ビクトル・ハラとパブロ・ネルーダ
〜“もう一つの9.11”によせて〜
“もう一つの9・11”とその30周年
今年の9月11日もまた、新聞やTVでは、米の同時多発テロの2周年が話題とされた。さすがに今年はイラク占領体制が財政的にも軍事的にも破綻し戦争が泥沼化している真っ最中なので、ブッシュ政権のお歴々が昨年のように勇ましく自信を持って「テロとの戦い」や戦争賛美を内外に披瀝することは出来なかった。
しかし私は、この「9・11」ではなく、「もう一つの9・11」の方に皆さんの注意を喚起したい。とりわけ今年は、その30周年でもあるので、中南米や北米を中心に英語やスペイン語のサイトを見ると、あちこちで例年にない大き取り組みが行われていた。ところが日本のメディアはどうか。「もう一つの9・11」報道はほとんど皆無であった。そのことを非常に残念に思うのは、単にチリ人民、途上国人民の悲惨と過酷にメディアが目を向けなくなったというだけの問題ではない。
そこにある種の恐ろしさを感じざるを得ないからである。日本でも、軍事クーデタが、あり得ない遠い将来の夢物語、あるいはどこかの途上国でしか起こり得ない事件とは言えなくなったのではないのか。有事法制を強行し改憲を公言する小泉政権が、更にその軍国主義と反動政治に磨きを掛けた再改造内閣を発足させ、メディアが「選挙の顔」「若返り」と持ち上げる状況は異常としか言いようがない。まるで軍隊が政治の表舞台に出るまでの下手な前座を見ているかのような錯覚を覚える。
「もう一つの9・11」−−1973年9月11日、チリで反革命軍事クーデターがおこり、史上初めて選挙によって成立した社会主義政権は崩壊した。人民連合のアジェンデ大統領は、大統領府に激しい爆撃を受けながらも、そこに最後までとどまり、チリの婦人、青年、人民、労働者を讃える言葉を遺して死んでいった。
アジェンデ大統領がその最後の演説の中で危惧したとおり、ファシズムは、人民連合を支持した人々を徹底的に弾圧し言葉では言い表せないありとあらゆる迫害を行った。ピノチェット軍事政権のもとで、数万の人が虐殺・拘束され、20数万人が亡命したが、行方も生死も分からない人々を含めてその実数は未だ不明である。
軍事クーデタの真っ只中で虐殺されたビクトル・ハラ
そうした多くの犠牲者の一人に、ビクトル・ハラがいる。彼は、歌い手であった。チリの町や村を巡り歩き、人々の間で歌い継がれているフォルクローレを、古びた珍しい研究対象としてではなく、現代に通じる生きた表現として歌い、創作していく「新しい歌(ヌエバ・カンシオン)」運動の中心人物であった。彼はクーデターの当日、工科大学にいた。戦車は大学に突入し、そこにいた全員が拘束され、チリスタジアムに連れて行かれた。それは、彼がしばしば演奏会を行った場所であった。彼は四日間にわたり拷問を受け、ギターを弾けないよう、手が砕かれた。それでも、彼は人民連合を讃える歌『ベンセレーモス(我々は勝利する)』を歌った。彼の背後から撃ち込まれた銃弾がその最後の息を止めるまで。
彼の歌は、チリの人々の心をとらえただけではない。日本でも彼の歌に強い関心をもっている人々がいる。
「モノノフォン」http://homepage1.nifty.com/hebon/fhp/fhp_16.htm
「ビクトル・ハラ」http://www005.upp.so-net.ne.jp/st00227/jara/
(どちらのホームページも、ビクトル・ハラの音楽と生涯について詳しく書かれている。)
「ラ・レプブリカ」http://homepage2.nifty.com/comic-larepublica/jara.htm
(ビクトル・ハラ没後30周年にあたって、彼の曲を放送局にリクエストしようとの呼びかけがある。)
ビクトル・ハラについての詳しい紹介は上記のホームページでなされているので割愛する。しかし、私が最も好きな曲『仕事場への道すがら』だけは、ここで紹介しておきたい。
朝日てらす 町かどの
仕事場への 道すがら
見知らぬ人の 急ぐ足どり
行き交うごとに見れば
いつも 思いおこすお前のこと
生きることのしあわせの 道づれよ
今日と明日の歴史を 開こうと
二人始めた仕事の 終わり知らず
夕日てらす 屋根屋根に
仕事終えて 帰る道
時の流れや 明日の世界を
友と語り合えば
いつも 思いおこすお前のこと
生きることのしあわせの 道づれよ
今日と明日の歴史を 開こうと
二人始めた仕事の 終わり知らず
家につけば お前はそこに
二人の夢は …
今日と明日の歴史を 開こうと
(日本語歌詞:フロイント・コール)
この曲は、人民連合のために精力的に活動していた若い建築労働者が暗殺された時、彼の心情に思いを馳せて作り上げられた。1973年、アメリカの経済制裁に苦しめられ、有産者のストが続き、CIAが転覆活動を企てており、軍ではクーデター未遂事件があるというとてつもなく過酷で困難な時期に作られたとは思えないほど、おだやかで信頼にみちた愛を歌っている。
パブロ・ネルーダの葬儀と最初の反軍政行動
このクーデターの犠牲者として、パブロ・ネルーダの名前もぜひ挙げておきたい。彼はクーデター以前から病に伏していたのだが、この事件の衝撃は彼の病状を悪化させた。彼を病院に運ぶ救急車は戒厳令の下で厳しい検問を受けた。クーデターによる精神的・肉体的苦痛が彼の死期を早めた。1973年9月24日、ネルーダは69歳の生涯を終えた。彼の葬儀に参列した人々からは自然発生的に「インターナショナル」の歌声が湧き起こり、それはピノチェット軍政への最初の大衆的な抗議行動となった。
ネルーダは少年期から詩を発表していたが、彼の詩と人生にとって大きな契機となったのは、スペインで、フランコ将軍が反乱を起こし、マドリードが爆撃され、親友であった詩人ガルシア・ロルカが暗殺された事件であった。彼は、この時の心情と情景を『そのわけを話そう』で歌う。
…
きみたちは尋ねる−−なぜ わたしの詩が
夢や木の葉をうたわないのか
故国の大きな火山をうたわないのか と
来て見てくれ 街街に流れている血を
来て見てくれ
街街に流れている血を
来て見てくれ
街街に流れている
この血を!
ネルーダの生涯は、この時からファシズムとの闘いの生涯となった。彼の詩はファシズムを撃つ弾丸となった。第二次世界大戦時には、ナチスドイツと戦うソ連を擁護し、1945年にチリ共産党に入党した。ベトナム戦争時にはアメリカを激しく攻撃した。1970年の大統領選挙では、共産党から大統領候補として指名されたが、社会党の候補者アジェンデを人民連合の統一候補として擁立するために辞退した。アジェンデは当選して大統領となり、ネルーダは詩人としてノーベル文学賞を受賞した。人民連合政権は、人類史を拓く新たな試みとなるはずだったが…。
彼の名前は、『イル・ポスティーノ』という映画で記憶されている人も多いかもしれない。愛を歌い上げたコミュニスト詩人として名高いネルーダを敬愛する若い郵便配達夫マリオとの交流が叙情とユーモアをもって描かれている。
マリオに事務的にチップを渡す、そっけないネルーダ。詩人になりたいと願うマリオに、詩の技法を余裕たっぷり説明していたはずが、逆に素朴かつ難解な問いを突きつけられてとまどうネルーダ。ビートルズの歌「プリーズ・ミスター・ポストマン」に合わせて踊るネルーダ…。何となく近寄りがたい偉人というイメージがみごとに壊されて、そこから新しい人間像が浮かび上がってくる。そして、彼らへの親近感を深めれば深めるほど、彼らを襲う過酷な運命に涙を禁じ得ない。
個人的な話になるが、この1973年の9.11は、私の世界を見る目の原点となった事件であった。そのころから現在に至るまでの私の観点・感覚は、この事件の報道に接したときに形作られたものから基本的に変わっていない。
その数年後、私は知人からさまざまな歌を紹介されることになった。その中でも特に私の心をとらえたのが、中南米のフォルクローレ、とりわけ「新しい歌」を歌う人々の歌であった。これはいったい何の偶然なのであろうか。それとも必然なのであろうか。
最後にネルーダの詩『きこりよ めざめよ』から、平和を歌いあげた箇所を引用して、この「もう一つの9.11」によせた紹介を終わりたい。
日ごとに訪れる 夕ぐれに 平和あれ
橋のうえに 平和あれ 酒に 平和あれ
わたしの使う言葉に 平和あれ
そしてわたしの胸にのぼってきて
土の匂いと愛にみちた 古いむかしの歌を
くりひろげてくれる 言葉に 平和あれ
パンの匂いで目がさめる
朝がたの都会に 平和あれ
……
スペイン・ゲリラの
ひき裂かれた心臓に 平和あれ
そこでは ハートの刺繍のある座布団が
いちばん なつかしい
ワイオミングの小さな博物館に 平和あれ
パン屋と かれの愛に 平和あれ
小麦粉のうえに 平和あれ
やがて芽を出してくる麦に 平和あれ
茂みを探す 恋びとのうえに 平和あれ
生きとし生けるるものに 平和あれ
すべての大地と 水のうえに 平和あれ
2003年9月 木村奈保子
※参考文献※
『世界近現代史 授業が楽しくなる「歌と演説」』鳥塚義和著 日本書籍 2500円
『過ぎ去らない人々』徐京植(ソ・キョンシク)著 影書房 2200円
『イル・ポスティーノ』A・スカルメタ著 鈴木玲子訳 徳間文庫 485円
『愛と革命の詩人ネルーダ』大島博光著 大月書店(国民文庫) 583円
『ビクトル・ハラ 終わりなき歌』ジョーン・ハラ著 矢沢寛訳 新日本出版社(品切れ)
『パブロネルーダの生涯』マルガリータ・アギレ著 松田忠徳訳 新日本出版社(品切れ)
『ネルーダ最後の詩集 チリ革命への賛歌』大島博光訳 新日本文庫(品切れ)
『Residence sur la terre』Pablo Neruda著 Guy Suares訳 Gallimard