書籍紹介:『アメリカの国家犯罪全書』 |
“チェーンソーによる連続幼児殺人犯たちと、彼らを愛した女性たち” |
ウイリアム・ブルム著 益岡賢訳
原著 初版2000年5月
改訂増補版2002年4月
日本語版2003年4月
作品社 本体2000円+税 |
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これは、第二次世界大戦以降のアメリカの「国家犯罪」の“辞典”ともいえる書物である。しかし、それは、無味乾燥な項目の羅列ではなく、「愛憎」に満ちあふれた書物である。アメリカの国家としての有り様を知るには、この書物を読まずしては、何も分かったことにはならないだろう。一家に一冊−−冗談ではなく、反戦・非戦を求める人に必読の書である。
「本書の内容は、『悪の枢軸』を断罪し『正義』を振りかざすアメリカ合州国の、不法な軍事介入や不当な外交政策、人道に対する罪などの『国家犯罪』を、戦後から現在にいたるまで、驚くべき情報収集能力を持って網羅的にまとめたものである。アメリカの国家的な犯罪行為を告発したものは多数あるが、本書ほど徹底的なものは例がない。したがって、マスメディアが伝えないアメリカ国家の真実の姿を考えようとする多くの人々にとって、本書は極めて重要な基本書として定着している」。(p.405「訳者あとがき」より)
■アメリカは敵をも愛する。
「アメリカは敵をいつくしむ。敵がいなければ、アメリカは目的も方向も失ってしまう。国家安全保障の体制のさまざまな構成機関が、その膨れ上がった予算を正当化するため、自分たちの仕事をカサ増しするため、自分たちの雇用を守るため、ソ連崩壊後の使命を手に入れるため、そして究極的には、自己を再発見するために、敵を必要としている。」(p.61「はじめに」より)
■愛があれば、結婚もある。
「NATOと多国籍企業の“結婚体制”が、ジョージブッシュ一世が、『新世界秩序』と名付けたアメリカ帝国の基盤となっている。」(p.45同上)
■愛があれば、憎悪もある。
テロリストたちがアメリカを憎むのは、かつてアメリカにこよなく愛されたからであった。ビンラディンをはじめとするムジャヒディーンは、ソ連と戦っている時は、アメリカにとって「良いテロリスト」であった。米国は彼らに武器と政治的財政的な支援を提供した。そして、「共産主義の脅威」がなくなって、新たな敵を求める必要が生じてきたとき、「彼らは『悪いテロリスト』に変身した。」(p.88「アメリカから世界へのプレゼント」より)
■さらに、おぞましい愛がある。
著者自身が、「本書を『チェーンソーによる連続幼児殺人犯たちと、彼らを愛した女性たち』という書名にしようかとも考えた」(p.43「はじめに」より)と言っている。そんなものに例えられるほど、アメリカが犯してきた国家犯罪は、酷たらしく凄惨である。しかしながら、愛国心によってすべての感覚を麻痺させられた人々は、それらの事実を見せられても、愛する国(愛する人)がそんなことをしたとは信じないし、もし信じたとしても、真に「善意」からしたのだと心の底から考え、また、それが「人道的行為」だと考えることすらありうる、と著者は言う。
今まさに我々は目の前で、イラクとアフガニスタンをめぐってこのおぞましい愛を嫌と言うほど見せつけられている。しかしこのぞっとするような愛は、何もアメリカの専売特許ではない。それは、我々自身の姿でもある。15年戦争における日本軍の残虐な振る舞いの数々を、欧米の植民地から解放するという「善意」に満ちた行為であったと考える人々は、今なお健在である。そして、現在、イラクへの自衛隊の派兵が、まさに「人道援助」として行われようとしている。
愛は理屈ではない。だから、ひとたび愛国心に満たされた人々を説得することは、非常に困難である。それでも、事実を示していくしかない。著者自身が言うように、「無数の罪のない男女と子供たちの頭上に致命的な爆弾の雨を降らせ、家や学校、病院、生活、そして未来を破壊することをあなたは支持するのでしょうか?」(p.408「訳者あとがき 著者ブルムの姿勢について」より)という疑問を突きつけていくしかないのである。
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この本の著者ウイリアム・ブルム氏は単なるジャーナリストではない。元国務相の外交担当部門に従事していた外交官である。アメリカ外交の裏側を知り抜いた人物なのである。しかし1967年にベトナム戦争に反対して辞任した。それ以来、ジャーナリストとして、自らが従事したアメリカの外交・軍事の歴史と事実を徹底して調べ上げ、一貫して米国の国家犯罪・外交政策の暗部を分析・告発し続けている。69年にCIAの内部を暴く告発書を刊行。1972〜73年にはチリに滞在し、アジェンデ政権の成立とCIAが計画した軍事クーデターによる崩壊を現地からリポートし、世界に真実を訴えた。現在、ワシントンに在住して、本書をはじめとする執筆活動を行っている。
ブルム氏のHP http://members.aol.com/bblum6/American_holocaust.htm
訳者 益岡賢氏のHP http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/
(この本の目次と本の内容の一部が掲載されています。)
以下、本書の内容をかいつまんで紹介する。ぜひ、全体を読んでいただきたい。
<第T部 アメリカとテロリストとの愛憎関係>
ここでは、アメリカとテロリストたちがいかに深い関係にあるかが、示されている。
クリントン大統領は、「アメリカ人がテロリズムの標的とされるのは、われわれが平和と民主主義を推し進めているからであり、また、テロリズムに一致団結して反対しているからである」(p.83)と述べた。米国の指導者と識者たちはいつもこういう「紋切り型のせりふ」を口にするのだが、これは「由緒正しい猿芝居を演じているに過ぎない」(p.84)と著者は断じる。
「米国の指導者と識者たちがけっして口にしないのは、こうしたテロリストたちも−どんな存在であるとしても−理性的な人間であるかもしれないという点である。すなわち、自分たちの行動に対する理性的な正当化を有しているかもしれないことである。テロリストたちの多くは、社会的・政治的・宗教的な不正と偽善の事態に義憤を抱いており、テロリズムの直接的理由は、しばしば、米国の行動に対する復讐である。」(p.83)
テロリストの攻撃は“テロ”である。我々の攻撃は“報復”である。我々の報復への彼らの反撃は、ふたたび“テロ”である。われわれがさらなる攻撃を加えるとき、それはふたたび“報復”である。(メディア批評家ノーマン・ソロモン)(p.85)
1993年、米国は、イラクがブッシュ(父)元大統領を暗殺しようとした疑いがあったとして、イラクにミサイルを撃ち込み、8人を殺害し、多くの負傷者を出した。「国家間には文明的なふるまいが期待されることを確認するために」この攻撃は「必須のものであった」(p.95)と、クリントン大統領は述べた。
しかし、ここに、第二次大戦以降、米国が関与した暗殺で殺された、あるいは暗殺計画の標的とされた著名な人々のリストが提示されている(p.96〜97)。著者が元国務省に勤めCIAの内部暴露を何度も行っている人物でなければ、いや、そうであっても、にわかには信じがたい思いに襲われる。
1949年の金九(キムグ)(抗日指導者・韓国の反体制指導者)からはじまるこのリストは、90年代の、サダム・フセイン、オサマ・ビン・ラディンといった今日おなじみの顔ぶれが登場するまで、延々と休みなく続く。その中には周恩来(中国首相)、ネルー(インド首相)、カストロ(キューバ首相)、アジェンデ(チリ大統領)といった人々の名があがっている。ドゴール(フランス大統領)の名前まである。
(CIAのジョークでは、暗殺は、「非自発的な自殺」(p.96)と呼ばれているという。)
暗殺のための技術は、詳しくマニュアル化されている。CIAの「暗殺研究」では、事故に見せかけて殺害する手法か事細かに記載されている。「秘密暗殺のために(…)最も効果的な技術は事故を演出することである。(…)暗殺者がただちに叫び声をあげて『怯えた目撃者』を演ずるならば、アリバイの必要も、密かにその場から逃げる必要もない」。(p.103「米軍・CIAの訓練マニュアルより」)
この技術をアメリカは独り占めしようとはしない。アメリカには、「クーデター学校」(p.131ワシントンポスト紙での報道)ともいうべき「スクール・オブ・ジ・アメリカズ」という軍事学校があり、この学校では、「拷問や処刑、脅迫や尋問、そして容疑者の親戚の逮捕といった手段を含む尋問技術を推奨している」(p.131ニューヨークタイムズの社説より)。何万人ものラテンアメリカ軍の兵士と警察官がこの学校で無償教育を受けてきた。「アメリカ人の大学教育は無料ではない。外国人に対して無料にする理由はなんであろうか。」(p.134)
この学校の卒業生の多くが、ラテン・アメリカで拷問や殺害などを含む非常に重大な人権侵害を犯してきた。例えば、エルサルバドルの軍事政権を支援しないよう、カーター大統領に手紙を送ったロメロ大司教を暗殺した人物も、ここの卒業生であった。
米国国務省は、キューバを「テロリズムを支援する国家」としているが、一方、マイアミには反キューバ活動を活発に行うキューバ人亡命者がたくさんいる。彼らによって、キューバの飛行機や船舶が乗っ取られる事件が続発しているが、そのハイジャック犯たちは、刑事告訴すらされずにいる。キューバに限らず、チリの軍事クーデターで果たした役割を公然と認めている軍人や、グアテマラ、ハイチ、アルゼンチン、ホンジュラスで拷問や虐殺を行った軍人や独裁者たちは、アメリカを安住の地としている。
さらに、ポルポト政権の支援まで行っていたのには驚かされる!
<第U部 米国による大量破壊兵器の使用>
最初にダグラス・ラミスの言葉が引用されている。
「空爆は、国家テロリズムであり富者のテロリズムである。過去60年間に空爆が焼き尽くし破壊した無辜の人々の数は、反国家テロリストが歴史の開始以来これまでに殺害した人々の数より多い。この現実に、なぜかわれわれの良心は麻痺してしまっている。われわれは、満員のレストランに爆弾を投げ込んだ人物を米国の大統領に選びはしない。けれども、飛行機から爆弾を落とし、レストランばかりでなくレストランが入っているビルとその周辺を破壊した人物を、喜んで大統領に選ぶのだ。」(p.168)
米国は、「大量破壊兵器」とアメリカの空軍が空から落とす爆発物を注意深く区別する。「大量破壊兵器」は、米国の敵のような悪辣な者だけが使う。そして、米国が使うクラスター爆弾や劣化ウラン弾には、決して「大量破壊兵器」という用語を用いない。
この章でもまた大量のリストが掲載されている。それは、第二次大戦後の米軍による1945年〜46年の中国にはじまり、1999年のユーゴスラビアまでの爆撃リストである。(この著書が発表されたのは1999年のことである。)今となっては、これに、アフガニスタンとイラクを付け加えねばならない。
国際環境活動家ヘレン・カルディコット博士は、数年前に、次のように書いている。
「米国は二度核戦争を行った。最初は1945年、日本に対して。次は1991年、クウェートとイラクで。」(p.174)
著者は、1999年のユーゴスラビアを第三の核戦争として付け加えているが、ここで、またしても、アフガニスタンとイラクを付け加えねばならない。
劣化ウラン弾は戦場だけでなく、アメリカの実験場とその付近をも汚染し、さらに、タイやイスラエルなど多くの国に売却までされている。
化学兵器や生物兵器の最も現実的な恐怖は、米国国防省やCIAによる野外実験によるものである。1949年から69年まで、米軍は全米で人が住んでいる239の地域に様々なバクテリアや化学物質(セラチア菌、硫化亜鉛カドミウム、枯草菌、百日咳菌、等々)をはなった。また、ネッタイシマカ(この蚊は黄熱病やデング熱の媒介体である)を広い地域に渡って何十万匹もはなった。「標的となった住民に、実際のところ、どのような影響があったかについて明らかになることはおそらくはないだろう。」(p.201)
1969年以降は居住地域での実験は中断されたことになっているが、それが確かかどうか知るすべはない。
1969年、国防省の研究開発局副局長は議会で、「5年から10年のうちに新しい微生物を創り出すことが可能になるかもしれない。」と証言している。その新たな微生物の特徴は「免疫治療プロセスが通用しない」という点にある。(p.204「最後に…もしかしたら?」)
<第V部 「ならず者国家アメリカ」VS世界>
ここでは、あらゆるリストは気の遠くなるほど長く膨大である。
1945年から現在に至る米国の介入の歴史は、目次を見ただけでも、その挙げられた国の多さに驚かされる。アジア、ヨーロッパ、オセアニア、ラテンアメリカの67カ国、ほぼ全世界に及んでいる。よく知られているものを挙げただけでも、朝鮮戦争、ベトナム戦争、チリ軍事クーデター、韓国光州事件、イラク湾岸戦争、ユーゴスラビア爆撃…。
「どれだけ貧しく、小さく、弱く、遠く離れていれば、米国政府への脅威とならないのだろう。」(p.249)人口11万人の島国グレナダで起きたクーデターで成立した新政権を打倒するため、1983年、アメリカは直接グレナダに侵攻し、親米政権を樹立させた。
国連でアメリカが単独または一、二カ国と反対票を投じた決議のリストは、1978年から1987年までだけで、15ページにわたっている!(p.298〜312) イスラエルのパレスチナ人に対する人権侵害への非難、南アフリカのアパルトヘイト反対、化学生物兵器禁止、環境の保護、核実験停止、宇宙における軍拡競争の停止、等々に反対票を投じているのである。キューバに対する米国の経済封鎖を終わらせる必要性についても1992年から1999年まで、8回も行われているが、これに反対しているのは、ほぼ、米国とイスラエルだけである。
1990年にネルソン・マンデラが釈放されたとき、ジョージ・ブッシュ(父)大統領は、マンデラに、アメリカ人はみな「あなたの釈放に歓喜している」と伝えたが、そのマンデラが28年前に逮捕されたのは、CIAが南アフリカ当局に居場所を内報したためであった。しかも、このジョージ・ブッシュはCIA長官を務め、マンデラのアフリカ民族会議(ANC)についての情報を提供していたのであった。(p.334「CIAがマンデラを二八年間も牢獄に閉じこめた経緯」より)
「地上唯一の超大国であるということは、決して謝罪する必要がないということである。」と題する章では、アメリカのあまりにも一方的な態度の数々が挙げられている。
1997年、キューバは領空侵犯してきた航空機を撃ち落とした。アメリカの裁判所は、この4人の死者についてキューバ政府に1億8760億ドルを支払うよう決定を下した。一方、キューバは1999年アメリカに対して、米国政府がこの40年間行ってきた様々な「攻撃行為」で死傷した5500人あまりについての1兆8110億ドルの賠償を請求したが、アメリカはこの訴状の受け取りすら拒否した。
アメリカはベトナム戦争後の会談において、戦後復興のために32億5000万ドルを支払うと約束した。しかし、それ以来、約束された復興支援金はまったく支払われていない。ところが、南ベトナム政府に対してアメリカ政府が行った援助について、残された負債1億4500万ドルの支払いを、ベトナム政府は1997年に開始させられた。「つまり、ハノイは、自らに対して米国が仕掛けた戦争の費用を米国に弁済しているのだ。」「法律用語ではこれを『強請(ゆすり)』という。」(p.352)
ここに挙げたことは、この著書の内容のほんの一例に過ぎない。再度言うが、ぜひ、この本を手元に置いて、アメリカの戦後の歴史をじっくりと眺めてほしい。
「民主主義にとってのプロパガンダは、独裁政治にとっての暴力に相当する」(p.56「はじめに」より)。この書は、長年に渡ってそうしたプロパガンダと執拗に闘ってきた著者ならではのものである。
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この書が書かれた1999年の大統領は、民主党のクリントンであった。
「アメリカの指導者が残酷だから、米国の対外政策が残酷だというのではない。むしろ、異常に残酷で無慈悲になる意志をもち、そうなれる人物しか、外交政策部門で指導的立場を得ることが出来ないがために、我々の指導者は残酷なのである。」(p.51同上)
「私がアメリカ大統領だとしたら、米国に対するテロ攻撃を数日のうちに止めることができる。しかも永遠に。まず、アメリカの犠牲となったすべての寡婦や寡夫、孤児たちに、また拷問を受け貧困に突き落とされた人々に、そして、何百万もの犠牲者たちに謝罪する。それから、できる限りの誠意を込めて、世界の隅々にまで、アメリカの世界への軍事的・政治的介入は終了したと宣言し、イスラエルに対しては、もはやイスラエルはアメリカ合衆国の51番目の州ではなく、当たり前のことではあるが、外国の一つであると告げる。軍事予算を少なくとも90%はカットし、それによりあまった予算を犠牲者への賠償にあてる。」(…)「ホワイトハウスでの最初の三日間に、私は以上のことを行うだろう。四日目に私は暗殺されるだろう。」(p.36「新版へのまえがき」より)
これ以上何も付け加えることはない。これが今のアメリカという国なのである。
(2004年1月20日 木村奈保子)
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