■ 今回は、イスラエルの平和団体「グッシュ・シャロム」のホームページに掲載された無署名論文「ジェニンにおいて、私は・・・の基礎を据えた。」(2002.04.13付、アメリカのZnetにはウリ・アヴネリの署名で転載された)を翻訳紹介します。ここにはジェニンの大虐殺が、単にパレスチナ人が抵抗せずに無為にただ一方的に虐殺されていっただけの事件ではなかったこと、彼らパレスチナ人が国家独立を目指し民族の誇りを持って、圧倒的に優位にある近代兵器で武装したイスラエル軍に真正面から勇敢に戦ったこと、つまり「2つのジェニン」があったことが記されています。
http://www.gush-shalom.org/english/index.html
広河隆一氏も、この論文と同様、「ジェニンはイスラエルにとっての“スターリングラード”の始まりなのです。」と報告されています。おそらく現地でそう言われているのだと思います。
http://www.hiropress.net/column/020411.html
■ もう一つBBCのオンライン・ニュースより「分析:イスラエルの軍事力が挑戦を受けている」を翻訳紹介します。これはBBCの防衛問題特派員の論評であり、従って必ずしも親パレスチナではありませんが、非常に興味深い分析です。また日付を見てもらっても分かるように、ジェニンでの出来事の前に書かれたものです。同特派員が述べるパレスチナの抵抗力は、ジェニンの事件の前後に徹底的に攻撃され壊滅状態にされました。実力で組織的な抵抗をする力を再び回復するには一定の期間がかかるでしょう。
しかしこの「分析」から2つのことが分かります。第一に、今回のイスラエルの軍事作戦が、実は何年も前から周到に計画されていた可能性があることです。1997年、つまり今回の軍事侵攻の遙か前に、更に「ニュー・インティファーダ」の以前に、すでに「占領地で(対)ゲリラ戦争を遂行する」計画があったのです。いわゆる「自爆テロ」が頻発するずっと以前です。ここからもシャロンの、「自爆テロ撲滅」を理由とする今回の軍事侵攻は、単なる口実に過ぎないことが分かります。「自爆テロ」があろうとなかろうと、シャロンは屁理屈をこじつけて侵攻したということです。
第二に、イスラエルとパレスチナとの圧倒的な「軍事的不均衡」の下で、圧倒的な優位にあるイスラエル軍が、パレスチナ人の“投石者”や“市民軍”や“自爆者”をともなった「非対称戦争」に身動きがとれなくなっているという事実を明らかにしていることです。そのような中ではイスラエル軍の士気と道徳性が蝕まれ中長期的に衰退していくと予測しています。私たちも連帯を呼びかけている「イスラエルの軍務拒否者の運動」もこの脈絡の中で捉えられています。
シャロンによる何の展望もない破壊と虐殺だけの今回の侵攻は、思うようにならないイスラエル側の苛立ちを示しているのです。従って今回の軍事侵攻が、潰しても叩いても次から次へと反撃してくる武装闘争を含む“パレスチナの抵抗闘争そのもの”を根絶やしにすることを目的にしていると考えられます。シャロンは、近代兵器による圧倒的軍事的優位を持ってしてもなかなか壊滅させることができず、手こずってきたパレスチナの抵抗闘争を、ここで一気に壊滅させようとしたのではないでしょうか。
http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/middle_east/newsid_1913000/1913874.stm
■ 「オスロ合意」は矛盾したものでした。一方では「パレスチナ=アパルトヘイト体制」とも言える過酷な占領支配、植民地支配でしたが、他方では「暫定自治政府」という「疑似国家」を認めざるを得なかったのです。それはパレスチナ自治警察が自治区の治安を担うことであり、一定の警察力が形成されたことを意味します。またPLOの諸グループやハマス等のイスラム原理主義も一定の小さな武器や手作りの兵器を使った武装闘争を進めてきました。これらの武装闘争を含む抵抗はパレスチナ独立国家樹立の“萌芽”“基礎”を精神的にも物質的にも準備したのだと思います。
要するに、シャロンとイスラエル政府は、このまま放置すればパレスチナ国家が樹立されてしまうと、尋常ならざる危機感を抱いたのではないでしょうか。従ってシャロンはパレスチナ国家独立の基盤そのもの、すなわち自治政府も、その警察力も、その元首も、建物や行政機構も、通信網やインフラも、組織的基盤であるPLOも、その戦闘員全員も、そしてパレスチナ人の生活基盤そのものをも、独立国家構築の痕跡となるもの全てをことごとく壊滅しようとしているのです。全ては「占領支配体制」を維持するためです。
シャロンが望むのは、独立国家樹立を目指さないパレスチナ人、抵抗しないパレスチナ人、イスラエル人の入植地にも占領支配にも黙って従う従順なパレスチナ人です。しかしそんなことは不可能です。
それではシャロンは再び直接的軍事占領に復帰するのか。何の展望もありません。シャロン政権は、そして彼を頂くイスラエルは、確実に墓穴を掘っているのです。
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
「ジェニンにおいて、私は....基礎を据えた。」
2002年4月13日
「グッシュ・シャロム」無署名論文
105年前、バ−ゼルでの最初のシオニスト大会の翌日、テオドル・ヘルツルは彼の日記に次のように記した、「バーゼルにおいて、私は、ユダヤ人国家の基礎をすえた」と。今週、アリエル・シャロンは彼の日記に、こう記さねばならない、「ジェニンにおいて、私は、パレスチナ人国家の基礎をすえた」と。
もちろん、彼は、そんなつもりはなかった。全く正反対に、彼の意図は、パレスチナ国家とその諸機関、指導部を、これを最後にきっぱりと破壊することであった。その残滓、どこへなりとも処分できる人的残滓だけを残して。
実際には、全く異なったことが起こった。この地域最大の軍事マシーンと世界でも最新鋭の武力による猛攻撃に直面し、苦難の海に沈められ、多数の死体にとり囲まれて、パレスチナ国家は、かつてなかったほどその背筋をまっすぐ伸ばした。
ジェニン市近郊のこの小さな難民キャンプに、一群のパレスチナ人戦士が、防衛戦を闘うために、あらゆる組織から結集した。全アラブ人の心に神聖なものとして大切にされ心に秘められることになるであろう戦闘に。これはパレスチナ人の
Massadaである、−−あるイスラエル将校が、AD71年にローマに反逆した偉大なユダヤ人反乱の残存者の伝説的な抵抗を暗にほのめかして述べたように。
国際メディアがもうこれ以上避けて通れず、恐怖の写真が公表されるとき、二つの方向の意見が、ありうるものとして現れるかもしれない。つまり、大虐殺の、第二のサブラ・シャティーラの物語としてのジェニン。そして、パレスチナのスターリングラード、不滅の英雄主義の物語としてのジェニン。後の観点がきっと広まるだろう。
民族国家は、神話の上にうち建てられる。私は、Massada
と Tel-Chai の神話で育てられた。それらの神話は、新生ヘブライ国家の意識を形づくった。(1920年
Tel-Chai において、一群のユダヤ人防衛者たちが、片腕の英雄ヨゼフ・トゥルンペルドーに率いられて、シリアの反フランス軍団との軍事衝突で殺された。)ジェニンの神話とラマラのアラファト議長府の神話は、新生パレスチナ国家の意識を形成するであろう。
あらゆることを火器と戦死者数の観点でしか見ることのできない原始的な軍事ロボットのような人間には、このことは理解できないであろう。しかし、軍事的天才であったナポレオンは、こう言った。戦争においては、道徳的士気の配慮考察が4分の3を占め、軍事力の実際のバランスは残りの4分の1を占めるにすぎない、と。
この大局的観点から見れば、シャロンの戦争はどのように見えるだろうか?
実際の軍事力に関しては、バランスは一目瞭然である。20〜30人のイスラエル兵が死に、数百人のパレスチナ人が死んだ。イスラエルには破壊されたところはない。パレスチナの町々は恐ろしいまでに破壊された。
この目的は「テロの基盤を破壊する」ことである、そう主張された。この規定は、それ自身がナンセンスなものである。というのは、「テロの基盤」は、幾百万のパレスチナ人と幾千万のアラブ人の心の中にあり、その心は怒りで爆発しつつあるのだから。戦士と自爆者が数多く殺されれば殺されるほど、ますます多くの戦士と自爆者が進んでそれにとって代わろうとするのである。我々は、「爆発物の製造所」を目撃した、−−そこにあったのはイスラエルのそこらのお店で手に入る物資の数袋である。IDF(イスラエル国防軍)は製造所を10か所発見したと自慢している。
まもなくそれは数百以上になるだろう。
幾多の負傷した人々が路上に横たわり、移動するあらゆる救急車をイスラエル軍が銃撃するので、彼らはゆっくりと血を流しながら死んでいった、−−そんなとき、それは恐ろしい憎しみをうみ出す。イスラエル軍が、男たち、女たち、子供たちの何百もの死体を密かに埋めるとき、−−それは、恐ろしい憎しみをうみ出す。戦車が車をぺしゃんこにし、家々を破壊し、電柱をなぎ倒し、水道管を破壊し、去った後に数千人のホームレスの人々を残し、子供たちが通りの汚れた水たまりで水を飲まねばならなくなったとき、ーーそれは恐ろしい憎しみをうみ出す。
これらすべてを自分の目で目撃したパレスチナの子供たちは、明日の自爆者となる。かくしてシャロンとモファズは、テロの基盤を創り出している。
そうこうするうちに、彼ら(シャロンとモファズ)は、パレスチナ国民とパレスチナ国家の礎を創出したのである。パレスチナ人民は、ジェニンで戦った自分たちの戦士を見た。そして、我が戦士たちが、重量戦車の中で守られていたイスラエル軍兵士たちよりもはるかに偉大な英雄であると信じて疑わない。パレスチナ人民は、自分たちのリーダーがテレビ画面に英雄的に映し出されるのを見た。彼の顔は暗やみの包囲された執務室の中で1本のろうそくによって照らし出され、いつでも死ぬ準備ができていた。その自分たちのリーダーを、快楽にふけるイスラエルの大臣たちと比べる。戦闘の最前線から遠く離れたオフィスに坐り、ボディーガードの群れに囲まれた大臣たちと。かくして民族の誇りが生じる。
この冒険からイスラエルにとって有益なものは何も出てこない。これまでのシャロンの冒険のどれ一つからも有益なものが何ひとつ出てこなかったように。この作戦の概念はバカげたものであった。その遂行は残忍であった。その諸結果は悲惨なものであろう。それは、平和と安全をもたらさず、問題を何ひとつ解決せず、逆にイスラエルを孤立させ、世界中でユダヤ人を危険にさらすであろう。
最後に、これだけは覚えておかねばならない。我が巨大軍事マシーンは小さなパレスチナ人民を攻撃した。そして、この小さなパレスチナ人民とそのリーダーは持ちこたえた。パレスチナ人の目には、そしてまた彼らだけでなく世界の多くの人々の目にも、巨大な勝利、ゴリアテに対する現代のダビデの勝利と映るであろう。
イスラエルの軍事力が挑戦を受けている
(http://news.bbc.co.uk/hi/english/world/middle_east/newsid_1913000/1913874.stm)
2002年4月5日
byポール・アダムス(BBC防衛問題特派員)
上記BBCサイトより。
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イスラエルの軍事力
正規軍
陸軍 134,000
空軍 32,000
海軍 7,000
国境警察 8,000
予備役
陸軍 400,000
空軍 20,000
海軍 5,000
軍事的機器
戦闘機 440
戦車 3,900
ヘリコプター 130
砲門 9,600
核兵器:イスラエルはミサイル100基にのぼる核戦力を保持していると広く信じられている。
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軍が占領地で(対)ゲリラ戦を行う準備をしつつあるということを、1997年にイスラエルのある軍高官が公表して、政府の大臣たちからごうごうたる非難をあびた。
この高官は、警戒心を生み出し私利を図っているとして告発された。しかし、他の軍高官や諜報機関の高官が、既に同様の関心事を表明しつつあった。
「投石や道路封鎖を中心とするインティファーダすなわち大衆蜂起が、レバノンにおいてそうであったのと同じように、ゲリラ戦と結びつき、道路脇の地雷や銃撃と結びついていくのを見ることができる。」と述べた者もいて、それは当時、エルサレムポストに引用された。
それ以来5年、イスラエル軍は、西岸とガザ地区でゲリラ戦に全くたずさわってはこなかったが、今、事態はその方向に動きつつあるように見える。
第2のパレスチナのインティファーダは、いくつかの局面を通過して変化してきた。投石と火炎瓶−−1980年代末から1990年代初めの最初の蜂起に似た状況−−から、銃撃戦や待ちぶせ攻撃や、そして最も恐ろしい自爆攻撃へ。
すべてよく知られたこと
自爆攻撃による犠牲者の数の増大にイスラエル人は全体として面食らっているが、軍はおそらく、ここ数週間でのイスラエル検問所への壊滅的な狙撃兵の攻撃と2台のメルカバ戦車の破壊に、いっそう大きな関心があるだろう。
軍事的にはこれは、不愉快なことだがよく知られたおなじみのことで、2年前イスラエルの占領が終わった南レバノンで生じた事態と類似したものを想起させる。
ヒズボラのゲリラ兵が、道路脇の爆弾やロケットでの攻撃で繰り返し繰り返しイスラエル軍を攻撃し、ついにイスラエルに撤退を余儀なくさせた。ヒズボラの実例がパレスチナの軍事部門に、その先例にならうよう突き動かしたと信じる分析家もいる。
二つの闘いは、軍事理論家が「非対称戦争」と呼んでいるものにおける不愉快な教訓をもたらした。敵の従来型軍事力の圧倒的優位に対抗するための、従来型でない戦術の使用ということである。
優勢な勢力が、祖国を守るために闘っているというような高度に動機づけられた戦闘員と対戦する時、士気がむしばまれることがありうる。特に、優勢な勢力の側に死傷者が増えはじめる場合に。
何年にもわたる訓練と、シリア、イランからの支援によって、ヒズボラは非常に強力な戦闘力となった。
絶望のもとにあるパレスチナの戦闘グループや警備組織は、まだ、合同して同じような脅威となるに至ってはいないが、この闘いが長引けば長引くほど、イスラエルは優勢を維持するのがますます困難になるかもしれない。
軍事的不均衡
イスラエルの軍事史の第一人者、マルティン・ヴァン・クレヴェルド教授の言葉に、「賢者であれば、時の経過に対して劣弱であるものを決して採用してはならない。」というのがある。
1987〜1993のインティファーダのときに、クレヴェルド教授は次のように警告した。従来型の戦闘−−存在をかけた戦いとみなされる戦争−−のために訓練され準備された軍事力は、暴動を取り締まる警察に適した任務を果たすよう求められれば、苦しむかもしれないと。
第2インティファーダは、パレスチナ人の武装部門が様々な武器を保持し使用して、最初のインティファーダよりはるかに複雑な様相を呈している。しかし、軍事的不均衡は歴然として明白で、非武装のパレスチナ民間人の死者の数は、外部の観察者をぞっとさせるほどである。
そのような状況からくる一つの結果は、占領地での軍務を拒否する将兵の数の増大である。
イスラエルの新聞によれば、拒否者の収監された者が現在21人という記録的な数になっている。いわゆる「拒否者(レフューズニクス)」の運動の代表者によれば、現在400人の予備役将兵が占領地での軍務を拒否する手紙に署名している。
何年にもわたる暴動と低いレベルのゲリラ活動にもかかわらず、イスラエル軍は、効果的な対応をまだ開発していない。その代わりに、おそらく悪い状態をいっそう悪くすることに資すると思われる重火器による報復に頼っている。
イスラエル軍が、妨害するものを粉砕しながらパレスチナの都市へ侵攻する時、力の不均衡は、見る者すべてにとって明白である。
しかし、この地域のスーパーパワーである軍事力、過去においてアラブ諸国連合軍に勝利した軍事力は、投石者や市民軍や自爆者をともなった非対称戦に身動きがとれなくなっている。そして、その結果は、全く不確かなものなのである。
2002年4月19日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
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