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映画「NAKBA」を見て

 大阪で、映画「NAKBA」の上映が始まりました。
 4/19(土) 〜 5/2(金)
 「シネ・ヌーヴォー」(http://www.cinenouveau.com/index2.html)。
 (「シネ・ヌーヴォーX」では、同日4/19(土)よりパレスチナ映画特集が行われ、5/3(土)以降「NAKBA」を続映。)

 3月22日から東京で上映が始まっていました。待ち遠しかった大阪での初日に見に出かけました。まず、その映像の力に圧倒されました。そのリアルさ、書物を読んで得た知識とは全く異なる映像のもつリアルさ。語りつくせない内容がぎっしりと詰まっている。言葉ではとても表現し尽くすことができない。呆然とするような感覚にとらわれて映画館を出ました。

 最も印象に残って脳裏を離れないのは、1982年のレバノン、サブラ・シャティーラ難民キャンプでの大虐殺を生きのびた少女と広河氏がやりとりする場面の一つです。当時12歳だったその少女は、やがてゲリラに身を投じ、逮捕されて6年間投獄されました。釈放されて何年か後にもうすぐ結婚するというときに広河氏が再会した、そのときのやりとりです。
 いろいろとやりたいことや夢を語る彼女。それを彼氏に語るべきだ、それに彼がイエスと言うなら結婚すればいい、ノーと言うならこの結婚はやめた方がいい、と広河氏がアドバイスします。悲しい思いをして、6年も投獄されて...、君はもっと幸せになるべきなんだ、と。そのとき、しばらく考え込んでいた彼女がポツリと言います、「収容所は完璧だった。収容所のほうがよかった」と。驚いた広河氏が問い直しますが、彼女は冗談を言っているのではなく真面目な話としてそれを語っているのです。広河氏は彼女が収監されていた収容所を訪れ、実際に彼女が入れられていた独房に入って、6年間閉じ込められていた彼女の思いを想像する取材もしています。布切れを窓の鉄格子にいくつも巻きつけて必死に誰かに自分の存在を知らせようとしていた彼女を、広河氏はそこで想像したのでした。そのことを踏まえて再度広河氏が問います。「外の世界は、いいことがなにもない、ということ?」と。彼女は小さくうなずきます。イスラエルの収容所よりも現実は耐え難いと真顔で訴えているようにみえます。そのシーンが脳裏を離れません。

 印象に残るシーンは他にもいくつもあります。NAKBA(大惨事)を経験した父親の話が作り事だと思っていた人の話。第二次インティファーダを自分自身が経験する中で、父親の話が本当だと思うようになって、当時のことを調べているパレスチナ人の話です。その人は、インタヴューで感情を抑えて淡々と次のように語ります。「世界の人々はホロコーストには興味があり、証言を集めてたくさん本も出版している。しかし、パレスチナ人の証言は信用されない。彼らは人間で、私たちは動物(animal)だということですか、それを聞きたい。」と。
 その同じ村の48年当時の虐殺を歴史家としての良心と信念で調査し公表したイスラエル人がいました。多くの元イスラエル人兵士にインタヴュー調査をして、はじめは信じられなかったが、確信をもつようになって、2000年に結果を公表しました。その歴史家は、「人々から、『なぜこんなことをするんだ』『なぜイスラエルの名誉を汚すようなことをするんだ』と言われる。」と深刻に語っていました。

 また、高名なイスラエル人歴史家イラン・パペ氏へのインタヴュー。48年のイスラエル建国当時、イスラエルの指導者たちは、国連の分割決議によってパレスチナの55%の土地が手に入ることを知っていて、彼らは、はじめはそれに満足していた。しかし、そこにおける人口構成がユダヤ人とアラブ人がほぼ半々だということに気づいて、民族浄化を決意し、アラブ人の追い出しを計画した。そういう内容を明瞭に語っていました。
 この内容は、広河氏の『パレスチナ(新版)』(岩波新書)に「ダーレット(D)計画」として詳しく書かれています。まさに、NAKBAは、意図的・計画的に遂行されたのです。

 広河氏が破壊されたパレスチナの村の廃墟を見つけて疑問を抱き始めてから親交を深めるようになった「マツペン」という組織があって、占領に反対する活動を精力的に行なってきました。その元メンバーたちの活動も紹介されています。特に強烈なメッセージとして心に焼き付くのは、次の熱弁です。「私は、アラブ人を支持しているわけではない。私はアラブの王たちを支持したことはない。私は抑圧され苦しんでいる人々を支持する。私にとって、ユダヤ人とアラブ人という区別はない。イギリス人とドイツ人という区別も、男と女、大人と子ども、という区別もない。あるのはただ、抑圧者と被抑圧者の区別だけだ。」と。

 広河氏は、イスラエルのキブツ共同体に魅かれて1967年にイスラエルにわたりました。そしてキブツに隣接した破壊されたパレスチナ人の村の廃墟を見つけます。それが広河氏の原体験となっていますが、その村の難民をついに見つけることができてインタヴューした映像がつづられています。その中の一人の老人が、涙ながらに当時のことを語り、その後の悲惨な血みどろの戦いのことを語り、「年寄りも若者も、ユダヤ人もアラブ人も、殺しあっている。誰がこんなことを始めたんだ!」と杖を床にたたきつけながら語る場面。これも強烈に印象に残っています。

 いくら書いてもキリがありません。百聞は一見にしかずです。ひとりでも多くの人が直接映像を見ることを切に願ってやみません。

 「1コマ・サポーター」(代表森沢典子さん)が中心になってこの企画が進められました。主要各国語版も作られ、そのDVDの製作も進められ、さらに膨大な保存版の作成も計画されて作業が進められていると聞きます。しかし、1コマ・サポーターズの人々に新たなカンパ要請をしなければならないほど、その資金は極めて乏しい状況のようです。全国での映画上映が成功して資金が多く回収できればと思いますが...。内容面からも、製作支援という面からも、一人でも多くの人に足を運んで欲しいと思います。

2008年4月20日 大阪YH

 NAKBAオフィシャルサイト
http://nakba.jp/index.html
http://nakba.jp/theater.html(公開劇場)