[紹介]医者、用水路を拓く−−
アフガンの大地から世界の虚構に挑む
中村哲著 石風社 2007年11月 1890円
飢餓で苦しむアフガニスタンに爆撃で答えた「国際社会」に怒り
“ドクター・サーブ”とアフガニスタンの人々から親しみと尊敬を込めて呼ばれるPMS(ペシャワール会医療サービス)中村医師による「9・11同時多発テロ事件」の直前から6年間の支援活動報告が本書である。本全体が、国際支援とはどうあるべきかを鋭く問いかけ、人々が旱魃と飢えに苦しんでいる時に爆撃で応えた「国際社会」を厳しく糾弾する書となっている。中村医師が繰り返して語る「とても戦争どころではない」という怒りがひしひしと伝わってくる。
米軍のアフガン攻撃の直前、アフガニスタンは未曾有の大旱魃に襲われていた。「最も激烈な被害を受けたのはアフガニスタンで、1200万人が被災し、飢餓線上の者400万人、餓死線上の者100万人と推測」(WHO・2000年5月、本書14頁)。大旱魃によって田畑は干上がり、農村は放棄され大量の農民が難民となった。食糧不足、栄養失調と水不足は、人々を苦しめた。汚水を口にした多くの子供たちは赤痢などに感染し死んでいった。
アフガニスタンにとって食糧援助が最も必要とされた時であった。しかし、「国際社会」は反対のことをした。虚構の国際テロ組織「アルカイダ」を匿っているという口実で、「2001年1月、アフガニスタンへの国連制裁が発動」(本書14頁)、食糧輸入を絶とうとした。援助ビジネスと化していた各国NGOは人々の困窮を尻目に撤退していった。さらに米軍は爆撃で追い打ちをかけた。アフガニスタンでのテロリストは米軍そのものだった。
国際援助とはどうあるべきか−−用水路建設に全身全霊を傾ける
爆撃下のカ−ブルではPMSが命がけの食糧配給を行った。そしてPMSの活動は、「2000年夏からアフガニスタンを襲った大旱魃以後、医療と並行して『水対策=農業復興』が大きな比重を占めた」(本書1頁)。
タリバ−ン政権崩壊後の「アフガン復興ブーム」は、砂漠化し生活が出来ない農村を放置したままの「難民帰還プロジェクト」や水路を建設しないで看板を立てるだけの「灌漑プロジェクト」などの虚構がまかり通っていた。
「アフガニスタン問題は先ずパンと水の問題である」(本書284頁)と訴え続けていたPMSだけがアフガニスタンの人々と協力し、用水路を拓き、砂漠化した農村を甦らすことができた。
本書は、用水路建設の苦闘にほとんどの紙面を割いている。格闘した技術的な問題なども詳細に紹介される。全身全霊とはこういうことを言うのだろう。用水路建設は専門家から見れば無謀な挑戦だった。最初は、流量計算や流路設計の書物も理解できず、高校の数学から始めるしかなかった。アフガニスタンの土質は日本のものとは異なり厄介であったが、試行錯誤の末、独自の「技術開発」で克服。福岡県朝倉市の山田堰に何度も通い、治水を体得していった。クナール側の増水時の水圧は想像を絶するもので、作っては壊され、補修するの繰り返しで途方もない突貫工事を敢行した。
言葉では表せない“ドクター・サーブ”のすごさ
2001年から2002年は、旱魃対策、アフガン空爆、食糧配給など中村医師の人生でも最も多忙な時期であった。ここで信じられない出来事が明かされる。同時期、小学生の愛息が2年後生存率ゼロの病と診断された。死ぬまでの間、子どもと一緒にいてやりたい、しかしアフガン現地から離れることもできない。つらい時期であった。子どもの死と言う不条理は中村医師を新たな闘争に駆り立てた。
母代わりだった実姉を亡くしたときも「肉親への情と現地の義理の重さとの間で気持ちが振り子のように揺れた。」現地での通水式への出席は今後の行政からの協力取り付けに欠かせなかった。PMSは、真面目に援助しないビジネスと化した外国諸機関と同じと見なされ孤軍奮闘していた。PMSへの偏見を払拭する絶好の機会だった。
クナール側の水位が予想以上に増え取水口が決壊しそうになったときは、PMSの信用失墜の危機で、死んだ方が楽と思うほど追い込まれた。援助活動は、住民の命と生活がかかっている。結果が成功で無ければ住民に評価されない。「人々の災厄が続く限り、私は君たちと居るだろう。」(本書91頁)という使命感が中村医師を支えた。
なんとすごい人なんだろう。ペシャワール会と中村医師のことは、米軍のアフガニスタン攻撃を前にしてアフガニスタンを知るために、その著作を読んではいたが、これまでの著作以上に迫力を感じた。ドクター・サーブには大いなる愛を感じる。それは丁度、キューバ革命の英雄ゲバラが大いなる愛を持って自ら持つもの全てを投げ出して貧民のために命を捧げたような。
本書のまえがきには、「武力とカネが人間を支配する時代にあって、私たちの軌跡そのものが、平和を求める人々に勇気と慰めを与えればこれに過ぎる喜びはない」と記されている。中村医師たちがどれほどの事を成し遂げたのか。本書の結末で貯水池に水が流れ込みアフガン住民が感激の涙を流す場面は、感動的であり、さまざまな運動の目標でもあると感じた。
(2008.3.1.大阪T)