1920年生.22歳の頃、フィリピンで被害を受けた。隣人から区役所の抽選に当たったら仕事が出来ると告げられた。
生まれて2ヵ月で養女に出されました。
家が貧しかったので学校へも行かれませんでした 。
16歳で結婚しましたが、間もなく離婚し、男の子が一人残りました。
21歳のとき、「ウエイトレス」を募集している日本人夫婦を知り、30数人の娘たちといっしょにフィリピンに向かいました。
娘たちは新竹、南港、基隆などからきていました。
最初の契約では1年8ヵ月の仕事でした。
1年8ヵ月たったら、親方はわたしたちを帰し、別の娘たちが交代することになっていました。
わたしたちは船でマニラに着き、ある地方に連れていかれ、一人ひとりに1部屋が割り当てられました。
そこではじめて「従軍慰安婦」にさせられることを知ったのです。
日本兵と台湾人軍夫だけが、親方からコンドームをもらえるのです。
週一回の身体検査がありましたので、性病にかかることはありませんでした。
日本人はいい人も悪い人も、酒を飲むと人を叩き、刀で脅しました。
あるとき、わたしは日本の将校に、おはようございますといったら、なぜか殴られて、もうちょっとで殺されそうになりました。
台湾に帰ってから、わたしは非常に恥ずかしいと思い、人に知らせはしませんでした。のちに両親だけにはいいました。
わたしは洗濯などをして生活を支え、今は息子といっしょに暮らしています。
台湾に帰ってからは、ずっと身体の調子が悪く、36歳を過ぎたころから腰に鈍痛をおぼえ、背中が痛み、すべての収入は医薬代に消えていきました。
あのとき日本兵にぶたれた左耳も、聞こえなくなりました。
帰ってきたばかりのころは非常に腹が立ちました。
自分が日本人に騙されたことを思うと、たまらない気持ちになりました。けれど騙されたことは騙されたのです。
「一日過ぎれば、一日死に近づく、どうしようもない!」
ニュースを見てはじめて、訴えることができることを知りました。
日本人に対しては、深い恨みを抱いています。
彼らは自分たちが悪いことをしたことを認識しないのです。
世界中の人たちが笑い物にしている悪行をしておきながら、まだ隠そうとする。「国民基金」で騙そうとする。
人の生命が一斤の米より価値がないと思っているようです。
ひどいです!
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