パレスチナとイスラエルの現地から
反占領・平和レポート NO.4
2002/02/17



パレスチナ女性救急隊員の自爆 
−占領によって生ずる不条理な死に日常的に接して−


 1月27日に西エルサレムの繁華街でパレスチナ人女性が自爆しました。女性で初の自爆テロと言うことで非常に大きな衝撃を与えました。そのことは皆さんもご存じだと思います。新聞をただ読むだけでは分からなかったのですが、様々な情報から彼女の活動や思いを辿っていく中で私たちも言葉に言い表せないほどの強い衝撃を受けました。

 赤新月社(赤十字に相当)のボランティア救急隊員ワファ・イドリス、28歳。ヨルダン川西岸ラマラ近郊のアルアマリ難民キャンプに母親と2人で暮らしていました。16歳のとき父親が死去。3人の兄たちは結婚して独立。高校生のころからイスラエルの占領に反対するデモに参加し、イスラエル兵士に投石する気丈な女の子だったといいます。インティファーダで死傷した若者の家族の世話をする女性組織でも活動し、ボランティア救急隊員として負傷者を運び手当てする活動を日夜続けていました。

 自爆直後には、さまざまな憶測が流されましたが、2日後に身元が確認され、母親や叔母たちがワファのことを語った記事がいくつも報道されました。それらによると、「娘は、今日も子供が血を流しているのを見たとか、目の前でパレスチナ人が殺されたというような話をよくした。思いつめていたのかもしれない」(母親/「毎日新聞」1.31夕刊)、「彼女の心が傷を負ったのは、負傷者を運ぶ日常の中で、私たちが見ないものを見てきたからだと思う」(叔母/「AERA」2.18号)。
 「救急車で妊婦を病院に運んでいる途中、イスラエル軍の検問所でどうしても通してもらえず、車の中で産み落とされた赤ん坊が死んだことがあった。ワファはその日、疲れたといって部屋にこもり、誰にも会わなかった。」−−彼女は大の子ども好きだったと言います。彼女自身、結婚後8年目にして妊娠したが、6ヶ月で流産し子供を産めない体になったようです。それを機に夫婦仲にも亀裂が入り3年前に離婚・・・。この経緯が人一倍子どものいのちへの思いを強めたのかもしれません。
 また「イスラエル軍に頭を撃たれた若者を運んでいる途中、若者の頭から脳が流れ出ないよう両手で必死に押さえていたこともあった。だが、車は激しく揺れた。若者はワファの手の中で息を引き取った。その日もワファは何も言わなかった。」(「AERA」2.18号)。「自爆の前日、イスラエル軍に撃たれたパレスチナ人が救急車で搬送中に同軍の検問にかかった。手当てが遅れて死ぬのを間近に見て最後の決心をしたという。」(「朝日新聞」2.4)。
 
 ワファと同じようなボランティア救急隊員は約2千人いて、高校生や大学生も多いといいます。その救急隊員たちに多くの死傷者が出ています。イスラエル軍が意図的に救急隊員を標的にしていると言われているのです。彼女たちは自らも命がけで救急活動にとりくみ、その中で占領に起因する不条理な死を日常的に否応なく見せつけられているのです。彼らの中に大勢の“ワファ”がいるのです。


これはグッシュ・シャロムというイスラエルの平和団体のホームページに掲載されたものです。ワファが直面したまさにその出来事が描かれています。


 1月31日、彼女の葬儀が行われました。彼女の友人や同僚や大勢の若者達の手で誇らしげに高く担ぎ上げられたのは空の棺でした。「ワファこそ人間だ」と思うのは私たちだけでしょうか。「空の棺」の悲しみと怒り−−この中に「暫定自治」とは名ばかりのイスラエルによる軍事占領の真実、本質が現れているのです。まさしくかつて南アの白人が黒人らを軍事的に隔離支配したアパルトヘイト体制のイスラエル版です。イスラエルが占領支配をやめない限り、彼女のような自爆死は不可避的必然的に生み出されるでしょう。自爆テロの是非を問う段階はもうずっと以前に過ぎ去っています。イスラエルがこのまま占領を続けるのか、それとも今すぐにやめるのか−−事態はぎりぎりにまで煮詰まっているのです。



イスラエルで平和運動が復活しつつある
−−世論の転換が起こり始めている−−

 今イスラエルでは、占領地での軍務拒否の運動が急速に拡大しようとしています。軍務拒否署名をした人が、こう語っています。「検問で病人が死んだり、妊婦が検問で出産し、新生児が死ぬような悲劇が度々起こっている。」「占領は、それ自体が非人道的な行為だ。社会経験を積み、世界の事も分かってくると、占領地で軍務を果たすのは人間として耐えられなくなった。パレスチナ人への抑圧がさらなる暴力を生む。」(「朝日新聞」2.6)。まさにワファたちが日々直面させられている占領の現実を、イスラエル軍兵士たちも公然と語りはじめ、それを拒否しようと行動を起こしはじめています。

 ワファの自爆事件が起こったころから2月はじめにかけて、イスラエル世論の大きな変化が起こり始めたようです。2月1日「マ・アリヴ」紙が発表した世論調査では、6か月前に70%あったシャロン政権の支持率が48%にまで低下しました(年初は57%)。リベラルな日刊紙「ハ・アレッツ」は、政治論説主任が「もう一度街頭へ!」という論説を発表し、「シャロン政府に反対して街頭へ出ることは、国民の権利であるだけでなく義務でもある」と論じました。そしてこれまで報道されなかった占領地での暴虐行為が報道されるようになりました。
 こういうイスラエルでの大きな変化に呼応するかのように、パレスチナ人による自爆攻撃も、入植地と軍施設に絞る動きが起こっているようです。

 2月9日にテルアビブで、「公正な和平をめざす女性連合」「グッシュ・シャロム」など28組織による1万人“反占領”集会が行われ、軍務拒否した兵士たちが熱烈に歓迎され支持されました。「私たちは、子供たちを殺す軍隊にいったいどうやって勤務することができるでしょうか?」「私たちは、家屋を破壊し、病人に医療を受けさせることを許さず、住民全体に屈辱を与えることを追求し、彼らを飢えさせ貧困に突き落とす軍隊に、どうして奉仕することができるのでしょうか?」と兵士たちは語りました。間もなく徴兵される高校生が、占領地での軍務拒否に加わる決意を語りました。(2月9日の集会の報告は別途翻訳紹介します。)
 この集会には「ピース・ナウ」が参加しなかったのですが、1週間後の2月16日、同じテルアビブで「ピース・ナウ」の“反占領”集会が1万5千人で行われました。「ピース・ナウ」は、かつてイスラエル労働党を支持する大衆的平和運動として、イスラエル平和運動の中心的主力でした。しかし、2000年9月末にはじまる今回のインティファーダを前にして、機能麻痺し解体・崩壊に近い状態になり、その後1年以上沈黙していました。「女性連合」をはじめとする先進的な新たな平和運動が次第に勢いを増していく中で、12月28日のエルサレムでの1万人デモ行進に「ピース・ナウ」も名を連ねました。復活・再生しつつある「ピース・ナウ」は、兵役拒否に賛成するところまで踏み込むことができずに、2月9日には加わることができなかったものと思われますが、16日の集会では占領地からの全面撤退と入植地の解体を要求しています。「ピース・ナウ」の中でどこまで労働党の連立からの離脱とシャロン政権打倒の声が強まるか、ここに焦点が移ろうとしています。
 しかし今イスラエルでもっとも先進的かつ戦闘的な平和運動を推進しているのは、「ピース・ナウ」ではありません。共産主義者、社会主義者、良心的な市民活動家などからなる「公正な和平をめざす女性連合」に結集している女性たちが先導しているのです。1年前には数百人でしかなかったこの女性達の勢力が、今やイスラエルの社会全体を、そしてシャロン政権そのものの打倒が視野に入るまで、その影響力を拡大させているのです。

※イスラエルの平和運動の実情に関しては「平和通信」が出した翻訳パンフレット『ニュー・インティファーダ』に詳しく紹介されています。事務局でも取り扱っています。


アメリカの「報復戦争」と日本の参戦に反対する署名運動事務局
(訂正)
 16日の集会を「ピース・ナウ」と「女性連合」の共催と書いていましたが、「女性連合」は主催者に加わっていませんでした。「女性連合」は、「グッシュ・シャロム」「タ・アエッシュ」とともに、この16日の集会の支持者、協力者として参加しました。「Red Net News」によれば「2月16日のデモはピース・ナウによって組織された。ピース・ナウは、前週のデモには主催者に左翼のラディカルが多すぎると言うことで参加しなかった。しかし2月9日のデモを主催した28組織の多くは、平和運動の統一のためにピース・ナウの集会に参加した。」 − 本文を一部訂正しました。(2002年2月28日)




 アメリカの「報復戦争」と日本の参戦に反対する署名運動 事務局