投稿[書籍紹介]
「北朝鮮の脅威」を冷静に検証する
『北朝鮮とアメリカ 確執の半世紀』
ブルース・カミングス著
杉田米行〔監訳〕 古田和仁、豊田英子〔訳〕
明石書店 本体2800円+税
「大量破壊兵器を使用するという脅しを恒常的に口にしたり
実際に使用したりしてきたのは米国のほうだった。」
■冷静な姿勢、豊かな歴史認識、高い学問的水準−−「北朝鮮脅威論」の虚構・虚像を暴く
この書は北朝鮮の論者が書いたものではない。全面的に北朝鮮を支持する論者が書いたものでもない。米国のリベラルで誠実な歴史学者(現在著者はシカゴ大学の歴史学部教授である)が書いたものである。この書は、北朝鮮の社会主義体制の評価を云々するものではない。米国と北朝鮮との間の、戦争と政治的軍事的緊張の半世紀の真実を克明に描いたものである。政治体制や日常生活や文化についても、金日成や金正日という政治指導者についても、米朝関係史の真実を掘り下げる範囲内で語られている。
だから私はこの書を、日本の政府やメディアから流されている北朝鮮に関する情報や報道がどこまで本当なのか真実を知りたいと思っている人、北朝鮮に違和感を持っているが真剣に日本とアジアの平和、日朝関係の正常化を願う人に読んでほしいと思う。ここには「北朝鮮の脅威」の虚構・虚像が、事実と史実に基づいて科学的学問的に暴かれている。
著者は言う。「メディアで北朝鮮が論議される場合、米国政府にはもとより何の罪もないが、北朝鮮の方が『大量破壊兵器』を入手し、使用することに執心している、という前提で話が進むことが多い。(…)ところが、1940年代以降における北東アジアでの米国の行状をみてみると、大量破壊兵器を使用するという脅しを恒常的に口にしたり実際に使用したりしてきたのは米国のほうだった。」(「第1章 戦争は暴力的な教師」より)
著者のブルース・カミングス教授(シカゴ大学)は、「若かりしころ、平和部隊を通じて韓国という国を知るようになり、長年の関係の末に北朝鮮にも関心をもつようになった」人物で、アメリカにおける北朝鮮研究者の中では、朝鮮語を操り、現地調査を行ってきた、数少ない研究者の一人である。(言い換えれば、そうした水準にも達していない研究者がほとんどだということである。)
著者は、決して北朝鮮に共感をよせているわけではない。しかし、「北朝鮮は、明日にも韓国を攻撃しようとしており、指導者は頭がおかしく、国民は皆洗脳されて、政権は自滅するか、他国に戦争を仕掛けようとしている」というような、「資料の揃った図書館で少し調べればすぐにわかるようなウソ」で多くの米国人が騙され、真に重大な危機を招きかねないブッシュ政権の外交政策に何の疑問も抱かない風潮に警鐘を鳴らさずにはおれないのである。
「北朝鮮という国には、いかなる意見の相違も認めない悲惨な内政と、武力を振り回す外政と、双方において愉快ならざる面がある。しかし時間をかけてつぶさに観察してみれば、理解可能な論理に従って行動していることも分かってくるのである。」(日本語版序文より)
著者は、「米国が半世紀前に北朝鮮の領土をひどく爆撃し、結果としてその廃墟の中から一つの軍事国家が誕生するのに手を貸してしまった」ことに、加害者として贖罪の意識を感じている。著者は、それは「すべての米国人が負わなければならない、極めて重大な責任」であると考えている。その一方で、朝鮮には朝鮮独自の歴史、文化、価値観、民族性があり、人種的偏見に基づく侮蔑はもちろんのこと、傲慢さの裏返しでもある過剰な憐憫に陥ることも戒めている。
2002年末から執筆が開始されたこの著書は、2004年に出版され、そして早くも同年のうちに日本語訳が出版された。2002年とは米朝関係、日朝関係にとって節目の重要な年であった。執筆開始の前年2002年1月には、ブッシュ一般教書であの有名な“悪の枢軸”が打ち出され、イラク、イランと並んで北朝鮮が、先制攻撃で武力制圧する相手の一つに“格上げ”された。そしてまさに執筆が開始された年の10月、現在につながる「北朝鮮核保有騒動」が突如浮上したのである。
この間、日本では日本人拉致問題を受けて反北朝鮮キャンペーンが猛烈な勢いで広がり、熱病にうなされたようになった。政府与党とメディアが一体となって民族差別と拝外主義を扇動し、異常な北朝鮮敵視の世論が形成された。「北朝鮮の脅威」を持ち出しさえすれば、これまで一定の歯止めがかけられていたあらゆる軍事外交政策も正当化しうるという状況が人為的に作り出された。北朝鮮=金正日批判は、有事法のような国家総動員体制作りも、軍拡も、経済制裁も、何でもできる“魔法の杖”のような役割を持たされた。
そうした中にあって、この著者の示す冷静さと豊かな歴史認識、高い学問的水準は、私たち一人一人が北朝鮮に対する認識を改め、そうした政策に対抗する見地を提供してくれるのではないだろうか。
■朝鮮戦争での米国による桁外れの破壊と大量殺戮
著者は、北朝鮮が「軍事国家として世界の国々の中で驚異的ともいえるほどに突出している」と指摘する。「CIAが1978年に行った試算によると、17歳から49歳までの男性のうち、12パーセントが恒常的に軍務に就いているが、『この水準を超える国家はイスラエルのみ』だということだ。」
しかし、なぜ、北朝鮮がそのような軍事国家になったのか、著者はまず第一にそこに目を向ける。その主因は「朝鮮戦争中に経験した大量殺戮」に求めることができるだろうと、著者は指摘する。
「一人の歴史家としてその戦争を研究した時に非常に印象付けられたのは、米国による北朝鮮空爆の桁外れの破壊力である。焼夷弾(ナパームを主とする)の広範囲かつ継続的な使用に始まり、核兵器や化学兵器を使用する一歩手前の段階を経て、戦争末期には巨大なダムを破壊するといったように、米国は盛んに空爆を行った。しかし、こうした事実は、一般市民はもちろん歴史家にさえあまり知られておらず、ここ10年間でメディアが北朝鮮の核問題を取り上げた際も論じられたことは一度もない。」
ナパーム弾は、有名な報道写真で示されたようにヴェトナム戦争では大問題となったが、「朝鮮半島にはヴェトナムをはるかに上回る数のナパーム弾が投下され、ヴェトナムなどは比較にならないほど極めて凄惨な影響を及ぼした。というのは、北朝鮮には人口密集地や都市産業施設が北ヴェトナムよりかなり多くあったからだ。加えて、当時の『業界』雑誌に掲載された多数の記事が物語るように、米空軍はナパーム弾を偏愛していたのである。」
著者は、朝鮮戦争時にナパーム弾を浴びて何の治療もされず、体中がかさぶたで覆われたままになってしまった被害者の悲惨な姿を、実際に韓国の町で見ている。しかし、米国で、ナパーム弾の被害を報じる「扇情的記事」は、事前に発行を停めるために、検閲当局に報告されるのであった。
アメリカにとっては「限定戦争」であったが、「北朝鮮の人々はナパームで焼き殺される日常的な脅威に、三年もの間向き合ってきたのである。」
「第二次世界大戦中の爆撃に関する研究により、民間人を攻撃するとかえって敵の攻撃が強まることが分かっていた。にもかかわらず、米軍当局は、空爆を社会全体に影響を及ぼす心理作戦の一種として活用しようとしていた。」
また、1953年、米空軍は、朝鮮に残された唯一の基幹産業である農業の壊滅を狙って、田植え直後にダムを破壊した。「米空軍は次のように、自らがもたらした破壊の効果に満足していた。
「発生した鉄砲水が下流の低地に流れ込み、43キロメートルにわたりあらゆるものを押し流し、濁流が、[補給路その他を]跡形もなく消し去った。……アジア人にとり[米を]失うことがどれほど悲惨か、西洋人には想像もつかない−−飢餓と、緩慢なる死とが訪れるのである。」
■北朝鮮に対する原爆投下計画−−広島・長崎に続いて北朝鮮でも
さらにマッカーサーは、原爆の使用をも視野に入れていた。「当時、ソ連が報復攻撃に出る可能性は低いと考えられていた。というのは、米国が少なくとも450発の核爆弾を保持していたのに対し、ソ連は25発しか持っていなかったからである。」
「マッカーサーには10日で戦争を終わらせるもくろみがあった。『満州の喉元を横切るように……30発から50発の原爆を投下』しておいてから、50万の中国国民党軍兵士を鴨緑江沿いに展開させる計画だったという。そうすれば、「われわれの背後に−−日本海から黄海まで−−放射性コバルトのベルト地帯ができあがる……活性化している期間は、60年から120年だ。少なくとも60年間、北方から朝鮮半島に陸路で侵入することは不可能になる。」
こうした好戦性は、マッカーサーだけが持っているわけでもなかった。トルーマン大統領も原爆の使用をちらつかせ、日本に原爆を落とした経験のある米極東空軍司令官や、アルバート・ゴア下院議員(アル・ゴアの父親)、そしてマッカーサーの後任もまた原爆の使用を提案していた。
1951年9月から10月にかけては、沖縄の基地を飛び立ったB29が「北朝鮮上空に侵入して原爆投下の模擬訓練を行」うことまでやってのけている。
■朝鮮戦争の性格をめぐる問題
そもそも朝鮮戦争とは、いったいどんな戦争であったのか。著者の見解を私なりに整理すれば、それは、@朝鮮民族の「内戦」、Aそれへの米国の軍事介入だったのである。二重の性格を持っていたことが分かる。
1950年6月25日、この日北朝鮮が韓国を侵略したことについては、疑問の余地がない。これをもって、この戦争が、ナチスのポーランド侵略と同じ、典型的な侵略戦争であると解釈されるのが常であった。−−しかし、著者はその見方に疑問を呈する。「サダム・フセインのクウェート侵攻やブッシュのイラク侵攻とは異なり、朝鮮戦争の場合、朝鮮民族が朝鮮に侵攻したのである。これをどう解釈したらよいのか。」
この点について、当時の英国の労働大臣ストークスが、米国が一方的に定めた北緯38度の境界線こそがこの紛争の火種となったと述べ、さらに、この戦争とかつての米国における南北戦争との類似を指摘している。
朝鮮戦争は、「第一義的には、朝鮮民族による朝鮮民族固有の理由に基づいた内戦であった」と著者は指摘する。(南北戦争がそうであったように。南北戦争での戦死者60万人は、米国においてその後20世紀におきた全ての戦争の戦死者を合わせたより多い。身内が敵味方に別れ、その傷跡は100年たっても癒えてはいない。しかし、南北の勢力間に「仮想的な国境線」を引こうなどと考えたアメリカ人はいない。)
「金日成が38度線を越えた時、この線は設定後5年が経過していたわけだが、これはイラク−−クウェート間やドイツ−−ポーランド間に横たわるような国境線ではなく、いにしえより単一の存在として稀有かつ十分な認知を得てきた国を二分した線であり、北にしても南にしても、朝鮮人でこれを重んじる者など一人もいない線だったのである。」
「1950年6月、朝鮮人が朝鮮を侵略した。平和を破壊するこの言語道断の行為に対して、米国は敢然と立ち上がった。おそらくこれが、ここ数十年間、米国が建前として掲げてきた論理だといえるだろう。そして1950年以降、米国が朝鮮でどのような兵器を使用しても、またどれほど北朝鮮に脅威を与えても正当化されるという根拠になってきた。」
しかし、「軍国主義日本はどこからみても世界平和に対する脅威だったが、朝鮮半島統一を目指していた1950年当時の北朝鮮は、極論すれば他国にとってなんら脅威たり得ず、最悪でも地域の安定を脅かす程度であった。」
これに対して、米国がとった戦略は、北朝鮮軍を38度線に押し戻す(1950年9月)ことに留まらず、その後2年にわたって北朝鮮領内で大規模な空爆を行うことであった。
50年9月までの韓国人死傷者・行方不明者は約27万4000人、米国人死傷者・行方不明者は約2万人、「北朝鮮の死傷者数は不明だが、戦死者だけで7万人程度だったと思われる」。それ以降の2年間で、「北朝鮮側の人々300万人以上が死に、それに新たな韓国人の死者100万人と中国人の死者およそ100万人が加わった。米軍のほうではさらに5万2000人が犠牲となった。そのような犠牲を払ったにもかかわらず、休戦により米国は振り出しと寸分違わぬ地点に戻っただけだった。」
このような原点での「ホロコースト」の体験だけではない。言うまでもなく朝鮮戦争は50年以上経った現在も、未だに「休戦」であって、終戦ではない。戦争は終わっていないのである。それを日本のメディアは言わない。
著者はこう続ける。朝鮮戦争以降も延々と続く北東アジアにおける米国の航空戦略と核戦略とが「北朝鮮の採り得る選択肢に厳しい制限を課してきたのであり、今日でも、北朝鮮の国家安全保障戦略を決定づける重要な鍵となっている。」と。戦後米ソ冷戦時代を通じて、米国がアジア・極東に広がる社会主義体制を軍事的に封じ込める政策の一環として、核戦力を最大の武器にして、北朝鮮を軍事的経済的に脅迫し封鎖してきたのである。日本はその前方展開基地として攻撃の刃の切っ先として加害者・脅迫する側の役割を果たしてきたのである。このことが国力・経済力で圧倒的に劣る北朝鮮に、過剰な軍事的防衛を強制してきたのである。この歴史的事実をメディアは絶対伝えない。
■「北朝鮮の核危機」−−誰がそれをもたらしているのか?
「第二章 核危機−−第一幕とその後」では、今日まさに問題になっている北朝鮮の「核危機」が検証されている。
米国の主要な新聞における北朝鮮論評は、基本的に、「頭のおかしい独裁者が牛耳るならず者政権が自暴自棄に陥り、核攻撃をちらつかせて世界を脅している」というものである。「米国の著名人は、ひとたび話が北朝鮮とその指導者に及ぶと、人種の違いや他者性という非常に微妙な問題を語る際について回る、ためらいや自制心を全く捨て去ってしまう。」「相手の頭がおかしいことにしてしまえば、どのような議論でもできる」のである。(ここで筆者は日本のことを言っているのかと思われるくらいである。)
しかし、著者は、理解不能な存在として北朝鮮を捉えることには反対である。朝鮮戦争から連続して現在に至る米国からの核の脅しを「北朝鮮が問題視しなかったら、それこそどうかしているとしか思えない」と著者は言う。
朝鮮戦争で、実際に核兵器の脅威にさらされた北朝鮮は、その後も、その脅威から自由になったことは一度もない。
「一九五三年の停戦協定で既存のものとは質的に異なる兵器の導入が禁じられていたにもかかわらず、米国は朝鮮戦争が停戦に至った後で韓国に核兵器を持ち込んだ。」
さらに、韓国では一九七〇年代半ばに、朴正熙によって核開発が試みられた。また、七〇年代と八〇年代には、核弾頭を装着することが可能な弾道ミサイルの開発計画が進められた。これらは米国の圧力で放棄させられたが、その見返りに先端技術が米国から韓国に提供された。「当然のことながら韓国は、これにより新たな兵器開発能力を得ることとなった。」
こうしたことを考慮に入れると「北朝鮮はたいていの場合、米国の圧力や韓国が緒をつけた事柄に対抗するように行動したに過ぎないのである。」
軍事力にかけては圧倒的に劣勢である(制空権、そして、極めて高性能な偵察衛星によって「制宙権」を完全に米国に握られている)北朝鮮は、米国に対して「はったり」や「綱渡り」などあらゆる手段を使うしかなかった。「核開発計画」もまたそのようなものであった。「すでに一、二個の原子爆弾を保有している可能性」は、北朝鮮の持つ唯一の外交交渉の切り札であった。(CIAが、北朝鮮が核攻撃を目論んでいる証拠としてあげる「一、二個の原子爆弾」の根拠は、実のところ非常に貧弱なものである。これは、一九九三年に、米政府内の北朝鮮専門家を一堂に集めて、北朝鮮が原子爆弾を開発したと思う者は、挙手をするという方法で導き出されたものであった。)
「実のところ、金正日にとって、ミサイルは商売道具であり、最大の外貨獲得手段なのである。」もしクリントンの訪朝が実現していた場合、アメリカは毎年一〇億ドルの食料援助を見返りとして、北朝鮮は、射程二九〇キロメートル以上のミサイルをもてなくなるMTCRへの加盟が確実視されていた。(結局ブッシュの大統領当選によってこの会談は実現しなかった。)一方、特に北朝鮮を対象とした国家ミサイル構想には、当時既に六〇億ドルがつぎ込まれていた。
現在の朝鮮半島の危機を生み出しているのは、北朝鮮の違反行為や挑発行為、そして、新たな朝鮮戦争の際には初期段階から核兵器を使用すると定めている米国の戦争計画、そしてブッシュが新たに提唱した先制攻撃論であると、筆者は指摘する。
「ブッシュの先制攻撃論は、北朝鮮が先に攻撃を開始した場合に先手を打って核攻撃を行うという、何十年にもわたり在韓米軍の基本戦略となってきた既存の計画と、米国がいまだに何千という数を保有している核兵器を米国と同じようにもとうとした北朝鮮のような国を、それだけを理由に攻撃してもかまわないとする情け容赦のない意思とが融合されてできている。」
二〇〇二年九月、大統領令の一七号には、北朝鮮を先制攻撃の対象とする旨が明記されていた。
ここまで見れば、北朝鮮の「核危機」といわれる事態を作り出しているのは、いったいだれであるかということはまったく明らかである。
■「いかなる社会もその元の姿を知らなければ理解できない。」
「第四章 北朝鮮の日常生活」では、近代以前の朝鮮社会から書き起こし、著者自身の見聞をも含めた現在の北朝鮮の人々の生活を描いている。著者の見識の広さ・深さはいかんなく発揮されている
建国後、北朝鮮がまず行った改革は、地主制を崩壊させ、人口の75パーセントを占めていた農民に土地と家屋の所有権を得させることであった。所有権の相続は認められたが、不動産市場で売買することはできなかった。1950年に土地が集団化され、共同農場に組み込まれ、「就業日数」に応じて収穫が分配された。その一方で、家屋、家財は農民の私有のままで、「農民は自分たちのために小さな庭を耕すこともできた(そうすることで、多くの北朝鮮の家族が1990年代末の飢餓を乗り切ったのである。)」
貧農・中農は生活を向上させ、長い間「社会的に好ましくない家系」として結婚を忌み嫌われていたのが、一転して「社会的に好ましい者」になった。
裕福な地主の大半は1940年代に南部に逃げた。彼らにも他の者と同じ耕作地が与えられたが、それは家から遠く離れた土地だった。こうした政策は地主層の基盤を打ち砕き、「両班は序列の最下層に位置する」ことになったが、「多数の元貴族がどうにか耐え忍んだだけでなく、社会の階梯を上がったことが明らかになるであろう」と著者は考えている。著者は、北朝鮮外交官の身のこなしに両班を彷彿とさせるものを感じている。
著者は、70年代、80年代の北朝鮮の様子を、他の国の外交官や記者の見解も交えながら、具体的に描き出す。著者は1987年に北朝鮮を訪れ、「新しいものと古いものが渾然一体」となった平壌を歩き、克明に観察している。
「公園で踊っている伝統服を着た高齢の女性。ビジネススーツを着用した忙しそうな官僚。大理石の柱のある壮大な政府庁舎の上に乗っている流れるようなラインの朝鮮風の屋根。自転車に乗った長いあごひげの老爺とベンツに載った洒落者の幹部。そして突如として現れる古めかしい町並みを行く現代的な乗り物。」
「平壌の建築物には、機能主義と莫大な費用を投じた近代主義の矛盾、プロレタリア的で質素な内向きの実用性と世界レベルを目指す外向きの奮闘の矛盾が表れている。簡素、壮麗、剥奪、誇張が入り交じっているのである。」
「市内のあちらこちらに古い町並みが残っているが、伝統的な朝鮮の家は必ず瓦葺きで中庭を囲んで建てられている。しかしブルドーザーが来るのを今や遅しと待っているのは明らかだ(残念なことに、北朝鮮の都市計画者は、そうした美しい家屋を極貧の過去を思い出させる見苦しいものだと考えている)」。(逆に著者の側には西洋人的な異国趣味がなきにしもあらずであるが。)
著者は、開城の古い村を訪れ、その質素で牧歌的なところが、70年代の韓国の村落によく似ているという印象を抱く。
「事実としても比喩的な表現としても、異質で計り知れないという北朝鮮の特性が韓国人の心には非常に深く刻み込まれているので、北朝鮮の人が他の国の人と同じような日常生活を送る『普通で』『通常の』人々であることを知ると、韓国人は必ず驚き、衝撃さえ受けるようだ」と著者は記しているが、「韓国人」を「日本人」に置き換えても同じことが言えそうだ。
■「真実の種」
著者が北朝鮮を訪れた時、その大量のプロパガンダに辟易しながらも、彼の態度は古文書の研究者が神話や説話に接する態度にどこか似ている。つまり、それを字義通りに受け取ることはないが、かといって全くの作り話だと否定したりはしない。彼は、その物語の背後にはどんな事実があるのかを解き明かそうとする。
「北朝鮮の仰々しく誇り高い過剰な神話、おとぎ話、信じがたい物語、ありそうもない奇跡の中心には、たいてい真実の種がある。」
「第三章 金日成の伝説」においては、朝鮮遊撃隊が日本軍との闘いにおいてどのような役割を占めたかのかが具体的に書かれている。彼らが活動したのは朝鮮だけではない。彼らは中国における日本軍との闘いにおいても非常に大きな役割を担っていた。
「清朝皇帝の故郷である満州において、日本による占領に反対した者の大多数が朝鮮人であったことがあきらかになっている。(…)満州建国後の抗日遊撃隊員の約八〇パーセントと『中国共産党』党員の九〇パーセントは朝鮮人だった。」
それは、日本の朝鮮支配の過酷さから必然的に生じたことでもあった。そして、この遊撃隊は、満州の朝鮮人居住者からさまざまな支援を受けながら、日本軍に大きな損害を与えていた。これには大規模な弾圧が加えられた。
しかしながら、朝鮮の共産党員は、中国とソ連からも惨い目に遭ったのである。彼らの多くが「日本のスパイ」の疑いをかけられて殺された。「中国とソ連の両方の『同志』に逮捕された共産主義者にしてみれば、後に独立と自主が金日成の中心思想になったとしても何の不思議もあるまい」と、著者は指摘している。
著者は決して北朝鮮の賛美者ではない。金正日を描いた「第五章 世界初のポストモダンの独裁者」では、かなり辛辣な言葉が並ぶ。「第六章 善悪の彼岸」では、北朝鮮についてのドキュメンタリー番組を作るための過程で不愉快な思いをしたことなども包み隠さず吐露されている。
■「共存する術を」
しかしながら、著者の認識は、あくまで現実そのものから出発し、幻想も偏見も廃しようとしている。
「世界に唯一残存する、反ネオリベラリズム、反グローバリゼーションを貫徹した国家だとうそぶく北朝鮮を、米国人は皆嫌っている。進歩的な人々でさえ例外ではない。米国人は、金正日の一族独占型社会主義が、とにもかくにも、一刻も早く地球上から消滅することを願っている。」
「しかし、そのように願ったところで、北朝鮮は長い間存在し続けて」いる。おそらくこれからも存在しつづけるであろう。
「1989年にベルリンの壁が崩壊した時、北朝鮮は東欧の『衛星』国の政権と同じ道を歩むと思われていた。というのも、北朝鮮はそうした全体主義政権の中でも最悪であり、行き過ぎたひどい共産主義だと特に広く言われているからだ。」ところが、そうはならなかった。ソ連の崩壊でも、95−96年の洪水と深刻な飢餓にあっても、政権は崩壊しなかった。かつて日本帝国主義を相手に、飢餓や弾圧で身内を失いながら過酷な闘いを続けた人々が建国した国なのである。
しかし、米国政府、特に今日のネオコンとブッシュは北朝鮮を相手に、イラクで行ったように力づくで一国の政権を打ち倒そうとしており、それこそが朝鮮半島における一触即発の危機を招いていると著者は指摘する。
「われわれ米国人の歴史は、世界を改変するという任務のために−−一番最近の例では、『世界から悪を根絶するために』−−わざわざ出かけて行き、結局のところ、嫌われ、本来的には他者なしで自立可能な土地である米本国へ追い返されるということを繰り返してきた。」
「人権尊重を旗印に掲げる国々の間では、一つの方向だけを見て、とりあえず共産主義諸国を糾弾しておくというのが最も手軽な政策とされてきた。その一方で同盟国の非難すべき行為は看過されてきた。つまり、米国政府は、比較すれば金正日でさえ賢明な指導者にみえるような、性質の悪い独裁者(例えばサウジアラビアの独裁者)を支持している。最終的には米国の善意をはねつけ、なにがあっても米国が望むような方向に進もうとしない国々からなる多様で複雑な世界を理解し、その一員となり、そうした国々と共存する術を身に付けることは非常に難しい。しかし、やらねばならないことなのである。」(「序文」より)
これは、日本についてもまったく同様に当てはまることであろう。
2004年10月30日 木村奈保子
<参考>
※アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局が、2002年4月29日、「イラク戦争後、3ヶ国協議後の米朝関係、朝鮮半島情勢と有事法制の危険−−日本の反戦平和運動の緊急課題は、米日政権による対北朝鮮戦争挑発政策を阻止し平和的解決を要求すること」という論評を出しています。この中の「X.誇張され人為的にでっち上げられた『北朝鮮の軍事的脅威』」において、「北朝鮮脅威論」の“虚構”を整理した形で論じています。参考になると思います。http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Japanmilitarism/korean_peninsula_affairs.htm
※なお、明石書店のホームページに本書の内容構成、著者、監訳者、訳者紹介、日本語版序文、監訳者あとがきなどが紹介されています。http://www.akashi.co.jp/home.htm