反占領・平和レポート NO.20 (2002/06/24)
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イスラエル国内の反占領・平和運動は「壁」に突き当たって苦悩している...。
−−社会的不公正に対する闘争と平和運動との結合をめざす新たな取り組みの開始と模索−−
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■今回は、イスラエル国内の平和運動の苦悩と模索について紹介したいと思います。今回もまた「女性連合」のスヴィルスキーさんからの報告です。怒濤のように激しく闘われた3月末からの運動が一段落し、自分たちの運動の欠陥、反省点、問題点、それらを乗り越えようとする新たな挑戦について必死になってもがいている様子がひしひしと伝わってきます。どんな運動もそうですが、彼女らの運動は、大きな流れの中では前進を遂げてきているのですが、シャロン政権の巻き返しの中で一つの「壁」に突き当たっているのです。今回の彼女の報告にも、いつもながらのスヴィルスキーさんの、事柄に立ち向かおうとする真剣さ、まじめさ、しっかり地に足のついた戦闘性に脱帽するばかりです。彼女らの苦悩と模索にぜひ耳を傾けて下さい。
■昨年12月初めに「シャロンの戦争」が開始されて以来、私たちはパレスチナ情勢をフォローし続け、レポートしてきました。なかでもとりわけ、イスラエル国内の先進的戦闘的な反占領・平和運動の活性化に注目してきました。「女性連合」や「グッシュ・シャロム」に代表される新たな潮流は、ほんの1年前には数百人の勢力でしかなかったのが、この半年の間に数万人を結集する勢力に成長しました。しかし、現在、ひとつの「壁」にぶつかっているようにみえます。
それと軌を一にするかのように、予備役将兵による占領地での軍務拒否運動も、目標の500人を間近にして勢いが止まっています。(6月初めに467名になってから、約2週間にわたって1名も増えず、久々に1名増えた途端に2名が離脱して6月24日現在466名です。)
■2000年9月末にはじまる第二次インティファーダを前にして、イスラエル国内の従来の平和運動=イスラエル労働党が主導する「オスロ合意」の「和平」(実はまやかしの「和平」=イスラエル・アパルトヘイト体制の新たな整備・構築であった)を支持する平和運動は、機能麻痺し解体しました。
その中から、新たな平和運動、パレスチナ人民との固い連帯とシオニズムの枠内にとらわれないインタナショナリズムに基づく反帝国主義反植民地主義の反占領・平和運動が、活性化しはじめました。それは、2001年初めの段階には数百名を数えるほどの勢力でしかありませんでした。しかし、9.11と「ブッシュの戦争」を経て、2001年12月初めに「シャロンの戦争」が開始されて、新たな反占領・平和運動は大衆的基盤を拡大しはじめました。
■2001年末のエルサレムでの1万人大行進以降、「占領は我々すべてを殺しつつある」をメインスローガンに掲げたイスラエル国内の反占領・平和運動は、1967年国境への無条件撤退と入植地の完全撤去を、シャロン政権の打倒を通じて実現するということを明確化するところまで先鋭化しました。2月ごろには、支持率が急低下したシャロン政権を追いつめるところまで前進しました。
ちょうどそれと軌を一にして、パレスチナ人民の反占領闘争も一大攻勢に転じる勢いを示しました。それは、12月からの新たな情勢に際して、方針を再検討し闘争体制を再構築し、攻撃目標を軍事施設と入植地に絞り込んでの波状攻撃でした。
■窮地に陥ったシャロン政権は2月末頃から新たな賭けに出ました。パレスチナ諸組織の要人暗殺をはじめとする挑発活動を強化し、自爆テロによる報復を誘発し、それを口実にしてパレスチナ自治区への軍事侵攻を正当化するという作戦をかつてないレベルにまで引き上げ、ついに3月29日から大々的な自治区への軍事侵攻を行いました。
シャロン政権とイスラエル軍は、その目的を「テロの基盤を破壊すること」だと説明しましたが、実際に行われたことは、将来のパレスチナ国家の基盤を破壊することと、パレスチナ人民の生活基盤を破壊することでした。
■3月末から5月はじめまでのイスラエルの軍事作戦行動の期間中に、イスラエル国内では、極度の右傾化と民主主義の圧殺、反占領・平和運動の圧殺が荒れ狂いました。
しかし、イスラエル内の反占領・平和運動は、極度に困難な時期を耐え抜いて、4月27日のテルアビブ1万人集会を契機に反転攻勢に転じ、5月11日には、反占領で10万人を結集するところまで前進しました。
■しかしながら、その後事態は一進一退の膠着状態を続けています。イスラエル国内の反占領・平和運動は、ひとつの「壁」に突き当たっています。
かつて1982年のレバノン戦争当時、反戦平和運動がかつてないほど高揚して、大量の兵役拒否者・軍務拒否者が現れ、数十万人の反戦平和集会が行われました。その結果、レバノンからの一応の撤退(完全撤退にまではいたらず、イスラエル軍は2000年6月までレバノン南部国境に居すわり続けました)と当時の国防相シャロンの辞任を余儀なくさせました。
現在、イスラエル内の反占領・平和運動は、20年前とは質的に異なった困難な課題に挑んでいます。イスラエルによる帝国主義的植民地支配を、自ら進んで放棄することができるかという問題です。それは、イスラエル国内の根本的な社会変革をめざすような深刻な闘争抜きには行いえないものです。反占領闘争が直面している「壁」は、まさにこのことと深く関わっていると思われます。
■シャロン政権の賭けと延命策が一時的に成功したかに見える状況の中で、必死に突破口を切り開こうとする努力が積み重ねられています。「公正な和平をめざす女性連合」は、その先頭にたって奮闘しています。6月8日に行われた「女性連合」の占領35周年の取り組みに、その奮闘の様子がよく表れています。
以下に、6月8日行動の報告を翻訳紹介しますが、その中に「アシュケナジーム」「ミズラヒーム」という聞き慣れない言葉が出てきます。イスラエル平和運動の現在の困難を理解するためには、このキーワードの理解が不可欠です。
■「アシュケナジーム」とは欧米系ユダヤ人のことで、「ミズラヒーム」は東洋系ユダヤ人、つまり周辺アラブ諸国出身のユダヤ人のことです。
現在イスラエルの人口は約650万人(2002年4月)で、そのうちの約530万人がユダヤ人、約120万人がイスラエル内のアラブ人(パレスチナ人)です。イスラエル内のパレスチナ人は、イスラエル建国の際にイスラエル国内に残った人々で、一応選挙権も与えられてイスラエル国民とされていますが、さまざまな差別の中で二級市民として扱われています。このように、イスラエルは、西岸地域とガザ地区のパレスチナ人を占領支配しているだけでなく、国内でもパレスチナ人を差別支配しているのです。
しかし更に、ユダヤ人の中に「アシュケナジーム」と「ミズラヒーム」という二層の差別構造があります。「アシュケナジーム」はユダヤ人社会の中の上層で、支配的エリート層の基盤となっています。「ミズラヒーム」はブルーカラー層、ユダヤ人社会の下層を構成しています。前者はイスラエル労働党の主要な支持基盤で、後者はリクードの支持基盤です。全体としての支配層の中の低所得者層である「ミズラヒーム」は、特権的上層部である「アシュケナジーム」に対して平等を要求する傾向が強く、それも国粋主義的ユダヤ人になることによってそれを実現しようとする傾向が強くあります。そのことは、客観的に、パレスチナ人に対する支配抑圧の強硬派右派勢力の中心部隊が「ミズラヒーム」から供給されるということにつながっています。
イスラエルの平和運動は、伝統的に「アシュケナジーム」層を中心とし、基本的にユダヤ人の国家イスラエルを守るというシオニズムの枠内でシオニズム左派として展開してきました。そして、「ミズラヒーム」は平和運動に冷淡で、「アシュケナジーム」は平和運動以外の社会運動に冷淡であるという関係がありました。
私たちが注目し紹介してきた新たな反占領・平和運動の潮流は、シオニズムという帝国主義的植民地主義的イデオロギーの枠を突破し、パレスチナ人民と固く連帯する平和運動として力を増してきました。そして今、イスラエル社会の根本的変革を展望して、ユダヤ人社会の下層の社会的公正を求める運動とも手を結び連帯していこうとしています。その道のりは困難を極めると思われますが、その格闘は始まっています。
※イスラエル社会の重層構造その他についての参考文献:広河隆一『パレスチナ(新版)』岩波新書。土井敏邦『「和平合意」とパレスチナ』朝日選書。
※尚、占領35周年の現地でのとりくみは、各組織がそれぞれに創意工夫をこらして行うという形になりました。「女性連合」は、6月8日に全国4か所から平和キャラバンがエルサレムに結集して集会を行うというとりくみを企画しましたが、当日はエルサレムで39度という猛暑で、キャラバンに参加するのがやっとという人も続出したそうです。
2002年6月24日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
(翻訳紹介)
2002.6.9
友人の皆さん、
昨日、私は「公正な和平をめざす女性連合」の一員であることに、特別の誇りを感じました。この運動は、正しいことをしてきたし、言うべきであったことを言ってきた、と。この日は、華氏102度(摂氏39度)の焼けるように暑い日でしたが、その中で、約
1,500人の平和運動活動家が、かなり耳の痛いメッセージを聞くことになりました。
占領の35年を刻印する昨日のデモンストレーションで焦点があてられたのは、パレスチナ人の犠牲や諸権利ではなく−−もっともこれらの点も問題にされたのですが−−、それ以上に次のことに対してでした。つまり、費用がかかり対内的にも破壊的な軍事占領に対して、イスラエル国内で払わされている代償についてです。特に、発言者たちは、大部分がイスラエル国内の社会的公正を追求する活動家たちだったのですが、次のように指摘しました。イスラエルの平和運動は、主要にアシュケナジーによって担われてきたが、今にいたるまでイスラエル社会の他の焦眉の課題には対応してこなかった、と。
「あなたたちは、いつも『平和運動のいったいどこにミズラヒームがいるのか?』と尋ねてばかりいます。でも事実として、私たちは、『社会的公正を追求する運動のいったいどこにアシュケナジームがいるのか?』と尋ね続けてきました。」と、「アコティ」の活動家ヴェレード・マダー[私の姉妹]は述べました。「アコティ」は、社会経済的位階の最底辺で働いている女性に権利権限を与えることを追求している組織です。
デモンストレーションを超えたもの
「女性連合」のイベントは、占領と社会的公正の問題との結びつきを検討した5月初めの会議で始まりました。それは、先週イスラエルのあらゆるローカル新聞と全国新聞でのメディア・キャンペーンで全力投入の段階に入り、イスラエル国民にパレスチナ人との平和が存在しないことによってもたらされている国内的ダメージに気づくよう、呼びかけました。キャンペーンのテキストはこう述べています、「占領は、私たちすべてを傷つけ、何十億シェケルものお金を私たちから奪ってドブに投げこみ、社会的あるいは教育的な諸計画を強制的に切り縮めています。」と。さらに、これらの新聞広告では、「暴力が問題を解決する唯一の方法だ」という信念を占領が植えつけているということ、また占領が「私たちの生活の中に軍国主義がはびこるのを許している」ということが述べられました。(何千何万と配布されたチラシやポスターも貢献しました。)
昨日は、「占領を終わらせろ」「占領は我々すべてを殺しつつある」という標識で飾られたバスと車が、イスラエル中の4か所から出発することで始まり、エルサレムへとゆっくり進み、最後にエルサレムの街にいっしょに入りました。バスが演壇のところまで進んで乗ってきた人々をはき出したとき、既にデモンストレーションの場所にいた人々が歓声を上げました。
私たちは、首相居住区に面する通りを埋め、警察にそこの交通をストップさせざるをえなくさせました。警察の指揮官は、もし私たちが交通妨害すれば「強制的に追い散らす」と脅していたのですが。大部分の女性は、「黒衣の女性たち」として黒衣でやってきましたが、群衆全体はカラフルでした。あちこちには、前日行われたエルサレムで初めての同性愛者顕示デーで残されたポスターがあって、「トランスジェンダー(性転換)を。トランスファー(移送−−訳注:パレスチナ人の国外追放の政府用語)ではなく。」のような挑発的なスローガンや、単純に「占領に反対するレズやホモ」というスローガンが目にとまりました。占領の複合的抑圧、社会的不公正と同性愛嫌悪に対する、「クヴィザ・シュコラ[黒い洗濯屋]」のいつも想像力豊かな挑戦的レジスタンスに祝福がありますように。
予定された発言者のうちの4人は20代の女性で、発言者たちは皆、草の根の活動家たちでした。−−
Nabeha Morkus、「アコティ」の若い女性ミズラーヒの活動家;
Ruth Elbilia、両親がモロッコ出身でベイト・シェアンのスラム街へ押しやられた人;
Clarina Spitz、コーカサス出身の移民たちの多いエルサレム近郊の貧民街で育ち、最近軍務終了
; Daphna Strumza、第3学年の医学生で「クヴィザ・シュコラ」の活動家;
Yanna Zifferblatt、現在こちらへ来て6年になるロシア人移民でハイファ大学の学生。Yannaはこう述べました。「恥です。全体主義の社会から来たロシア人移民が、軍国主義社会の軍隊に落ち込んでいくなんて。しかも軍国主義の価値観を強めて。そしてまた、ロシア人移民がこぞって右翼であるとみなされていることも恥ずかしいことです。」と。
群衆の中には、連帯を表明しにやってきた多くの国際的支援者もいて、発言を求められました。−−フランス、ベルギー、日本、その他の平和諸組織の代表者たちでした。おそらく最も感動的だったのは、アルジェリアからきた男性で、フランス語とアラビア語で話し、アルジェリアとパレスチナの解放運動を比較しました。
沈黙の歌
司会者の、イスラエル北部出身で「女性連合」の活動家エドナ・トレダーノ・ザレツキーは、あらゆる人のために場をつくりました。群衆の気分は次のようなものでした。今日のこの集会はいつもとは違ったデモンストレーションで、人々は他を傷つけるようなことも述べ、それでいてお互いのニーズのために協働することができる、そのようなものとして受けとめようというものでした。「私たちは、占領の35年を経験してきました。しかし、イスラエル内の社会問題を無視する54年も経験してきたのです。」とヴェレードは述べました。今回は、また、全プログラムを通して聾者のために手話通訳をしたイスラエルで最初のデモンストレーションとなりました。それは、聾者が自らの権利のためにストライキをしているまさにその時に、特別に重要なメッセージを送るものでもありました。
イスラエル内における占領の代償は、集会の終わりにもまた注目されました。「女性連合」のメンバーが、次のことに注意を向けたからです。イスラエル政府が、自らの民主主義がひどく腐食しているときに、パレスチナ自治政府の「民主的改革」を要求しているということについてです。彼女によれば、自分の政治的見解のためにいかに自分の職が危険にさらされているかということについての発言をもとめた私たちの提案を、3人の女性が断ったということです。彼女たちは、このデモンストレーションに登場すれば首を切られることになるだろうと恐れたのです。そして、最後に、ユダヤ人とパレスチナ人の子供たちの合唱団が、ヘブライ語とアラビア語で平和の歌を歌ってデモンストレーションを終えることになっていました。しかしながら、指揮者は、子供たちを登場させないことに決めました。−−彼らがメッセージに不同意であったからではなく、政府の支援を失うことを恐れたためでした。その一方で、入植地の子供たちが、学校ごと授業時間内に右翼のデモンストレーションにバスで連れていかれました。
「したがって、占領の代償についてのこの大衆集会を終えるにあたって、私たちは、子供たちの今日ここで歌うはずだった合唱団の沈黙の歌を‘聞く’ことにしましょう。」ということになりました。
暗く陰気なデモンストレーションでした。しかし、意義ある、また身を切るように痛切な、そしていくつもの重要な先例をつくったデモンストレーションでした。4人の国会議員の方々(Tamar
Gozansky, Naomi Chazan, Anat Maor,
Roman
Bronfman)に、発言を依頼されていないにもかかわらず出席していただいたことを感謝します。そして、演壇に立って心の中の小さな一部を分かち合って下さった女性のみなさんに感謝します。
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