人の軍人の名をはっきりあげて言われました。

いっしょに帰国した仲間は、日本兵が帰還したあとに子どもが生まれた、と述べら れ、「私は結婚しても離婚されてしまう、男からいじめられるのです。いつも泣い て一人でした」と。

「4〜50年の間、待っても待っても兵隊が間違っていた、と謝りの声がありませ ん。心の痛さは死ぬまで解けない。

今、台湾政府から1ヶ月一万五千台湾ドル、生活費が出ています。でもこれは私た ちの国がやった間違いではない、日本の政府が謝って賠償してほしい、と考えます 。そうすれば心が休まると思うのです。今まで恥かしくて名乗り出ませんでした。 もう仕方ないと、名乗り出ました。今、残っているものたちに日本政府は謝ってほ しい、若いときに苦労し、バカにされました。心が痛いのです。」

 鄭陳桃さんは、高雄から船でアンダバンに連行され、一年2ヶ月そこの「慰安所 」にいた、海軍の石川部隊だった、それからジョホールバールへ連行されたと言わ れました。

 体を壊し、台湾に戻されて高雄の海軍病院に一週間入院、台北の実家へ帰ったと ころ、父はすでに亡くなっていて、そこにはいられず、「自分一人で台北でブラブ ラ、仕事を探して……」と話されるうち、当時を思い出されたのでしょう、黙って 泣かれました。

「私の心地は、55年前のことを若いあなたがたに知らせたい。希望は日本政府が 謝り、補償してくれたら、と。80歳になり、1万五千元で暮らしています。もう 年取っているから仕事はできないのです。」と話されたところで、また泣かれ、「 高等科一年のとき呼ばれて行ったことを思いだしたら、涙がこぼれます。何も知ら ないものをアンダバンまで連れて行って、逃げることなどできないのに……」  ぐっと泣くのを我慢されて「私たちがいじめられたときのことを、若いあなたが たに話してきかせます。」と言われましたが、また涙が止まらなくなり、「もう言 いたくありません」と席を立たれました。

 半世紀以上過ぎて、なお被害者に日本の法廷で意見陳述させている申し訳なさ、 そのような残酷を強いている日本国であるのでした。

 また、1992年12月9日、日本の戦後補償に関する国際公聴会(民間)で、 台湾の被害者のかたたちだけが、衝立のかげで証言されたことも思い出され、それ から7年後、今、毅然として法廷に立たれる姿に、「慰安婦」問題の怒涛のような 進展を見たようにも思いました。

 被告の国側は、全員男ばかり、お二人の陳述をどのように聞いたでしょうか。観 察するかぎりは動揺した様子もありませんでしたが、本来なら女性がきてほしい、 戦後半世紀過ぎても、男ばかりが政治の中枢を握っているこの国の後進性をつくづ く感じてしまいます。

 支援する会の会報によれば、陳さんは現在、家もなく、市場の倉庫のなかで暮ら していられるそうです。

 日本国家の「慰安所」政策は、被害者にあっては過去の問題ではなく、いま現在 のなまなましい心の苦しみ、生活の辛さなのだと、あらためて考えさせられた初公 判でした。


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