CD紹介 アンジェリーク・キジョーの魂の音楽
太鼓を拠り所に人間としての尊厳を保った奴隷たち
「音楽というものは、世界中の人々が理解できるただ一つの言語です。」
ジンジン
2007/5/1 EMIミュージック・ジャパン  
オフィシャル・サイト http://www.kidjo.com/
その他の紹介サイト
http://www.bluenote.co.jp/jp/schedule/detail.php?id=92
http://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Arch/SR/AngeliqueKidjo/

 アフリカの歌姫が昨年末来日し、テレビなどでも紹介された。彼女の名はアンジェリーク・キジョー。西アフリカ・ベナン出身の彼女の歌は、母国語でありながら、なぜか不思議と通じてしまう。それほどまでにそのリズムで、その声で、歌の思いを直接聴く人の心に届けてしまうのだ。どんなに国が違っても、どんなに文化が違っても、音楽は世界共通の言語となり、人々の心を結びつけることができる。それが彼女の音楽だ。

 奴隷貿易の子孫が受け継ぐ様々な音楽〜サンバ、サルサ、チャチャチャ、カリプソからロック、ソウル、レゲエまで

 ベナンは、西アフリカ・奴隷海岸に面した小国であるが、14世紀に王国ができたほど文化のレベルは高い。しかし16世紀以降300年にわたる奴隷貿易で、2000万人とも言われる奴隷の輸出基地となってしまい、その後フランスの植民地を経て1960年独立したが、他の植民地同様、収奪の標的となり続けた。
 しかしアフリカ人の誇りや文化は、奴隷として連れ去られた人々や、植民地下であえぐ人たちの心に守り続けたい魂として生き続け、それが彼女の音楽の中で再融合したのだ。彼女は言う。「アフリカは、歴史上多くの人々を奪われてきました。アフリカを別のものにしたかもしれない人々です。しかし、私たちの文化や音楽を奪うことはできません。」
 彼女の歌はさまざまなジャンルに飛んでいく。ロック、ブルース、サンバ、サルサ、ソウル、レゲエ・・・。しかしそれでもどこか統一感があるのだ。その理由は、それぞれの音楽がそれぞれのメロディを持っていても、根本にあるリズム、特に体に染みついた太鼓のリズムが共通しているからだと分かる。どの音楽もまるで人間の鼓動に合わせているようなリズムが刻まれている。たとえば、トリニダード・トバゴのカリブソは、町に転がっていた石油のドラム缶から作ったスチールドラムを特徴としている。キューバのサルサはヨーロッパのトランペットなどの楽器がメロディーを奏で、アフリカの打楽器がリズムを刻む。それはすべての音楽の源がアフリカにあり、奴隷として海を渡った人々が、新しい国で、人間の心を表現する手段として音楽を守り続けたことの証である。

 音楽はアフリカに生まれ、アフリカに還る〜全ての底流に流れる奴隷の叫びと打楽器の鼓動

 彼女の歌うアフリカ音楽は、アフリカの青い空、乾いた空気の中を響き渡る獣たちの声のように、力強く澄み渡り、アフリカの大地の上では人間も自然の一部だということを改めて思い起こさせてくれる。彼女の歌うレゲエは、籠に閉じ込められた鳥のように、自由に飛べないことへの嘆きが肚の一番奥底まで、しんしんと染み渡るような悲しみを感じさせてくれる。彼女の歌は、歌そのものが大地から自然に生まれたものだということ、どこでどのように暮らそうと、肌の色や話す言葉が違おうと、地球の上で人間は等しい存在なのだと実感させてくれるのだ。
 それをストレートに表わす曲を新しいアルバム「DjinDjin」から選ぶならば、アフリカのおおらかな恵みが自分を包む喜びを礼賛し、自然と叫ばずにはいられない衝動をそのまま歌にした「EMMA」、ラベルのボレロをアレンジして、力強く大地を踏みしめて歩く人間の足音を、見事なアカペラで歌い上げた「LONLON」などが、彼女の歌の真髄を余すところなく伝えている。
 彼女の歌はまさに“魂”そのものだ。「中南米に渡った奴隷達は太鼓を拠り所に人間としての誇りを子孫に伝えてきた。アフリカから連れ出された奴隷達は音楽のおかげで人間としての尊厳を保つことができたのだと思います。お前らは動物同然だと言われ続けても、常にまっすぐ立ち続けることができたのだ、と。肌の色が違っても、生きるに値しないということはない、誇りを持てばいいのだ、と。」
 そして彼女は自らの音楽思想をこう述べる。「音楽というものは、世界中の人々が理解できるただ一つの言語です。肌の色は関係ありません。人々を憎しみではなく、生きる喜びで結び付けるものなのです。」音楽はアフリカに生まれ、世界中に広がり、そしてまたアフリカに還る。世界中の喜びと悲しみを歌に込めて、そして歌はより深く、空に、大地に、そして人間の心にしみわたって行く。アフリカの歌姫だけができる奇跡に、私たちは出会えた。
(2008.4.20.ERIKO)